表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/32

第七話 後編

― 七 後編 ―


「へぇ」

 戦いの様子を見て関心の声を出したのは今回の戦いへと招待した監視者である。正直な所を言うとここまで出来るとは思っていなかったのである。最悪は腕の奇襲で負傷させる事くらいは可能だと思っていたのである。

(輪廻の鎖を断ち切った織部春といい……今回の彼らは今までとは違うようだな)

 心中でつぶやき監視者はゆっくりと立ち上がる。自らが足場にしているのは氷のように固い木の枝だった。

(せっかく招待したんだ。これで帰すのは失礼かな)

 せっかく招いたというのに何の刺激も与えずに帰す事になってしまう。それは主催者としては申し訳なく思ってしまう。自身の手で弱者を叩きのめすのは少々心が痛むが、それも今さらの話である。

「せっかくの機会だ。君達には本当の絶望を教えてあげるよ」

 不敵に笑い監視者は一度軽く枝を蹴りつけて体を浮かせる。本来であれば重力に従い急降下する体は浮力でも働いているかのようにゆっくりと地へと下りていく。

(見せてもらうよ)

 監視者は二人の招待客を薄く細めた赤い瞳で見つめた。



「はい。終わり」

 ご機嫌な声を耳にしたカインは相棒が作った足場を伝い地へと無事に辿り付く。二人はお互いに無傷だった。この程度の穢れに後れを取るようなカイン達ではないが、あまりにも呆気ない勝利に戸惑うばかりである。

(この程度か? 冬月の穢れが?)

 カインは眉根を寄せる。

 フェレアスに出現する穢れはただ闇雲に攻めてくるだけで、今回のような作戦めいた行動はしない。そういう面では今回の穢れを侮る事は出来ないだろう。だが、偶然の戦いならいざ知らず、監視者が関わる穢れがこの程度だとはとてもではないが思えないのである。

「え……空が?」

 カインが思考を走らせていると背後から突如、疑問の言葉が上がる。声に導かれるように空を見上げると。

 空へと広がるのは青銀の輝き。まるで星のように瞬く数多の光が空を覆い尽くしていたのである。光の正体は青銀の葉。そして、葉が生茂るのは一本の木。高さは三十メートルはあるだろうか。

 幹は水晶色で、まるで木の形をした氷の結晶のようであった。いや、実際に氷なのだろう。内部まで透けて見通せる木などありはしないのだから。

 おそらく普段の生活で見かける様な事があれば不気味で仕方がない光景。だが、青銀の輝きに満たされた木はこの無機質な世界には合っていると思えてしまうから不思議である。

「ようこそ。私の世界に」

 木の陰に立ち尽くしているのは青銀の輝きに照らされた監視者。いつもは監視と言う名の見物をしている彼女だった。

 その彼女を取り囲むのは漆黒の世界には相反する純白の可憐な花々。まるであの場だけは、どの世界からも切り離されているような浮世離れした場。あれが彼女の世界だとでもいうのだろう。もしそうであるとするなら何と悲しい世界だろうか。

 娯楽も、話し相手も、刺激もない世界。おそらくあの場に人を置けば数日間で発狂するのではなかろうか。そんな場に何年も、いや何十年も一人でいた監視者。それが世界を見続けた者の末路であるというのであれば悲しい事だと思えてならない。

 そんな悲しき場に佇む彼女の表情からは何も読み取る事は出来ない。

(何の用がある?)

 浮かんだ疑問を心中でつぶやいたカインは監視者を注視し続ける。戦いを終えた今一体何をするというのだろうか。まさか賞賛を言いに来たとでもいうのだろうか。

 元から何を考えているのか読めない相手ではあるが、突如開けたこの空間への疑問も加わりカインを言いようのない不安が包んでいく。

 複数の想いを含んだ視線を受け止めた監視者は、まるで応えるかのように不敵に微笑み――

「君達は少々危険だ。特にフリージア――君はね」

 ゆっくりと右手を胸の高さまで掲げる。まるで新たな戦いの始まりを告げるように。

 監視者がフリージアを危険視するのは、今回の戦いで本気を出していないからだろう。通常では考えられないハイペースで光の矢を射出せしめた彼女ではあるが、まだ切り札を隠し持っている。それは彼女が信じる神聖なる存在の召喚。あの程度の雑魚相手に使用するものではないが、今後使用される事を嫌っている事は容易に想像出来る。

「あんたに手加減は不要ね」

 監視者に応じるようにフリージアの体を光が包み込む。それは力の発動の合図である。

 手に握る聖書のページが止まったその瞬間に、フリージアは監視者に倣うかのように左手を掲げる。戦いに応じるために。

 刹那、閃光が瞬く。

 光が晴れた先にいたのはフリージアが望む絶対の存在。理想的とも言える妖艶な体を白い法衣で身を包んだ天使だった。カインが天使と断定したのは左右へと広がる白き両翼を視界に捉えたからである。

 読み尽くしたと言っても過言ではない聖書に記され、それでいてフェレアスの壁画に描かれ続けた存在が今まさに目の前にいるのである。見間違える事など有りはしない。そんな絶対の存在が確かにその場に降臨していたのである。

(美しい)

 カインはそんな些細な言葉しか思いつかなかった。それだけこの世界に顕現した天使は浮世離れしていたのである。

「その程度で……止められるかな」

 対する監視者はどこか小馬鹿にした声で挑発する。カインであれば無視する安い挑発。だが、絶対の存在を呼び出した彼女がそれを容認する訳はない。

「叩きのめす!」

 予想通り怒りの感情を爆発させるフリージア。そんな怒りの意思を受け止めた天使が両翼を羽ばたかせすぐさま飛翔を開始する。諸悪の根源と言っても過言ではない相手へと向けて突き進むために。

 鳴り響いたのは金属が擦れる音。舞い散ったのは数多の火花だった。

 発生源は天使が握る槍。そして、天井高くそびえる木から射出された枝だった。枝と言ってもそれは氷で出来た槍のように鋭く、まさに氷刃と言っても過言ではない物である。

「怖いくらいに……綺麗な武器ね」

 フリージアは監視者の武器を視認した感想を述べる。

 彼女が言うように射出させる氷刃の輝きは、魂を吸い取られるかのような恐怖を感じると共に、溜息が出そうになるほどに綺麗だった。

 おそらく自身最高の切り札。絶対の刃を用いていなければ彼女は今頃震え上がっていた事だろう。それほどまでに監視者の放った刃は不気味で、それでいて美しかった。

 そして、震え上がる理由はもう一つある。

 天使の力を借りているというのに監視者は今でも不敵に笑い、まるで天使が接近するのを待ちわびているかのような素振りを崩さないからである。まるで天使など片手間で倒せるというかのように。

 ――天使と監視者の距離はすでに三メートル。

 天使が握るのは二メートルの槍。即座に行動を起こさねば一息で間合いに入られるであろう事は素人でも分かる事。まさか槍で貫かれても死なないとでもいうのだろうか。

 カインが緊張した面持ちで天使と監視者の攻防へと注視すると。

「褒めていただき光栄だ」

 監視者はマイペースに言葉を返し、左手を振り上げる。その動きに合わせて舞ったのは白い花びら。

 舞った花びらはすぐさま天使が突き出した槍を細かく裁断し。

 穢れを知らない純白は一息の間を持って赤へと塗り替えられる。

 天使の血を浴びる事で。

「――なんだと?」

 カインは目の前に広がる光景を信じる事が出来なかった。叶うのであれば夢だと信じたい。鋼のような意志を持っていると自負している自分が、まさか夢であって欲しいなどと腑抜けた事を思う日が訪れるとは夢にも思わぬ事であった。

 ――天使の力を持ってしても敵わない。

 宗教を、神を、天使を信じているカインにとってはあまりにも衝撃的な事だった。おそらく教えを広めている司祭がこの光景を目の当たりにすれば、すぐさま卒倒する事だろう。

「う……ぁ……そんな。嘘」

 当然、自身の信じる絶対を。唯一無二の刃をあっさりと打ち砕かれたフリージアが平静でいられる訳はない。発した言葉はどこか明瞭ではないのが何よりの証拠だろう。いちいち確認せずとも彼女はもう恐怖で体を動かす事は出来ないだろう。

(いかん)

 こんな状況での戦闘はもはや不可能。恐怖で鈍った体で出来る事など数少ないのだ。素早く判断したカインは一歩後退する。隙を見てこの空間から逃げるために。

「逃がさないよ」

 監視者は低い声を発する。倒すべき相手から、純粋なる恐怖へと変わった彼女。その一声がカインを、フリージアを固まらせるには十分だった。

 二人が固まったその瞬間。

 監視者は可憐な花々を踏み抜きながら走る。疾走に合わせて追従するのは空へと舞った白き花びら。そして、水晶色に輝く氷刃である。

「化け物が!」

 カインは叫び声を上げ恐怖を跳ね除ける。一撃を防がねば、彼女を止めねば撤退などもはや夢物語である。ならば受け止めるのみ。

(持てる力の全てを――一撃に!)

 カインは両手に大剣を形成して床を蹴る。両腕が大剣の重量に負け軋む音を響かせるが、それでもカインは疾走する。恐怖で震える相棒のために。

 ――初撃。

 咆哮と共に振り下ろしたのは右手に握る大剣。監視者の武器にどれだけの切れ味があるのかは知らないが、穢れを一撃で滅す剛剣ならば傷くらいはつけられるだろう。すでに相手の間合いに入っている事は知っているが構わなかった。カインが倒れようとも監視者を止められるのであれば。

 最悪は相討ちでも構わない。そう覚悟した一撃。

 だが、カインの覚悟は一つの音によって無残にも砕け散る。

 鳴り響いたのは金属が割れる甲高い音。

 カインは目を見開き、驚愕の一瞬を視界へと収める。

 純白の花びらはまるで意思を持っているかのように舞い、金属の塊を、カインの強固な意志を込めて形成された刃を切り刻み鉄屑へと変貌させたのである。

 一枚一枚は小指の第一関節程度の、ただの花びらが、である。

(どうすればいい!)

 カインは心中で叫びながら迷う体をさらに一歩進ませる。今止まればもう戦う事は出来ないから。

 ――二撃目。

 カインは固い床を削りながら左手に握る大剣を監視者の胴目掛けて振り上げる。タイミングは申し分ない。避ける事など不可能な一撃。

 だが、監視者は薄く笑う。どれだけ抗おうが無駄だと言い包めるような笑みを浮かべて。

 振り上げた大剣が監視者の胴を切り裂く、その直前。

 監視者を包んだのは無数の花びら。高速で舞い続ける白き花びらはカインの大剣を切り刻み、そして弾き飛ばす。

 攻防一体、それでいて大剣すら粉微塵にする切れ味。

(これが監視者か――だが!)

 カインは諦めようとする心を叱咤して再度、両手に大剣を形成する。冷静な第三者が見れば無駄な事をしていると思う事だろう。だが、引けないのだ。道を切り開くには、運命を変えるというのであれば多少の無理くらいはこじ開けねばならないのだから。

「吹き飛べ!」

 叫ぶと共に両手の大剣を振り下ろす。砕けた刃が己を貫こうともカインは柄を握る手を緩めない。この身にある全ての力を動員して絶対とも言える防御を破壊するために。

「もういいかな」

 監視者は必死に抗うカインをまるで見ていなかった。視線はカインの背後。そこにいるのはただ一人。

(なんだ?)

 カインを言いようのない不安が襲う。その不安に耐えられずに、柄を握る力を緩める事なく背後を振り返ると。

「ごめんね……カイン」

 弱々しい声を上げて謝罪するフリージアが立ち尽くしていた。白い肌をさらに白くさせ、身に纏う修道服を赤く染めて。立っているのは不可能だと一目で理解出来る状況だった。

 立っていられるのは彼女を貫いた氷刃が地へと突き刺さり、固定されているからに他ならない。その瞬間にカインは過ちに気づく。恐怖で震えたフリージアを放って進むべきではなかったのだ。この体を盾にしてでも守りきるべきだったのだ。

「仕上げだ」

 監視者の言葉を受け取った花びらは彼女を守る事をすぐさま放棄する。代わりに全方位に向けてまるで弾かれたように散開する。全ての物を切り裂きながら。

 当然、目の前にいるカインは全身を焼かれたような痛みが駆け巡る。声を出す事はもう不可能だった。今立っているのか、倒れているのか、それすらもカインには定かではないのだから。

「要望を聞こう。腕がいいか? 目がいいか?」

 遠い所で声が聞こえる。おそらく監視者の声。

 だが、カインは体を動かす事が出来ない。守る所か立ち上がる事すら叶わないこの体が恨めしかった。

「どっちもお断り。さっさと殺せばいいわ」

 吐き捨てるようにフリージア。最後くらいはいつもの不敵な笑みを崩したくはなかったのだろう。だが、彼女の声が震えている事はすぐに分かる。ずっと一緒にいたのだから。

「それは無理だな。まだ戦ってもらわねばならない。君達に倒してほしい穢れはたくさんいるからね。織部真冬は腕だったか……なら目でいいかな」

 絶望が、恐怖がカインの心を満たす。

(一体彼女が何をしたというのだ!)

 カインは動かない体に全ての力を込める。ただ立ち上がるために。救うために。間に合わない事は分かっている。だが、このまま寝ている訳にはいかないのだ。

「させません!」

 カインが痛む体を何とか置き上げた、まさにその瞬間。凛とした声が空間を駆け抜ける。

 視界に入ったのはこの場にいる筈のない人物。巫女服に身を包んだ長い黒髪が目印の少女。雨月雫だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ