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蒼天の鷹 ~源義経からジンギスカンへ 国を追われた英雄が、蒼き狼となって世界を変える物語~  作者: 双瞳猫
第五章 大陸への第一歩

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女真族との交易

 丸木舟が交易所の船着き場に接舷せつげんすると、屈強な女真族の兵士たちが槍を構えて取り囲んだ。

 彼らの鋭い視線が、獣の毛皮をまとった義経たちを値踏みするようにめ回す。言葉は通じないが、その威圧的な態度は「何者だ、何用か」と問い詰めていることは明らかだった。

 常陸坊海尊が進み出て、両手を広げて敵意がないことを示しながら、ニヴフの長老から教わった片言の言葉で交易を求めている旨を伝えた。

 兵士の一人が鼻で笑い、あごで集落の奥をしゃくった。ついて来い、ということらしい。


 木柵の中に入ると、そこは活気に満ちた別世界だった。

 土と馬糞ばふんの匂い、獣肉を焼く煙、そして嗅いだことのない香辛料の匂いが入り混じり、むせ返るような熱気を生み出している。

 広場には無数の天幕や木造の小屋が立ち並び、毛皮、薬草、鉄製品、そして見事な馬たちが所狭しと並べられていた。行き交う人々も多様だ。頭頂部をり上げた女真の民だけでなく、絹の衣を着た漢人らしき商人や、深い顔立ちをした西方の異民族の姿もある。

 ここは、アムール川水系と大陸の奥深くを結ぶ、巨大な血脈の結節点なのだ。

「凄まじいにぎわいでござるな……。平泉の市場もかくやというほどだ」

 藤原秀安が、周囲を警戒しながらも感嘆の声を漏らした。

「油断するな。ここは我らにとって無法地帯に等しい。隙を見せれば骨までしゃぶられるぞ」

 義経は低く鋭い声で釘を刺した。

 案内されたのは、集落の中央にある一際大きな木造の館だった。

 中には、豪奢ごうしゃな虎の毛皮を敷いた長椅子に、恰腹かっぷくの良い初老の男がふんぞり返っていた。絹の長衣をまとい、指にはいくつもの宝石をめている。この交易所の元締めである女真族の商人だろう。

 商人は、義経たちを一瞥いちべつすると、退屈そうに漢語で何かを言い放った。

 海尊が困惑した顔で義経を振り返る。

「殿、ニヴフの言葉では通じませぬ。漢語のようですが、なまりが強く……」

「私にお任せを」

 藤原時衡が、静かに前に出た。

 彼は懐から矢立やたてと小さな巻紙を取り出すと、すらすらと見事な筆致で漢字を書き連ね、商人の前に差し出した。

『我等、東の海より来たりし旅人なり。馬と食料を求む』

 商人は眉をひそめて紙を受け取ったが、その整った文字を見ると、少しばかり目の色を変えた。

 彼もまた筆を取り、紙に書き殴る。

『東の島国(倭国)の者か。見すぼらしいなりだが、文字は書けるようだな。だが、ここには施しをやるような余った馬はない。対価はあるのか』

 時衡は、小さく頷いた。

 平泉の藤原氏は、長年にわたり宋との独自交易を行ってきた。時衡はその行政と外交を担うべく、幼い頃から漢籍や大陸の情勢を叩き込まれていた。武力では弁慶や片岡に及ばなくとも、この知の戦場ならば、彼の独壇場である。

 時衡は懐から小さな革袋を取り出し、商人の前の卓に中身を少しだけ開けた。

 さらさらと音を立ててこぼれ落ちたのは、まばゆい光を放つ砂金だった。

 奥州平泉の繁栄を支えた、黄金である。

 商人の目が、欲の光でギラリと輝いた。彼は砂金を指先でつまみ、光に透かして純度を確かめる。

『極上品だな。だが、これだけでは馬一頭がせいぜいだ』

 商人は足元を見るように、冷笑を浮かべて書き記した。

 時衡は動じない。

『我らが求めるのは、馬十頭と、一月ひとつき分の干し肉、そして麦だ。この砂金はその手付金に過ぎぬ』

 そう書いて、時衡はさらに二つの革袋を卓に置いた。

 ずしり、という重い音が、館の中に響く。

 商人の顔から余裕が消えた。これほどの黄金を平然と持ち歩く流浪の民など、いるはずがない。

『お前たち、ただの旅人ではあるまい。何者だ?』

『名を明かす必要はない。商いをするか、否か、それだけを問うている』

 時衡の筆運びは力強く、迷いがなかった。

 商人はしばらく時衡の顔と、その後ろで静かに控える義経たちを交互に見比べていた。

 やがて、商人はニヤリと笑い、大きく頷いた。

『よかろう。商談成立だ』


 交渉がまとまり、一行は館の外へと出た。

 時衡の顔には、大役を果たした安堵あんどと、文官としての自負が入り混じった誇らしげな色が浮かんでいた。

「見事であった、時衡」

 義経が短くねぎらうと、時衡は深く頭を下げた。

「もったいないお言葉。父が残してくれた平泉の遺産が、このような異国の地で役立つとは思いませなんだ」

「お前の知恵がなければ、我らは今頃、あの商人の護衛と殺し合いになっていただろう。武の力だけでは、天下はべられん。お前のその力、これからも頼りにしているぞ」

「ははっ!」

 時衡の瞳に、熱いものが込み上げているのが見えた。


 商人の手配は素早かった。

 すぐに十頭の頑健なモンゴル馬と、大量の干し肉、そして硬く焼かれたパンのような保存食が用意された。

 馬たちは毛深く、足は短いが、胸板が厚く、いかにも長旅と粗食に耐えられそうな面構えをしていた。

「こいつはいい馬だ」

 駿河次郎が、馬の首筋をでながら感心したように言った。

「奥州の馬より小柄ですが、骨格が太い。これなら、あの広大な大地も駆け抜けられましょう」

 片岡太郎も、無言で馬の脚を確かめ、満足げに頷いている。


 だが、その時だった。

 馬を引き渡した商人が、義経の背後で不意に立ち止まった。

 彼の視線は、義経の毛皮の外套の隙間から覗く、太刀のつかに釘付けになっていた。

 黒漆くろうるしが塗られ、精緻せいちな金細工が施された『膝丸ひざまる』の柄。それは、どれほど泥にまみれようとも、源氏の重宝としての圧倒的な品格を放っていた。

 さらに商人の目は、片岡太郎が背負う長弓や、弁慶が布で包んで隠している巨大な薙刀なぎなたの影をも捉えていた。

「……待て」

 商人が、漢語で低く声をかけた。

 時衡が振り返る。

「お前たち、その武器……。ただの護身用ではないな。それは、いくさのための業物わざものだ」

 商人の目が、蛇のように細められた。

「東の島国で、大きな戦があったといううわさは聞いている。お前たち、まさか……戦に敗れて逃げてきた武将か?」

 その言葉に、空気が一瞬にして凍りついた。

 亀井六郎が、ピクリと肩を動かし、金砕棒に手を伸ばしかける。

 義経は、目でそれを制した。

 ここで騒ぎを起こせば、せっかく手に入れた馬も物資も失うことになる。

 義経はゆっくりと振り返り、商人を見据えた。

 その瞳の奥にある、底知れぬ冷たさと、王者の威圧感。

 商人は、思わず一歩後ずさった。目の前の小柄な男が、突如として巨大な肉食獣のように見えたのだ。

「……我らが何者であろうと、商いには関係あるまい」

 義経は、時衡に通訳を待たず、静かな声で日本語のまま言い放った。

 言葉の意味は分からずとも、その声に込められた絶対的な意志は、商人に十分すぎるほど伝わった。

「これ以上の詮索せんさくは、互いのためにならんぞ」

 商人は生唾なまつばを飲み込み、やがて愛想笑いを浮かべて両手を上げた。

「分かった、分かった。俺は商人だ。金払いさえ良ければ、客の素性などどうでもいい。……だが、忠告しておこう」

 商人は、西の方角――太陽が沈みかけている山並みを指差した。

「お前たちがどこへ行くつもりかは知らんが、その目立つ武器は隠しておけ。ここから西、大興安嶺だいこうあんれいの山脈を越えれば、そこはもう金国の法も及ばぬ『草の海』だ」

 時衡が、商人の言葉を素早く書き留め、義経に伝える。

「草の海……モンゴル高原か」

「そうだ。あそこは今、血に飢えた狼どもの狩り場だ。タタル、ケレイト、ナイマン……無数の部族が、覇権を争って殺し合いをしている。お前たちのような異邦人が、そんな上等な武器を持ってうろついていれば、格好の獲物にされるぞ」

 商人の言葉は、脅しというよりは、上客に対する純粋な忠告のようだった。

「大興安嶺を越えるのか」

 義経は、西の空にそびえる黒い山影を見つめた。

 あの険しい山脈の向こうに、果てしない草原が広がっている。

 そして、そのどこかに、かつて約束を交わした友がいる。

「忠告、感謝する」

 義経は短く言い、馬のくつわを取った。

「行くぞ」

 一行は馬にまたがり、交易所を後にした。

 商人は、遠ざかっていく彼らの背中を、いつまでも見送っていた。

(ただの敗残兵ではない……。あれは、嵐を呼ぶ男の目だ)

 商人の直感は正しかった。

 彼が今、馬と食料を売り渡した男こそが、やがてこのユーラシア大陸全土を震え上がらせる、史上最大の嵐の目となる男であった。


 交易所を離れた一行は、アムール川の支流に沿って、西へ西へと進んだ。

 馬を得たことで、彼らの移動速度は飛躍的に向上した。

 徒歩では何日もかかる距離を、わずか一日で駆け抜けていく。

 風を切って走る感覚が、義経の血を熱くさせた。

 日本で幾度となく経験した、騎馬による機動戦。その感覚が、異国の大地で鮮やかに蘇ってくる。

「殿! 馬の調子は最高でござる!」

 亀井六郎が、大きな体を揺らしながらうれしそうに叫ぶ。

「ああ。だが、飛ばしすぎるな。馬を潰しては元も子もない」

 義経は冷静に手綱を操りながら、周囲の地形を脳裏に刻み込んでいた。

 森が途切れ、視界が開けるたびに、西の空にそびえる大興安嶺の山脈が大きく、高く迫ってくる。

 秋の気配が、風の中に混じり始めていた。

 白樺の葉が黄色く色づき、空はどこまでも高く、澄み渡っている。

 夜になると、気温は急激に下がり、き火の炎が恋しくなった。

 火を囲みながら、時衡が手記を開き、今日得た情報を整理する。

「商人の話によれば、大興安嶺を越えた先は、複数の部族が入り乱れる危険地帯とのこと。特に、タタル族という部族が勢力を伸ばしており、金国とも結んで他の部族を圧迫しているようです」

「タタル族か……」

 弁慶が、腕組みをしてうなった。

「言葉も通じぬ異国の地で、いきなり大軍とぶつかるのは避けたいところでござるな」

「だが、避けては通れん道だ」

 義経は、焚き火の炎を見つめながら言った。

「我らは、あの山を越える。そして、草の海に足を踏み入れる。そこで何が待っていようとも、力でねじ伏せ、我らの居場所を切り拓くのだ」

 その言葉には、もはや逃亡者の悲壮感はなかった。

 あるのは、未知の戦場へ向かう武将としての、純粋な闘志だった。

 義経の視線は、炎の向こう側、暗闇に沈む大興安嶺の峰々へと向けられていた。

 日本の武具が目立つという商人の忠告。それは、彼らがこの先、常に追跡や略奪の標的にされることを意味している。

 だが、義経は武器を捨てるつもりは毛頭なかった。

 『膝丸』も、片岡の弓も、弁慶の薙刀も、彼らが日本という国で培ってきた「武」の結晶だ。

 それを捨てることは、己の魂を捨てることに等しい。

(まずは、日ノ本の源氏の武将として、この大陸に挑む)

 義経は、腰の太刀の柄を静かに撫でた。

 夜空には、無数の星が瞬いていた。

 その星々の輝きは、平泉で見たものよりも、はるかに鋭く、冷たかった。

 いよいよ、大陸の深部へ。

 彼らの真の戦いが、幕を開けようとしていた。

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