第三十八話
街でルシアの靴を購入することができ、公爵家へと到着したレオナルドとルシア。
馬車を降り、広い玄関ホールに入った途端、慌ただしい足音が響いた。
「お帰りなさいませ、旦那様。
ご帰宅早々で大変申し訳ございませんが、至急お話がございます。」
姿を現したのは執事長のアストルだった。
普段通りに背筋を伸ばしながらも、わずかに眉根を寄せている。
「今度は何があった、アストル……。
まさか、フィリップ王子がまた何かやらかしたのか?」
帰り着いて早々の報せに、レオナルドは呆れを滲ませて尋ねる。
その声音には、あのフィリップ王子ならばやりかねないという既に諦めの色が混じっていた。
そんなレオナルドにルシアも、少し困ったように苦笑を浮かべ、アストルへと視線を向ける。
「いえ、旦那様。
それよりも、はるかに重要なことでございます。
先ほど、シュバルツ伯爵様より正式な書簡が届きました。」
アストルの言葉に、ルシアとレオナルド二人は同時に顔色を変えた。
……あのシュバルツ伯爵、ルシアの父であるロデリックからの書簡。
「(まさかまた……難題を突きつけてきたのでは……)」
レオナルドの胸中に嫌な予感が渦巻く。
「(お父様からの手紙……?
私とレオナルド様の婚約に関することかしら?
それとも情勢の変化……?
でもその場合なら、私にのみ直接伝えるはず……)」
ルシアも父の考えが読めずに困惑し、眉を寄せた。
そんな二人の様子を知りつつも、アストルは続けた。
「シュバルツ伯爵様は、近日中にも御兄弟のヴィオレッタ様、ギルバート様、フローリアン様を名代として、当公爵家へと来訪されたいとのことです。」
「……っ」
ルシアは息を飲む。
アストルが語った内容はあまりに急な話だ。
レオナルドもまた、眉間に深い皺を刻んだ。
「近日中……?
あまりにも唐突だな。
何か急がねばならないことが起きた……?
(いや……まさかとは思うが、私とルシアの関係が多少は進展したと耳にしたのか?)」
レオナルドは疑念を拭えず、内心で舌打ちした。
ようやくルシアと心を通わせ始めた矢先に、あの食えない笑みを浮かべる義父予定の男が動き出す。
……まさに、厄介極まりない事態だ。
「シュバルツ伯爵様は、ルシア様のご様子を案じられてのことかと。
娘を預ける以上、婚約者として不備がないか、直接お確かめになりたいと仰せです。」
アストルの声は平坦だったが、その裏に潜むシュバルツ伯爵の愛情と、レオナルドへの試練を仄めかしていた。
「……そうか。」
レオナルドは一度目を閉じて、深く息を吐く。
シュバルツ伯爵が「半年の契約」を忘れていないと悟った。
そう、今回の来訪は……その中間審査を意味するのだろう。
「ルシア、貴女は何か心当たりが?」
視線を向けると、ルシアは困惑の色を浮かべながら首を横に振った。
「いえ……私も驚いています。
父が何を考えているのか……わかりません。」
それが、ルシアの正直な答えだった。
ルシア自身、父の真意を掴めてはいない。
ただ、心の奥底には新たな感情が芽生えていた。
そんな最中に家族が現れるとなれば、心中は複雑に揺れ動くだろう。
「わかりました。
アストル、御兄弟方の来訪に備え準備を進めてくれ。
ルシア、貴女は休んでください。
迎える側に不備があってはなりません。
だから、貴女はどうか今日の疲れを癒してください。」
アストルへ命じた後、レオナルドはルシアに微笑を向けた。
その笑顔にはレオナルドの不安と決意が同居している。
「(シュバルツ伯爵殿……どのような意図をお持ちでも、私はルシアを手放すつもりはない。
私は必ずルシアを守り抜く!)」
レオナルドの瞳には揺るぎない愛情と戦意が宿っていた。
ルシアはそんなレオナルドの横顔を見つめ、口を開いた。
「レオナルド様、私にも何かできることはありませんか?
せめて、お客様を迎える準備くらい手伝わせてくださいませ……。
(お父様の意図は分からない。
でも……私は、もう少しだけでもいい。
もう少しだけで良いから……レオナルド様の隣にいたい……)」
「ありがとう、ルシア。」
レオナルドの短い言葉。
しかしその声音には深い感謝が込められていた。
「(ねえ、お父様?
どうして、お父様はレオナルド様との婚約を許したのですか?
ノワールである私との婚約をお認めになった陛下も……。
この婚約には目眩まし以外の意味があるのですか……?)」
ルシアは思う……。
「(もし、この婚約に隠された意味があるならば……どうか、レオナルド様の災いにならないといいのだけど……)」
自分との婚約によって、レオナルドの身に災いが降りかからないことを切に祈るのだった。
そして……ブランシュ公爵家へとルシアの兄弟達が来訪する日は、すぐにやってきたのだった……。




