第四十一話
――それは突然だった。
「ぁ……?」
「姫様!?」
急な脱力感に襲われ、足がもつれた私はその場に膝を着いた。
クラウスに手を引かれていなかったら、顔から地面に着いていたかもしれない。
(なに……?)
すぐさま立ち上がりたいのに足に力が入らなかった。
「申し訳ありません! お怪我は……っ」
すぐそこに寄り添ってくれているはずのクラウスの声がやけに遠く聞こえる。
「クラウス、私……なんだか……」
足だけじゃない。全身に力が入らない。
この身体が、急速に自分のものでなくなっていくような。
得体の知れない何かに身体を蝕まれていくような、恐ろしく気持ちの悪い感覚。
(なに、これ……)
「姫様? 姫様……!?」
クラウスの呼び声は聞こえるのに。すぐ傍にいてくれているのはわかるのに。
視界が酷く悪くて、その姿がよく見えない。
「――間に合わなんだか」
そのとき、クラウスよりも遠く耳に入ってきた重低音はよく知ったものだった。
「お父様?」
「陛下……っ」
クラウスの硬く緊張した声。
ガチャガチャと耳を突く金属音は、おそらくお父様が連れてきた兵士たちのものだろう。
「クラウスよ。大変なことをしてくれたな」
失望の響きに気付いて、私は精一杯の声を上げる。
「お父様、違うのです! 私が……私が急に恐ろしくなりクラウスに助けを求めたのです!」
「姫様!?」
「私は今すぐに城に戻ります。ですから、どうかクラウスは――」
落胆の溜息が聞こえた。
「もう遅い」
「え……?」
「聖女がそうなってしまっては、もう遅いのだ。セラスティア」
(そうなって……?)
私のことを言っているのだろうか。
己の姿を確かめたくとも、それすらもう見えなくて。
「陛下。一体、姫様に何が……」
クラウスの声がはっきりと震えていた。
「聖女の器に、限界が訪れたのだ」
「限、界……?」
お父様が冷たく続ける。
「聖女はこれまでに多くの奇跡を起こしてきた。その代償が、これだ」
(代償……?)
クラウスは言葉を失くしたようだった。
そしてまた大きな溜息。
「最期に最大の奇跡を起こしてもらう筈が。これは王国にとって大きな損失だぞ、騎士クラウス」
「……なぜ。なぜそんな……姫様は、陛下の実の娘ではないですか!」
騎士であるクラウスがお父様に対してこんなふうに声を荒げるのを初めて聞いた。
「聖女を、娘と思うたことなどない」
「!?」
……驚きはなかった。
遠ざけられているのはわかっていた。
私だけ、いつもひとりだった。
他の兄弟姉妹のいる王宮とは離れた『聖殿』で、私だけいつもひとりで過ごしていた。
若くして死ぬ運命にある私に情がうつらないようにするためだったのかもしれない。――そう、思うようにしていた。
だから、私の話し相手はいつもクラウスだけだった。
「せめて好いた男の手で、と聖剣をお前に託したというのに。そうなってしまってはもう仕舞だ。――化け物になり果てる前に、殺せ」
「姫様……!!」
すぐ傍で嫌な音が続けざまに聞こえた。
何が起こったのか、わからない。
見えない。
怖い。
怖い……!
「クラウス……どこ? クラウス?」
「……姫様。……私は、ここに……」
いつもの優しい声が聞こえた。
クラウスが傍にいてくれるのがわかった。
だから私は安心できた。
「クラウス。いつも私の傍にいてくれて、ありがとう」
きっと、笑うことが出来ただろう。
「姫様……申し訳ありません。せめて、どこまでもご一緒いたします」
胸に大きな衝撃があった。
「 姫様、―― 」
最期、クラウスの声を聞いた気がしたけれど、もうセラスティアの耳には届いていなかった。
このときセラスティアはただ祈っていた。
もう聖女の奇跡は起こらないとわかっていたのに。
それでも。
つよく、つよく、願っていた。
――もしももう一度奇跡を起こせるのなら、生まれ変わってもまた、クラウスに逢いたい……。
これが、セラスティアの記憶の全て。
明け方に目を覚ました私は、傍で眠る友人たちを残し部屋を飛び出した。
⚔⚔⚔
(逃げなきゃ)
私は走っていた。
(誰もいない、どこかに)
人気のないまだ薄暗い街中を、行き先も決めずにただ走っていた。
(この身体に限界が訪れる前に。また化け物になってしまう前に)
今、私の胸にある聖女の証はまるで茨の蔓のように全身に広がりつつあった。
きっと、これが全身を覆いつくしたときに私は死ぬのだろう。
(誰にも見られない場所に逃げなきゃ)
怖かった。
化け物になるのも。
皆にその姿を見られるのも。
死ぬのも。
ユリウス先生が聖剣を探している理由がわかった。
先生は私がまた化け物になってしまう前に、この胸を聖剣で貫くつもりなのだ。
そのために、今日この日のために、再び私の前に現れたのだ。
(逃げなきゃ……!)
セラスティアの願いは叶った。
こうして生まれ変わって、再び巡り会うことが出来たのだから。でも……。
(何度生まれ変わっても、結局運命は変わらない……!)
……それからどのくらい経っただろう。
先ほどてっぺんに見えていた日も、もう大分落ちて見えなくなっていた。
街中から随分離れ、私はあの記憶の中のようにどこかの森の中を彷徨っていた。
息も切れて、なんとか一歩を踏み出している状態だったけれど、私の足は止まらなかった。
止まってしまったら、セラスティアの最期のようにそのまま動けなくなってしまいそうで恐ろしかったのだ。
でもそこで私の体力は限界を迎えたようだった。
がくりと湿った地面に膝をつき、そうなってしまったら本当にもう動けなくて。
怖くて、寂しくて、私はその場でひとりすすり泣いた。
――そんなときだった。
「見つけましたよ、ミス・クローチェ」
「!」
ゆっくりと振り向くと、涙で霞んだ視界にずっと会いたかった人の姿が映った。




