第二十五話
「うん、外でランチというのも悪くないね」
街の中央広場のカフェテラスで、リュシアン様が食後のコーヒー片手に満足げに呟いた。
そのすぐ後ろには護衛であるマルセルさんが静かに控えている。
……確かに、今日は絶好のテラス日和だ。
目の前の広場には多くの露店が並び、観光客や子供たちの楽しそうな声で溢れそれが耳に心地いい。
なんとも平和で穏やかな風景。――だけど。
(早く、帰りたい……)
私は心の中でもう何度目かそうぼやいた。
午前中はこの街の公的機関や劇場、歴史的価値のある建物などの観光名所を案内し、それだけでもうぐったりなのに。
「うん、大体わかったよ。ありがとう。次は君たちの買い物に付き合おう」
そう言われ、気まずいながらも入った行きつけのブティックでなぜか買おうとした服をプレゼントされてしまった。
勿論そんなことしてもらうわけにはと丁重にお断りした。しかし。
「姫はもうすぐ誕生日だろう。それに街を案内してもらった礼もしたい。遠慮なんてせずに受け取りたまえ」
「で、でも」
「ああ、姫の友人である君も今日付き合ってもらった礼だ。それは私が支払おう」
何を言っても聞いてはくれず、アンナも驚いていた。
そして、ランチも私たちの行きつけのお店が良いというので、アンナとよく入るこの広場のカフェに入ったわけなのだけれど。
(それにしても、ほんと綺麗な顔してるなぁ)
広場を楽しそうに見つめるリュシアン様を見て改めて思う。
例の誘拐事件で彼に誘われた女性たちがふらりとついて行ってしまった気持ちもわからないではない。
人間離れした美しさ、というのだろうか。
そして彼は王子様という肩書きも持ち合わせている。
こんな引く手あまただろう彼が、なぜ私などを気に入ってくれたのか本当に不思議でならない。
それは、セラスティアも思っていたことだ。
(やっぱり聖女の力に惹かれたのかな……)
と、その赤い瞳がこちらを見てぎくりとする。
「なんだい? じっと見つめて」
「い、いえ」
「あの! 失礼を承知の上でお訊きしたいのですが」
そう声を上げたのは私の隣に座るアンナだ。
「なにかな?」
「なんで、今日私たちが街へ出るってわかったんですか?」
(!?)
強気な目を向け続けた彼女にひやりとする。
確かに気にはなっていたけれど、それは暗に「私たちの会話を盗み聞きしていたんですか」と訊いているようなものだ。
しかしリュシアン様はなんでもないことのようにさらりと答えた。
「そんなの簡単さ。今週、姫は誕生日を控えている。そしてこんなに天気の良い休日だ。街へ出ると考えるのが自然だろう? それに、昨日姫は元気がなかったからね、友人である君が気晴らしにと誘ったんじゃないのかい?」
「!」
アンナが驚いたように目を丸くして口ごもる。
……元気がなかったのはあなたにも原因があるのだけれど、とは言えるわけもなく。
「じゃ、じゃあ、もうひとつ……」
アンナが続けてそう言いかけたときだった。
「うわぁ~~ん」
すぐ近くで子供の泣き声が上がった。
視線を広場へと移せば、5歳くらいの男の子が転んでしまったのか膝を押さえて泣きじゃくっていた。
近くに親らしき姿はなく、私は思わず立ち上がり駆け寄っていた。
「ぼく、大丈夫?」
「いたい~~」
その膝には痛々しい擦り傷ができ血が滲んでいた。
瞬間あの力を使うことを考えたけれど、こんな人の多い往来で使えるわけがない。それに彼の泣き声に人々の視線はこちらに集中している。
私はポケットからハンカチを取り出してその子に差し出した。
「これで血を」
でも男の子はひっくひっくとしゃくり上げながらぶんぶん首を振った。
どうしたものかと困っていると。
「男がそんなに泣くものではない」
「リュシアン様」
急に現れた彼は溜息一つ吐いて私の傍らにしゃがみ込んだ。
「女性の前で格好悪いと思わないか?」
「そんな言い方……」
可哀想だと言いかけるが、男の子はぐっと下唇を噛むとごしごしと目を擦ってからリュシアン様を睨むように見つめた。
リュシアン様は満足げに頷き微笑んだ。
「うん、良い子だ」
「トマス! ここにいたの!?」
そのとき、30代くらいの女性が息せき切ってこちらに駆けてきた。どうやらこの子の母親のようでほっとする。
「ママぁ~~!」
その子はママの姿を見つけると再び顔をくしゃりと歪め泣きながら彼女に飛びついた。
「もう、勝手にいなくならないでってあれほど言ったのに。ありがとうございました。ご迷惑をお掛けしてしまったみたいで」
女性は私たちに向かって申し訳なさそうに頭を下げると、その子を抱き上げ優しく話しかけながら元来た方へと戻っていった。
「見つかって良かったな」
そう言ってリュシアン様は立ち上がった。
「はい」
(……というか、リュシアン様もユリウス先生に捕まって痛い痛いと格好悪く叫んでましたよね?)
心の中でこっそりツッコミを入れながら私も立ち上がる。
「しかし懐かしいな」
「え?」
リュシアン様は今の親子を見送りながら言った。
「君は憶えていないかもしれないが、私も……ルシアンもあのくらいの歳の頃に姫に助けてもらったんだ」
「……えっ!?」
思わず一拍遅れて大きな声が出てしまった。
そんな私の反応を見てリュシアン様はふっと笑った。
「やはり憶えていないか」
その笑みは少し寂しそうに見えて、ちくりと胸が痛んだ。
「す、すみません」
「まぁ、仕方がない。私もあのとき名乗らなかったからな」
そうして彼は懐かしそうに話し始めた。
「各国の要人たちが集うパーティーでのことだ。流石にどんな内容だったかまでは憶えていないが、とにかくつまらなかった私はこっそりとその場を抜け出した。だがそこで迷子になったあげく転んで怪我をしてしまってね、そこに現れたのがセラスティア姫、君だったんだ」
リュシアン様が眩しそうに目を細め私を見つめる。
「姫は聖女の奇跡の力で私のその怪我を治してくれた。話には聞いていたが、驚いたなんてものではなかった。だがその後私はすぐに護衛に見つかり連れ戻されてしまってね、満足に礼を言うことも出来なかった」
そして彼はあの異質な笑みではない、初めて見る穏やかな笑顔で言った。
「あのときは本当にありがとう、姫」
私はふるふると首を振る。
……こちらは全く憶えていないのにお礼を言われて、なんだか酷く申し訳なかった。
「そのときから、私はずっと姫に夢中でね」
「……っ」
「だから、そんな姫が18歳で理不尽にも殺されると知って、黙ってはいられなかったんだ」
今の今まで穏やかだった顔が、あの朝のような怒りと恨みのこもったどす黒いものに豹変していて、ぞくりと身体が震えた。




