第二十一話
「本当に来るかな……?」
「絶対に来るわ」
隣で一緒に身を潜めているアンナが確信に満ちた声で言った。
夕飯後いつもなら寮の部屋に帰っている時間、私とアンナは学園の正門近くのベンチ(先日ラウルと噂になってしまったあのベンチだ)に座るユリウス先生を向かいの植え込みの陰からじっと見守っていた。
昼間は生徒たちが多く行き交うこの場所も、この時間は小さく虫の鳴き声が聞こえるだけでとても静かだ。
――あの後、私たちはイザベラが見たというその人物をすぐにユリウス先生に伝えに戻った。
先生はその名を聞いてもさほど驚かず、自分が事実を確認するから部屋で大人しくしているようにと私たちに念を押した。
先生に任せるのが賢明だったのかもしれない。でもどうしても自分の目で真実を確かめたかった私はその場に一緒に居させて欲しいと頼み込んだ。
最初は全く聞き入れてもらえなかったけれど、アンナの「被害者であるレティには知る権利があると思います」という言葉で、遠目からならと先生は渋々了承してくれた。
この時間この場所にその人物を呼び出そうと提案したのもアンナだ。
人気のなくなるこの時間帯なら誰にも聞かれる心配はないし、私たちもこうして暗がりに身を潜められる。
逆に警戒されるのではと先生は眉をひそめたが、ユリウス先生からの呼び出しなら絶対に応じるはずだとアンナは断言した。
そしてそろそろ約束の時間。
ベンチ脇のうすぼんやりとした街灯に照らされた先生はいつもと変わらず落ち着いて見えるけれど……。
(やっぱり、まだ信じられない)
「ほら、来たわよ」
アンナの潜めた声にドキリとして視線を移す。
確かに学園の方からコツコツと足音を響かせ誰かがやってくる。
ユリウス先生もそれに気が付いたようでベンチからすっと立ち上がった。
「大事なお話って何かしら? ユリウス先生」
暗がりから浮かび上がったその人物を見て、私は目を見開いた。
「こんな時間に突然呼び出してすみません。ミレーナ先生」
そう、現れたのは誰もが憧れるあのミレーナ先生だった。
(あの手紙も、花瓶を落としたのも本当にミレーナ先生なの……?)
イザベラは確かにあれはミレーナ先生だったと言った。イザベラが嘘をつくとは思えない。
けれど、まだ何かの間違いであって欲しいと願っている自分がいた。
固唾をのんで見守る中、ミレーナ先生は艶っぽい笑みを浮かべそのままユリウス先生に近づいていく。
「こんな時間にこんな場所で待ち合わせだなんて、一体なんのお話かしら?」
「実は、ミレーナ先生にお訊きしたいことがありまして」
「ふふ、なぁに?」
首を傾げながらミレーナ先生はまた一歩ユリウス先生に歩み寄る。もう二人の距離はほとんどなくて色んな意味でハラハラした。
そして、ユリウス先生は変わらず落ち着いた声音で告げた。
「ミス・クローチェに嫌がらせをしているのはミレーナ先生ですか?」
「!?」
よろけるようにミレーナ先生はユリウス先生から距離をとった。
「わお、どストレート~!」
アンナが興奮したように呟く。
私はもう息が止まってしまいそうだった。
「なんのことかしら?」
それでも笑みを崩さずにミレーナ先生は訊いた。
ユリウス先生は淡々とした口調で続ける。
「ここ数日、彼女の部屋に脅迫状ともとれる手紙が毎日届けられているそうです」
「それが、私の仕業だと?」
「えぇ。昨日の早朝、彼女の部屋の前にいるミレーナ先生を見たという生徒がいるんです」
早速核心をつくユリウス先生。
しかし、ミレーナ先生は平然とした顔だ。
「あぁ、昨日は早くに目が覚めてしまったので運動も兼ねて寮内の見廻りをしていたんです。ふふ、それだけで私が犯人だと決めつけるんですか?」
(そんな……)
いくら早く起きたからと言って早朝に寮内の見廻りなんてどう考えてもおかしいのに、余裕の表情を見せるミレーナ先生に愕然とする。――でも。
「それだけではありません」
「え?」
(え?)
こちらもミレーナ先生と同時に声を上げそうになった。
ユリウス先生はポケットに手を差し入れ、取り出したそれをミレーナ先生の前で広げてみせた。
例の赤いインクで書かれた手紙だ。
「まぁ、酷い」
「こちらがその手紙ですが、筆跡がミレーナ先生にそっくりなんですよ」
私たちは思わず顔を見合わせた。勿論そんなのは初耳だ。
でもミレーナ先生は困ったように苦笑して肩を竦めた。
「筆跡って、そんな乱雑な字と比べられてもねぇ」
「先日、テストの採点確認のときに気付いたのですが、ミレーナ先生はシャンドリー地方の出身ではないですか?」
「え……?」
そこで初めてミレーナ先生の顔から笑みが消えた。
シャンドリー地方とは、このベルヴェント王国の南端に位置するのどかな田園地帯の広がる地域だ。
「文字にあの地方独特の癖があるんですよ。貴女は気づいていないかもしれませんが。例えばこの字、普通3画で書くところを繋げて1画で書いています。あとこの部分やここを長く伸ばすのも特徴のひとつです」
「そ、そんなのは、」
「調べてみましたが、この学園に他にシャンドリー地方の出身者はいませんでした。ミレーナ先生、貴女だけなんです」
「……」
今度こそ決定的に思えたが、ミレーナ先生は再びふっと笑みを浮かべた。
「だからって、それが証拠にはならないんじゃないかしら。私が実際にそれを書いたり差し込んでいるところを見たわけではないのでしょう? それに、そもそもなぜこの私が生徒に嫌がらせなんてする必要があるんです?」
「それは……僕にもわかりません」
そう答えたユリウス先生に私は驚く。
ミレーナ先生が呆れたように大きなため息を吐く。
「ちょっと、これまずいかも」
アンナが焦るように呟く。
そして、ミレーナ先生は勝ち誇ったように告げた。
「ユリウス先生。これ以上私を犯人扱いするんでしたら、侮辱罪で訴えますよ?」
「――ちょ、ちょっと待ってください!」
「レティ!?」
気が付けば、私は植え込みから飛び出してしまっていた。




