第二十話
「そうですか……」
見当をつけていた子ではなかったこと、そして花瓶が落ちてきたことを聞いたユリウス先生は眉間にいつもよりたくさんの皴を寄せた。
話をしてくれたのはほとんどアンナだったけれど。
ちなみに私は今来客用のソファに座らせてもらっている。先ほど先生がここに優しく降ろしてくれたのだ。
この部屋には何度も入っているけれど、いつも机を挟んで先生の正面に立ったまま話をしているものだからソファに座るのはそういえば初めてで、お姫様抱っこの余韻もあってなんだか落ち着かなかった。
「それで、今ラウルには他に心当たりのある子をリストアップするように言ってあります」
「……」
「先生?」
机に軽く寄り掛かり、アンナが一枚だけ持ち歩いていた例の手紙を見つめ考え込むようにして口元に手を当てていた先生は、その呼びかけに我に返ったように視線を上げた。
「わかりました。あとはこちらに任せてください。ミス・クローチェ、貴女は一人にならないこと。放課後は極力部屋で大人しくしていてください」
「わ、わかりました」
私は内心ほっとしながらしっかりと頷く。
また家に帰るよう言われたらどうしようかと思った。
「では、部屋まで送っていきます」
「!」
ドキリとする。
先生が手紙を置き再びこちらにやってきて、私は慌てて立ち上がった。
「だ、大丈夫です! アンナもいますし!」
「……」
疑わし気な目で見つめられて、もう一度私は必死な思いで言う。
「本当に、痛みももうほとんど無くなりましたし、ゆっくり歩いて行きますので!」
ほんのちょっとの間だけでも心臓に悪いのに、これ以上先生に触れられたら本気で身体がどうにかなってしまいそうだ。足の痛みどころではない。
と、先生が短く息を吐いて私から離れた。
「……わかりました。ミス・スペンサー、よろしくお願いします」
「はい!」
そうして私たちは一礼し先生の部屋を出たのだった。
先生の部屋から少し離れてからハァと息を吐くとアンナがニヤニヤとした顔でこちらを覗きこんできた。
「また抱っこしてもらえば良かったのに~」
「いやいやもうホント無理だから!」
そう小声で叫ぶと、アンナは噴き出すように笑った。
「でしょうね。ふふ、さっきのレティの顔思い出しちゃったわ」
「そ、そんなに酷い顔してた?」
「完全に恋する乙女の顔だったもの」
「やめて~~」
また火照りはじめた顔を両手で覆う。
「でも本当にもう平気なの? 痛くない?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
笑顔で答えるとアンナはほっとした顔をした。そして。
「そういえば先生、あんなに傷のこと気にしてるのに聖女の力のことは訊かなかったわね」
「え?」
急に真面目な口調でアンナは続けた。
「ラウルはすぐにそう訊いたでしょ? 力のことを知っていたら誰だって治せないのかって訊くわよ。私も思ったもの。でも、先生は訊かなかった」
「? だって先生もう力は使うなって」
「そうじゃなくて! 先生はきっと知っていたのよ。聖女自身の傷は治せないってこと」
「!」
アンナの言わんとしていることにやっと気付く。
「じゃあ、先生やっぱり……」
「えぇ。やっぱりユリウス先生、前世の記憶がちゃんとあるんだわ」
ごくりと思わず喉が鳴ってしまった。
「アンナ凄い。まるで探偵みたい」
「ふふん。名探偵アンナって呼んで?」
アンナは得意げに胸を張って、更に人差し指を立てた。
「じゃあ、もうひとつ」
「なに?」
「もしかしたら、犯人はラウルとは関係ない子かも」
「え!?」
またしても驚く。
「さっき先生とレティを見ていてそう思ったの。もしかしたら犯人はユリウス先生のことが好きな子なんじゃないかって」
「!?」
階段の踊り場で私は思わず足を止めていた。
てっきりラウルのことを好きな子だと思い込んでいたけれど、ユリウス先生だって歳が離れているというだけであんなにも素敵なのだ。私のように先生に恋している子がいても全然可笑しくない。
「もしそうなら、毎日のように先生のとこに通っている私を邪魔に思って当然だよね……」
「でも! だからって悪いのは全面的に向こうなんだから、レティが気にする必要は全くないのよ!」
「うん……」
力なく頷いたそのときだった。
「レティシアさん、少しよろしくて?」
「えっ」
その声と口調にギクリとして振り仰ぐ。
階段の上に立っていたのは案の定イザベラだった。
「う、うん」
頷くと彼女は周りを気にするように視線をきょろきょろとさせながら小走りでこちらまで下りて来た。
「実はお伝えしておきたいことがありますの」
またラウルのことだろうか?
誤解は解けたというのに長年の癖でどうしても身構えてしまう。でも――。
「わたくし昨日、早朝ランニングの帰りに見てしまったんですの。とある人物があなた方の部屋の前をうろついているところを」
「え!?」
「え!?」
私たちは同時に声を上げていた。
昨日は朝も例の手紙が挟まっていたのだ。
「そのときはあなた方に何か用かしらとそこまで気にしなかったのですけれど、先ほどレティシアさんが落ちてきた花瓶で怪我をしたと耳にしまして……それで、怪我の具合は平気なんですの?」
「あ、うん、ありがとう。この通りもう平気。そ、それで?」
その場で軽く足踏みして見せてから先を促すと、彼女はマイペースに続けた。
「ラウル様も何やら酷く気にされている様子ですし、それでふと昨日の朝のことを思い出したんですの。やはり考えるとあんな時間に妙ですし、念のためにお伝えしておこうかと」
「それで? それって誰だったの!?」
アンナがもどかしそうに訊くと、イザベラは再び周囲を見回してから口元に手を当て小声で言った。
「わたくしの見間違えでなければ、あれは――」
その名を聞いて、私たちは顔を見合わせた。




