第十九話
「悪かった!」
「!?」
アンナとふたり医務室を出た途端、廊下に立っていたラウルに勢いよく頭を下げられ驚く。
「俺の、せいで……」
先ほどの騒ぎを知って来てくれたのだろう。
酷く落ち込んだ様子の彼に私は慌てて言う。
「違うの!」
「え?」
「例の子じゃなかったのよ」
アンナがそう後を続けてくれた。
ラウルがゆっくりと顔を上げる。
「そうなのか?」
「うん」
「……そ、それで、傷は大丈夫なのか?」
そう言って、彼は包帯が巻かれた私の足に視線を移した。
「全然大丈夫。ちょっと切れただけだから」
「そ、そうか」
ホッとした様子のラウルにお礼を言う。
「心配してくれてありがとう、ラウル」
「い、いや。……例の力で治すことは出来ないのか? 俺のときみたいにさ」
声を潜めラウルがそう続けて、私は首を振った。
「自分には使えないの」
「え?」
「そうなの?」
アンナも意外そうな顔をした。
そう。聖女の奇跡の力は聖女自身には効かない。だから聖女が怪我をしても自身の力で治すことは出来ないのだ。
今世ではまだ試したことはないけれど、少なくとも前世ではそうだった。
どちらにしても、使うほどの傷ではない。
「どんな奇跡も起こせるのかと思ったけど、そうじゃないのね。それよりラウル、他に心当たりない?」
「他?」
訊かれたラウルが眉を寄せ首を傾げた。
「あ~~、なら一年のあの子か……? いや、それとも隣のクラスの」
そんなラウルに私は苦笑しアンナが呆れたように大きな溜息を吐いた。
「もういいわ。私たちこれからユリウス先生に相談しに行ってくるから」
「な、なんでアイツに……!?」
「レティがこんなことになったのよ!? もう先生の力を借りるしかないでしょう?」
アンナの怒声にラウルがうっと言葉を詰まらせた。
「ラウルは心当たりの子のリストでも作っておいて。じゃあね!」
そうして私たちはなんとも言えない表情をしているラウルを残しその場を去った。
「……ねぇ、アンナ。やっぱり先生のとこ行くのやめない?」
「なんで?」
ユリウス先生の部屋まであと少しのところで足を止め、私は言った。
「もしかしたら、本当に偶然、風で落ちてきただけかもしれないし」
やっぱりあまり大事にはしたくなくて、先ほど医務室の先生にはそう説明したのだ。
するとアンナは目を大きくして言った。
「そんなわけないでしょう!?」
「でも私、昼間自分で解決してみせますって先生に大見得切っちゃったんだよね」
きっと、「だから言ったでしょう」と呆れられてしまうに違いない。
「それに、犯人がわかったとして、その人きっと」
「まぁ重い処分が下るでしょうね。普通に考えて退学じゃない?」
「でしょう? さすがにそれは可哀想かなって……」
「レティ」
アンナが真剣な目で私を見つめた。
「レティは危害を加えられたのよ。はっきりとした悪意を持ってね。小さな怪我で済んだのは幸いだったけど、運が悪ければ大怪我をしていたかもしれないのよ?」
「う、うん」
「そんな人は退学になって当然なの。私、犯人を絶対に許さないわ」
「アンナ……」
アンナが本気で怒っているのがわかって私はそれ以上何も言えなくなってしまった。
「ほら、行くわよ」
アンナがそう言って再び歩き出したときだった。
丁度廊下の向こうでガチャと扉が開いて、書類を手にしたユリウス先生が部屋から出てきた。
「あ、ユリウス先生!」
アンナが手を上げながらそう声をかけて、先生がこちらを振り向いた。
途端、先生は持っていた書類をバサバサと落とした。
(え?)
目を瞬く。アンナもそんな先生に驚いたようで手を上げたまま固まっていて。
ユリウス先生はそれを拾おうともせずに、そのままズンズンと荒い足取りでこちらにやってくる。そして。
「何があったんです」
そう、私の前に立って静かに訊いた。
「え、ええと……」
先生は真顔で、怒っているわけではないのになんだか物凄い圧を感じた。
そのせいもあってすぐには答えられないでいると、代わりにアンナが説明してくれた。
「さっき、レティの近くに花瓶が落ちてきたんです。その破片で足を切ってしまって」
「……傷は深いのですか?」
小刻みに首を横に振ると、先生はふぅと小さく息を吐いてから急にしゃがみ込んだ。
「失礼します」
「え?」
そんな先生を見下ろした次の瞬間、ぐるんと視界が回って身体が宙に浮く感覚がした。
(へ?)
「ミス・スペンサー、僕の部屋の扉を開けてもらっても? それと、すみませんがそれも拾っていただけると助かります」
「え? あ、はい!」
アンナが先生の部屋までパタパタと駆けていくのを見送って、先生が歩き出してから漸く私の頭はゆっくりと動き出す。
視線を上げればすぐそこに先生の端正な顔があって。
先生の腕が私の背中と膝裏に回っていて。
――そう、これは所謂『お姫様抱っこ』というものだ。
(~~~~っ!!?)
「――せっ、先生!? だ、大丈夫なので、おおおお下ろしてください!!」
心の中で意味不明な絶叫を上げながら、口からもひっくり返ったようなおかしな声が出てしまっていた。
全身が熱くて心臓が今にも飛び出てしまいそうだ。なのに。
「暴れないでください。……本当は痛むんでしょう」
「……っ!」
そう小さな声で囁かれて息を呑む。……図星だった。
傷は深くはなかったけれど、ずっとピリピリとした痛みは残っていて正直言うと少し歩き辛かったのだ。
「少しだけ辛抱してください」
「は、はい……」
こんな時だというのに、ほんの束の間先生の腕の中でその真剣な顔に見惚れてしまった私は悪くないと思う。




