49穏やかに、しかし着実に
王都大図書館の、見慣れた風景。
どこか異様で、空気がピリピリとするような特別書庫とは違う、温かく穏やかな場所。
目当ての本を探しながらゆったりと歩くのは、いつぶりだろうか。
私は自分の腕の中に積み上げていた本を置いて、共用の読書机に座り込んだ。
それはどれも教官に言われた通りの基礎本。
基本魔導回路とか、魔石基礎学だとか。逆に特別書庫ではお目にかかれない物だ。
表紙を指でなぞって開く。
魔力器官の基本的な仕組み、魔法の属性分類。学院で習うような内容が丁寧にまとめられている。
復習感覚でページを捲っていると、魔導回路の章に入った。
図解が並んでいる。
どういう風に魔力を変化させるか。というようなことが、丁寧に説明されている。
魔力を自由に操って変化させることが出来る人間の魔力器官とは違って、魔道具は魔法を使う特定の形を設計しなければいけない。
人間が喉で声の音程を調節することを魔法とすれば、魔道具とは“笛”だ。
特別書庫の記録にはこういう初歩的な情報はあまり無い。
あそこにあったのは専門的な情報と、結果だけ。この魔物の急所はここで、この素材を使えばこういう効果が出る、この設計図でこういう魔道具が作れる。
理屈ではなく、事実の積み重ねが殆どだった。
「ニィコ、ここにいたんやぁ!」
「わっ……!」
振り返ると、ムフレが鞄を抱えて立っていた。
満面の笑みを浮かべながら、ニィコの傍に駆け寄ってくる。
「来てくれたの?」
「図書館にいるかなっーて」
ムフレは向かいの席に腰を下ろし、机の上に積み上げた本をぐるりと眺めた。
「朝からずっといるん?」
「ううん、昼くらいからかな?」
「そうなんやっ。頑張ってるねニィコ。大変やない?」
私は開いたままのページに視線を落とした。
「大変かもしれない。けど、ずっと靄がかかってたものが、少しずつ晴れていく感じがして」
ムフレは少し首を傾げて、それから小さく笑った。
「良かったやん」
「うん」と私も笑う。
うまく説明できないけど、確かにそういう感じだった。
特別書庫で読んだあの記録たちが、断片的に頭の中に散らばったままだったのが、ちょっとずつ整理されていく気がしている。
「じゃっ、私も勉強しよっかな」
ムフレが自分の鞄から教科書を取り出しながら言った。
「うん」
「ニィコって、ほんまに楽しそうに勉強しよるな」
「え?そう?」
「昔からずっと、図書館に行ってるもんね。ニィコを目標にって言うたけど、ちょっと後悔してるかもっ」
難解な教本に目を向けたまま身体を机の上に突っ伏せて、額にシワを寄せるムフレに。
私は口元を緩めて小さく息を漏らした。
「自分のペースでやるのが一番いいと思うよ?」
「ふぅん?…けどそれくらい必死になれるって、凄いことやと思うな」
その純粋な言葉に、私は照れくさくなる。
「…ありがとう」
ムフレは何も言わずに、小さく笑った。
窓の外の日差しで、影が傾いてくる。
私はまたページに目を落とす。
私達はその日、陽が暮れるまで勉強をした。
* * *
身体の芯まで冷えるような冷気が漂う、真冬。
外には真っ白な雪が延々と舞い続け、それがどんどん積み上がっていく。
廊下を歩く生徒もすっかり厚手の服を身にまとい、それでも寒そうに手を擦り合わせる生徒もいるくらいだ。
「なあ、あの子…茶髪の背の低い女の子、最近見かけないな?」
「ああ。確か“ニィコ”さんって言ったっけ」
学院の廊下を歩く二人組の生徒。
背の高いツンツン頭の男と、大人しそうなメガネを掛けた男が、何気ない話を続ける。
「“フキ”…知らないのか?あの子、来年度まで謹慎になって噂だよ」
「は?なんだそれ。あの大人しそうな子が謹慎って、お前、適当な嘘に決まってんだろ」
軽く笑い飛ばすようにそう返すフキに、しかしメガネの男は真面目な表情を崩さない。
「いや……彼女が来なくなったのはちょうどあの、“魔道具工房”の事件があったくらいじゃなかったか?あの事件を起こした魔道具を作ったのが彼女って可能性も…」
そう言われて、フキも真面目に考え込む。
「どうだかな。あの魔道具にはえらい高度な技術が組み込まれてたって話じゃねえか。それに簡単には手に入らない、あの“魔雪ミミズ”の魔石が使われていたんだろ?」
「…らしいね」
魔雪ミミズの存在、そして希少性については、勉強熱心な生徒ならば知り得ている。二人もまた、それがいち生徒が気軽に使える代物では無いと理解していた。
「貴族の娘ならまだしも、ニィコさんは多分違うだろ?」
「彼女が貴族だと聞いたことはないね。完全な僕の主観だが、寧ろ彼女は田舎の出だろうと思っていたよ」
「俺もそう思う」
そういえば、とフキが。
「事件を起こした衝撃を出す魔道具は、あの赤毛太獅子を倒した武器だったって噂もあっただろ?外傷無く赤毛太獅子が倒されてたって証言があったからな」
魔道具工房の壁を大きく破壊した、“強力な衝撃を放つ魔道具”。
第四倉庫にて目立った外傷が見られないまま沈黙した赤毛太獅子と、異様に散乱していた倉庫内。
「確かに…その関連性は気になるね。時期も近い」
「って考えると、ニィコさんがその裏で暗躍する“衝撃波使い”ってことになるじゃねえか。“フォルツ”、お前はそう思うのかよ?」
それだけは無さそう…とばかりに、二人は苦笑混じりに眉を潜めた。
きっとそのときの二人の頭には、おどおどとした小柄な少女が、その手に不相応な凶悪な魔道具を携える姿が写ったことだろう。
「……確かに、ニィコさんがその事件を起こしたとは考えにくいけど」
「なら、結局謹慎なのかどうかもハッキリしないな」
ポリポリと頭を掻きながら、フキは白いため息を吐いた。
すっかり話し込んでいる間に二人はもう学院の出口まで来ていた。
「僕は一連の事件に関わってないにしろ、謹慎だと思うけどね」
「なんだよ。やけにこだわるな。ま、謹慎でないならなんで休んでんのかって話だが」
フキは足を止めて、フォルツの方を振り向く。
フォルツは頑固にせよ、こんな噂話にここまで引き下がらないのも珍しいと思ったからだ。
「別にこだわってるって程でもないよ。ただちょっと、ニィコさんを前に見た時に変に焦ってる感じがしたんだよね。今だからとかじゃなくて、なにかやらかしそうな危うさって言うのかな?」
フォルツは腕を組んで、思い出すように頭を捻った。
「ふぅん、そのときたまたま体調が悪かったとかじゃないのか?」
「そのときだけっていうか、一週間くらいね。直接話したりしたわけじゃないし、雰囲気の話だけどね」
そう語るフォルツに、フキは小さく笑う。
「お前はそういうとこ結構鋭いからな。どっちにせよ、今度直接聞いてみりゃあいいだろ」
「それもそうだね」
それだけ言って、二人はまた雪の中を歩き出した。




