侍女ロザリー④
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城の中での侍女たちによるゴタゴタがあって、リーナは町に返された。でもそれは、アメリア様の温情だとロザリーにも他の誰にも分かっていた。
アメリア様の主導で始まった月綿加工の作業場が軌道に乗り始めた頃、城の女たちの間で組紐作りが流行り始めた。
残り糸で編める上に、道具もいらない。仕事の合間の息抜きにちょうどよく、ロザリーも教えてもらっていくつか編むようになっていた。手を動かしていると、頭の中が整理される。城内の調べ事で行き詰まった時には、ちょうどよかった。
「お、なんすかそれ! 組紐ってやつっすか?」
休憩中の中庭で声が降ってきた。見上げると、カイルが目を輝かせて手元を覗き込んでいる。
ユリシスのお迎えの付き添い人らしい。
アメリア様のお迎えに甲斐甲斐しくやってくる辺境伯は、ロザリーから見ても主人の夫として好ましかった。最初に彼を疑っていた自分が恥ずかしい。
「ええ。作業場の残り糸をいただいたので」
「へえ〜! 器用っすねえ。……いいなあ、それ。俺にも作ってほしいっす〜!」
軽い調子だった。いつもの、思ったことがそのまま口から出るあの調子。
「お、奥様とユリシス様も帰り支度が出来たみたいっすね」
言うだけ言って、カイルは駆けていった。
ロザリーは手元の編みかけに目を落とす。
きっといつもの軽口だろう。そうに決まっている。
それなのに、その晩、ロザリーは糸箱を開けていた。選んだのは、栗色と水色の糸。深い意味はない。目についた組み合わせがそれだった、というだけだ。誰のためというわけでもない。強いて言えば、編みかけをひとつ増やしただけ。
——そう自分に言い聞かせながら、気づけば普段の倍も時間をかけて、丁寧に、丁寧に編み上げていた。
***
それから数日後、カイルが王都へ発つという話を聞いた。
ユリシス様の命による、長期の任務。表向きはアルジェント商会の使い。
実際は——アメリア様から説明を受けているロザリーには、その意味がわかる。王妃の膝元に潜り込むのだ。危険がないはずがなかった。
出立の前日、ロザリーは中庭でカイルを呼び止めた。
「カイル様。少々よろしいですか」
「ロザリーさん、どうしたっすか?」
振り返った顔は、明日から敵地に向かうとは思えないほど、いつも通りだった。
そして相変わらずの口調だ。それでも、どこか表情が強張っているのがわかる。
ロザリーは懐から包みを取り出し、差し出した。
「これを、カイル様に差し上げたくて」
「え?」
包みを開いたカイルが、固まる。
そこにあるのは、ロザリーが丁寧に編んだ栗色と水色の組紐だ。
「……え? これ、俺にっすか?」
「以前、欲しいとおっしゃっていたので」
カイルは組紐を見つめたまま、動かない。いつもうるさいくらいの人が、何も言わない。
その沈黙で、ロザリーは我に返った。
やっぱり、冗談だったのだ。本人はきっと忘れているような一言を、真に受けて、夜なべまでして。頬が一気に熱くなった。
「……お忘れでしたら、結構です。失礼いたしました」
包みごと引っ込めて、踵を返す。一刻も早くこの場を離れたかった。
「待ってください!」
手首を、掴まれた。
振り向くと、カイルが慌てた顔でロザリーを見ていた。
「違うっす、忘れてないっす! ただ、その……本当に作ってくれると思わなかったから、びっくりしただけで」
掴まれた手首が熱い。カイルは自分の手とロザリーの顔を交互に見て、ぱっと手を離した。
「あっ、悪い! えっと、その」
それから、深呼吸をひとつ。
「……嬉しいっす。本当に、本当に嬉しい!」
満面の笑みだった。中庭の陽射しよりも眩しい、いつもの、あの顔。
「ください! 大事にするっす!」
「……どうぞ」
差し出した包みを、カイルは両手で受け取った。宝物みたいに。
「ロザリーさんが編んでるの見た時から、実はずっといいなあって思ってたんすよ! でも、催促するのも図々しいかなって」
カイルが頭を掻く。耳が赤い。
ロザリーは何か言おうとして、やめた。今、口を開いたら、声が上ずる気がした。
「それは、お守りです」
代わりに、ようやくそれだけ言った。
「王都は、この城とは違います。裏があって、悪意があって、笑顔のまま人を平気で陥れようとする人たちがいる場所です。……どうか、ご無事で」
カイルはぱちぱちと目を瞬いて、それから、ふにゃりと笑った。いつもの元気な笑顔とは違う、やわらかい顔だった。
「……はい! 頑張ってくる……っす!」
「ふふ」
結局、その語尾だ。
ロザリーは思わず笑ってしまった。
***
翌朝、カイルはアメリア様のもとへ出立の挨拶にやってきた。
「じゃあ奥様、行ってくるっす!」
「カイル、十分気をつけてね。危なくなったらすぐに戻ってきていいから」
「ありがとうございます、奥様。がんばるっす!」
カイルはニカっと笑って、腰に下げた短剣を掲げた。
その柄に——栗色と水色の組紐が、しっかりと巻きつけられていた。
「俺もこの場所が大事っすからね!」
カイルは照れる様子もなくそう言い、それから馬に跨った。手綱を握りながら、ふと振り返る。
「奥様たちも早く自由になれるといいっすね〜!」
それだけ言うと、カイルは颯爽と駆けていった。
小さくなっていく背中を、ロザリーはアメリア様の後ろで見送った。
短剣の柄で、栗色と水色が揺れていた。
(どうか何事もありませんように)
声には出さず、ロザリーはただ、その姿が見えなくなるまで頭を下げなかった。
***
カイルのいない城は、思っていたより静かだった。
……何の問題もないのに、日々のどこかに穴が空いたように感じる。
そんな折、王都のカイルから手紙が届くようになった。任務の報告はユリシス様宛て。ロザリー宛てに届くのは、報告とも呼べない走り書きだ。
『王都は埃っぽくて嫌っす。飯もリュストアの方がうまいっす。早く帰りたいっす』
(……手紙でまで「っす」なのですね)
呆れながら、ロザリーはその手紙を箱に仕舞った。捨てる理由もないので、仕舞っただけだ。箱がいつの間にか手紙で埋まっていくことについては、考えないことにした。
やがて、王都で全てが終わった。
長かった悪意の日々の顛末を、ロザリーは主の傍らで見届けた。帰り道の馬車の中、アメリア様とユリシス様は寄り添うように並んで座っていた。それを見て、ロザリーは胸がいっぱいになった。あの方たちは、ようやく自由になったのだ。
***
「ロザリーさーん!」
リュストアに戻って数日後の中庭に、聞き慣れた声が響いた。
振り返る前から、誰かはわかっていた。この城で廊下の作法を守らない人は、ひとりしかいない。
「カイル様。城内で大声は」
「あっ、すみません! ……へへ、この感じ、久しぶりっすね〜」
注意されて嬉しそうにする人が、どこにいるのか。
それでも、悪い気はしない。
カイルは駆け寄ってくると、急にもじもじとし始めた。腰の短剣には、あの栗色と水色の組紐がある。長い任務の間ずっと結ばれていたのだろう、端の方が日に焼けて、けれど丁寧に手入れされていた。
それから、こほんとひとつ咳払いをする。
「あの、これ。王都のお土産……です」
差し出されたのは、小さな包みだった。
開くと、細い銀のブレスレットが出てきた。小さな青い石が、ひと粒だけ揺れている。
「……これは」
「アルジェント商会の品です。えっと、その、俺、こういうのはよくわからないんですけど……見立ては間違いないと思います! 商会長のお墨付きなので」
いつになく、丁寧な言葉だった。一言一言、確かめるように話している。この人なりに、この場面を大事にしようとしているのが伝わってきて、ロザリーはかえって落ち着かなくなった。
「組紐の、お礼を。あれ、本当にお守りになったんです。危ない時も、これがあるから帰るぞって思えたので」
ロザリーはブレスレットに目を落とした。青い石が、陽射しを受けてきらめいている。水色——組紐に、ロザリーが選んだ色だ。
よくわからないと言いながら、この人はきっと、商会の棚の前でさんざん悩んだのだろう。その姿が目に浮かんで、ロザリーは俯いた。顔が熱い。
「ありがとうございます。大切にします」
「よかった……!」
カイルは今日いちばんの笑顔になって、それから居住まいを正した。
「それで、あの。よかったら、なんですけど。今度、城下に新しくできた菓子屋に、一緒に行きませんか」
「いいですよ」
ロザリーがさらりと頷くと、カイルが固まった。
目を見開いたまま、動かない。
「……どうしました?」
「え、いや……絶対に断られるものだと……!」
ロザリーはムッとした。
「そんな気持ちで、組紐を渡したりしません」
「え?」
カイルがきょとんとする。
その顔を見て、ロザリーは自分が何を口走ったのかに気づいた。顔が、かーっと熱くなる。
「……では、私は仕事に戻ります!」
「え、ちょっと、待ってくださいよロザリーさん!」
背中を追いかけてくる声には、応えなかった。
歩調だけが、どんどん速くなる。手の中のブレスレットを、ぎゅっと握りしめたまま。
また騒がしくて平和な日々が辺境に戻ってくる。
それはとても幸せなことに思えた。
「番外編・侍女ロザリー」おわり
ロザリー視点の番外編、いかがだったでしょうか。
主人公夫妻の裏でこっそりと育まれる何かというシチュエーションが大好物です。
番外編という形で書けてとても嬉しいですニコニコです。
ここまでお読みいただきありがとうございました!




