23 レース編み
(風が変わったわね)
アメリアは今日も城下町にいた。
城の窓から見える山の稜線が、日ごとに鮮やかになっている。北の地の秋は短いのだと聞いた。領民たちは口々に「もうすぐ雪が来る」と言い始めている。
目的地に到着し、そっと扉をノックする。
「みなさん、ごきげんよう」
前代官グレイソン伯爵が作物の徴収に使っていたという建物は、今や月綿の作業場に生まれ変わっていた。石造りの頑丈な壁は保温性が高く、広い床には収穫した月綿が白く広がっている。作業をしているのは町の領民たちだ。
冬になれば農地が雪に覆われ、農作業ができなくなる。その間の仕事として、皆が喜んで手を挙げてくれたのだという。
「奥様、いらっしゃいませ!」
顔を出したアメリアに、領民たちが笑顔で頭を下げた。
「様子を見に来たわ。皆、調子はどうかしら」
「おかげさまで! 収穫以外も仕事があるなんて、本当にありがたいです」
「子供の薬代が出せるようになりました」
「うちは去年、冬場が一番きつかったんですよ。今年は助かります」
口々に声が上がった。アメリアはそのひとつひとつを受け取りながら、じんわりとした温もりが広がるのを感じる。見渡せば、奥の方で集中してせっせと手を動かしている小柄な人影が目に入った。アメリアのことに、まだ気付いていないようだ。
「リーナ、元気にしている?」
声をかけると、少女がぱっと顔を上げた。
「あっ奥様! ようこそいらっしゃいました!」
以前と比べると、ずいぶん顔色が良くなっている。頬にも丸みが戻り、目に力があった。あの廊下でへたり込んでいた頃の面影は、もうほとんどない。
(良かったわ)
アメリアはリーナの傍らに腰を下ろす。リーナにはあの後、城での仕事を外れてもらうことになった。命じられたとはいえ、城で起こしたことは見過ごせなかった。
ただ、彼女の状況には同情するものがある。アメリアはユリシスと相談して、人手が必要だったこの作業場に来てもらうことにしたのだ。
「元気そうね」
「はい! 奥様のおかげです」
照れくさそうに笑うリーナの顔は、あの頃とは別人のようだ。
「弟の具合はどう?」
「すっかり良くなりました。お医者さまも、もう大丈夫だろうって。奥様と旦那様のおかげです。本当に……ありがとうございました」
リーナが深く頭を下げた。その小さな肩が、かすかに震えている。アメリアはそっと首を横に振る。
「あなたが頑張ったのよ。それより、この仕事はどう? 向いていそう?」
「はい、とても! 手を動かしているのが好きなので、楽しいです」
嬉しそうに答えながら、リーナの手はもう月綿の上に戻っている。その傍らに、細かなレースの端切れが置いてあった。
「まあ、これはあなたが?」
「あ、お仕事の合間に少しだけ……お見苦しいものをすみません」
リーナが慌てて端切れを隠そうとする。アメリアはその手をそっと制した。
「いいえ、とても綺麗だわ」
アメリアはレースを手に取る。細かな花の模様が丁寧に編み込まれていた。素人の手仕事とは思えない繊細さだ。
「これ、どこで覚えたの?」
「母に教えてもらいました。レース編みが得意な人で……わたしも少しずつ覚えて」
「才能があるわ。これだけ編めるなら、布団の縁飾りにも活かせそうね」
リーナの目がぱっと輝く。
「本当ですか?」
「ええ。上質な仕上がりになるわ。これからはそちらも手伝ってもらえると助かります」
アメリアがそう伝えると、リーナはしばらく考えるような顔をして、それから少し恥ずかしそうに口を開く。
「あの……奥様。いつかわたし、おふたりの結婚式に使うレースを編みたいです」
リーナの目が真剣に輝いている。
結婚式。その言葉が、アメリアの胸にひっかかる。
そういえば、婚礼用のドレスも着ないままだった。神官を迎えて、誓いの言葉を述べ、書状に署名をして、それだけで終わってしまった。
華やかな式でも、盛大な祝宴でもなく、ただ義務的な手続きとして。それを今さら惜しいとは思わない。けれど。
(どうしたのかしら。なんだか胸が痛いような)
自分でも驚くような気持ちが、ひそかに顔を出す。
「……ありがとう。楽しみにしているわ」
「はい! 絶対に素敵なものを編みます!」
アメリアが曖昧に微笑むと、リーナが嬉しそうに頷く。彼女の気持ちは嬉しいが、期待させることへの心苦しさもあった。でもなぜか、不要だとは言えない。
喜ぶリーナを眺めていたら、扉のところで控えていたロザリーが小走りで近づいてくる。
「……アメリア様。旦那様がお迎えにいらしたようです」
「まあ」
アメリアは目を見開いた。執務で忙しいはずのユリシスが、わざわざ迎えに来てくれたのだという。
(城で何か問題があったのかしら。急がなくては)
そう思ったアメリアは、急いで身支度を整えた。
「また来るわね、リーナ。そのレース、楽しみにしているわ」
「はい。待っていてください!」
急いで作業場を出ると、廊下にユリシスが立っていた。外套をまとい、いつも通り険しい顔をしている。だがアメリアの姿を見た瞬間、その表情が和らいだ。
「リュストアは、秋になると日が落ちるのが早いんだ」
「心配してくださったのですね。ありがとうございます」
アメリアは自然に彼の隣に並ぶ。廊下を歩きながら、初秋の風が窓の隙間からそっと吹き込んでくる。確かに夏より少しだけ冷たく、どこか物悲しい匂いがした。
リーナの言葉がまだ胸の中にある。隣を歩くユリシスを、アメリアはちらりと見上げる。黒髪が廊下の光を受けて、かすかに輝いていた。
(わたくしたちは王命結婚だものね。あの儀式以上の意味はないもの)
自らにそう言い聞かせるようにして、アメリアは静かに前を向いた。いつもならすぐに切り替えられるはずなのに、どうしてだか胸が痛い。
「ユリシス様、お城で何かありましたか?」
「いや。君の顔を早く見たかったから来た」
さらりと言って、ユリシスはじっとアメリアの顔を見つめる。アメリアは瞬きをした。ユリシスなりの気遣いを感じる。長時間作業場にいたから、体調を心配してくれたのかもしれない。
(お優しい方だわ)
始まりは王命であっても、ユリシスはアメリアのことを尊重してくれている。それが分かるからこそ、アメリアもこの辺境の地をよりよくしたいと思うのだ。
「わたくしも、ユリシス様にお会いできてうれしいですわ」
言葉にしてしまうと、思いのほか素直に出た。廊下の窓の外では、夕暮れのリュストアの空が茜色に染まり始めていた。




