第百四十六話 生きたいと願える思い出を
第百四十六話 生きたいと願える思い出を
彼女らと昼食を食べる時間は、とても賑やかで、馬鹿らしくて、楽しかった。
戦場には似つかわしくない、他愛のない世間話。ただの友人同士のように語り、笑い、偶に驚いて。時は過ぎていく。
それは決して、長い時間ではなかった。だが、かけがえのないものだったと確信を持っている。
これで思い残すことはない───なんて、ことはあるわけない。
戦場に絶対はない以上、自分も彼女らも明日死ぬ可能性はある。
だがそれでも、死にそうになったらこう思い出すはずだ。『また、今日のような時間がほしい』と。
それがきっと、活路を開く。そう、信じている。
「クロノ様」
天幕を出た所で、シャルロット嬢に呼び止められた。
「シャルロット様。いかがなされましたか」
「……改めて、お礼を」
彼女は、普段の破天荒な雰囲気とは真逆の、穏やかな笑みを浮かべる。
侯爵令嬢や皇妃としての公的な顔でもなく、シャルロットという女性が見せた、陰りのない笑顔だった。
「……感謝されることなど」
予想外の表情に、不覚にも照れてしまう。
レッドドリル令嬢と呼んで内心でトンチキ枠に入れていただけに、普段とのギャップで混乱してしまった。
そんな自分に、彼女は柔らかな声音で言葉を続ける。
「いいえ。クリス様をここまで支えてくれたこと。共に戦ってくれたこと。ワタクシを、1人の戦士として見てくださっていること。それらは全てに、心の底からお礼を申し上げたいのです」
「……ならば、なおさら感謝される理由はありません」
彼女に向き直り、姿勢を正す。
「それらは全て、帝国貴族として。ストラトス家の者として。そして何より、僕個人の心に従って決めたことです。だから、良いのです」
「あら。それは、ワタクシやクリス様に特別な感情を抱いている……ということでしょうか?」
悪戯っ子のように笑うシャルロット嬢に、苦笑を返す。
普段の彼女が戻ってきた気がして、少し安心した。
「そうですね。得難い友人として。命を預ける戦友として。強い絆を感じています」
「……酷い人ですわねー」
やれやれと、シャルロット嬢が両の掌を上に向け、首を軽く横に振る。
「乙女相手に、友人や戦友だなんて。もっと色気のある答えか、物語に出てくる騎士様のような言葉を言ってくれてもバチは当たりませんでしょうに」
「申し訳ありません。しかし、他に相応しい言葉が浮かびませんでした」
「まったく……何が酷いって───ワタクシが今、1番欲しかった言葉なんですもの」
シャルロット嬢は、そっと目を伏せる。
「……あの作戦が実行に移されれば、お爺様と戦うことになるでしょう」
「……はい」
「お爺様はきっと、降伏を迫っても頷きませんわ。手足が折れようと、歯が砕けようと、雄叫びを上げ、その身を城壁とするでしょう」
「……はい」
「それがグランドフリート家……。ですが、恐らく誇りだけの問題ではありません」
伏せられていた彼女の瞳が、空を向く。
真っ青な、まばらに雲が浮かんでいる天を見て、シャルロット嬢は淡々と続けた。
「……お爺様と戦場で最期に向かい合うのは、ワタクシですわ」
その言葉には、『確信』が籠められていた。
「戦いは時の運。確実なことなど、ございませんよ?」
「そうですわね。でも、きっとお互いつい探してしまう。だから、矛を交えることになるでしょうね。退くなんて、考えられませんもの」
「……皇妃殿下のお言葉とは思えませんね」
「あら。でも貴方がおっしゃったのですよ?」
呆れ顔を向ける自分に、彼女もまた視線を向けてきた。
その顔に、自信満々の笑みを浮かべて。
「『戦友』と。戦場の最前線にワタクシがいて、不思議なことなどありませんわ」
「……ごもっとも」
降参だと、軽く両手を上げる。
この人が、自身が決着をつけるべき相手だと、定めた敵が戦場にいるのに。奥で大人しくしているわけがない。それは、もはやシャルロット嬢ではないだろう。
「とんでもない猪武者ですよ、貴女は」
「そーですわ!ワタクシは猪のように勇猛で、いかなる英雄を前にしても退かない戦士でしてよ!」
「褒めてませんが?」
「おーっほっほっほっほ!」
ひとしきり高笑いした後、シャルロット嬢が小さく咳払いをした。
「おほん。……ワタクシを『武者』と。戦う者と呼んでくれた貴方。ただ籠の中でさえずるだけではない、戦場でも政界でも、前に出ても良いのだと認めてくれた貴方」
彼女の右手が、そっと差し出される。
「改めて、感謝を」
「……それこそ、畏まって言われるようなことではありませんが」
この世界、この国では、皇妃であっても普段から政治に深く口出しすることはない。
お茶会などで奥方同士による裏の話し合いはあるだろうが、それが表立って政治に影響することはないとされている。
だが、それでも。この人はクリス様と二人三脚で走れる人だ。
あの優しくて、甘くて、ちょっと天然な、愛すべき皇帝を支える為に努力を続けていた人だ。
そんな彼女が、踏み出せないなんてありえない。自分が認めずとも、きっと自力であらゆる障害に突撃している。
だから。
「しかし、まあ」
しっかりと、シャルロット嬢の手を握る。
「だったら、今度なにか奢ってください。戦友とは、そういうものですから」
「ええ。とびっきりのワインを用意しておきますわ。お爺様のコレクションをぶんどってやります」
悪友のように笑い合い、手を離す。
「……それでは。皇妃殿下」
「ええ。また。ストラトス伯爵」
片や、帝国式の敬礼を。片や、令嬢らしい挨拶をして。
互いに背を向けて、歩き出す。
通り過ぎていく風は、とても、心地の良いものであった。
* * *
天幕に戻る途中、見知った背中を見つける。
近衛騎士団帝都守備隊の鎧。しかし、刻まれたシンボルは削り取られている。
「ジェラルド卿」
「んお?おお、ストラトス伯爵」
馬の世話をしていたらしい、フルプレートの彼がこちらを振り返る。
「精が出ますね。これは、モルステッドの?」
「うっす。あの時持ち帰った馬です。俺に懐いてくれているんで。ここまで連れてきちゃいました」
〈ブブブ……〉
首を撫でる彼に、馬が気持ち良さげに小さく唸る。
魔物の血を色濃く継いでいるだけあって、筋骨隆々とした巨体なのだが。その声と表情は、可愛らしく感じる。
馬にはあまり乗らないせいで、こうして世話をする機会も少ない。こういう穏やかな優しい顔もするのだと、彼の馬に少し驚く。
……帰ったら、名目上僕の愛馬となっている馬と、もっと触れ合ってみるか。
「伯爵。アナスタシア様から聞いたんすけど……決戦が近いって、本当ですか?」
「……ええ」
彼女が話したのなら、隠す理由もない。
一瞬だけ周囲を見渡し、特に聞き耳をたてている兵士がいないことを確認して、頷く。
「詳しい作戦は後で伝えますが、こちらから仕掛ける予定です。受けに回っては、不利ですので」
「へぇ……俺、野戦には詳しくないっすけど。少ない方が攻める方が有利なんすか?」
「いえ。それはケースバイケースですね。今回は、色々と特殊なので」
「そうなんすか。まあ、俺はやるべきことをやりますよ」
「……そのやるべきこととは、復讐ですか?」
「勿論」
キッパリと、彼はそう答える。
撫でられていた馬が、少し心配そうにジェラルド卿を見た。
「先輩を……コープランド卿を殺されて。身重の奥さんまで連れていかれて。黙ってなんていられないっすよ。刺し違えてでも、アダム様をぶっ殺します」
「……そうですか」
それを、コープランド卿が望んでいるのかと。月並みのことを聞く気はない。
自分はそんなことを言える程彼らと親しくはないし、何よりここは21世紀の日本ではないのだ。
戦士の覚悟に、領主が、死んでこいと兵士に命ずる者が目を逸らしてはならない。
「わかりました。死ぬ気で挑んでください。負けて死んでも、彼の足を掴んで地獄に引っ張っるのです」
「うっす。……って、それだと俺まで地獄行きじゃないっすか?」
「……運が良かったら、アダム様の魂を踏み台に天国へジャンプするとか?」
「……いいっすね。それ」
兜を被っていて、彼の顔は見えない。
それでも、へらりとした笑顔を浮かべていることが雰囲気でわかる。
「……それはそうと」
ジェラルド卿から視線を外し、彼の馬へと顔を向けた。
「……僕もちょっと、撫でて良いですか?この馬」
「いいっすけど。そう言えば伯爵、御自分の馬はどこに?」
「……たぶん、領地のどこか?」
「場所ぐらい正確に覚えてあげてくださいよ」
元近衛騎士、現傭兵のジェラルド卿にお説教されながら、馬と触れ合う。
見た目は冬毛がモサモサした馬なのだが、その手触りは絹のように滑らかだった。
* * *
「おや。随分と会議が長引いていたようだな?旦那様よ」
自分の天幕に戻ると、立って机の上の地図を眺めていたアナスタシア殿がこちらを向く。
その横には、ちょうどコーヒーを淹れていたらしいドロテアもいた。
「すみません、クリス様の所で昼食を頂いた後、シャルロット様やジェラルド卿と話していました」
「おやおや。昨日あんなに愛し合った新妻を置いて、他の女や男と戯れているとは。旦那様はとんだ色男だな」
「いや、女性は兎も角男性と戯れるとか、そっち方向で疑われる謂れがないのですが……」
「ほう?貴様、自分が世間でどのように語られているか知らんのか?『真実の愛の伝道者』『二尾の人竜』『ドスケベェ文明の秘宝』……色々あるぞ?」
「どこからツッコんで良いかわからない……!」
というかなんだ、『ドスケベェ文明の秘宝』って。本当に意味がわからんぞ。
まさか、また勇者アーサー関連か?……ありえそうで嫌だな。
「いや、それより……大丈夫ですか?」
「ああ、確かに心が痛いとも……。いくら政略結婚とはいえ、旦那様の心がこうも離れていてはな。いやはや、私に女としての魅力はないのかと、自責の念さえ感じるよ」
「お労しや、お嬢様」
ニヤニヤと笑いながら自身の胸に手をあてるアナスタシア殿と、口で『ヨヨヨ』とか言って目元をハンカチで拭うドロテア。
相変わらずか、この主従。
「アナスタシア殿は女性としての魅力が溢れているというか、そのせいで昨晩は色々やっちゃったので……もう歩いて大丈夫なのですか?あ、待って。脛はやめてください。脛は」
揶揄われた意趣返しにセクハラ発言をしたら、脛をゲシゲシと蹴られる。
口を真一文字にして顔を真っ赤にするアナスタシア殿は、やはり可愛い。
「お労しや、お嬢様。それもひとえに御身がベッドでクソ雑魚だからですね」
「ドロテアも大丈夫ですか?なんか、潰れた蛙みたいに……あ、痛い痛い」
乳姉妹と同じ顔でこちらの脛を蹴ってくるメイド。もう本当の姉妹なのでは?
そんな2人に苦笑した後、纏めて抱きしめる。
「は?貴様、この時間からか!?盛るにも限度があろう、スケベ人竜!こ、心の準備がだな……!い、いや。まあ私も?やぶさかではないというか、でも体力がだな……!」
「まままままま待ちましょう。れれれれれ冷静に、冷静に話し合いましょう。いえ、め、私は完璧なメイドですので?ご、ご主人様がどうしてもとお命じになるのでしたら……!」
「いえ……そういうのではなく」
たしかに、彼女らの香りや温もり、柔らかさで興奮はする。
だがそれ以上に。
「今は……何となく、こうしたかったので」
絶対に力加減を間違えないように気を付けながら、両腕に力を籠める。
彼女らを、手放したくないと。
「……ふん。なんだ。決戦が近づいて、怖くなったか?」
バカにしたような口調だが、アナスタシア殿がこちらの背を優しく撫でてくれる。
「お嬢様。脳みそ真っピンクなことが露呈した直後に、その発言は無理があるかと」
「黙れ駄メ」
「せめてメイドは略さないでくださいまし!?」
いつものようにアナスタシア殿へちょっかいをかけるドロテアも、同じくこちらの背中を撫でてくれた。
彼女らの掌から伝わる熱が、心臓にまで届く気がする。
「……絶対に、生きて帰りましょうね」
「当たり前だ。私はまだ、やらねばならんことが山ほどある」
「そうですね。まず私は、お嬢様のポエムを後世に残すべく資料館を作らねばなりませんので」
「まずこいつから殺そう」
「なんと」
「というか、だ。少しは空気を読め。この駄メイドめ」
「……その資料館、僕も出資しますよ?」
「おいこの手をどけろスケベ人竜。そのケツを思いっきり蹴り飛ばしてやる」
「あら、お下品でしてよお嬢様」
「そうですよ、アナスタシア殿」
「こ、い、つ、らぁ……!」
他愛のない会話が、天幕の中に響く。
クリス様達と過ごした昼食と、同じぐらい温かな時間だった。
自分は運が良い。これから死地へ向かうというのに、『生きたい』と願える思い出をたくさん得られたのだから。
それでも、死ぬことがあるのが戦場である。
だけど、きっと……いいや、絶対に。
皆で、故郷へ帰るのだ。
読んでいただきありがとうございます。
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