第六章 エピローグ 上
第六章 エピローグ 上
───ボォォォ……!
汽笛の音と煙をなびかせて、2隻の砕氷船が並んで進んでいく。
音と衝撃からして、進路上の氷を砕いたのだろう。ただ、行きと比べて感じる揺れは小さい。
1回は壊して進んでいるのだから、当然と言えば当然と言える。それでも砕いた氷が再びくっついているのだから、この大河の冷たさは相当なものだ。
船体後部にあるVIPルームの窓から、外を眺める。砕氷船から後ろへ伸びた太い鎖が、巨大な氷塊に繋がっていた。
凍り付いた大河の一部を発破で切り取り、台座にしている。その上には、首から上がないルベル・ラケルタの死体が載せられていた。
「いやー。まさか、アレを持ち帰るとは思っていなかったっすよ」
ひょっこりと隣から顔を出し、窓を覗くアリシアさん。相変わらず距離が少し近い。彼女のポニーテールに纏めた黒髪から、ふわりといい香りがする。
そっとアリシアさんから距離を取り、軽く肩をすくめた。
「これ以上ない『手柄』ですからね。ラケルタの危険性を元老院に伝え、ストラトス家とゲーマウス家、そしてクリス陛下の武功を大陸中に喧伝するには、やはり死体があった方が良い」
あの戦いは、後世に語られるべきものである。
自分の意識も戻り、負傷者の治療が完了した後、ゲーマウス伯爵とその手勢の捜索が行われた。
3日かけて探して、どうにか数人の遺体を回収できたものの、全員損傷が酷く個人の識別ができない状態であった。
王都も一応確認したが、あちらも生存者はなし。ラケルタが通った後には、生きている者どころか、遺体すらもまともに残らなかった。
ならばせめて、あの『ケモノ』の死体だけでも持ち帰る。彼らの死を、その奮闘を、正しく伝えねばならないのだ。
万が一にも元老院や北方貴族達がゲーマウス伯爵家の功績にケチをつけるのなら、その時はラケルタの折れた爪で脳天を殴ってやる。そのつもりで、アレを持ち帰ると決心した。
「これ、あーしとジェラルド卿が来てなかったら2家だけの手柄だったんすよね……まぁじで、クリス様の為にも同行して良かったっす……」
頬を若干引きつらせるアリシアさんに、首を小さく横に振った。
「いいえ。我々だけでは討伐できなかった。アリシアさんとジェラルド卿が手伝ってくれたからこそ、勝利できたのです」
本心である。この2人が協力してくれなかったら、自分は途中で体力と集中力が切れていた。
戦車隊に犠牲となってもらい、数秒の時の為に壁として使い潰すという選択肢もあるが……乗っているのは全員、うちの騎士達だ。目の前で彼らが蹂躙されて、冷静でいられる自信はない。
近衛騎士の強さを、自分は嫌という程知っている。だからこそ、安心して共に戦うことができた。
「いやぁ、照れるっすねぇ!まあ本当のことなんすけど!」
そう言いながら、若干赤い頬を両手で押さえてわざとらしく身をくねらせるアリシアさん。
……何というか、ちょっと目に毒な光景である。
というのも、彼女が現在着ているのは白い縦セーターなのだ。
頬を両手で押さえたことで、腕が左右からその巨乳を圧迫し存在感を高めていることもあり、つい視線がそちらへ引き寄せられそうになる。
腰から下も動きやすさを重視しているのか、黒の乗馬ズボンだ。臀部から太腿にかけてのラインがわかり易いのもあって、煩悩が刺激される。
これでも妻が複数いる身であり、この部屋には婚約者もいるのだ。肉体に反してちょっと柔い精神を叱咤し、首を横方向へ動かす。
「やはり脳みそ以外は優秀だと実感するよ、近衛騎士というやつは」
ムッツリ元女王スケベボディ婚約者がいたわ。
アリシアさんとは対象となるように、黒い縦セーターと白い乗馬ズボン姿のアナスタシア殿。
長い足を優雅に組み、ソファーに背中を預けてコーヒーを優雅に飲んでいる。
ただそこにいるだけで、その美貌と美脚で視線が反復横跳びしそうになった。その間で服の上からでも膨らみのわかるロケットが2つあるのだから、目のやり場に困る。
……まずい。自分でもわかる程に、煩悩が増している。
領地を離れて、もうすぐ1カ月。数字にすると短く感じる程に、その間の出来事は濃密であった。
だからこそ……その……色々と、うん。
ストラトス領にいた頃はケネスやアレックスが次々『そういう相手』を紹介してくれていたので……船の上の生活は、ちょっとやばい。
無意識に左手で顔を覆っていると、ドロテアさんがこちらを覗き込んできた。
「え、あの……」
「お嬢様。ご主人様が初めて異性の半裸を見た乙女のような顔になっています。間違いありません。ムラムラしています」
「貴様は乙女という存在を何だと思っているんだ」
キリっとした顔で世迷言をほざく乳姉妹に、アナスタシア殿も顔を左手で覆った。
ふわりと髪の香りをただよわせ、こちらに背中を向けるドロテアさん。その意外と華奢な背中にまで、自分の胸が少し高鳴る。
……この後寒中水泳でもしてこようかな。
というかこの3人、なんで航海中ほぼ僕の部屋にいるのだ。もっと1人の時間がほしいのだけど。
「ですがお嬢様。本日は勇者アーサーの生誕祭。ここは『さんたくろす』のミニスカバージョンでご主人様を悩殺し、オールダーのストラトス内における地位を確かなものにすべきかと」
ぐっ、とドロテアさんが拳を握りしめながら、無駄に熱弁しだす。
「黙れ駄メイド。一応聖なる日なんだから、今日ぐらいは大人しくしろ」
「お言葉ながら、グリンダ様が既に身籠っている今、お嬢様はもっと焦るべきです。ただでさえ長子の座はあちらのものだというのに、生まれてくる子供の魔力量でも負けている可能性があるのです。何ですかあの魔力お化け」
「まあ……一理あるが……」
アナスタシア殿が、そっと目を逸らす。
「帝国の層は厚いと思っていたが、アレは予想外だったな……人竜と互角の魔力持ちが、もう1人いたのだから。しかも旦那様の子を宿しているのだから、次代は安泰などというものじゃない」
「安泰じゃないです。下手をすればお嬢様のお子が『ふん。その程度の魔力量か。ゴミめ』と言われるかもしれません。それでは、ストラトス家を内側から乗っ取る野望が潰えてしまいます」
「あの、それ当主の前で言います……?」
あんまりそういうこと公言されると、職務上粛清しないといけないので控えてほしいのだが。頭の中で考えるだけなら良いので。
「ここはせめてグリンダ様と産む時期を少しでも近づけ、年齢によるアドバンテージを埋めるべきかと。というわけで、ドスケベミニスカ『さんた』にてご主人様をベッドの上で討伐すべきです」
「……だし」
「何でしょうか。よく聞こえません。もっと大きな声でお願いします」
耳に手を添え、ずずい、とアナスタシア殿に近づくドロテアさん。
彼女に対し、我が婚約者殿は。
「そういうのは、結婚してからするものだし……」
髪の色と同じぐらい真っ赤になって、以前と同じセリフを言うのだった。
……何回聞いても、あざと可愛いな。この生き物。
「はぁ~……これだから初心なにゃんこは」
「誰がにゃんこか!だいたい、そこまで言うのなら貴様が抱かれればいいだろう!あのスケベ人竜に!夜戦のことしか考えていない下半身バカに!」
「あの……僕これでも当主……」
「それはダメですお嬢様。私はあくまでお嬢様のメイド。貴女様より先にご主人様の寵愛を受けるなどあってはなりません。というわけで、お先にどうぞ」
「そう言って、実は貴様こそ初心なだけだろうが!」
「違いますが?私の知識量を舐めないでください。男も女も人体について熟知しております」
「全て本から得た知識だろうが!この耳年増!」
「イメージトレーニングは万全です。頭の中の模擬戦では100戦100勝。自信しかありませんね」
「貴様の脳みそは真っピンクか!」
ぎゃいぎゃいと騒ぐ主従に、心が癒される。
良かった。微笑ましさと馬鹿らしさで、煩悩が去っていく。これが異世界の除夜の鐘かぁ……。
「勇者アーサーの生誕祭で思い出したんすけど……モルステッドの王都で回収した古文書とか、どうするっす?聖都が絶対に黙っていない大事件っすけど」
アリシアさんがそう言って、胸の下で腕を組みながら首を傾げる。
いけない、去ったはずの煩悩が帰宅を!まだ年越しには早いと気づいたか!
縦セタおっぱいという凶器を見せつけてくる親衛隊副隊長から、全力で目を逸らす。
「そうですね……たしかに、勇者アーサーが倒せなかった竜を討ち取ったとなれば、聖都が何か言ってくるかもしれません。彼らを敵に回したくはないのですが……」
「いいや。奴らはこの件でわかり易い『敵』になどならんよ」
「お嬢様……!ギブ……ギブでございます……!」
ドロテアさんにコブラツイストを決めたアナスタシア殿が、こめかみに青筋を浮かべながら続ける。
「聖都はその古文書の内容を絶対に認めない。それでも貴殿や帝国が『勇者アーサーを越えた』と喧伝したのなら、大陸中の信徒に『彼らの妄想力は逞しい』と半笑いで語るだろうさ。歴史上、勇者アーサーより優れた存在だと己を騙り、そして失墜した王は片手の数では足りん」
「まあ……ですよね」
「この件に関しては、諦めろ。聖都が腐っている云々以前に、現在の聖書がそうなっている。その内容が今の信徒達の全てなのだ。亡国の古文書1つで、覆ることはない」
「おごごごご……!」
「大丈夫っすか、テアっち」
「ちょっと……癖になってきました……!」
「ふん!」
「あふん」
「テアっちぃぃいいい!」
ソファーに顔面から打ち捨てられたドロテアさんに、アリシアさんが縋りついて涙を流す。
あちらは放っておいて良いだろう。
「勇者アーサーが為せなかった偉業を為したと叫んだ所で、最初の内は生暖かい笑いと嘲笑が。次第に侮蔑の瞳が向けられる。統治者としては致命傷だ」
「黒歴史のプロであるお嬢様が言うのだから、説得力が違いま……おごぉ!?」
「テアっちぃぃいいい!」
ドロテアさんの腰にアナスタシア殿の足が乗せられる。
勢いよく踏み抜いたように見えて、直前で減速していた辺りただのじゃれ合いのようだ。本当に仲が良いな、この乳姉妹。
「まあ、旦那様が聖都を相手に戦争をするというのなら、話は別だがな」
「勘弁してください……そんな余裕は、うちにありません」
ゲーマウス伯爵には悪いが、勇者教全体を敵に回すのは義理人情だけでやれる行為ではない。
そもそも自分とてこの古文書の正確さを測りかねているので、『アーサー越え』については言及しないつもりだ。
「余裕があったらやるのか……」
「いや、父上がよく言っているので……聖都や教会領への、その……過激な発言を」
そっと、彼女から目を逸らす。今回は煩悩が理由ではなく、気まずさから。
父上、ことあるごとに『今の勇者教は腐っている!』『というわけで教会領と聖都を燃やし、正しい教えを取り戻すのだ!』と過激すぎることを言っているので。
あの人、信仰心に関してはガチだからな……。
「ぬぅ……兄上も『聖都気に食わねぇなぁ。燃やすかぁ』と言っていたので、その辺に関しては義父上のことを何も言えん」
「ノリス国王も敬虔過ぎる信徒だったんですか?」
「いいや。ただ、勇者教が力を持っている状況を不安視していただけだ。帝国の教会領のように、政治に直接首を突っ込まれてはかなわん」
「なるほど」
彼らしいと言えば、彼らしい。
納得する自分に、アナスタシア殿が小さく肩をすくめる。そして、皮肉気に笑みを浮かべた。
「義父上も随分と過激なことを考えているようだが、この件ばかりは賛成だ。教会領について私も詳しくはないが……そうとうな『生臭』の集まりだろうよ」
「……そうですね」
アンジェロ枢機卿の一件を、父上は今帝都で調べている。
はたして、教会領について彼は何か掴んだのだろうか……。
* * *
魔法によるラケルタを載せた氷の補強や、死体に雪を被せる等をした道中。
行きと同じくモルステッド王国から攻撃されることもなく、無事に帝国領への帰還に成功した。
冬が明け春となり、馬での移動ができるようになった頃。あの国がどうなるのか。それはわからない。
彼の国の民には悪いが、ろくなことにはならないだろう。その混乱が、帝国が立て直す時間をくれる。
やはりというか、父上の言う通り領主というのは外道でなければやっていられない。
そう内心で愚痴りながら、川港に上陸する。
とりあえず、兵達を労い纏まった金を握らせねば。禁欲生活をしていたのは自分だけではない。彼らにも、心身を癒してもらわねば。
幸い、モルステッドの宝物庫から持ってきた『駄賃』がある。その一部を彼らには配るとしよう。
自分はまだまだ、書類の山に集中することで煩悩を脇に押しのけないといけないが。
小さく吐いたため息が、白い軌跡を宙に描く。船の上で生誕祭どころか年明けを迎えることになってしまった。騎士と兵士達へ、多めに支払わないと……。
そんなことを考えていると、出迎えらしき貴族がこちらへ駆けてきた。
随分と慌てた様子で、何事かと眉間に皺を寄せる。というか、やって来た者達の中に見覚えのある顔があった。
「オリビア卿……?」
クリス様親衛隊の1人。オレンジ色の髪をボブカットにした少女騎士、『オリビア・フォン・ドーヴェイン』。
厚手のコートに身を包んだ彼女の顔は、半分が包帯で覆われていた。
ぞくり、と。背中に悪寒が走る。それが周囲の気温からくるものでないのは、明らかだった。
帝都にいた彼女が、何故負傷した状態で自分の所へ来ているのか。頭に幾つもの可能性が浮かんでは消えていき、その度に己の顔が青くなるのを自覚する。
「貴方の御帰還を心よりお喜び申し上げます、ストラトス伯爵。ゲーマウス伯爵の件は先ぶれからお聞きしました。彼らの奮闘に、我らも」
「今は、報告を先に。何があったのですか」
雪の上に片膝をつき、早口で口を動かすオリビア卿と数人の貴族達。
その言葉を遮り、本題を話すよう促す。
本当は、聞きたくない。だが、後回しにすることもできなかった。
「……ウィリアムズ伯爵家が、謀反を起こしました」
「っ……」
「アダム様こそが正当なコーネリアス皇帝陛下の後継者であり、クリス様を『性別を偽り帝位についた魔女』と虚偽の書状を各地に出しております。彼らは教会領の支援を受けながら、帝都を強襲。クリス様が帰還する前に、占拠しようとしました」
「……クリス陛下は」
「無事にございます。ウィリアムズ伯爵の軍は帝都守備隊により撃退され、陛下が戻る前に帝都からいなくなっておりました。ただ、帝城は半壊。街にも火がつけられ、帝都はその機能の大半を停止させております」
「そう、ですか……」
最悪の事態の、1歩手前という所か。
クリス様が女性である可能性が広められ、帝都も襲撃された。しかも教会領とウィリアムズ伯爵家が手を組み、軍を挙げている。
何故そうなったのか。その理由は断定できないが、兎に角『クリス様が殺害、ないし捕縛される』という最悪は回避されたらしい。
だというのに、心臓は早鐘を打ったままだ。足元から這い上がるような、不快な感覚はおさまっていない。
嫌な、予感がする。どうしようもなく、『悪いこと』が起きた気がしてならなかった。
「帝都襲撃の際に、アダム様によって皇帝陛下のみが振るうことを許された魔剣を奪われました。また、この一件により親衛隊4名。帝都守備隊5名。守備兵244名。民間人が恐らく500人前後死亡。また、元老院の方々も8名が亡くなっています」
「それ、は……」
「そして」
オリビア卿が、感情を排した顔で続ける。
「カール・フォン・ストラトス様が、アダム様とグランドフリート侯爵のお二人と交戦。その結果……」
───死亡したものと、考えられます。
立っていられない。足から力が抜け落ちて、雪の上に両膝がぶつかる。
今生の父親が、死んだという報告。
それはあまりにも突然に、覚悟する間もなくやってきた。
雪を乗せた風が、強まる。誰かが、自分に何かを言った気がした。誰かが、自分の肩を揺らしている気がした。
だがびゅうびゅうという風の音だけが、鼓膜を震わせた。
読んでいただきありがとうございます。
感想、評価、ブックマーク。励みになっております。どうか今後ともよろしくお願いいたします。
申し訳ありませんが、体調不良の為明日の投稿を休ませていただきます。
皆様もどうか、風邪等にお気を付けください。




