324 灰から人間へ
宛がわれた五台のベッドを椅子代わりにして顔を突き合わせる。
治癒のために他者の魔力を注がれたあとはしばらく横になって安静にしておく。っていうのが治癒術を受ける際の鉄則なんだけど、大怪我を治してもらったわけでもない私たちは治癒を受けても卒倒するようなこともなく、疲労こそあってもそれ以上に「例の件」で気が昂っているせいもあって休むどころの心情にはない。
何より明日の十一時までには皆して結論を出さなきゃいけない緊急のことでもある。気遣ってくれたゴドリスさんやバロッサさんにはちょいと申し訳ないけど、誰にも聞かれずに話し合える機会ができたんだからそれを利用しない手はなかった。
「まずは認識の擦り合わせからですね」
女神から教えられた新情報の数と内容が一致するものなのかを確かめないことには相談もできない、とコマレちゃんが言うので、それももっともだと頷いた私たちはそれぞれ思いつく限りに話題を挙げていく。
魔王期の始まり、魔王と勇者システムの推移、初代魔王と最後の魔王という特異点、それが生まれた理由。そこから転じて私たちという作られたイレギュラーと、その役目がまだ終わっていないこと。世界の仕組みから起こる回避しようのない「大きな波」──第五大陸の強魔物たちという新たな脅威との戦いが、この先に起こる。それをどうにかしないと人類は結局壊滅の運命を十中八九辿ることになる。が、私たちがどうにかすると決めれば逆に十中八九その運命を変えられる。
そのためには「ご褒美」として帰還ではなく二度目の祝福を求め、私たちは勇者でなく、人間ですらもなく、灰という神のしもべにならなくてはならない。
ここでそんなことはご免だと帰還を選べばこっちの世界での経験は女神のことも含めて全部まるっと忘れる。やってやろうじゃないかと残留を選べばまた生死を賭けた戦いに身を投じた上に、灰としてその先も生きていかなきゃならない。第五大陸さえなんとかできれば今度こそ元の世界には戻してもらえるっぽいけど、戻ったところで女神のしもべになったままだし、人間でもなくなったままと。
普通に性格にも生活にも支障が出まくりそうで困った話だよね。
「確かに困りますが……難しくはあっても灰から人間への降格も決して不可能ではない。前例のあるケースだとも女神は語っていました。場合によっては波の収束後にスムーズに人に戻れもするだろうと。どういった場合にそれが可能になるかについてまでは管理者のみが知るべき条項のためにコマレには明かせないとのことでしたが……」
「あ、ただの人間に戻れもするんだ? そこは質問し忘れてた気がするな」
灰から卒業できる方法が存在しているっていうのは、それがどんなに難しい条件付きだったとしても一応は朗報だ。ないよりはあったほうが絶対にいい。でも「どうやって」っていう部分が女神しか知り得ないってのと、この口振りからして私たちが戻れる可能性はおそらく低い。少なくともすんなりと上手くいくってことはほぼ確実になさそうだってのが気になる部分ではある。
もしも人に戻れた上で元の世界に記憶を持ったまま帰れたなら、それが一番嬉しいっていうか私の求める形なんだけど。果たしてそれが叶う未来はあるんだろうか……。
「灰になることの弊害は、大きそうだった。思考が変わるということは人格が変わるのに等しい」
「見た目は同じでもまったくの別人になっちゃうようなもの、ってことかなぁ?」
「それは……す、すごく怖いです」
カザリちゃんとナゴミちゃんの言葉にシズキちゃんは自分で自分を抱きしめるようにして、ベッドの上で蹲るように下を向く。怖がる気持ちはよくわかる。私だって今の自分が消えてまったくの別人格にこの体が乗っ取られているところを想像したら震えがくるもの。
まあそれは厳密には乗っ取りじゃなく変化であって、変化した私だって私自身であることに変わりはないんだろうけど。でもそんなのは女神が言う理屈でしかなくて、実際に変化させられる私たちからすれば今ある意識ってものが奪われるのと同じ。そういう考え方をしちゃうくらいには、「灰への昇格」に対して恐怖やリスクを感じさせられているってことだ。
女神ならそこをうまい具合に言うべきことと言わないでいいことを選択して私たちを騙すともなく騙せただろうから、こうやって恐怖を感じているってことはイコールで「ちゃんと説明してくれた」ってことでもあるんだけど……そこを差し引いてもやっぱり信用はできないし、信頼はもっとできない。嘘をつかないという一点だけでこの身を完全に委ねてしまうには女神はあまりにも上位者過ぎる。人の目線が、なさすぎる。わかりあえることはきっとないんだと思わされる。
対話によって元々持っていた不信感と敵対心こそだいぶ薄れたけど、その代わりに理解に遠い存在だってことはかえって強く確信させられた。だからこそ、そんな相手に「近しくなる」。その手となって働くっていうのがどういう事態を招くのかといっそうに危惧も抱くってもので。そのことへの不安の打ち明けも交えながら各々の情報を精査していって、やがて互いの理解度に差はないと結論付けられたところでコマレちゃんが「こほん」と癖の空咳をひとつ打ち。
「では、現時点で希望しているのが帰還と残留のどちらなのか、明かし合いましょう」
まるで議会の決を採る議長のように彼女は私たちを見回しながらそう言った。うむ、話がどういう方向へ向かっていくか……今から二十四時間後、いやもう二十一時間後くらいか。そのときに下す最終的な決断がどうなるにせよ、とりあえず今のところの考えを各々が示すのは大事だろう。それによって話し合う中身も変わっていくだろうしね。
と言っても、たった今人間をやめることに対する恐怖をたっぷり語り合ったところだ。そうじゃなくても戦い続けるってのは酷なことだし、たとえ記憶が消されるにしたって帰還を望むほうが自然だ。女神が言っていた通り忘れることでのメリットだってあるんだし……どう考えてもここは帰還派が多数になるに違いない。
だけど私は──やっぱりまだ、帰れない。
この世界での出会いも経験も、全部なかったことになるなんて嫌だ。それにこれからまたとんでもない戦いが起こるとわかっているのにそれを見ないふりだってできない。したくない。
だからってまた命懸けで、しかも人間じゃないものにまでなるなんて我ながら馬鹿げたことだとは思うけど。でも、皆と一緒にこの手で勝ち取った平和なんだ。それが好き放題荒らされちゃ腹が立つってもんだしさ。元の世界の友人たちや家族との再会は、残念だけどもう少し先延ばしにするしかない。
──四人が四人とも帰還を望み、残留派が私だけだったとしても。それでも私はこの世界に残る。そして、戦う。話し合うまでもなく実はもうそう決めていたんだ。……それを選ぶことを、女神はとっくに見抜いていたみたいだけどね。
「それでは帰還希望の方、わかりやすく手を上げてもらっていいですか」
コマレちゃんが静かな口調で挙手を促す。私はもちろん手を下ろしたままに誰が帰還派かを確かめるべく視線をやる──けれど。
あ、あれ? 見間違いかな。誰の手も上がっていない。これじゃ誰も帰ろうとしていなくて、皆が揃って残留派だってことになるけど。いやまさかそんな。
「では、残留希望。この世界のためにまだ戦おうという方、手を上に」
はい、と。溌剌としたナゴミちゃんを筆頭に皆が手だけじゃなくて声も上げて、それに賛同の意思を示した。
五人全員が、戦う意志を示したのだ。




