【最終話】最果ての地の向こう側
草の葉が薫る夏がやってきたラークシュタインの首都、ガーラシア。
ジリジリと強い夏の日差しは、一瞬、大きな雲に隠れて弱まったかと思うと、また太陽が顔を出して、地表に陽光を降り注ぐ。
ガーラシアの郊外にある試験農園。
ビート馬鈴薯の葉が生い茂り、もう暫くすれば収穫の季節になるだろう。
シンディは、畑の真ん中で絵のモデルをしている。描いているのはもちろんスペンサーだ。
シンディとスペンサーとクラウディア、平和を取り戻したこの国で三人が一緒に会うのは久しぶりのことだった。
「左手で絵を描くのは、やっぱり難しいね」
などと言っていても、器用な手先で、細やかに描いているのが、モデルをとして椅子に座っていても十分に分かった。
スペンサーの側で絵を覗き込むのはクラウディア。聖戦の後、二人は正式に結婚して、今は王妃となっていた。
「シンディさん、ちょっと……動かないで……もう少しで終わるから……『救国の女神』の絵を描くと思うと、緊張するね」
とスペンサーは言うが、シンディはずっと同じ姿勢で座っていて、少し疲れて来た。
「ああ、もう無理です!スペンサー国王陛下、やっぱり私は、絵のモデルは出来ないです!モデルさんって、ほんと我慢強いのね……」
と言って、椅子から立ち上がった。
あの聖戦の後の国家の動きは、目まぐるしかった。
イェルハルドの軍艦はその後、程なくして沈没。ピョートルの戦艦とライディーンの私掠船に乗っていた味方の兵士も、多数の死傷者が出た。
両艦とも多大な損害を受けていたが、かろうじて航行は可能だった。
二隻の船はガーラシアの港に辿り着き、スペンサーは凱旋帰国した。皮肉なことに、完成したばかりの凱旋門は、スペンサーの凱旋のために使われたようなものだった。
多くの民衆、貴族は遺書王令を高く掲げて凱旋するスペンサーを大歓迎した。
誰もがイェルハルドの統治に、不満があったのだ。
スペンサーが王位に就いた後、デガッサ伯爵家が反乱を起こしたが、もはやデガッサ一族に味方するものはなく、あっという間に鎮圧され、デガッサ伯爵家の一族は戦死、もしくは自害した。
数ヶ月前まで重苦しい雰囲気だったここガーラシアには、笑顔と活気が戻って来たのだった。
スペンサーがどんな風に自分を描いたのか気になるシンディは、スペンサーの近くに駆け寄って、キャンバスを覗き込んだ。
シンディは驚いた。
ポーズや風景はそのままだが、座っているのは自分ではなく、スペンサーがかつて描いた絵、あのアイリスの絵にそっくりだったからだ。
「スペンサー国王陛下……悪い冗談はやめて下さい。これ、私じゃなくて、アイリスお姉さまじゃないですか?!」
そう言ってシンディは少し膨れっ面をする。
「いや、シンディさん、見たまま、君の姿を描いたんだ。君は、アイリス義姉さんにそっくりになったんだよ。自分では、気が付かなかったのかな?」
「え……!?」
「宿してるんだろ?ピョートルの子供を」
「国王陛下……なぜご存知なんですか?」
「だって、シンディさん、明らかに表情が違うもの。母親になろうとする者の顔になってるよ」
「全く……国王陛下は何もかもお見通しなんですね。はい、シンディ・カレンベルクのお腹の中には、あの人の赤ちゃんがいます!」
「へへ。実は最初にもしかしてって思ったのは、私が先だったんだけどね!」
と誇らしげに言うのはクラウディア。
シンディは、お腹に手を当てて、
「ひとりぼっちになっちゃうのかなって思ってたら、あの人の赤ちゃんが、お腹の中に入って来て……なかなか独り身を謳歌したり出来ませんね!」
そう言って微笑む。
つられてスペンサーとクラウディアも微笑んだ。
「シンディさん、それで……本当に行くのかい?最果て地の向こう側に」
とスペンサーがシンディに尋ねる。
ルーテシア西方の海の向こうから、ルーテシアに使者がやって来たのは、聖戦のすぐ後の頃だった。
最果ての地から遥か西の海の先に巨大な大陸があり、そこにはラークシュタインやルーテシアに勝るとも劣らない文明国家が存在し、その国の使者が交易を目的にやって来たのだった。
その返礼の使者として、シンディは名乗りをあげたのだった。
クラウディアが心配そうな顔をしながら、
「シンディ、海の旅はやっぱり危険を伴うし、お腹の中の赤ちゃんのことを考えたら、今行かなくても良いんじゃないかなって思うのだけど」
と言うと、シンディは、
「確かに危険なんだけど、海にいたら……海にいたら、海に眠るあの人が、私たちをずっと見守っていてくれるから……大丈夫かなって思ったの!」
満面の笑みでシンディはそう答える。
スペンサーがふぅ……と息をついてから、シンディに向かって話す。
「分かった。君の性格からして、反対しても行くだろうからね。君と、君のお腹の中にいる次期カレンベルク家当主が、この国に戻って来るまで、カレンベルク領は、僕がちゃんと管理しておくよ」
遠くから、ライディーンが大きな声でシンディを呼ぶ声が聞こえていた。
「シンディ、もうすぐ出発しないと船に間に合わないぞ!早く来いよ!」
シンディはスペンサーとクラウディアに軽く挨拶して、試験農園を後にした。
ガーラシアの港に着き、最果ての地の向こう側に向かう船に乗る。
船が出航し、ガーラシアの街が遠くなっていく。
波がザブンと船にぶつかっては響く音が心地よい。
最果ての地の向こう側には、一体何があるのだろう?
ただ一つ言えることは、この海にいる限り、あの人とずっと一緒だということだ。
強い風が吹き、髪がなびく。
最果ての地であの人に預けた髪、今はこうやって海風でなびいているのを、ちゃんと見ていてくれてるのかな?
そして私は、母になるのよ。海の底から、ずっとずっと、私たちを見守っていてね……。
空には何処までも続く青い空と、ぽっかりと浮かぶ白い雲。
【完】
「婚約破棄された悪役令嬢は最果ての地で復讐を誓う」はこれにて完結です。
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