第91話「本」と、未来を決意する者たち
答えはかなり近いところにあった。
ずばり隣の部屋だ。
召喚魔法陣のあった隣の部屋も窓を開けることができた。
そこは一種異様だった。
書棚にはちらほらと本があり、しゃれこうべがあり、奇妙な色の液体が入ったビンがいくつも置かれていた。
「――ミリア?」
彼女が手にしていたのは1冊の本だ。
40センチくらいありそうな、書店に行けば「大判」とかで売ってそうなサイズ。
さらに革で表紙が作られた、ごっついヤツ。
「ミリア、もしかしてそれが……」
「…………」
ぎゅっ、と抱きしめてミリアはうなずいた。目的のものが見つかったようだ。
「よし、そうとなったら早めに逃げよう――」
言いかけたときだ。
廊下を足音が伝わってくる。
逃げないと――と思う間もなかった。
音や気配に、俺は鈍感になっていたんだ。ダンジョンにずっといたから。ダンジョンならどこにどんな生き物がいるのかわかる。それになにかあっても迷宮魔法ですぐに逃げられる。
慢心だ。
ドアが開いて、剣を手にした男が2人、雪崩れ込んでくる。
「空き巣か!」
「いい度胸してんじゃねえかよ!!」
兵士ではない。冒険者――いや、チンピラと言ったほうがいいか?
刃渡り40センチほどのデカめのナイフを手にしており、入口に近かったミリアへ迫ると、切っ先を突きつけた。
「はっ。たまたま窓が開いてるのが見えたと思ったら……珍しい。魔族かよ?」
「お仲間を探しに来たか? 残念だがここには誰もいねえ」
「しかしなんだその格好は。どこぞの貴族……の真似をしてる盗人か?」
「そうみてえだな」
どうしよう。
身体が熱くなる。
ミリアも身体をすくめて動けなくなっている。
俺だって武器も持ってない。
「……ふぅん。魔族の女にしちゃよくできた身体じゃねえか。これなら買い手もつくんじゃないか?」
「確かに。男は邪魔だがな」
じろじろとミリアを値踏みするような視線。
ミリアの顔がどんどん青ざめ、小刻みに震えている。
どうする。
俺に今、なにができる?
迷宮魔法を失った迷宮主に、なにが……。
「――おいお前、逃げる気か?」
俺が視線を窓に向けたとき、チンピラが言った。
「…………」
「ゆ、ユウ、まさか……」
俺から窓までの距離は2メートル。
チンピラから俺までの距離は10メートル近くある。
そうか――。
「ぎゃははは! いいね、そうだよ、仲間は見捨ててなんぼだよな? こそ泥はよお!」
「構わんぜ。女を残していくんなら。カバンもなし、ポケットもふくらんでねえようだし――盗みはまだできてないってところだろうからな」
きっちり盗んだあとなんだけど、たぶん、こいつらはこの屋敷になにがあるのかちゃんと把握できていないのだろう。
まあ、それはそれ。
俺が窓ににじり寄るのを見て、チンピラはミリアのほうへと集中する。
「……悪いな、ミリア」
「ユウ!」
俺が窓を開く。
ミリアの表情が絶望にゆがむ。
「じゃ――」
俺は宙に身を躍らせ――。
「っぐ!?」
空中で反発され、室内に吹っ飛んだ。
俺の身体は高速で室内に飛来し、ミリアのそばにいたチンピラ2名を吹っ飛ばす。
棚が倒れてミリアが叫び声を上げる。
迷宮魔法が使えない迷宮主でも、迷宮の法則に縛られる。迷宮を出ようとしたら強制的に迷宮に放り込まれてしまうのだ。
俺の身体なんて易々と吹っ飛ぶくらいの勢いで。
迷宮主専用カミカゼアタックでチンピラふたりはうめき声とともに寝そべっている。
棚から落ちた本や石ころやらが散乱している。
俺は俺で、身体中がバキバキに痛かった。
「み、ミリア……だ、大丈夫、か……」
「ユウ!? い、今なにが――」
「それはあと……に、逃げ、逃げる、逃げるぞ……」
「あっ」
ミリアが駈け寄ってきて俺を抱き起こす。
「いでぇぇっ!?」
「ご、ごめん!」
身体中に打ち身ができたみたいに痛い。泣きそうだ。帰って香世ちゃんに癒やしてもらわなきゃ。絶対にだ。
「――でも、おいらだって痛かった……」
「どこか、打ったか……?」
「ユウに裏切られたと思ったんだからなっ!!」
それはほんとすまん。
でも俺が迷宮主なのは知ってるんだから、家から出られないことくらい思いついて欲しいんですがそれは。
まあ、ミリアだもんな。
俺とミリアが屋敷を出たところで、チンピラのようにボロ屋敷の異変に気づいたのか、貴族らしい男と取り巻き5人ほどが現れた。
だけどこちらのほうが早い。というか迷宮同盟の範囲外に出たらすごいんですよ、迷宮主は。主に逃げ足に関して。
連中が走り出すよりも前に地中に潜り込む。
地上に設置したものをすべて片づけて地面を元通りに戻した。
掘り返されると厄介なので、屋敷から離れてしばらくするところまで空間復元しながら元に戻していった。
ホークヒルに戻ると香世ちゃんはちょうど仮眠、というか昼寝から起きてきたところだった。
寝ぼけた香世ちゃんも可愛かったけど、こちらの事情を話すとすぐにしゃっきりして回復魔法を使ってくれた。
ホークヒル内は閑散としていた。だけど間もなくみんな帰ってくるだろう。
すでにリオネル率いる骨部隊が戻ってきているからだ。10体程度欠けている。
「ボス、あのぅ……ちょちょいと魔力を注ぎ込んでぱぱっと復活させていただけますぅ?」
「なに気持ち悪い言い方してんだよ」
リオネルがその10体分のしゃれこうべを持ってきたので俺はちょちょいと魔力を注ぎ込んでぱぱっと復活させてやった。ハイタッチして喜んでる。こいつらいちいちノリが軽い。スケルトンだし中身がないんだろうけど(唐突なギャグ)。
市場広場とかいうところで腐竜に攻撃をされたらしい。まあ、なんかすごいやつみたいだけど俺にはよくわからん。俺からみたらたいていのモンスターが恐怖の対象だからな。
「ボス……今回は勝手な真似をして申し訳ありません」
「別にいいよ。――守りたかったんだろ、自分たちの街を?」
復活したばかりの10体が腰を深々と折って礼をした。
「それより今夜の試合、予定通りにやるからな。準備しとけ」
「あれ? やるんですかね? 街の中結構大変なことになってますよ?」
「こういうときこそやるんだよ。スポーツってのは人を楽しませ、人を勇気づけるもんだ。大変なとき、つらいときこそ見た方がいい」
「……わかりました」
リオネルたちはもう一度深々と礼をすると、去っていった。
「…………」
俺はリオネルに言わなかったことがひとつだけあった。
実はリオネルが俺のところにやってきたとき、カヨちゃんが妙なことを言ったんだ。
《知性スケルトン「進化」の条件を満たしました。聖竜騎士スケルトンへと進化ができます》
飛躍しすぎィ!
なんだよリオネル! なんかカッコイイやつ来てんじゃん!
ダメだ。リオネルばっかりカッコよくなるのなんてダメだ。俺なんて中級迷宮主のまま我慢してるんだからな!
俺は自分のワガママでリオネルの進化を止めることにした。まあ、進化させたりしたらしゃれこうべサッカーにも影響出そうな気がするし、リオネル自身も進化したがらないかもしれないけど。
「――ユウ」
迷宮司令室で香世ちゃんとお茶をしていた。
フードコートのオープンからあれこれ、いろんなことがありすぎたからな。その説明も兼ねて、である。
そこへミリアがやってきた。手には例の「本」を持っている。
ホークヒルに戻ってからミリアはひとりにしておいた。「本」を読む時間も必要だろうし、ひとりになりたいかなあと。
「これ、なんだけど……おいらには読めなくて」
「は?」
ミリアが言ったのは意外なことだった。
「読めない……ってそれ、お前の本なんじゃないの?」
「……確かにおいらが持っていた本なんだけど……」
「?」
自分の本が読めない。読めない本を持っていた?
うーん、ワケがわからん。
でも埒が明かないな。
「貸して」
俺はミリアから本を受け取った。
ふむ……やっぱりな、俺は読めるようだ。かなり特殊っぽい言語だけど、フェゴールのジイさんのおかげだな。
「…………」
「ユウ? どうしたの? 読めない?」
「……ミリア」
さっと目を通して、俺はこの内容がなんなのかわかった。
俺が日本にいたころは必要としなかったもの。
「これは、お前が生まれてからのことを記録した……日記とか、母子手帳みたいなものだ」
——0歳:今朝、ようやく生まれた娘。名前はおばあさまとも相談して「ミリア」と名付けました。
(中略)
——0歳:おっぱいをあまり飲んでくれない。夫が横で食べているナッツを食べたがっています。ひょっとしたらこの子は、将来酒飲みになるのでしょうか?
(中略)
——1歳:1年後の診断も問題なく終わりました。風邪をひく頻度が高いようです。お医者様にも言われました。私たちの可愛いミリア。とても心配です。夫は「子どもは風邪をひくもの」とか言っていますが。
(中略)
——2歳:夫の言ったとおりでした。だんだん風邪をひかなくなり、夫が熱を出して寝込んでいてもミリアは元気です。家の中を走り回って男の子のようです。
(中略)
——3歳:魔王様の意向で、対立する他の魔王を討伐するべく私も、夫も出陣することになりました。ミリアと離れるのがとてもつらいです。きっと帰ってくるからね、と私が言うと、待ってるからねとミリアも言いました。ミリアはおばあさまに預けることとなりました。
そこで、記述は終わっている。
「……最後に、お前のお母さんのサインがあるよ。『愛するミリアと、新米母親レイサリアの記録』……」
俺はそれ以上は口を開かなかった。
「…………うっ、うぐ……」
座ったミリアは、膝の上でスカートを握りしめて——泣いていた。顔を涙でめちゃめちゃにして。
香世ちゃんが、なぐさめようと手を伸ばしたので俺はそれを止めた。今、ミリアがどう思っているか……両親に愛されていたこと。おそらく両親が死んでしまっていること。そんな両親の記憶が自分にないこと。
いろんな思いでぐちゃぐちゃになっているはずだ。
ひとりで泣かせてやったほうがいい。
俺は香世ちゃんとともに「ヒルズ・レストラン」へとやってきた。ディタールやソフィが炊き出しから戻ってきたところで、お茶を煎れてくれる。
街の様子を聞くと、みんなちゃんとご飯を食べてくれたし、ショックを受けている人はもちろんいたけれども前向きにがんばれるのではないか——ということだった。だったらよかった。
「鷹岡さん、街の被害は相当なものなんでしょうか?」
「ん……そうだね。亡くなっている人もいるし。なにより治安が犯されたというのが大きいと思う」
街中にいきなりモンスターが出てきたら、まあ不安になるよな。
「…………」
香世ちゃんは少しの間考え込むように黙っている。俺は横でお茶を飲んだ。
「……鷹岡さん。わたし、前に言いましたよね。日本に帰りたい、って……」
「うん」
「でも今は……ちょっと考え方が違うんです。日本が懐かしいし、お父さんもお母さんも日本にいますけど……前ほど、こっちの世界での生活に不安がなくなりました。とはいってもほとんど全部、鷹岡さんのおかげなんですけど」
「いやいや、俺なんてたいしたことしてないよ。香世ちゃんが努力してるから。言葉の問題も解決できそうだし。ほんと香世ちゃんはすごいよ」
「わたしのがんばりなんて小さいものですよ。——それはともかく、わたし、日本に帰る方法がないとわかってもきっと、絶望しないで済むんじゃないかなって思うんです」
「……うん」
それがいいことなのか、悪いのか、正直わからなかった。
香世ちゃんはこの世界に慣れてきたんだろう。そして少しずつ日本を忘れている。
「でも日本に帰る……あるいは日本と通信できる方法を探します」
おや? なんか風向きが変わったな。
「どういうこと?」
「——フードコートです。日本の文化をこっちに持ち込むというのをわたしも考えたことがありました。でもそれって、カレーが食べたいからこっちの世界でもカレーを作れるようにしよう、とか、トランプとかの娯楽を作ろう、とか、自分のためのものなんですよ。自分が必要だから作る、っていうか……。でも鷹岡さんの発想は全然違いました。『誰も経験したことがなかったような新しい「文化」』を作るために日本での知識を種にしているんですよね」
「あ、うん、はい」
そんなにたいそうなことをしたつもりはないんだが……。
「だからです。日本と通信できれば……いえ、アメリカでも他の国でもいいんです。地球での流行を追う方法があれば、きっとこっちの世界の役に立ちます」
香世ちゃんの目がきらきらしている。
デザイナーとして、やりたいことが見つかったからかもしれない。
「……そうだね。それじゃあ、仕事しながらそっちも探してみようか。週に1日か2日は異世界をつなぐ方法を探す、と。週休2日制をちゃんと取り入れないと、俺たちワーカホリックになりそうだったからちょうどいいかもしれない」
「そうですね、ふふふ——あ」
「ん? まだなにかある?」
「……お仕事ではずっといっしょでしたけど、休日も鷹岡さんといっしょにいられますね」
頬を染めた香世ちゃんはそう言うと、
「じゃ、じゃあ、わたし、ちょっと外行ってきますね! 街の様子も気になるので!」
「あ——あ、はい」
ぱたぱたと出て行った。
「……今の、って……どういうこと?」
自意識過剰になりそうな自分を抑えられない。いや、あのさ、だってさ、どう考えても——「ずっといっしょにいられてうれしい」ってことだよな?
でも、香世ちゃんが?
こっちの世界で俺が世話を焼いているから、肉親みたいに思ってるとか?
「先生、ただいま戻りました。街の様子ですが——うわあ!?」
それからしばらくしてやってきたルーカスに、頭を抱えて床をごろごろしている俺は発見された。
「どど、どうしましたか!?」
「…………香世ちゃんも、腹をくくったってことだよな」
「はい?」
俺の言葉が、ルーカスに向かって言った「誰も経験したことがなかったような新しい『文化』」を創出するとかいう戯言が——香世ちゃんの背中を押したんだ。
「俺も腹をくくらなきゃな……」
「先生?」
決めた。
俺は、上級迷宮主になる。
これにて本編終了です。あとはエピローグがあります。
※※申し訳ありません、68話のミリアの「夢」の内容と食い違うというご指摘を受けました。そのとおりでした。完全に私の記憶から抜け落ちて今した……。
なので、68話の内容を、もっと具体性をなくした形に変更いたしました。
今回の内容は変更ありません。
****以下、変更後の内容****
——ダメだよ、ミリア……どうしてそんな魔法に手を出そうと——
平気だよ。
——アンタがそんなことをしたら、アンタのお母さんは悲しむよ——
でもこれで、母ちゃんを探せるかもしれないんだ!
——でも危険だってあるじゃないか、アンタが、召喚されてしまうかも——
「————ぶはっ、はっ、はぁっ、はっ、はっ……」
ベッドに身を起こしたミリアは、全身に冷たい汗をかいていた。
自分の身体をぎゅうと抱きしめるようにする。
ガラスをはめ込まれた窓の外は、白々と明るくなり始めている。ミリアは膝に自分の額を埋めた。
「……昔の、夢……? おいら、なんか……焦ってた……それで失敗して…………」
特級冒険者アルスと対峙しているときの、ユウが身に纏っていた緊張感を思い返す。
ユウは最大限、アルスに対して警戒している。
「……もう、失敗したくない……」
ミリアの指が膝に食い込んでいた。




