第八章 其の二
先に怒鳴りつけたのは、床に立ったままの魔王だった。
「フォルズス、あれはどういうことだ! おまえはユシリスを殺す気だったのか。俺はともかくユシリスはおまえの血を分けた弟だろう!」
一段高いところにいるために尊大に見えるフォルズスがゆっくりと答えた。
「戦に口を出し損害を与えたのはおまえの方だ。私はユシリスに十分な兵を与えた。蛮族相手になど、それで十分だ」
「いつまで馬鹿なことを言っている。そんな風だから毎年ヘルベベスに悩まされているゾブルス伯が俺の側に着きたいと言ってきたんだ。
だいたい首都は今、脅かされてなどいないというのに、首都に一万もの兵士をおいて、自分はのうのうと都にふんぞり返っていたそうじゃないか」
フォルズスは傲慢な表情を崩さなかった。
「首都は大事だ。南のジェッキオに対しても守りを置かなければならない。蛮族なんぞに兵力をさく必要はなかったのだ」
「だからおまえは馬鹿だと言うんだ。
今、ジェッキオは攻めてこない。海賊の襲撃に手を焼いていてバルラスどころではない。そんなことも調べずにヤルヌス将軍を南に向かわせるとは。
それにハルシアと相互不可侵条約を更新したことを俺が知らないとでも思っているのか。
だったらいったい、誰が首都を襲うというのだ。民衆の反乱でも恐れているのか。まあ、恐れるべきだろうな、こんな悪政を敷いていたのでは」
だん、と足を踏みならして顔を真っ赤にしたフォルズスが玉座から立ち上がった。
「言わせておけば・・・どこまで不遜なのだ、おまえという奴は! 父上の葬式にも顔を出さなかったくせに、勝手に俺の国に干渉するな! 魔物なら魔物らしくどす黒い所にひっこんでおればよいのだ!」
隣の怪しい魔法使いが何事かフォルズスに囁き、フォルズスはまたどっしりと玉座に座った。
「ところで、おまえは魔剣を持っているとのこと。見せてみよ」
何か企んでいる、と、ハナでもピンとくる言い方でフォルズスは命じた。
「これはソリディオミロファロス家の家宝だ。おまえなんぞに見せる必要はない。それより、おまえこそ、得体の知れない剣を手に入れたそうじゃないか。本物かどうかわからないガラクタにいくら払ったんだ」
「なんだと!?」
思わずフォルズスは腰の剣を抜いて立ち上がった。
金色の柄の部分に、緑の石がはまった美しい剣だった。
「そんなに、俺の家宝が見たいか。仕方ないな」
魔王も腰に帯いた剣をすらりと抜いた。
数人があっと声を上げた。その剣は確かによく研がれているようだったが、刀身は金属の銀色ではなく、内部に血の色を含むように鈍い赤色に光っていた。
「おお、まさしく災いのシェンドリル」
グィドル派の魔法使いが舌なめずりをするように呟いた。
「禍々しい血を吸う度に赤くなってきたという邪悪の魔剣よ。ふふふ、まさに魔王と呼ぶ者にふさわしい・・・」
魔法使いは曲がった杖を掲げて、その萎びた体から想像もできないような大声で叫んだ。
「闇に生まれし者は闇に落ちよ闇に屈服せよ! 半端な生き方をせず、とことん闇に染まるがよい。
暗い深淵に取り込まれて本物の魔王となれ。それでこそ聖剣は力を発揮する。
リカルディの英雄グラヴェリオンがおまえの父、エルト最後の王ディウロスを倒したように」
「なに・・・?」
魔法使いは杖を、先ほどの『闇の手』に向けて大声で呪文らしきものを唱え始めた。
魔王は思わず剣を下ろして魔法使いに向かって叫んだ。
「愚かなことをするな! おまえは本物の闇の力を知らないのか!」
しゅうしゅうと、大きな、まるで水が漏れて流れるような、蛇のたてる音のような音が響きわたり、闇の手の上に暗い煙のように真っ黒な闇が現れた。闇はどんどん広がり、手の記号を越えて広がりだした。
「よくやった! ズィブノス」
フォルズスが勝ち誇ったように聖剣を掲げて魔王に迫ってきた。
魔王は何かに耐えているように剣を下ろしたまま闇から目を背けている。
まずい、とハナは心配した。
またベーチェット病の発作が出たら。しかも、こんなストレスフルな状況で。今度こそ、命が危なかったらどうしよう。
「彼女を離すな、タリミカ」
相変わらず闇から目をそらし、斜め下の床を見たまま魔王は命じた。
「かしこまりました」
後ろにいたタリミカが、ハナの肩を抱いて引き寄せた。
「よくぞ我を召還した、我が息子よ」
声というより、深い地の底から、うわんうわんと響くような音が声となって聞こえてきた。
「今こそ、求められた血を流すのだ。おまえの魔剣に災いの血を降り注げ。闇の王は新たな犠牲を求めておる」
「おまえは、俺の父ではない! 俺の父は・・・」
王は必死で抵抗するように、はっきりした声で応えた。
「おまえの父は闇の力を手に入れ魔王となった。肉体は滅びたが魂は我の一部となり我とともにある。その子であるおまえは我が息子だ。
おまえは、ちっぽけな貧しい小国だけで満足してはおらぬ。おまえはバルラスを手に入れヘルベベスを併合しジェッキオを手に入れたいのだ。
平気で何千人も殺してきたおまえだ。あと一歩踏み出すだけだ」
何千人も殺した、と言われて、ハナもどきりとした。
つい先日も、恐らく何人か、何十人か殺している。若い頃からずっと戦に次ぐ戦に出ていれば、そのぐらい、本当に殺しているのだろうか。
でも、魔王は本当は殺したくないと言っていた。
その言葉を信じたいけれど、どうしても、彼は本当は悪い人なのではという疑いが心を離れなかった。
「去れ! 俺は自分の欲望のために邪な力を求めない」
魔王の声は、あくまで澄んでいた。
フォルズスがグィドル派の魔法使いに向かって呟いた。
「やはり、この男、ここまで闇に身を落としていたのだな・・・。無欲を装っておきながら、バルラスだけでなく、ジェッキオ、ヘルベベスまで、本心では手に入れようとの野望を・・・」
魔法使いは、もうちょっとで獲物が手に入る蛇のような目で魔王を見つめながら、猫なで声でフォルズスに答えた。
「もう少しご辛抱ください、陛下。ギルティスが力を発揮するのは闇が最も暗くなったときなのですから」
闇の王の声がまたうわーんと響いた。
「能力のあるものがより多くの欲望を持つのは当然のこと。そして世界の全ては能力のあるものが支配するのが望ましい。
おまえの父には十分な能力がなかったがおまえは違う。おまえにはあふれる素晴らしい才能がある。
我が元に来るがよい。我が力を己のものとし、おまえの持てる能力を思う存分発揮せよ。
瀬戸際まで来てこちらに来ない状態が一番苦しい。あとほんの一歩踏み出すだけだ。そうすれば楽になる」
魔王の抵抗する力がだんだん弱ってきているように感じた。
今まで背けていた顔が、力なくぼうっと前を見ている。
「闇の王の犠牲はほんの僅かでよい。
おまえの妻、その女の生き血を捧げよ」
突然、はっと、魔王の目に力が戻った
「だめだ! 彼女は・・・。彼女は俺の人生には関係ない!」
その途端、しゅうしゅうとまた、音がして、煙か霧のようだった闇が集まって形を成してきた。
闇は、闇の王女の形に収束してきた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
読んでくださってありがとうございます。




