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第七話

「…ルシャード、お前は人がどんな醜態を見せたら幻滅する?」

「私は人に幻滅することなどありません。そもそも、人に何かを期待すること自体ありませんので」


 即座に返された返答に、アルマは不満の意を溜息に込めながら、手にした書類を放り椅子の背に身を預けた。


 分かっていた。分かってはいたがこのルシャード・フォン・ベルトラムという男、政務においては比類なき手腕を発揮するが私的な言葉のやり取りとなるとまるでお話にならない。


 だが悲しいかな、臣下に恵まれど心許せる友はないアルマにとって、相談を持ち掛ける相手となるとこの傲岸不遜と慇懃無礼の煮凝りのような男しか選択肢はないのである。


「ただ、そうですね…もし仮に救国の英雄と謳われる人物が誤字脱字にまみれた書類を平然と提出し、心ここにあらずといった態度で会議に臨み、あまつさえ陛下に虫の抜け殻などというゴミ同然の品を送りつけたとなれば、流石の私でも幻滅せざるを得ないでしょう。そんな男がいれば、の話ですが」


 …その英雄様を毎年自分の誕生日パーティーに招待しているのはどこのどいつだと言ってやりたくなったが、やめにした。この男の事だ、さもそれらしい言い訳を並べ立てるに違いない。あれは以前ベルトラム家の侍従騎士として仕えていた男であるから、立場上招かぬ訳にはいかぬのだとか、そんな事を。


 去年などくだらぬ用事を理由にパーティーへの出席を断られた結果半月ばかり不貞腐れていたというのに、昔から口だけは達者なのだ。


「何か仰りたい事があるようですが」

「いや、別に」


 だがルシャードの言葉も一理ある。確かに幻滅──失望と呼び変えてもいい──それは孤立した感情ではない。期待と表裏一体の関係にあるのだ。


 期待。己がシグナスに望むこと。アルマは眉間に皺を寄せながら、シグナスの姿を思い浮かべる。


 そもそもアルマは己の結婚相手に何一つ期待など抱いていなかった。自分や家臣に無礼を働かなければ、それでよいと。その点シグナスは何ら申し分のない男であった。物腰は柔らかで人当たりもよく、家柄や才覚を鼻にかけることもない。


 いずれは政務の補佐を任せることになるだろうが、今は新しい環境に身を慣らす時間を与えてやりたかった。果たしてガルドの景色は、気質は、伝統はあの男の心に馴染むだろうか。今朝の様子からして、少なくともこの国の花々は大層お気に召したようだが。


 色とりどりの花に囲まれ穏やかに微笑むシグナスの姿を脳裏に浮かべ、アルマは思わず口元を緩めた。そうだ、何も特別な事は望まない。ただ、いつまでもこの身の傍らで、その美しい微笑みを絶やさずにいてくれるなら、それだけで──。


 ゴンッ!


「陛下!?」


 己の思考が何かとんでもなくまずい方向に向かっている気がして、アルマは反射的に机の天板へ頭を打ち付け待ったをかけた。流石は工房都市マイスター製の執務机である。こんな事ではびくともしない。


「急にどうなさいました?」

「ああいや、うん、少々眠気がしてな」

「はあ…」


 額の痛みが本能に警鐘を鳴らす。これ以上は危険だ。幻滅したい相手に向ける願望としては致命的に何かを間違えている、そんな気がする。


 深く考えるのはよそう。人間生きていれば自然と胸に期待を抱くものである。ルシャードのような冷血漢でもなければだ。


「侍女に眠気覚ましのコーヒーを持ってくるよう申し付けましょうか」

「…うむ、頭の中をまっさらにするくらい苦い奴を頼む」

「いつも通りミルクと砂糖をたっぷり加えたものでよろしいでしょう。結婚されたからといって無理に大人ぶった真似はなさらぬことです。公務の最中に頭の中をまっさらにされても困りますしね」


 くそ、馬鹿にしおって。そういうお前は二十八にもなって結婚どころか恋人一人おらぬくせに、父親面で説教とは大した厚かましさである。…だがまあ、それを疎ましいとは思わぬ自分がいることもまた確かであった。


「それにしても…ふっ」

「何だ。言いたいことがあるなら申してみよ」

「いえ。ただシグナス殿に幻滅されぬよう心掛ける姿勢はご立派かと」

「はぁ!?」


 聞き捨てならぬルシャードの発言に抗議すべく、アルマは猛然と椅子から立ち上がる。


「おや、てっきり先程の質問は陛下がシグナス殿に見限られることを恐れ、不躾な態度を改めるべく私に助言を求められてのことかと思いましたが…」

「違う! 我の考えを好き勝手に代弁するでない!」

「ほう、そうでしたか。これは失礼をいたしました」


 ルシャードはそれきり口を閉ざしたが、レンズ越しにのぞく菫色の瞳は実に雄弁であった。呆れ、不満、抗議の色を隠そうともしないふてぶてしい視線を真っ向から跳ね返しながら、アルマもまた心中で異を唱える。


 ルシャードの奴め、この我が幻滅を恐れているだと? あやつに対して「不躾な態度」を取った覚えなど、一度も…。


 ……。


 …………。


 心当たりが多すぎる…!


 マズい。このままではどう楽観的に見積もってもアルマがシグナスに幻滅する前にこちらが幻滅されてしまう。それどころか、これまでの己の言動を振り返れば既に幻滅されていたとしても何らおかしくはないのだ。


 い、いや別に、よいではないか。あの男が内心アルマをどう思っていようが、少なくとも公の場ですげなく扱うような真似はすまい。表向きは国王たる妻を尊重し理想の夫婦として振舞うことだろう。であれば何の問題もない。ない、が…。


 ……。


 …………。


 ………………認めよう。確かに己はシグナスの幻滅を、失望を恐れている。だがそれはガルド王としての威信の問題であり、決して、万が一にもあの男の心が離れてゆくことに怯えている訳ではない。ないのだ。


「まあそう気に病まれる必要はございません。陛下と違いシグナス殿は心の広いお方ですから、陛下がいかに心無い言葉を口にしたところで子供の戯言と受け流していただけるかと」

「~~この減らず口がっ!」

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