朝
長い夢を見ていたような気がする。
けれど、目が覚めるころには、いつもその中身をほとんど忘れてしまう。
あたたかかったことだけは覚えている。
やわらかい光の中にいたこと。
どこか遠くで、ゆっくり何かが揺れていたこと。
それくらいだ。
私は目を開ける。
朝の光は、今日も同じように高いところから差していた。
白くて、少しぬるい光だ。
それが床に落ちて、細長い形をつくっている。
私はしばらく、その形を見ていた。
朝は、いつも少しだけ静かだ。
まだ向こう側の動物たちが少ないからかもしれない。
ここにいると、朝と昼では空気の重さが少し違うのが分かる。
朝の方が薄くて、耳をすませば、小さな音がよく通る。
水の音。
遠くの足音。
何かがこすれるような音。
それから、ときどき高い声。
私は体を起こして、前の方へ歩いていく。
歩くたびに、床の上で爪が小さく鳴る。
その音はもう聞き慣れていた。
朝の音のひとつだ。
前へ行くと、向こう側がよく見える。
透明な硬いものの向こうに、外の道がある。
その向こうを、いろいろな動物たちが通っていく。
まだ数は少ない。
朝が早いせいだろう。
けれど、まばらに現れるその姿を見ると、今日も一日が始まるのだと分かる。
最初に見えたのは、小さいのがふたつと、大きいのがひとつだった。
小さいのはよく跳ねる。
足を止めず、あちらこちらに顔を向けて、気になるものがあるたびに高い声を出す。
大きいのはそれをゆっくり追いかけていた。
ひとつの体にいろいろな色が巻きついていて、朝の光の中では少しやわらかく見える。
小さいののひとつが、こっちを見た。
そしてすぐ、大きいのの足にぴたりとくっつく。
私はそれを見て、少しだけおかしくなった。
そのしぐさは、いつ見ても似ている。
小さいのはすぐ群れるし、すぐ隠れる。
でも、嫌いではない。
私は前の方に座る。
この位置がいちばん見やすいのだ。
向こうの動物たちも、私に気づきやすい。
私も向こうの顔がよく分かる。
やがて、数が増えてくる。
ひとりで来るもの。
いくつか連なって来るもの。
よく鳴くもの。
静かなもの。
大きなもの。
妙に急いでいるもの。
皆、それぞれ違っていて見飽きない。
私は昔から、動くものを見るのが好きだった。
どうして好きなのかは分からない。
たぶん、向こうの動物たちは顔がよく変わるからだ。
目の開き方も、口の動きも、そのたびに違う。
何かを見つけた顔。
驚いた顔。
嬉しそうな顔。
つまらなそうな顔。
そういうものを見ていると、時間がゆっくり流れていく。
向こうの動物たちは、たいてい何かを身につけている。
薄い色のもの、濃い色のもの、やわらかそうなもの、角ばって見えるもの。
それは体の模様のようでもあるし、あとからくっつけた葉っぱみたいでもある。
どういう決まりなのかはよく分からない。
暑い日でも寒い日でも、だいたい皆そうしている。
不思議だけれど、そういう生きものなのだと思うことにしている。
中には、よく似た形をしたものがたくさんまとまって通ることもある。
同じ色。
同じくらいの大きさ。
同じような歩き方。
あれは群れなのだろう。
群れると、少しだけ騒がしくなる。
足音も声も増えて、ひとつの大きな生きものみたいに見えることがある。
そういう群れが来る日も嫌いではないけれど、私は静かな時間の方が好きだった。
少ない数が、ゆっくりこちらを見る時間。
目が合ってもすぐには逸らさないものがいる時間。
その方が、向こうの動物のことがよく分かる気がする。
私は朝のうちに、日なたの場所も見ておく。
光が気持ちよく落ちてくるところと、ひんやりした影のところがあって、その日の気分で選ぶ。
今日は明るいところより、少しだけ影の方が心地よかった。
夢のあたたかさがまだ体のどこかに残っていたからかもしれない。
背中を丸めて座っていると、また向こうにいくつかの姿が現れた。
今度は大きいのがふたつ。
そのあいだに、小さいのがひとつ。
小さいのは何かを指さしながら、何度もこちらを見ている。
口がよく動いていた。
向こうの声ははっきりとは聞こえない。
でも高く弾むときと、低く落ちるときがあるのは分かる。
私は少しだけ近づく。
向こうも立ち止まった。
小さいのがさらに前へ出ようとして、大きいののひとつに止められる。
それでもじっとこちらを見ていた。
私はその目を見返す。
丸い。
明るい。
よく動く。
向こうも、生きものを見るのが好きなのかもしれない。
そう思うと、少しだけ親しい感じがした。
見ているのはこちらだけではないのだと分かるからだ。
見られるのは、悪くない。
そのときの私は、まだそんなふうに思っていた。
日が上がるにつれて、向こうはだんだん賑やかになる。
朝だけの静かさは薄れていって、足音も、声も、増えていく。
それに合わせて、私も少しずつ目が覚めてくる。
いつもの一日。
いつもの場所。
いつものように、動物たちを見る時間。
何もおかしなことはない。
私はそう思っていた。
前の方の透明な硬いものには、ときどき向こうの色が映る。
空の色。
通りすぎる影。
動物たちの体の色。
それが重なって、こちら側が少しだけ揺れて見えることがある。
私はその揺れが好きだった。
向こうとこちらの境目が、ほんの少しだけやわらかくなる気がするからだ。
けれど、境目はいつもちゃんとある。
向こうは向こう。
こちらはこちら。
それが当たり前だった。
昼が近づくころ、私はいちばん前に寝そべって、あごを床につけた。
冷たい。
その冷たさが気持ちいい。
向こうでは、また別の群れが通っていく。
よく似た色をまとったものたちだ。
皆、同じくらいの大きさで、声もよく似ている。
まとまって現れて、まとまって遠ざかる。
その中のいくつかは、通りすがりにこちらへ顔を向けた。
そのたび私は、なんとなくちゃんとしていたくなる。
背を丸めすぎないようにしたり、前脚をきれいにそろえたり、顔を上げたりする。
どうしてそうしたくなるのかは分からない。
ただ、見られているときは、少しだけよい形でいたいと思うのだ。
昔からそうだった気がする。
向こうの動物たちは、皆、顔をよく変える。
でも私は、自分の顔がどう見えているのか知らない。
知る必要もあまり感じなかった。
私は向こうを見る側で、向こうが面白いからだ。
だから、自分のことを考えることは少ない。
朝の光が気持ちいいとか、床が冷たいとか、今日は眠気が少し残っているとか、その程度のことしか思わない。
夢のことも、昼になるころにはほとんど消えてしまう。
ただ、夢から覚めたあとの、ぼんやりした幸福感みたいなものだけが残る。
それは朝の光に似ていた。
少し白くて、少しぬるい。
私は目を細める。
向こうの道の先で、また何かが動いた。
大きくも小さくもない、ひとつの影。
歩き方が静かで、ほかのものより少しだけゆっくり見えた。
けれど、そのときはまだ気に留めなかった。
朝にはいろいろな動物が来る。
特別なものなど、まだ何もない。
ただ、今日もいつもの一日が始まっただけだった。
私はそう思って、また向こうを見た。




