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目撃者
対象は、俺を見た。
何か言おうとした。
言葉は最後まで出なかった。
俺は、仕事を終わらせた。
部屋の中は静かになった。
雨の音だけが、窓の外に残っていた。
俺は時間を見た。
予定より早い。
早いのはいい。
早い仕事は、余計なものを残しにくい。
俺は部屋を確認した。
扉。
窓。
床。
机の上。
玄関。
見えるところに、余計なものはなかった。
俺のものもない。
触れた場所も覚えている。
最後にもう一度、壁の絵が目に入った。
サナ
下手な花の絵だった。
ピンクと黄色で塗られている。
空は青ではなく、水色だった。
ミオも、前に似たような絵を描いたことがあった。
俺はそれ以上見なかった。
見ても変わらない。
変わらないものを見る時間は、仕事にはない。
鞄を持つ。
袖口を見る。
息を整える。
終わった。
そう判断した時だった。
背後で、小さな音がした。
水の落ちる音だった。
靴が床をこする音だった。
傘の先が、壁に触れる音だった。
目撃者がいる。
仕事は、まだ終わっていなかった。
残したものは、必ず戻ってくる。
だから俺は、残さない。
手の中の重さを確かめた。
いつも通り、息を吐いた。
それから、振り返った。
「お父さん?」




