プロローグ
笑え、と言われたことがある。
最初は、いつだったか覚えてない。
でも、何回も言われた。
泣くな、じゃなくて、笑え、だった。
泣くと面倒だからかもしれないし、見てて腹が立つからかもしれないし、ただ気持ち悪かったからかもしれない。理由はわからない。わからないけど、大人はそう言った。
笑え。
ほら。
気持ち悪い面してんな。
もっとだ。
そうやって言われて、叩かれて、また笑えって言われる。
最初はうまくできなかった。
口の端を上げても、すぐに戻った。目の奥が熱くなって、鼻の奥がつんとして、息が変になった。そうするとまた叩かれた。
下手くそだな。
その顔やめろ。
笑えって言ってんだろ。
だから何回もやった。
叩かれる前に笑う。
怒鳴られる前に笑う。
呼ばれた瞬間に笑う。
そうしてると、少しましな時があった。
少しだけだ。
殴られないこともあるし、一回で済むこともあるし、こっちを見て舌打ちするだけで終わることもある。
その少しだけのために、笑う。
だから今はもう、勝手にそうなる。
足音が聞こえると、喉の奥がきゅっとなって、その次には口が動く。おかしくなくても笑う。痛くても笑う。怖い時ほど、笑う。
俺の隣にいた小さいやつは、それができなかった。
昨日までいたやつだ。
夜、寒くて、腹が減って、ずっと小さく泣いていた。うるさいとは思わなかった。俺も昔はああだった気がするから。でも、そういうのは聞かれる。
朝になって、大人が扉を開けた。
冷たい空気が入ってきて、薄い光が床に落ちた。みんなが縮こまる。俺は笑った。
大人は中を見て、すぐにその小さいやつを見つけた。
「うるせえんだよ」
そう言って、髪を掴んで引っ張った。
小さいやつは泣いた。ごめんなさい、ごめんなさいって言ってた。何に謝ってるのかはわからなかった。たぶん、泣いたことにだと思う。でも泣いてる時点でもう遅い。
大人はそいつを外に引きずっていった。
俺は笑ってた。
見ないようにしようと思ったのに、目はそっちを見た。床に手をついて、体を折って、それでも笑ってた。笑ってないと、次に引っ張られるのが俺になる気がした。
外で鈍い音がした。
一回だけじゃなかった。
そのたびに、小さい声が短くなった。
最後には何も聞こえなくなった。
しばらくして、大人は戻ってきた。
「次泣いたらこうなる」
そう言って、こっちを見た。
俺は笑った。
ちゃんと笑った。
口の端を上げて、歯も見せた。頬が引きつっていても、たぶん前よりはうまかった。
大人は俺を見て、少しだけ気分よさそうな顔をした。
「それでいい」
その言葉を、俺はよく覚えてる。
それでいい。
泣かないで、笑ってる方がいい。
痛くても、怖くても、悲しくても、笑ってる方がいい。
そうすれば、少しましだ。
少しましなら、それでいい。
その日の昼、俺たちは移された。
ひとりずつ首の後ろを掴まれて、暗い小屋から外へ引っ張り出される。日がまぶしくて、目が痛かった。地面は乾いていて、土ぼこりが靴もない足に貼りついた。
前に、大きな馬車があった。
木でできた、汚い箱みたいなやつだ。
後ろの扉が開いていて、中は暗かった。藁が敷いてあるのが見えた。藁の上には、もう何人か詰め込まれていた。みんな小さくて、みんな汚れていて、みんな黙っていた。
「さっさと乗れ」
後ろから蹴られた。
俺はよろけて、馬車の縁に手をついた。ささくれが刺さって痛かった。
でも笑った。
振り向いたら、そこにいた大人と目が合った。
「何笑ってやがる」
そう言われて、頬をぶたれた。
それでも笑った。
もうその顔しかできなかった。
俺は馬車に押し込まれた。
中は狭くて、くさくて、暗かった。
扉が閉まる前、外の光が細く差し込んで、すぐに消えた。




