プロローグ
俺は取り繕うのが苦手だ。
たとえば笑うとか、やさしい声を出すとか、怖くないふりをするとか。そういうのが、どうにも上手くできない。黙っていれば目つきが悪いと言われそうだし、口を開けば牙が見える。近づけば怯えられるし、遠くから見ているだけでも、見つかった時には逃げられる。
だから俺は、たいてい森の中にいる。
木々のあいだは静かでいい。風の匂いも、土の湿り気も、獣の足音も、よくわかる。腹が減れば獲るものを獲ればいいし、眠くなれば好きな枝の影で眠ればいい。そうしていれば、誰かを怖がらせることもない。
けれど、ときどき森の外を見る。
村の方から、子どもの笑い声が聞こえる日がある。洗濯物が風に揺れて、夕方には煙が上がる。窓の明かりはやわらかくて、人間たちはみんな、当たり前みたいに誰かのそばにいる。
ああいうのを、いいと思う。
うまく言えない。ただ、あたたかそうだと思う。ひとりでいることに慣れていないわけじゃない。けれど、ひとりで生きることと、誰かのそばにいたいと思わないことは、たぶん違う。
昔から村では、遅くまで起きていると人狼に食われる、と子どもを脅すらしい。俺も何度か聞いたことがある。木の上から、窓の隙間から、母親が子どもにそう言うのを聞いた。
少しだけ、変な気分になる。
俺は人を食ったことはない。少なくとも、食いたいと思ったことは一度もない。けれど人間から見れば、そんなことはきっと関係ないのだろう。牙があって、爪があって、夜の森に棲んでいる。それだけで十分らしい。
それでも、たまに思う。
もしも一人くらい、ちゃんと見てくれる人間がいたなら。
牙じゃなく、爪じゃなく、噂でもなく、俺を見てくれる人間がいたなら。俺はたぶん、取り繕えないままで、その相手の前に立つのだと思う。
上手に笑えなくてもいい。言葉が少なくてもいい。怖がらせないように離れて歩いて、それでも少しずつ近づけたなら、それでいい。
そんなことを考えながら、今日も森の端まで来た。
陽の落ちかけた道の向こうを、小さな人影がひとつ歩いている。赤い頭巾でも花籠でもない、ただの村の娘だった。けれど、その横顔は不思議なくらいまっすぐで、俺はしばらく、その背中から目を離せなかった。




