隣の空白
昔は、誰かがいた。
たくさんじゃなくても、いた。
学生の頃、放課後に適当にコンビニへ寄る相手がいた。彼氏がいた時期もあった。職場で帰りに軽く飲もうと誘い合う相手もいた。家族だって、完全に途切れたわけじゃない。母はたまに連絡してくるし、私はちゃんと元気なふりをする。
だから、ずっとひとりだったわけじゃない。
なのに、いつの間にか隣が空いていた。
それに気づいたのは、本当にふとした瞬間だった。
昼休憩。駅前のカフェ。二人席の向かいに誰もいない。
休日。映画館の待合ベンチ。隣に置いたバッグだけがやけに大きく見える。
夜。ベッドの端。寄せた服の山が、人の形にもならない。
私は相変わらず、ちゃんとしていた。
店では笑うし、客には似合うと言う。忙しいと口にする。元気だよと返す。自撮りを上げる。整った暮らしを演出する。強い女の顔をする。
でも、誰もそこを踏み越えて来なくなった。
私がそうさせたのだと、分かっていた。
来る前に、全部塞いだからだ。
大丈夫と言って、平気と言って、忙しいと言って、余裕のある顔をして。私はずっと、自分の周りに綺麗な柵を作っていた。
触れにくくて、崩れにくくて、でも中に入る必要も感じさせない柵。
守っていたつもりだった。
損をしないために。
傷つかないために。
みっともなくならないために。
ある夜、私は部屋の真ん中に立っていた。灯りをつけたまま、何をするでもなく立っていた。
棚の上は綺麗だった。ブランドの箱も、香水瓶も、雑誌も、きちんと見える位置にある。
でも、それ以外はひどかった。
ベッドの上の服。
床の隅の紙袋。
開けっぱなしの引き出し。
流しの食器。
脱ぎっぱなしの靴。
私は急に、それを誰にも見せなくていいことに気づいた。
見せる相手が、いない。
その事実は、泣けるほど悲しいわけじゃなかった。
ただ、静かで、どうしようもなく、寒かった。
スマホが光る。
通知。知らない誰かのいいね。
私は画面を伏せた。
それから、綺麗に整えた棚の前に座り込み、膝を抱えた。
見えるところだけは、今もちゃんとしている。
なのに、ふとした時に、隣が空いている。




