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ワン・モア・ソング  作者: 杉本敬
22/41

それぞれの想い

 約束の土曜日。その日はめずらしく、爽やかな天気だった。湿度も高くなく、気温も昼間で30度に達していなかった。空には入道雲がポッカリと浮かび、真夏というよりも初夏というほうが似合っていた。


 健太は午前中、部屋の掃除や洗濯をすませて、ちょっとよそ行きの格好をして約束のホテルへ向かっていた。健太は待ち合わせがホテルなので、Tシャツにジーンズはあんまりだろうと思い、一度ライブで着たマスタード・カラーのシャツとライトベージュのパンツを久しぶりにひっぱりだした。


 今日は車じゃなく、天神まで電車で行き、そこからバスに乗ることにした。約束のホテルはこの頃海沿いの近くにできたリゾート・ホテルだった。

健太はバスの窓から、街の様子を眺めていた。天神は相変わらず賑わっていた。健太は久しぶりに天神に来たような気がしていた。

週末となればいつもバンドの練習がはいっていた。練習が終わると、だいたい淳之介たちと天神で食事をして帰るのだが、この頃はライブが近いので練習に熱がはいり、スタジオとアパートの往復といった感じだった。


 ホテルには20分後に着いた。

健太はホテルの前に立ち、見上げた。

〝でっけぇホテル!部屋代も高いだろうな。すげぇとこで待ち合わせしたもんだなぁ〟


 健太はロビーに入り、受付に向かった。

受付で沙也夏の名を言い、自分が来た旨を伝えてもらった。沙也夏は確かに部屋にいた。健太は受付で部屋の番号を聞いて、右側のエレベータの方へ歩いた。


 エレベータの中へ入り、最上階のボタンを押した。上にあがるにつれて胸の鼓動が高鳴るのを感じた。最上階へ着き、エレベータのドアが開いた。健太はエレベータを出て、目的の部屋を探した。あまりにも部屋の数が多かったので、探すのに手間取った。ようやく探すと一番奥の部屋だった。


 健太は部屋の前に立ち、大きく深呼吸した。そして、ドアを静かにノックした。

「はい」

部屋の中から返事があった。健太はたしかに沙也夏だと思った。ドアが開く気配がした。ドアが開き、そこには沙也夏がいた。


「やあ」

健太は沙也夏に笑顔で言った。

「こんにちは。ごめんなさいね、ロビーまで迎えに行かなくて。ちょっと行けないわけがあったものだから。さあ、どうぞ」

そう言うと沙也夏は健太を部屋に迎え入れた。健太はますます胸の鼓動が高くなった。健太は恐縮しながら部屋に入った。


 その部屋は入るとすぐ右手にユニット・バスがある。その奥には六畳ぐらいの洋室があって、奥はなんと十二畳程の寝室兼用の広い洋室になっていた。左手にはベッドとスタンド・テーブルがある。右手はなにもなくて、広い空間を演出している。その空間に白い丸いテーブルと椅子があった。その丸いテーブルの上には用意されていたかのようにグラスがふたつある。


 だが、なんといってもここで驚くのは大きい窓だ。突き当たりの壁全体が窓になっており、天窓までついてる。だから太陽の光がまっすぐに射し込むので、とても明るい。

沙也夏は健太に椅子に座るようにすすめた。健太は部屋の明るさに驚きながら、椅子に座った。


「あ、明るい部屋だね。外から見ると窓が大きいのはわかってたけど、こんなになってるとは思わなかった」

 健太は素直に感想を述べた。

「そうでしょう。私も部屋に入って驚いたの。それに広い部屋と言ってリザーブしたんだけど、こんなに広いとは思わなかったの。でも今日という日にはぴったりね」

「今日という日?」

「そう。今日という日」

沙也夏は笑みをたたえながら言った。


 今日の沙也夏はアイボリーのワンピース姿だった。そのアイボリーに明るい日ざしが溶け込んでいた。そのワンピースのスカートから伸びている小麦色の膝が健太の目にはまぶしかった。

「沙也夏さん。さっきから聞こうと思ってたんだけど、いったいどういうつもりでホテルに部屋なんかを・・・」

「今にわかるわよ。でも健太さんがここに来たということは、手紙を圭子さんからもらったわけよね」

「うん。たしかにもらった。すこし不安だった。ほんとにいるのかなと思って・・・」

「それは私も同じ。ほんとに来るのかなと思って。電話で連絡もなかったし、大丈夫とは思ったけど。でも、こういうのもいいわね。手紙でこういう待ち合わせするのも」


 健太には沙也夏がはしゃいでいるように見えた。

沙也夏は冷蔵庫からワインを持ってきた。そして、ワインを丸いテーブルの上に置いた。

「健太さん、ワインもいける口でしょ」

「うーん。いつもなら喜んで飲むんだけど。ライブ前はアルコールはやめてるんだ」

「そうだったの。ごめんなさい。知らなかったものだから」

「いや、別にあやまるほどのことではないよ。沙也夏さん、飲みたかったら、どうぞ」

「ひとりで飲んでも意味ないの。どうしてもダメ?」

沙也夏は健太をまっすぐ見て言った。

「ライブ前はいつもやめてるからなぁ。申し訳ないけど・・・」


 健太は妙なところで頑固である。女性からアルコールをすすめられることなどめったにない。それも今一番好きな女性からだ。

「じゃ、これを見たら飲む気になる?」

そう言うと沙也夏は立ち上がり、スタンド・テーブルへ歩いた。そして、スタンド・テーブルの椅子を引き、椅子を持って部屋の中央に置いた。さらに沙也夏は隣の洋室から黒い布をかぶせてある物を持ってきて、それを椅子に立て掛けた。


 その様子を健太は怪訝な顔で見ていた。

「それは?」

健太は黒い布をかぶせてある物を指差して言った。

沙也夏はそれには答えず、窓の上の方を眩しそうに見て椅子をすこし右に移動させた。それから窓を三分の一ほど開けた。心地いい涼風が部屋の中へ吹き込んできた。

沙也夏はクーラーのスイッチを切り椅子の側に立ち、健太をまっすぐに見た。


「健太さん。私、この前のスタジオの演奏を見て、健太さんのほんとうの姿を見た気がしたの。三回ぐらいしか逢ってないけど、健太さんは音楽を愛してるんだなと感じたわ。だから私も自分の今一番好きなものを健太さんに見てもらいたくなったの」

沙也夏はそう言うと、黒い布をゆっくりと取り除いていった。


 そして一枚の鮮やかな絵が姿を現した。

その絵は窓から射し込んでくる光に反射して、輝いてるように見えた。

健太はその絵を見て唖然とした。

「この絵は・・・。英人だ・・・よね」

「そう。これでしょ。いつか話してた絵は。タイトルは・・・」

「スピード・スターと過ごす正午」

「あ、知ってたの?」

「いや、絵を見たとたん、ふと思いだした」


〝スピード・スターと過ごす正午〟

 この絵は真っ赤なポルシェ356スピード・スターの停まっている後姿が美しい。右手にはリゾート風の建物があり、左手はエメラルドグリーンの海が広がっている。そして空は雲ひとつないブルーだ。

健太はじっと絵を見ていた。


 沙也夏は絵から離れ、テーブルに戻りワインをグラスに注いだ。ワインがグラスに充たされる音が静かに流れた。

「健太さん、美しきポルシェ・スリーフィフティーシックススピード・スターに乾杯!」

沙也夏はグラスを上にあげた。健太も何の抵抗もないようにグラスを取った。ふたつのグラスが軽やかな和音を奏でた。健太は自分で言ったことを忘れたかのようにグラスに口をつけた。

ふたりとも乾杯してから、一言も話していなかった。


健太は絵を見ながら、違和感を感じていた。

〝なにかが違う。この絵を見るのは初めてではないのに、前に見た時と違う格別の美しさがある。なんだろう・・・。そうか。わかった!光だ!太陽の光がこの絵の美しさを引きだしているんだ。このあいだ見たのは電気スタンドの光だった。だから違うんだ。この絵には自然の光がよく似合う。それにしてもスピード・スターの曲線が美しい。車の絵はどうしても直線的になりがちだが、これは曲線がはっきりと描かれている。ほんとうにきれいだ〟


 一方の沙也夏は健太と絵を交互に見ていた。

〝やはり、この部屋を選んだのは間違いではなかった。英人の絵には太陽が一番似合う。この人の絵をひとことで言うなら明るさだ。だから、夕方を描いた絵はあっても夜を描いたものはない。それと光の反射を好んで描く。この光の反射というのが絵の世界では一番難しいのではないだろうか?なぜなら、光の反射を表現しようとするなら、白を用いなければならない。画家が一番嫌う色だ〟

沙也夏はそう思いながら、健太の嬉しそうな表情に満足していた。


「健太さ・・・」

沙也夏は健太に絵の感想を聞こうと思い声をかけようとしたが、やめた。それは健太の目を見ればわかった。

〝歌ってる時と同じだわ。どこか遠くを見ている感じで、目が澄みわたっている。やはりエディが童話のことを話している時とそっくりだわ。こういう人とめぐり逢うとは思わなかったのに・・・。その人から告白されたのに、私はそれを断ろうとしている。でも、私には決まった男性がいるのだから・・・〟


 沙也夏は健太とは今日で最後にしようと思っていた。

だからこそ、自分の好きな絵の素晴らしさを健太に知ってほしかった。だが、最後の最後に迷いがあるのも事実だった。沙也夏は絵に目を戻し、健太が口を開くまで自分は黙っていようと思った。

窓から吹き込んでくる風が健太と沙也夏の頬をなで、時間がゆっくりと流れていった。


 しばらくして、健太はやっと口を開いた。

「この絵を見てると、まるで自分が絵の風景に溶け込んでいくようだね」

「なにか詞は浮かんだ?」

沙也夏は絵から目を離さずに尋ねた。

「詞というよりストーリーだね。ストーリーといっても、平凡なものだけど。でもこの絵には平凡が一番似合う気がする」

「聞かせて」


「うん。昼下がり、真っ赤なTシャツを着た彼女がガレージで待っていた。僕は彼女に乗り込み、キーを回す。エンジンは一発でかかり彼女はご機嫌そのものだ。天気は快晴。こういう時は海沿いを走ってみたくなる。僕は潮風の香りがする方角へ彼女を走らせる。やがてブルーともグリーンとも見分けがつかない海が見えてくる。僕と彼女は海を横目にしながら、ただひたすら走る。時々、風が僕と彼女にちょっかいをだす。でも、それがなぜか心地いい。どれくらい走っただろうか。カラフルな建物がチラホラと見えてくる」

そこまで言うと、健太は一息置いた。そして目を閉じ、じっと考えた。沙也夏は健太の言葉を待った。


 やがて健太は目を開けると、静かにまた語り始めた

「そのなかにはレストランもある。僕はステアリングを動かしながら、ふと思う。そういえばランチがまだだった。そして可愛いパラソルが目についた。彼女が言う。あそこがいいんじゃない。僕は答える。そうだね。彼女はスピードを落とし、やがて立ち止まる。そこはシーフード・レストランのようだった。僕は彼女から降り、レストランに入る。僕は彼女がよく見える席を選ぶ。そこから僕は彼女を見ながらランチを食べる。そして思う。ランチの後、南へ走ろうと。時間はまだたっぷりある。まあ、こんなとこかな」


 健太は話し終えると、グラスを手に取り、ワインをひとくち飲みほした。

「詩的なストーリーね。でも絵にない景色がなぜでてくるの?パラソルなんて絵にないわ」

沙也夏は尋ねた。

「イメージだよ。天気は快晴で暑い夏。涼しさを求めてシーサイドを走る。その涼しさのイメージがパラソルなんだ。それと、この部屋だよ。窓から射し込んでくる太陽の光が絵を際立たせている。だからよけいこの絵に夏を感じる。今、この絵をラストシーンとして使ったけど、逆にプロローグとして使うのもいいと思うんだ。それが感性というものじゃないかな」

沙也夏は健太の話を聞き終えると、絵に近づきじっと見つめた。


〝この人には強烈な個性がある。きっとなんでもない風景がこの人の目には、いろんなことが映っているのね。エディもそうだった。いかに速く走るかばかりを考えていた。あのミッシェルでさえ考えが及ばないことを思案していた。エディとこの人は生きてる世界は違っても、たぶん同じタイプの人間なんだわ〟

沙也夏は絵を見ながら、頭では健太のことを考えていた。


 一方、健太は健太で沙也夏の後ろ姿を見ながら別のことを思っていた。

〝どうして女性の髪というものは、こんなに美しいんだろう。太陽の光はいろいろなものを美しく見せるけど、沙也夏さんの長い黒髪も光がアレンジしている〟


 健太はそう思って、心でため息をついた。

〝ふう。やっぱり俺には似合わないな。こんなきれいな人とこの俺が釣り合いがとれるわけがない。やはり、あきらめよう。世の中、できることとできないことがあるんだ、やっぱりな〟

そして、健太は沙也夏にきっぱりと言った。

「沙也夏さん。この前の話聞かなかったことにしてほしい。あの時の俺はどうかしてたんだ。きみは美人だし、とても俺とは似合わないと思う。今日こうやって話してわかった」


 健太の悪い癖だ。圭子から言われたことが全然わかっていない。健太は恋愛に関して、いつも自分からひこうとする。自分の気持に嘘をついて。

沙也夏は健太の言葉を聞くと、静かに振り向いた。健太の顔を真面目な表情で見た。


「その程度だったの?私に対する気持ちは」

「えっ?」

「そんな中途半端な気持だったわけ?似合う、似合わないはつきあわなければわからないものよ。健太さん、はっきりしてほしい。私のこと好きなのかどうか。すくなくとも私は健太さんに対しては興味がおおいにあるわ」


 健太は言葉につまった。それはそうであろう。ここまでいう女性はめったにいない。

健太はすぐに返事ができなかった。

〝なんかほっぺたをひっぱたかれた感じだ。ひょっとしたら、この女性は俺が考えている以上に素晴らしい女性なのかもしれない〟


 健太は絵を見て、気持を決めた。

「好きだ。きみのことは好きであることに間違いない。だが、自分に自信がもてないことも事実だ」

「ありがとう。私思うの。自分からあきらめてしまってはなにもおこらないと。健太さんはこんなに感性が豊かじゃない。素晴らしい個性の持主だと思うわ」


 そう言うと沙也夏は健太に握手を求めてきた。健太は成り行きにまかせ、握手した。

沙也夏は握手しながら、自分の言った言葉に驚いていた。

〝なぜこんなことを言ってしまったんだろう。断るつもりでいたんだから、素直に受け入れればよかったのに・・・やっぱりダメね。自分の気持に嘘はつけない〟


 ふたりは手を離した。けれど目は互いに見つめ合ったままだ。

普通ならここで女を抱き寄せてキスのひとつぐらいするところだが、健太にはその勇気もなかったし余裕もなかった。

それよりも健太は沙也夏が自分の気持を受け入れてくれたことがまだ信じられなかった。健太は微笑んでいる沙也夏を不思議な気持で見つめていた。



 


 





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