健太の後悔
外に出ると、容赦ない日ざしが体をおおった。真夏という言葉が似合う朝だ。
午前七時だというのに、温度計はすでに30度に達していた。
健太はその日ざしに顔をしかめながら、車のドアを開けた。今日は月曜なので一旦会社に顔をださなければならない。健太はだいたいが得意先に直行することが多いのだが、さすがに週の初めは顔をだすことに決めていた。
だが、今日は会社に出勤することに気の重さを感じていた。沙也夏のことが頭から離れないのだ。今日だけではない。この一週間、沙也夏のことばかり考えている。
沙也夏に自分の気持ちを伝えたのはよかったが、あまりにも場所が悪すぎた。あの後、健太はえらく後悔した。なぜもっと場所をわきまえなかったのか、と。
淳之介や純子にその話をすると、ふたりともあきれていた。純子は健太は女性の気持ちがわかってないとか、淳之介はなんで送って行って、もっとムードのあるところで言わなかったのかなどと言っていた。健太もそう言われるのは当然だと思った。
〝これじゃ、いつまでたっても彼女はできねえな。なんでもっと要領よくやれないのかなぁ。また、ふられたな・・・〟
こんなに落ち込んでいる健太だから、バンドの練習も身が入らないと思いきやそうではなかった。いったん曲が始まると、別人のように生き生きとしてくるのである。ほんとに不思議な人間である。
しかし、今は完全に落ち込んで会社に向かっていた。けれど、会社に入ると落ち込んでるどころではいられなくなった。とにかく忙しいのである。電話がひっきりなしに鳴り続いていて、用件を聞くだけで精一杯なのだ。
健太は受話器を取り、型どおりの挨拶をし、注文を手際よく片付ける。この頃ようやくほとんどの商品知識が頭のなかにはいっていた。だから注文の電話なら、カタログを見なくても応対できる。その上をいくのが純子だ。健太は純子の電話応対を見て、ほとほと感心してしまう。言葉遣いは丁寧だし、いつおぼえたのか知らないが商品知識が営業マン並だ。
午前十一時を過ぎると、注文の電話も一段落する。これが昼を過ぎると、またピークを迎えるのだ。
健太はほっと一息ついて、今日の昼からの仕事の予定を考えた。昼からは重要な用件がある。例のヒロシに頼んでいた健太が考案した弁当容器が採用されそうなのだ。まあ、気分は落ち込み気味ではあるが、こういう時のほうが仕事に熱中できるのかもしれない。
「ふう。やっと一段落ついたわ。夏休み前はあいかわらず忙しいわね」
純子はよく通る声で言った。
健太は純子の言葉を聞いて納得した。
〝それでこんなに忙しいんだな。夏休み前になると、弁当類はバカみたいに売れるもんな〟
営業マンがこれでは困ったものである。弁当業界における夏という季節は重要な意味がある。一番儲かる時期でもあるし、逆に食中毒に気をつけなければいけない。弁当容器業は、この食中毒とは無関係と一般的には思われるが、そうではない。まれに容器の中に虫や髪の毛が入っている時がある。それに気がつかないで、中味を入れて大きなクレームになる時がある。健太もそのてのクレームで大変苦労したことがある。
健太は注文の電話が一段落したところで、昼からの仕事の準備を始めた。そんな健太を純子が見ていた。健太と純子はこの一週間まともに話をしていない。そんな健太を純子はすこし心配気味に見ていた。健太はその純子に気づく素振りもみせず、企画書などを見直している。
ふいに健太の電話の内線が入った。健太は企画書から目を離さずに受話器をとった。
「はい。えっ、あ、そう。わかりました」
思わず企画書から目を離し、健太は外線のボタンを押した。
「もしもし。どうしたんだよ、朝から」
どうやら客ではなさそうである。
「えっ、沙也夏・・・さんが・・・。なにかな?」
純子は思わず健太のほうに顔を向けた。
「うん。わかった。仕事が終わったら寄るよ」
純子はいてもたっていられずといった感じで、健太に小声で話しかけた。
「どうしたの?沙也夏さん・・・じゃないよね」
「いや違う。圭子からだった」
「圭子?沙也夏さんのこと?」
「そうらしい。なにか圭子が俺に渡す物を沙也夏さんから預かっているみたいなんだ」
そう言いながらも、健太の顔に笑顔はなかった。
「健太、元気だしなさいよ。まだ、ふられたと決まったわけじゃないんだから」
「だれがふられたって?」
健太はにこりともせず、純子の顔を見て言った。そしてカバンを持って、ぶっきらぼうに言った。
「外回りに行ってくる!」
純子は慌てた。
〝しまった!私としたことが、一番言ってはいけないことを言ってしまった・・・〟
そう思っても、あとの祭りである。すでに健太はオフィスを出た後だった。
一日の仕事がひととおり終わり、健太は診療所へ来ていた。
なんとかヒロシとの商談はうまくいき、健太が開発した容器は採用された。あとは実際、店頭に並んで売れるかどうかだ。ブライベートでうまくいかない時、皮肉なもので仕事はうまくいくものである。
健太は待合室で圭子を待った。受付の窓口はカーテンが引いてあって、診療所内は静かだった。ふと目を下に向けると、黒っぽい床が光っている。汚れているというよりも、年輪を感じさせていた。
この診療所がいかに長くやっているかを示している。
圭子は十分ほどで階段を降りてきた。二階が更衣室になってるらしかった。今日の圭子はブラウンのジャケットとベージュのパンツ姿だった。健太は圭子がスカートの姿をあまり見たことがない。だいたいがパンツ・スタイルである。
「お待たせ。どうしたの?人の顔をじっと見て」
「いや、相変わらずスカートをはかないんだなって思ってさ」
「スカート?そうねぇ。私にはこのほうが一番フィットするの。パンツは私のスタイルと言ってもいいわね。あ、そうそう。忘れないうちに渡しとかなくっちゃ」
そう言うと圭子はバッグから、一通の白い封筒を取りだし、健太に渡した。
健太は封筒を受け取って、目を落とした。封筒には女らしい字で大きく〝谷川健太様〟と書いてあった。健太は封筒を開けずに、ジャケットの内ポケットにしまった。
「見ないの?」
「あとでいい。それより食事でも行こうか?おごるよ」
「えっ、ほんと!ラッキー!でも、どうしたのよ。割勘の健太が」
「バーカ。そんなこと言うとおごってやらねえぞ。いつも食事を作ってもらってる心ばかりのお礼と思ってるのにさ」
「わかりました。今の言葉取り消しまーす。じゃ、あそこがいい。駅前の定食屋さん」
「あんなとこでいいのか。圭子のことだからイタ飯屋とかいうと思ってたんだがなぁ」
「私と健太じゃ似合わないわよ」
「言ってくれるぜ。まあ、そう言われれば、そうだけどな」
意見がまとまり、車で駅前の定食屋に向かった。市営駐車場に車を置き、駅前のアーケードの中を歩いた。
アーケードとはいっても、ここはそんなに長くもなくこぢんまりとしている。ほとんどが飲食店で、居酒屋か定食屋だ。健太と圭子はアーケードの入口から六軒目の定食屋に入った。いかにも昔よくあった大衆食堂風の店であった。店に入ると一番奥のテーブル席についた。客はそんなにたて込んでなく、余裕があった。
「なんにする?」
健太は席に着くなり言った。
「そうねぇ~」
圭子は壁のメニュー表に目をやりながら考えている様子だった。
メニュー表には三十種類以上の定食が書いてあった。
「健太はなに食べんの?」
「スタミナ定食の大盛り」
「スタミナか・・・これからの夏バテ対策にはいいわねぇ。それじゃ、私も同じやつ。でも大盛りはやめとこっと」
健太は店員に注文を言った。
圭子はジャケットを脱いだ。ジャケットを脱ぐとノースリーブであった。
女性がノースリーブ姿になると男はドキッとするものであるが、健太は圭子のこんな姿をしょっちゅう見ているので、どうってことはなかった。
「健太、仕事忙しそうね」
「ああ。夏休み前だからな」
健太の声はあいかわらず張りがない。
「あんまり元気がないみたいね。まあ元気がないのはわかるけど。純子が心配してたわよ。純子とあまり喋ってないんでしょ?」
「う、うん。まあな。べつに純ちゃんと喋りたくないってわけじゃないんだけど・・・ただ、純ちゃんから言われた言葉はグサッときたね」
「女の気持がわかってないってこと?」
圭子は遠慮深そうに言った。
「知ってたのか・・・そうなんだよなぁ。場所柄はわきまえず、自分の気持ちを言うことしか考えてなかったんだ。沙也夏さんに逆に恥をかかせてしまった」
「そうかなぁ。私は健太らしくていいと思うけど・・・」
「なぐさめてくれなくてもいいよ」
「違うわよ。人の気持ちの伝え方っていうのはいろいろあるってことを言ってるの。そりゃ淳之介や純子は恋愛経験が豊富みたいだから、恋愛のやり方ってものがわかってるかもしれない。正直言って健太はあまり恋愛経験はないと思う。そういう人にはそれなりのやり方でいいんじゃないの?」
「相手に恥をかかせてもか?」
「恋の第一歩は自分の気持が最優先だと思うの。人を好きになったら自分の気持を伝えたい。それが自然でしょ?その結果、相手が迷惑だったら、そこで悲しいけれどあきらめるしかないのよ。たまたま今回、それが公衆の面前だっただけのこと。健太は自分の気持を素直に言ったんだから、それに満足してればいいのよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
健太は圭子にはやっぱり頭があがらないことをつくづく感じた。純子と圭子は同い年なのに、こうも言うことが違う。やはり看護婦という仕事柄があるのかもしれなかった。
「圭子、なんかそう言われるとすこし元気がでてきたよ。圭子にはいつも迷惑かけっぱなしだな」
「なに言ってんの。それが友達というものよ。それに健太と私はよく似てるところがあるからね」
話が一段落したところで、タイミングよく、定食がうまそうな匂いをただよわせながらテーブルの上に置かれた。
食べ始めるとひとことも喋らず食べることに夢中だった。
三十分ほどで食べ終わった。
「ふう食った、食った」
健太はお腹をさすりながら言って、お茶を飲んだ。
「おいしかった。健太、ごちそうさま。ほんと、ごちそうになっていいのかな?」
「まかしとけって。六百円くらいなら安いもんだ。それに圭子と話したおかげで、だいぶ気持が楽になったからな」
ふたりはお腹がいっぱいになったところで、店を出た。
圭子は買物があると言ったので、ふたりは駅前で別れた。




