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ワン・モア・ソング  作者: 杉本敬
20/41

シルバストーンの悲劇

 三年目のグランプリ・シーズンがやってきた。

この年、チームは調子がよかった。前半戦は必ずミッシェルかエディがトップ争いに加わり、どちらかが表彰台をゲットしていた。後半戦になると、ミッシェルとエディのトップ争いに終始した。そして最終戦までチャンピオン争いは持ち込まれた。もちろん、争っているのはエディとミッシェルだ。エディは後半戦あたりからF1チームから声がかかっていた。もちろん、エディは乗り気だ。沙也夏もエディがF1に行くなら、ついていこうと思っていた。

両親に話そうとは思ったが、それはシーズンが終わってからにしようと考え直した。シーズン途中でよけいな心配をかけたくなかった。


 最終戦は三年前エディと出逢ったシルバストーン・サーキットだった。天気は快晴で、三年前とは逆に雨は降りそうになかった。サーキットのスターティング・グリッドには、いつものようにマシンがならび、マシンの横にはメカニックがいた。だが、エディのマシンだけは違っていた。チーム・カラーのつなぎ姿の沙也夏がマシンの横にいた。


 いつもならトニーがいるのだが、今日だけはエディのたっての希望で特別だった。エディは予選でファーステスト・ラップを叩きだし、ポールポジョンをゲットしていた。

今年5レース目のポールだった。そのご褒美というわけでもないだろうが、基和義もそれを認めていた。それに、エディと沙也夏の仲はチームでは周知の事だった。


 沙也夏はコックピットのエディを見ながら、思っていた。沙也夏はエディのことをいつのまにか好きになってしまっていた。それはいきなり恋におちたというのじゃなく、時の流れのままに自然に恋をして、もうエディなしの生活は考えられなくなっていた。

そのエディはヘルメットのシールドを下げて、すでに臨戦体制にはいっていた。ふと、エディはシールドを上げ、沙也夏に言った。


「サヤカ。レースが終わったらまた湖畔に行こうな」

「ほんと!嬉しいな」

「去年と同じ所に泊まろう。そして、今度はちゃんとメイク・ラブしよう」

「ばか。なに言ってんのよ!今はレースに集中しなさい」

「ハハハ・・・。わかってるって。だが、今度はちゃんとサヤカの気持ちを受け入れるから」


 エディがレース前にこんなことを言うのはめずらしかった。いつもは無言で、レースのことしか考えていない。だが、沙也夏はエディの気持がわかっていた。F1の切符も手中にし、今日はファーステスト・ラップで言うことなしだ。


 アナウンスが響いた。いよいよフォーメーション・ラップが始まようだ。

エディは目尻にしわを寄せた。ヘルメットをつけているため、笑うとどうしても目尻のしわだけが目立つ。

「じゃ、行ってくらぁ」

そう言うと、エディはシールドを下げ、前方の第一コーナーに目を移した。沙也夏は静かにマシンを離れた。フォーメーションが始まった。エディの後はミッシェルが走っている。今日もエディとミッシェルのバトルで終始するだろうと沙也夏はフォーメーションを見ながら、思っていた。


 フォーメーションが終わり、いよいよレースが始まった。

エディのスタートは予選の勢いをそのまま持ち込み、トップでグランドスタンド前を駆け抜けた。ミッシェルはスタートで出遅れ、5位でグランドスタンド前に姿を見せた。だが、あっさりと4台抜くと、5周目にはエディの背後についた。


 6周目からは、いつものようにエディとミッシェルのバトルが続いた。ふつうなら、同じチームのドライバー同志が争うとチームはハラハラものだが、エディとミッシェルは違った。ふたりの間には一定のルールがあり、そのルールにのっとって、レースをする。だからクラッシュすることはまずない。

それともうひとつ言えることは、エディが以前のようにレースに熱くならなくなったことにある。つまり冷静さが身についてきたわけだ。


 そんなミッシェルとエディのバトルを沙也夏は微笑みながら見ていた。

観客席はエディとミッシェルのバトルに興奮していたが、後方の10位争いにも喝采をおくっていた。それは一台のマシーンが次々とごぼう抜きにしていたからだ。20位あたりからスタートして、あっという間に10位まであがってきたのだ。


 沙也夏のチームのパドックでも驚きの声があがっていた。

「誰だ?あんな走りをしてるのは?」

基和義がトニーに聞いた。

「さあ。知りませんねぇ。だけど、三年前のエディを見てるようですね」

「あれは三年前のエディよりも上だ。上というよりも乱暴だ。あんなドライビィングじゃ最後までもつまい。エディとミッシェルに変なちょっかいをださなければいいが・・・」


 光太郎が冷静な口調で言った。その言葉を聞いて、沙也夏はスタート前ミッシェルが言った言葉を思い出した。

「こんな快晴の日のレースにはいつもなにかが起こる・・・」

沙也夏はすこし不安になってきた。


 だが、ミッシェルと光太郎の言葉はだんだんと当たりそうな気配になってきていた。残り十周、エディとミッシェルのバトルは一段落ついて、お互いに駆け引きをしていた。

そんなふたりの間にそのマシンが迫ってきた。まず、ミッシェルにアタックをかけ、執拗に追いかける。さすがにミッシェルはベテランらしく、そのマシンにコースを譲って抜かせた。そして今度はエディにアタックし始めた。エディも抜かせるつもりだった。


 だが、その前にエディのインに強引に突っ込んできた。マシンが入れるかどうかのスペースだった。この瞬間、エディの心でなにかが弾けた。クラッシュも覚悟の抜き方だった。それも相手のマシンを巻き込んでのだ。エディがこんな汚いやり方をするマシンを許すはずがなかった。


 それから二台のマシンの壮絶なバトルが始まった。観客席からどよめきが起こった。

それを後方から見ていたミッシェルは心のなかで叫んだ。

〝やめろ、エディ!そんな奴はほっとけ!〟

ミッシェルはただちに無線でパドックに連絡した。

「エディにスピードを落とすように言え!あのマシンはあと数周で壊れる。いまの状態を続ければ巻き添いを食う!」


 緊迫した声がパドック内に響いた。トニーはすぐに無線でエディに大声で伝えた。

「エディ!スピードを落とせ!おまえが相手にしてるマシンは長くはもたん。とばっちりを食うぞ!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

エディの声はなく、ガーガーという音が響くだけだった。

「おまえはF1に行くんだぞ。ここで棒にふるつもりか!」

さらに大きい声でトニーが言う。


「うるせえ!外野はすっこんでろ!クレイジー・エディは汚い野郎は許さねえ!」

エディの怒鳴り声が沙也夏の耳にもはっきりと聞きとれた。

「だめです。完全にきれてます」

トニーが基和義に青ざめた声で言った。


 基氏は雲ひとつない青空を見上げた。そして、沙也夏の方を見て言った。

「沙也夏ちゃん。君から言ってくれ。エディは君の言うことなら聞くかもしれない」

沙也夏は光太郎の方を見た。光太郎は力強くうなづいた。


 沙也夏は無線にむかって、エディに精一杯伝えた。

「エディ、私よ。わかる?お願い、スピードを落として!ここで無理をしてケガでもしたら元も子もないわ。一緒にまた湖畔を見に行くんでしょ!」

「心配するな。こんな奴はすぐに片付けてやる!」

それっきりエディの無線はきれた。これが沙也夏が聞いたエディの最後の声だった。


 モニター・テレビを沙也夏は食い入るように見ていた。悲劇は5分後に訪れた。エディのマシンが観客席のフェンスに側面から激突したのだ!

モニター・テレビはトップ争いをずっと追っていたので、その様子を克明に映しだした。画面を見ている限りは、たいしたクラッシュではないように見える。炎上もしていなければ、煙もあがっていない。


 だが、その様子を後方から見ていたミッシェルは凍りついた。相手のマシンがオーバー・スピードでコーナーに進入し、コントロールを失った。すべては、未熟なドライビング・テクニックのなした所業だった。

いつものエディなら、相手の動きを冷静に読んで、巻き添いを食うことはなかっただろう。だが、そのときはバトルに夢中で回避することができなかった。その瞬間だけはエディは今のエディではなくなっていて、3年前のエディに戻っていた。エディ自身、それが致命的なことになることは気づいていなかった。


 そして、相手のマシンはスピンしてエディのマシンにぶち当たった。エディのマシンも加速していたので、なすすべもない。エディのマシンは観客席のフェンスに向かって、疾走した。エディはなんとか切り抜けようとステアリングを切った。だが、エディのテクニックでも避けることはできなかった。フロントから激突するのはなんとか避けたが、サイドからもろに当たった。相手のマシンもエスケイプ・ゾーンに弧を描いて宙を舞い、砂地に叩きつけられた。


 すぐさまミッシェルはマシンを別のエスケイプ・ゾーンに停め、サーキットを横切り、エディのもとへ走った。エディのマシンの側に駆け寄ったミッシェルは血の気がひいた。一番最悪のパターンだった。マシンから火も煙もあがっていないほど、ドライバーにとっては危険なのだ。つまり、衝撃がマシンを通り越してドライバーにダイレクトに伝わるのだ。現にエディはぐったりしていた。おそらく首と頭に衝撃がはしったに違いなかった。即死に近い状態だ。ミッシェルは長年のレース経験から、そのことをすぐに読み取った。


 そしてゆっくりとマシンに近づき、震えた声でエディに呼びかけたのだった。

「エディ!早くマシンからおりるんだ。どんな形でもいい。たとえレースができない体でもいい。早くおりてきて、いつものように人懐っこい笑顔で言ってくれ。〝ミッシェル、やっちまったよ〟と」

ミッシェルの声がむなしく響いた。エディの体は微動だにしなかった。


 それからのことは沙也夏はあまり憶えていない。ただ、ミッシェルの言った言葉は今でもはっきりと思い出すことができる。

ミッシェルは言った。

「私は今最愛の友を亡くした。サヤカ、もうエディの笑い声を聞くことはできなくなったんだよ」

後から聞いた話だと、その瞬間自分は倒れてしまったらしい。そして、それからというものショックで誰とも口を聞かなくなったらしかった。エディの死を認めようとしなかったと聞かされた。


 悪い事は重なるもので、その年の終わりあたりからバブルの崩壊が始まり、モーター・スポーツ界にも暗い影を落とした。沙也夏たちのチームも例外ではなかった。メイン・スポンサーの会社の業績が極端に悪くなり、スポンサーをおりることになった。スポンサーがいなくなれば、レース活動は困難を極める。しかたなく基和義はあらゆるところから借金をした。借金の保証人には光太郎がなっていた。基和義と光太郎はレース活動をどうしても持続させたかった。


 だが、エディの死というものがチームにとって大打撃になった。ミッシェルはエディがいないのならチームに留まる意味がないということで、レーシング・ドライバーとして引退することを決めた。ミッシェルはエディがクラッシュしたことで、三年連続チャンピオンにはなったが、無に等しいチャンピオンだった。


 エディとミッシェルがチームからいなくなれば、エンジン・メーカーもエンジンを提供しない。別のドライバーをなんとか探しはしたが、エディとミッシェルとは雲泥の差だった。沙也夏はショックから立ち直れず、亜紀と一緒に日本で療養することになった。結局、チームは四年で解散することになった。残ったのは借金だけだった。


 その借金も返すあてがなく、保証人になっている光太郎の元へは催促がきていた。光太郎は沙也夏たちから数ヵ月遅れで、日本に帰ってきた。

沙也夏は半年程して、ショックから立ち直った。だが、皮肉なことに今度は亜紀が過労で倒れてしまった。やはり慣れない海外生活と心労が原因のようだった。亜紀の病状は回復する兆しがなく、帰らぬ人となってしまった。亜紀の死は光太郎にとって大変なショックだった。それからというもの光太郎は無口になった。その光太郎の元へ借金している会社の社長から驚くような申し出があった。


 どうしても金が返せないなら、自分の息子と沙也夏を結婚を前提につきあわせてくれることで帳消しにしようという、時代錯誤もはなはだしい話だった。

その息子というのはレースが好きで、時々F3000に来ていたらしく、そこで沙也夏を見初めたということだった。


 沙也夏はこの話を冗談じゃないと笑いとばしたが、よくよく考えると、自分がこの話を受けなければ借金が返せないことに気がついたのだった。自分は父のおかげでヨーロッパにも行けたし、素晴らしい恋愛もした。今度は自分が父のために役に立ちたいと思った。沙也夏はこの話を受けることにした。光太郎は猛反対したが、借金を返す方法はそれしかなかった。

その相手の男性とは会ってみた。思いがけぬいい人で、レース好きだった。だが、エディと比べると物足りなさを痛切に感じた。そして、現在に至っている。


 沙也夏はこうして昔のことを思い浮かべながら、ふと気づいた。

〝そうだ。健太さんが歌っている時の目は、エディが童謡のことを話している時とも同じだわ。ふたりともどこか遠くを見つめている感じだもの!〟


 沙也夏はエディのような男性には、もうめぐり逢えないと思っていた。だが、健太と出逢ってしまった。

エディとの出逢いは、けっしてロマンチックなものではなかった。

健太との出逢いもあまりかっこいいものではない。エディと健太はよく似ていた。出逢いといい、それにふたりはとても個性的だ。

〝ほんとうにあの人は個性的だ。今夜の告白にしても、他の人ならあんなところで言わないわ。でも、そこがいいところでもあるのかも・・・〟


 沙也夏はそう思いながら、机の上の葉書をとった。今度会社で行なうヒロ・ヤマガタの展示即売会の案内状だ。

葉書を見ながら、沙也夏は思った。

〝そういえば健太さん、鈴木英人が好きと言ってたっけ〟

沙也夏は、健太の顔を思い浮かベながら、あるおもしろいことをやってみようかなと考え始めていた。





 





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