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人生のはじまり

 耳鳴りとも違う、波の音?瀧の音?

 波にしてはリズムが早い。規則的だけれどそのリズムは早くなったり遅くなったりしている。

 ゴォーという小さな音の中にザーッザーッと聞こえるその水の音がリズムを速めていくと、女性のうめき声が私の全身を包むように響いて聞こえた。

「んー、ううぅ・・・」

 ここは・・・水の中?目を開けても目がかすんで良く見えない。

 同時に、遠くで男性が何かを話している声が聞こえるが、音がこもって何を言っているのかはわからなかった。

 別の女性の声も聞こえるが、同じように言葉は聞き取れない。。

 うめき声が止まった瞬間に頭が締め付けられる。

 急に周りにあった水が減っていく。それと同時に音は良く聞こえるようになった気がするが、そんなことよりもそれまでは水のクッションがあったのに、頭や身体への圧迫が強くなった。

 身体が圧迫されると同時に首も絞められて意識が遠のいていくが、意識がなくなる寸前でそれらは一気に緩められた。


『はぁ、死ぬかと思った。』

 ゆっくりと意識が戻り、理解する。

 母の胎内だ。誕生のその瞬間ということだ。人生のやり直しって、ここからなの?

 水が減ったということは、破水・・・おそらく分娩室だから、破膜されたのだろう。”まりもようかん”なら、膜を破った瞬間にツルっと中身が出るけれど、出産はそんなに簡単ではない。

 遠くに聞こえる男性の声が、母を励ましている。

「あかちゃんも頑張ってるから、がんばろうね。」

 再びうめき声が聞こえてきた。ザッザッザッと聞こえてくるのは自分の心拍か、母の脈拍か・・・。頭から身体全部が圧迫されて首が締まる。再び意識が遠のいていく。

『・・・死ぬ』

 意識が朦朧としながら、再び身体の圧迫が緩んだことを感じた。

『これ、いつまで続くんだろう。』

 あとどんだけ続くのこれ、苦しいんですが・・・。


 遠くに聞こえる男性の声に焦りを感じる。

「ちょっと心拍下がってるな、次、いきむ時お腹押しますから、もう少し頑張って!」

 おそらく母に声をかけている。その声は続けて

「吸引の準備もしておいて」

と指示を出している。

『もう、なんでも良い、頭の形が多少長くなろうが、とにかく早く出してぇ・・・。』

 徐々に身体が圧迫されてくるのを感じる。母のうめき声はさらに大きくなり、その瞬間にお尻側からグイグイとさらに圧迫され頭が、首が、苦しい。

『あ、ダメかも・・・』

 白い光が見えた気がする。胎外に出たのか、それとも再びあの世に送られたのか・・・。



 背中をバシバシと叩かれ身体全体に振動を感じる。

「がんばれー。ほら、息して。外に出たぞー。」

 先生の声が聞こえると、徐々に他のいろいろな音がはっきりと聞こえてきて意識が戻って来る。さっきまでは胎内にいて母の体温に包まれていた私の体は濡れていてスースーと少し寒い。先生は私に声をかけながら背中を叩いたり、足の裏を指先で()()()()()する。痛くはないが不快感と寒さに思わず、

「ぅぎゃぁぁー!」

 という声が出て、か細く高い声に自分で驚いた。

 そうだった。私は今、生まれたばかりの”赤ちゃん”なのだ。途中から意識がなくなっていたけど、誕生のその瞬間から私のやり直しの人生が始まったのだ。


 

 出産予定日を一週間過ぎて生まれた私は、丸々とよく育った3600gの大きな子だった。

 へその緒が首に巻き付いていたため、母がいきむ度に巻き付いたへその緒がきつく締まり心拍が下がっていたようだ。医師は途中で帝王切開に切り替えることも考えたようだが、母のいきみと同時にお腹を押すことで、なんとか頭が出てそこからはスムーズに身体も出た。かろうじて吸引は避けられたものの、産道で停止していた時間が長かったからか私の頭は姉よりも少し長かった。

 啼いた私を確認して、先生はへその緒を切り、

「おめでとうございます。女の子ですよ」

 と母に告げた。

 母から切り離された私は処置台に寝かされ、看護師さんに体温や心拍数を測られ、身体計測をされた後そのまま沐浴槽のお湯に浸けられた。

 1周目の人生の記憶に残っているはずもない、生まれたばかりの世界はすべての物がこんなに大きく見えるのか。ドラえもんのスモールライトで小さくなったら、こんな感じの世界かな。でも、スモールライトは年齢はそのままだから、あれだ、子どもの頃に再放送していたアニメ、キャンディを舐めると年齢が変わる、何だったかなぁ。まあ、とにかくこの状況の全てが、まるで”SF”の世界なんだけれど・・・そもそも人生をやり直すということ自体、現実味がなくて1周目最期からずっと長い長い夢でも見ているような気がしている。


 私を軽々と持ち上げる”人間”も、まるで”巨人”だ。小さな身体の私が抵抗したところで、この”巨人”にとってはハエが留まったくらいのものだ。看護師さんは片手で私の頭を支え、泡立てた石鹸で髪を洗い始めた。

『私が看護師になってからは、生まれた直後は乾いたタオルで軽く拭くというのがスタンダードだったけど、この時代はキレイに洗いあげられていたのね。』

 丁度良い温度のお湯が気持ち良くて、思わず寝そうになる。

『何回も首絞められて意識遠のいて、疲れちゃったなぁ。』

 大きなあくびが出る。

 産道を通るのが、こんなに苦しいものだったとは・・・。子どもを産むことは女性の体にとって大きな負担があることは周知の事実だけれど、赤ちゃんも命がけなのですよ。まさか、それを実体験することになるとは思いもしなかった。

 看護師さんはガーゼと石鹸で念入りに胎脂を洗いながら

「気持ちいいの?おとなしいねぇ。」

 と話しかけてくる。

『いやいや、しんどかったんですよ。ほんと、死ぬかと思った』

 思わず深いため息が出た。

 それを見た看護師さんが笑いながら

「ため息ついたの?」

 と声をかける。私は良い湯加減にウトウトと眠くなっていた。


 キレイに洗いあげられた私は産着を着せられてコットに寝かされる。かなり使い込まれた感じのバスタオルは少しごわごわと肌触りは良くないが、洗剤の清潔なにおいを感じた。準備が整ったらしい。看護師さんは、私を乗せたコットを押してどこかへ向かった。

 到着したのは、分娩を終えて病室に戻った母の病室だ。

「小川さん、体調どうですか? 赤ちゃん連れてきましたよ。」

 看護師は声をかけながらカーテンを開けた。

「あかちゃん?」

 幼い女の子の声が聞こえたと思ったら、大きな手が私の頬を撫でた。

「女の子だって、百合子の妹だよ。」

 と聞き覚えのある声の主は若き日の父だ。


 この頃の妊婦検診では子どもの性別を教えてくれる医師は少ない。まあ、超音波での診察も機器の精度が()()ほど優れていなかっただろうから、確実なことがわからなかったということもあったと思う。

 両親は、私がお腹にいる間どういうわけか男の子だと思っていたらしい。それは一人目が女の子だったことで、二人目は男が良いという願望からだったのか、他の可能性を考える余地はなかったようだ。

 苗字にあった響きや画数など、男の子の名前を一生懸命に考えてきたようだ。


「まさかね。女の子とは思わなかったね。」

 母が言うと、

「名前、どうすっかな。」

 と父も返事をする。

 父は産着を着せられた私を抱きながら話している。「困った」という割に顔はうれしそうに微笑んでいた。

 この頃の父はまだ二十代か。アルバムには残っていても実物の若い両親を見ると、こんな若い時があったんだよな。と不思議な気持ちになった。そして父に抱かれている私の顔をのぞきこむように顔を近づけているのは姉だ。まだ小さい手で私の頬に触れ

「あかちゃん、ぷにぷにだね。」

 と父に話しかけている。


 生まれて7日目、無事に退院した私と母は父と姉の待つ家に帰った。

 結局、私の名前は姉が生まれるときに考えていた候補の最終選考でボツになった方が採用された。画数等は悪くないらしいが“残り物”感が否めない。いや、別に不服ということではない。次女の宿命と受け入れよう。

 この頃の父は夜勤や残業が多く、現代のように男親が産休や育休を取れる時代でもない。市内に住む母方の祖母が1日おきにこの家に来て姉の世話や家事全般を請け負ってくれていた。祖父母は家に来ると先に姉の相手をしてから私の顔を覗きに来た。

「久美ちゃん、今日のご機嫌は?」

 私と姉は3歳離れている。母方の祖父母にとって初孫になる姉は、生まれたときからあらゆるものを買い与えられていた。そのため、私が生まれたときには、衣類(特に退院の時用のドレスやお宮参りなどのイベント用の着物)や寝具など、女の子の育児に必要なものはほとんど揃っていたし、ベビーベッドもそこにつけられている”メリー”もすべてが、姉の生まれたときに準備され使用されてきた()()()()だ。女の子の節句用のお雛様も七段飾りの立派な物がすでに姉の初節句の時に贈られていた。きっと私が男の子だったら、服もおもちゃも、初節句には”こいのぼり”と”兜”も新たに買ってもらえただろうなと時々思うが、祖父母にとっては幸いだっただろう。私の生まれる10ヶ月前に、母の妹である伯母が男の子を生んでいた。3人目の孫ともなると、むしろ新たにお金を使う必要がないことにホッとしたに違いなかった。

 

 


 意識が45歳の赤ちゃんは、なかなか退屈な生活だ。意識が大人でも体は赤ちゃんで動くこともままならない。発声だって口の中の構造や舌の動きが未熟なため、何を言おうとしても「あー」や「うー」になってしまう。たとえ上手く話せたとして、周囲の大人を驚かせて余計な混乱を生むだけだ。

 ずっと天井ばかりを眺める生活の中で、私はこれからどんな風に生きていくのか考えたり、考えなかったり。

 どうにも自分の意思に反して、考え事をしていてもいつの間にか眠ってしまうため考えがまとまらない。

 それが、生後2か月くらいになると、体力がついてきたのかミルクを飲んでもすぐには眠くならなかった。母はまだ3歳の姉の世話や家事に忙しそうで、授乳の後に起きていてもベッドに寝かされることが普通にあった。気まぐれに姉があやしに来てくれることもあったが、自分の遊びに夢中になっていることの方が多かった。

 ベッドにつけられているがスイッチが押されないままの少し色褪せたメリーのクマの顔をぼんやりと見ながら考えてみる。私はNJTに会うためにやり直しの人生を選択した。何をしたら韓国のアイドルである彼らに会うことができるのか。例えば私が芸能人になったところで日本の芸能人が韓国のアイドルと接点を持つことなんてできるのだろうか。いや、そもそも年代が違い過ぎる。いや、その前に私が芸能界で成功者になることの方が簡単ではない。

 じゃあ、どうするのか。

 芸能事務所に就職する?マネージャーとか?NJTのマネージャーは屈強な体つきの男性だった。韓国の芸能人はみんな背が高いけど、その彼らよりも背が高く筋肉も大きなSP兼マネージャーのような存在である男性複数人に囲まれて空港内を移動する動画をよく目にしていた。ツアーや有名ハイブランドの新作発表のためのお披露目会に参加するためなど、飛行機移動の情報は必ずキャッチされ、空港には大勢のファンが詰めかける。規制線もなく至近距離で動画撮影のため無数のスマホを向けられ、中には彼らに触れようとする人もいる。それはNJTに限らずだけれど、何か事件や事故が起こりかねないような状況で彼らを護るためには強い男性でなくてはならないのだ。


 1周目の人生で看護師という職業しか知らない私は、世間のことも異業種のことも知らなすぎる。中学生の頃から看護師になるための方法しか調べなかったし、大学受験を考えたこともなかった私は、大学受験のシステムも大学のランクさえも全くわかっていなかった。他の職業についても考えたことがなかったし、ましてや芸能界のことなんて遠い世界の話で、そこで働くこと人たちのことも別世界の人だと思っていた。もし、私が都心で生まれ育ったなら違ったのだろうか。看護師として都会の大きな病院で働いていたら、芸能人が入院してきたり、いやもっと違う形で芸能関係者との接触があったのかもしれない。という発想がすでに田舎者の思考かもしれない。

 とにかく、私が目指さなくてはならないのは韓国の芸能関係だ。日本の芸能関係との接点を作ったところで道のりは遠い。韓国のアイドルに関係する仕事とはどんな職業があるのか。

 テレビ局の歌番組、テレビ局に就職できたとしても歌番組に関われるとは限らないだろう。ダンスの振付師やボイストレーナーなどもアイドルと関わる仕事か・・・。ダンスなんてしたことがない。運動嫌いな私がダンス講師や振付師になれるとは思えない。しかも、男性のアイドルの振り付けという点で、ハードルが高くなるだろう。ボイストレーナーは・・・、歌というのはレッスンを受ければ上達するものなのだろうか。上達するテクニックを知ったところで、自分自身がうまくなければ職業としては成立しないだろう。

 アイドルの周辺で働く人たちの職業。きっとたくさんの人が働いているが、それらがどんな職業なのか未知の世界過ぎてわからない。

 彼らの事務所の社長は音楽プロデューサーだったはず。

 ”音楽プロデューサー”・・・って、そもそもどんな仕事?どうやったらなれるの?音楽プロデューサーになれば、彼らの事務所に入れるのだろうか・・・わからない。こんなとき、スマホがあれば何だって教えてもらえるのに。

 答えの出ない思考を繰り返し、私はまた睡魔に襲われる。


 生後3ヶ月、天井を見ているだけの生活に飽きた私は、必死で身体を動かすようになり寝返りを打てるようになった。両親や祖母は「2人目は発達が早いっていうけど、お姉ちゃんより1か月も早いね。」と声を揃えて言ったが、”2人目だから”ではなく私の日々の鍛錬によるものなのに・・・と思ってしまう。

 1周目の人生では怠惰な性質が前面に出ていて、子どもの頃から運動嫌いで気づかなかったが、どうやら私は足腰が強いようだ。このまま鍛えていけば運動好きになるだろうか。運動はスタイルづくりにも重要だ。芸能人になりたいわけではないけれど、そこに近いところで働くためには、もちろん容姿が良いに越したことはない。顔の造形は変えられなくとも、成長の過程で筋肉をキレイに鍛えることを続ければスタイルは作れるだろう。そして、ミルクを飲みながら思い出した。ダイエットとリバウンドを繰り返してきた日々を。そしてその中で得た知識を。

 脂肪細胞の数は幼少期に作られて一生減らないと聞いた事がある。幼少期に太ってしまうと脂肪細胞が増えてしまうということだ。これを聞いたとき、ダイエットをしたところで脂肪細胞は減ることはなく一生の努力が必要だという結論が見えて絶望した。私は生まれたときからすでに平均を上回った体重でスタートしているのだから、セーブして標準にシフトしていかなくてはならない。母はたくさん飲んでお腹いっぱいになって早く寝てほしかったようで、毎回お腹がパンパンになるだけ飲まされていた。時々体を動かすときにお腹に力が入ってミルクが口から出てしまうこともあったが、それでも母がミルクの量を調整することがなかったため、私は自ら2回に1回くらいのペースでミルクを20~30mlくらい残すようにして飲む量を調整することにした。

 その甲斐あってか4か月健診の時の体重測定ではギリギリ標準の上限枠内に入ることができていた。小児科の先生は、出生時からの体重の増え方がいまいちのため気になっていたようだけれど、身長が伸びていることで特別に問題視されることはなかった。

 乳児の生活は思っていた以上に退屈過ぎて私はおもちゃを求めて体を動かし()()()()()()()()も姉よりも早くマスターし、10ヶ月で()()()()()ができるようにまでなっていた。この時代のおもちゃって、面白みがないよな。2025年を知っている私がおもちゃの開発者になったら、新たなおもちゃをヒットさせて億万長者になれるだろうか。

 まあ、大金持ちになりたいとは思っていないけど・・・。


 1歳の誕生日、午前のうちに祖父母が家にやってきた。母は料理に取り掛かる前に祖母と何やら話していた。

 

 私はパズルで遊んでいる姉の横にいて、パズルを手伝っていた。私がピースを手に取ると

「はい、ちょうだい」

 と言って私の手からそのピースを取っていく。姉はそのピースのはまる場所を考えるけれど、わからないらしく私の手の届かない隅に重ねていくだけだった。

 祖母は私たちの様子を見て、

「百合ちゃんは良いお姉ちゃんだね。遊んであげてたの?」

 と声をかけると、姉は

「久美ちゃんがこれ取っちゃうから・・・」

 確かに優しい姉だと私も思う。私が何かをしてもあまり怒られた記憶はない。

 祖母は私を抱き上げて声をかける。

「久美ちゃんはね、お誕生日だから可愛くしようね。あっちいくよ。」

 私の意思は関係なく運ばれた先には、母が姉の散髪の時に使っているケープとはさみを準備していた。

 生まれたときから髪の量が多く順調に伸びていたが、最近では前髪が目にかかるため母は毎朝ピンで留めていた。母はその髪を切りたかったらしく、祖母が来る誕生日に協力を得て切ろうと考えていたようだ。

 母は有無を言わさず抱っこした祖母ごとケープを巻きつけた。切りたかったのは前髪だけらしく、櫛で何度かとかした前髪を大雑把に切っていく。

 私は緊張で動きが止まり、反射的に目を瞑ったが、母はここぞとばかりにジョキジョキとはさみを入れる。その大胆さに不安が募る。

『どんだけ切るの?』

 確かに伸びていたけど、そんなに?

 祖母が動かない私に声をかける。

「久美ちゃん、えらいね。もうちょっとだよ。」

 だいぶ切られた。感覚でわかる。そして思い出す。この頃の写真を。

 髪が伸びるのが早かった私は1歳でボブくらいの長さになっていた。その前髪はおでこの半分は見えるほど短く切られ緩やかに弧を描いていたが、そのラインは微妙に左右の高さが違った。

 今、まさにその前髪にされているのだ。

 あっという間に切り終えた母は、

「良いか。こんな感じでしょ。」

 なかなかの出来に満足したようだ。手早く私の顔に付いた短い髪をタオルで払い落してケープを外す。

 祖母は抱っこしていた私を正面に立たせて顔をまじまじと見ると

「あら、かわいくなったねぇ。」

 と笑顔で声をかけ私の前髪を撫でた。

 確かに手早くやることは大事だけど、きっと仕上がりはあの写真だ。

 私だったら、もう少し上手に切れるのに・・・。

 さすがに1歳の私が、1歳の私の髪を切ることはできないけれど、大人になった私は自分の前髪を自分で切るようになっていた。

 髪が多くて伸びるのが早かった私は、母が美容室に行くときに一緒に連れていかれ、母の指示でショートカットにされてきた。小学校の高学年にもなると近所の美容室に1人で行って切ってもらうようになっていた。子ども心に、櫛でとかして揃えた髪を指で挟んでチョキチョキと切っていく美容師さんの手さばきが鮮やかで、いつも切り終えるまで鏡越しに見惚れていたものだ。この頃、美容師になりたいと本気で思っていた。



 これかもしれない。

 美容師はどうだろう。アイドルのために働く職業で重要なポジションにはヘアメイクという仕事がある。

 どうしたらアイドルのヘアメイクをすることができるようになるのかわからないけれど、確かタレントのIKKOさんはもともとヘアメイクさんだったと聞いた事がある。美容室で働いてその後業界でヘアメイクの仕事をし始めたと。これまで考えてきた中では一番イメージができる。美容師という資格をもって技術を磨いていけば、私が芸能人になるよりも、音楽プロデューサーになるよりも、ボイストレーナーやダンスの振付師になるよりも、彼らに近づける可能性は1%くらいは上がるのではないだろうか。

『いいじゃん、ヘアメイク』

 目標は決まった。あとは、その道に進むための努力をするだけだ。

 彼らはまだ、この世に生まれてもいないけれど、いつか会えると信じて私は2周目の人生を生きていくのだ。




 

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