四十九日(1)
「それでは、今から四十九日のスタートです。どうぞご自由になさってください。」
生まれ直しを選択した私にそう言って門番さんは笑顔を見せ、軽く会釈をした。
あれ?
えっと・・・
ここからのこと、説明されたのかな?私が聞いてなかっただけ?
「えーっと、自由時間って、どうしたら良いんでしたっけ?」
真顔に戻った門番さんが一つ咳ばらいをして答える。
「さっき説明したんですけどね。」
「こちらでお休みされても良いですし、現世の様子を見に行かれる方もいらっしゃいます。」
「現世に戻った時、当然ですが今のあなたには実体がありません。あなたは霊体として存在することになります。霊体は基本的には現世の人に見えないものですが、相手の能力によっては見える場合もあり、会話も可能という方も稀にいらっしゃいます。また、現世の人や物に触れることはできませんが、集中力や気合など能力によっては物に触れることができる方もいらっしゃいます。ただし・・・」
ここまで流れるように説明し続ける門番さんは私の顔を見て、説明を聞いていることを確信したように続ける。
「注意点として、そうした能力を用いて現世の物に触れたり動かそうとするとき、電力や磁力といったものに近いエネルギーを発することになりますので、電気機器や電子機器などに影響することがあります。」
私にその能力があるかどうかわからないけれど、USBメモリをどうにかしようとしたら、壊すこともあるってこと?
門番さんはさらに続ける。
「実体がありませんから、電車や飛行機などで移動する必要もありません。過去に関わった人、物、場所など、あなたがイメージして念じることで、行きたい場所に移動することが可能です。」
それって瞬間移動。ドラえもんの世界じゃーん。とまた年甲斐もなくワクワクする私に門番さんが冷静に口を開く。
「ただし、移動距離はあなたの念じる力の強さに寄るところが大きいです。」
ん?
「念じる力の強さ?」
「はい。例えば、会いたい人が何かの事情で遠く離れた国にいたとします。念じる力が強ければ、その人のいる場所に霊体として移動することができますが、力が弱い場合は残念ながらその人のいる場所まで行くことはできません。」
そういうものなのか。まあ、韓国の推しに会うことができない以上、今の私に、どうしても会っておきたい海外の誰かなんていない。
「ほかに何か聞いておきたいことなどございませんか?」
門番さんの言葉に、改めて聞いておくことを考えてみるが、すぐには思いつかない。
「この場所と行ったり来たりできるってことなんですよね?」
と確認すると、門番さんが答える。
「そうですね。それも含めて自由にされて大丈夫です。」
「わかりました。それなら、わからないことがあったら聞きに戻ります。」
と答えた私に、門番さんは苦笑いで
「そうですか。はい、それでは、いってらっしゃいませ。」
と送り出してくれた。
さて、私の体は一体どこにあるのか。そもそも、ここに来てどのくらいの時間が経ったのか。
私の体のある所へ・・・
周囲の景色が一瞬にして変わった。瞬間移動とはそういうものか。ドラえもんのタイムマシンのように何かに乗って移動するわけでも、ドアを開けることさえなく違う場所に行くことができるのか。
「ここは・・・」
日常的に目にしてきた医療機器や物品が置かれているが、配置もスペースもいつもの救急センターとは全く違う。ここはどうやら私の働いている病院とは別の病院の救急センターだ。
等間隔で並んでいるストレッチャーのうち2台が使用中のようだ。それぞれのストレッチャーを囲うようにカーテンが引かれている。
『ちょっと、失礼します。』
私はカーテンの中を覗くように顔を出す。中には苦痛の表情を浮かべる高齢の男性が、採血をされている最中だった。針を刺す看護師も刺されている患者も、私の存在は全く気付いていない。・・・当たり前か、今の私は《霊体》なのだ。
ここのストレッチャーではないということは・・・。
カーテンを出た私は、搬入口に近いストレッチャーということか。
再びカーテンの中を覗くと、そこに私がいた。
右側頭部から右目にかけて大きなガーゼが当てられている。頭部の下に敷かれているシートには血液が乾いて暗赤色のシミが見えた。髪の毛は乾いた血液でカピカピだ。近くに置かれたワゴンの上には使用済みのシリンジの袋や薬剤・生理食塩水の空のアンプル、点滴のための留置針が何本も開封された残骸が見て取れる。あらゆる処置が施されたが、その甲斐なく死亡確認されたというところか。
首から下の方はタオルケットがかけられていて状態は見えない。見慣れないユニホームを着た看護師が外されたモニターの電極シールや途中で中止された点滴類を無造作にワゴンの上に置いていく。ストレッチャーの周囲を1人で粛々と片づけていた。
ストレッチャーの横のパソコンの前では、色褪せた緑色のスクラブを着た医師がカルテを入力中だ。胸ポケットに付けられている職員証を見ると脳外科という文字が見えた。若く見えるがどうやら研修医ではないらしい。医療業界は狭い世界だ。看護師は離職や再就職が多いため、一緒に働いていた看護師と別の病院で患者と看護師として再会することは珍しくない。ただ、ここには知っている顔はいないようだ。
搬送されたのが勤め先の病院ではなかったことにホッとしていた。
他の人はどう考えるのかはわからない。職場である自分の病院で出産する人も多くいるし、病気になれば受診して必要であれば検査や手術を受ける人もいる。自分が働く病院で通院できるメリットは勤務時間中に調整しながら診察してもらえることだ。しかし、それにはプライバシー保護という点で避けられないデメリットがある。電子カルテは外来や病棟、すべての診療科の履歴を見ることができる。それは職員全員に与えられた権限であり、仕事上必要なことではあるのだけれど、それが職員の情報であっても見ることができてしまう。職員の規定としては担当の患者以外、開く必要のない人のカルテを開くことは禁止されているが、それを取り締まる人はいない。ほとんどの職員はその規定を遵守している(と思う)。そもそも業務時間に関係のない患者のカルテを開いている暇がない(はずだ)。しかし、中にはモラルに欠ける人もいるというのが組織だろう。自分勝手な言い訳を準備して関係のない患者のカルテを開くことを繰り返す。そして、そういう人たちは他の人が知らない情報を知っているということに優越感を感じるようだ。それらの情報の欠片を自分なりに分析し、その情報を知らない人に得意げに披露する。噂というのは、こうして関係ない人の主観を含み事実と異なった形で伝達されていくのだ。
病院で働く職員の噂は職種を選ばず瞬く間に広がる。その話題性がセンセーショナルであればあるほど、多くの人にあっという間に広がっていく。その渦中の人になることだけは絶対に避けたいと思って生きてきた。
猫は自分の死期を悟ったら、人知れずどこかに消えて死んでいくというが、私もできることならそうありたいと考えていた。人間である以上、最終的には誰かしらの手を借りなくてはならないことは理解しているが、誰にも知られずどこかでそっと息絶えて土に還る。そんな死に方ができたならと憧れる(無理だけど)。
今はただ、運ばれた病院がここで良かったと思わずにはいられなかった。
もちろん交通事故で死亡したということは、病院中にあっという間に知れ渡るだろう。
しかし、その最期の状態の詳細を無責任に語られることがないということに、人としての尊厳が守られた気がして心から安堵した。
救急センターの待合室では警察官の一人が書類に何かを書いていて、もう一人は無線で状況説明をしていた。ここに母や姉はいないことから、まだ私の身元を確認しているのか、連絡を取っているところなのかわからなかった。
最近のスマホは、交通事故などの衝撃によって緊急連絡先に繋いでくれる機能があったりするが、あのとき私のスマホは車の中だった。身元が分かるようなものと言えば、運転免許証、マイナンバーカードが財布の中に入っているくらいだ。同居している家族はいないし、スマホには常時ロックをかけている。
勤務先の病院のICカードは持ち歩いているが職員証はロッカーの中だ。
これでは、名前や住んでいる場所はすぐにわかっても、一人暮らしの私の関係者に連絡をとることは、この場にいる人だけでは難しい。
認知症の高齢者に身元や緊急連絡先を記したカードを携帯させることはあっても、健康に生活している人間はこんな場面に遭遇することなんて想定していない人がほとんどだ。保険証がマイナンバーカードと別だった時は、財布の中に入れていたからすぐに勤務先がわかっただろう。
そう考えると、自分の病院に運ばれたなら話が早かっただろう。
とはいえ、この病院に運ばれて良かったという思いに変わりはない。
私は、無線で話している警察官の横に近づき向こうの音声が聞こえる位置に立つ。無線の音がジージーと途切れ途切れに聞こえるが、相手が何を言っているか聞き取れなかった。
すると横で話している警察官が意外なことを言った。
「救急隊員が言うには●●病院の救急センターで働いている看護師ではないかとのことでした。」
確かに、当直で働いていると患者を搬入してくる救急隊員の人と顔を合わせる。ただ、私は救急隊員の顔を全くと言っていいほど覚えていなかった。患者が搬入されてくるときの緊迫した状態で、患者以外目に入っていないというのが正直なところで、救急隊員の顔を見てもいなかったように思う。まさか私の顔を覚えている人がいたとは・・・。意外なところから有力な情報が出てくるものだと感心してしまった。
警察官は身元の確認の進捗について看護師に伝えるため待合室から診察室のドアをノックした。
警察の本部が、その手掛かりから職場や家族の連絡先などを調べている間、私の遺体はCT室に運ばれていった。
交通事故の場合や自宅で突然死した場合などは、死亡時の状態を確認することができるようⅭTやMRIを撮影することが多い。私の遺体も警察の依頼のもと、この病院でAiCTを撮影することになったようだ。
一般的に病院で亡くなった場合、ご遺体はキレイに身体を拭き、体液が漏れ出ないような処置やきれいな寝衣に着替えてから送り出す。しかし、交通事故死の場合、救急センターで必要な検査を行った後、それらの処置は行わず、ほぼ搬送されてきた状態で警察署に運ばれていく。
病院でのAiCTの撮影後、私の遺体も例外なく血液でカピカピの髪の毛のまま警察署の遺体安置室に運ばれることとなる。
救急隊員のおかげで、私の勤務先が判明し勤務先に提出していた緊急連絡先の母に連絡が入れられたようだ。待合室で待機している警察官がその連絡を受け、救急センターの看護師にその旨を伝えている。母と姉には病院ではなく直接警察署に出向くことになっているとも伝達された。看護師は、さっきの脳外科医が記入した死亡診断書と書類が入っている封筒を警察官に手渡し、病院での対応が終了したことを伝え警察官は遺体の移送に取り掛かった。
私は、自分の遺体とともに警察署へ移動した。
遺体が警察署に移送されてから30分くらい経過したころ、到着した母と姉は担当の警察官から事故についての説明を受け、私の遺体と面会するため遺体安置室に案内された。私はその部屋の隅に立ってその様子を見ていた。
まさかこういう形で警察のお世話になるとは思ってもみなかった。母も姉もそうだろう。これまで、事故を起こしたことも、犯罪に巻き込まれることもなく平和に暮らしてきた私たちにとって、警察署にお世話になることはせいぜい運転免許証の更新の時くらいのものだった。
母と姉は、私の遺体を呆然と見つめながら静かに涙を拭っていた。
交通事故死、人身事故ということは、あのトラックの運転手は、私をひいてしまったばっかりに逮捕されることになるのだ。確かに前方不注意で急停止することができなかったにしても、猫をひくのと、人間をひいてしまうのとでは罪の重さが全く違う。
猫は死に、私も死んで逮捕者が出た。
やるせない気持ちに押しつぶされそうになった。
面会を終えた母と姉は、担当の警察官に案内され事務室に移動していった。警察署の窓口対応時間をとうに過ぎている警察署内は消灯されていて、非常口の誘導灯だけが廊下を照らしていた。先頭を歩く警察官は、時折振り向き母と姉の様子を伺いながら進んだ。警察官のすぐ後ろを歩いていた私は、振り向かれる度にドキッとしたがその視線は私の身体をすり抜けて後ろにいる二人に集中している。
廊下を左に曲がるとその廊下の先に右側の部屋から漏れ出ている明るい光が見えた。その光に吸い込まれるように警察官が中に入ってすぐに立ち止まり振り返った。
私は急ブレーキに驚いて身体の前に手を出したが警察官の上腕をすり抜けるだけだった。
『びっくりしたぁ。ぶつかるかと思った』
事務室に入ってすぐ右側にパーテーションで仕切られた簡易的な個室があり、そこには古びた応接セットが置かれていた。母と姉をそこへ座るように誘導し、
「こちらで少しお待ちください」
と声をかけてから、警察官は事務室の奥に進んでいった。
広々とした事務室の中にはたくさんのデスクが並んでいて、部屋の中央あたりにあるデスクの上にA4の書類と私の通勤バッグが置かれていた。警察官は、書類とバッグを持って応接室へと足早に引き返す。
母と姉の向かい側に座った警察官は、私のバッグとA4の書類を応接セットのテーブルに置いて私の運転していた車と遺体の引き渡しについて説明を始めた。
説明が終了すると、警察官はすっと立ち上がった。
続くように姉も立ち上がり、ゆっくりと立ち上がる母の腕を支えている。
立ち上がった母は
「お世話になります。失礼します。」
と弱々しい声で言うと深く頭を下げ、母の腕を持ち支える姉も一緒に頭を下げてから事務室を後にした。
事務室を出ると廊下はさらに暗く感じた。いつもは申請や運転免許証の更新などを取り扱うカウンターの中も誘導灯のぼんやりとした明りに照らされているだけだった。
二人の足取りは重く正面玄関までの短い距離がとても遠く感じた。
私は警察署を出て姉の運転する車の後部座席に母と並んで座り実家に戻った。
実家に入ると姉はダイニングの椅子に座り、居間の一人掛けソファには母が腰を下ろした。警察署を出てから車の中でも家に入ってからも2人は一言も発しなかった。
時計を見るともう20時を過ぎている。私が事故に遭ったのは仕事帰りで11時頃か、ずいぶんと時間が経っていた。
静寂を破るように電話が鳴った。ソファからゆっくりと立ち上がった母が電話を取る。
「はい。・・・・・
今、警察署から帰ってきたところで、・・・はい、遺体が戻るのは明後日と言われたんです。・・・はい、わかりました。じゃあ、明日、はい、よろしくお願いします。」
そう言って受話器を置いた母は、姉に向かって話をする。
「孝おじさんから、今日はもう遅いし遺体が返って来るのが明後日になるなら、葬儀の準備は明日でいいだろうって」
姉は頷くだけだった。
一度腰を上げた母は、その勢いで2階の納戸に上がっていった。
私も母と一緒に2階に上がっていく。母は納戸の奥にしまい込んでいる自分の喪服と姉の礼服を取り出すと、クリーニングのビニールを剥がして、ホチキスで止められている細いタグを外した。そして、納戸の本棚にしまい込んでいるアルバムを引っ張り出して写真を眺め始めた。
父が亡くなった時、葬儀屋さんから遺影のための写真を選ぶように言われ、最新の写真がないということに気づいた。同じ歳の両親の還暦の記念に家族で温泉旅行に行った際、赤い“ちゃんちゃんこ“を着せ姉のスマホで写真を撮ったがプリントしていなかった。プリントしていたとしても、母は赤い帽子とちゃんちゃんこの遺影は嫌だと言い張り、結局は20年くらい前の若かりし頃の写真が選ばれた。
葬儀屋さんはその写真の父の姿だけ切り取り、水色から白色のグラデーションになった背景の中に父の姿を収め遺影を作成した。祭壇に飾られる大きなポスターサイズと額に入れられた中くらいのサイズ、卓上に飾れる大きさの小サイズの写真をフレームに入れ、3つの遺影が準備された。それぞれのサイズの遺影は斎場内で使用され葬儀が全て終了した後、お花やお供物などと一緒に実家の仏間に運び入れられた。中くらいの写真は額のまま仏間に飾られている。卓上サイズの物は居間のデザインボードの上に一輪挿しと一緒に飾られている。そして、大きなポスターサイズだけは持て余されて父の遺品と一緒にお焚き上げしてもらうことにした。
亡くなった後もずっと飾られ続ける写真が遺影だ。
最近、私は写真を撮っただろうか。携帯電話がスマホになってからは、デジカメもお払い箱になり写真のデータはすべてスマホに入ったまま1枚1枚を写真としてプリントすることは一切していない。とは言え、今やそのデータの大半は“推し”で埋め尽くされている。
SNS投稿をしない私は、日常の中で写真を撮ることもない。
家族がいれば思い出を残すためにたくさんの写真を撮るのだろうけど・・・。いや、独身であってもキラキラした日常を発信するため、きれいに着飾った自分や洒落たカフェで可愛らしく飾られたスイーツの写真を投稿する人もいるが、ものすごく田舎ではないけれど都会でもないこの街でキラキラした日常なんて別世界の話でしかない。
いや、むしろ田舎の人の方がSNS発信するネタが豊富かもしれない。
「田舎暮らし」や「スローライフ」は都会の喧騒で疲れ切った一部の人たちにとっては憧れだ。実際は別として、そうした暮らしぶりをSNSで発信する人が一定数いることは事実だ。そこまで田舎でもなく、丁寧に暮らしているわけでもない私には、やはり発信したいものは何もない。
私にとってSNSは不定期に発信される推しの活動について知るための情報収集ツールであって、推しが発信してくれる自撮り写真や動画をチェックするためのものだ。
昔からの友人との繋がりもあるにはある。友人の投稿した写真や記事は流れてくるが、なんとなく流し見しているだけだ。私の目的はあくまで推しであって、推しの写真を保存して眺めて楽しむためのものでしかない。推し活4年目ともなると、私のスマホのデータは推しでパンパンだ。
日常の中で写真を撮ることなんて皆無だ。ましてや小じわやシミが気になり始めた中年のおばさんが自分の顔を撮ることなど、現実を知ってなけなしの自尊心を砕くような行為でしかない。コロナが流行する前から、しばらく旅行にも行っていない私は記念写真を撮る機会もなかった。
そういえば、マイナンバーカードを作るときと運転免許証の更新の時に証明写真を撮ったな。まあ、私の最近の写真と言えば、せいぜいそのくらいのものしかない。
母は納戸に篭もって私の生まれたときのアルバムを取り出し、父に抱かれている1歳にも満たない私の写真をぼーっと眺めていた。
1時間程経ち、実家に置いてある写真は成人式の写真までしかないことに気づき、母もさすがに遺影に使える写真がないと判断したようだ。深くため息をついてから、座り込んでいた床に手をついてゆっくりと立ち上がった。喪服を持って居間に戻った母が姉に言う。
「写真がね、ないんだよ。」
居間のソファに移り横になっていた姉は母に話しかけられ身体を起こし、
「明日、アパート行ってみよう。」
と小さな声で返事をした。そして居間のテーブル置かれた私の通勤バッグに気づくと、
「スマホに写真とかあるのかな」
と母に話しかけた。
「あったら、それ見れるの?」
母が聞き返す。姉はバッグを探り始めていた。
私はそのやり取りを隣で見ていて思い出した。あのバッグにUSBメモリが入っている。
今日の朝、急いでいたからペンケースにもポーチにも入れずそのまま、バッグの内ポケットに入れたはずだ。私には触れることができない以上、姉が気づいてくれたら・・・。
当直の時には荷物が多い。着替えの下着や化粧品、ドライシャンプー、汗拭きシートなど小分けにしたポーチがたくさんバッグに入っている。姉は、なかなか見つからないスマホを探すため、バッグの中身をテーブルの上に出し始めた。
「これだってさ、全部もう久美子が使うことないから、片付けないとならないんだよね。」
明日行こうと言ったアパートの荷物も、全て持ち主がいなくなり処分されることになるのだ。
6個もあったポーチとスマホ、家の鍵と車のキー、病院のICカードハンカチ・ティッシュ、手帳とペン、財布、リンゴのチャームがついたUSBメモリが並べられ、姉はバッグを逆さにして何も残っていないことを確認した。
並べられた物の中から姉はスマホを手に取り電源ボタンを押す。画面は顔認証ができなかったことを表示した後にパスコードを求める画面になった。
「画面ロックされてるね。すぐには見れないかも。」
こういう場合、いったいどんな風に処理されるんだろうか。携帯会社の契約は家族が解約するにしても、スマホの中で、故人が契約してきたいろいろは、どうなってしまうのか。
姉は一度だけ私の誕生日でパスコードを入力してみるが、スマホが振動し間違っていると断られただけだった。
私のスマホのパスコードは、きっと誰にもわからない。
死んでしまった今、どこかにヒントを残すべきだったと後悔したところで、すべては今更でしかない。
スマホを開くことを諦めた姉はUSBメモリを手に取った。
「これ、何のデータだろうね。」
姉の言葉を聞いても、電子機器全般のことについて全く疎い母は、何を言われているのかわからないといった様子で姉を見た。
職場に持ち歩くUSBメモリに個人的なデータが入っていることはないだろうと、姉もわかってはいるだろうが、これも遺品整理のうちだとでも思っているだろうか。
自分の部屋からノートパソコンを持ってきた姉は電源をつけてUSBメモリを差し込んだ。セキュリティ付きのもので、これにもパスコードが必要なのだが、職場の人と共有することが多いこのUSBメモリにはパスコードを書いた小さな紙を貼り付けていた。姉は気づくだろうか。
パスコードの入力画面が表示され、姉は
「これもか・・・」
と小さくつぶやいたが、ふと視線を落としたUSBメモリの本体に透明テープで貼り付けられた8桁の英数字と4桁の数字に気づいたようだ。
求められているのは4桁の数字だ。表示のまま4桁の数字を入力しあっさりとロックは解除された。
パスコードの意味は成していないが、共有したい人にわかりやすい形で伝えられて良かった。
姉は、今必要な写真のデータではないだろうと開く前からわかっていたのだろう。予想通り、ファイル名は私の仕事関連の資料であることは一目瞭然だった。
毎月の会議資料のデータの中に
【10月会議資料 新人教育マニュアル(案)】
も含まれている。帰宅してから修正して明日持っていくはずだった。
・・・そういえば、明日出勤できないことを職場に連絡しなければ・・・いや、もう身元確認の時点で知られているのか?
こういう場合、家族が連絡するものなのかな?
あー、わからない。
姉は、自分が必要なデータはないと判断しファイルを閉じてUSBメモリを抜き取ってから、母に
「これ、仕事の資料とかがたくさん入ってるみたい。職場の人に渡した方が良いかもね。」
と話した。
『お姉ちゃん、グッジョブ!』
私は思わずグッと握りこぶしに力を込めた。
姉は続けてこう言った。
「事故のことって、職場には伝わってるのかな?」
私が気になっていたこと。
「病院から連絡が来たから伝わってると思うけど・・・」
母もどう対処したら良いのかわからないようだ。
「警察の人が問い合わせるのって、きっと人事の人でしょ。どんな風に連絡されるかわからないけど、部署の人に一度、直接連絡入れた方がいいよね。多分。」
2人の中で話し合われ、明日の朝に部署の人に連絡を入れることになった。
順番に軽くシャワーを浴び、それぞれの部屋でベッドに入った2人だが、あまり眠れていないように見えた。
翌朝の8時過ぎに、姉は私の勤め先の病院に電話をかけた。私は通話相手の声が聞こえる距離で横に立っていた。
「いつもお世話になっております。小川久美子の姉です。」
と名乗ったところで、夜勤スタッフは慌てた様子で
「少々お待ちください。」
と姉が話そうとしているのを制止した。誰の声だろう。若い子だな。
師長はいつもよりも早く出勤していたようで、すぐに交代して電話口で挨拶をする。
「お電話変わりました。師長の山本です。」
「いつもお世話になっております。小川久美子の姉です。」
姉がもう一度同じセリフで挨拶をする。
「あのですね。久美子なんですが、昨日、交通事故に遭いまして・・・」
いざ話をしようとなると、何から話したら良いのかわからないといった感じで、歯切れが悪い。
「病院の方に警察から連絡が入ったかと思うのですが・・・」
そこまで姉の話を聞いていた師長が口を開く
「昨日の夕方、病院の人事の者から連絡がありました。突然のことで、なんと申し上げたら良いのか・・・。わざわざ、ご連絡いただいてありがとうございます。」
いつも冷静に言葉を選び、会議などでも流れるような口調で意見をいう師長もこういう状況は初めての経験だろう。
「お忙しい時間にすみません。いろいろとご迷惑おかけします。」
私の気持ちを代弁するように、姉が師長に伝えてくれた。
「いえ、そんな・・・。」
師長が言葉を詰まらせている。
「また、改めてご挨拶させていただきますので、今日はこれで・・・」
と姉が電話を切ろうとすると、
「ご葬儀の日程は、お決まりですか?」
師長に確認され、姉は
「まだ、遺体が戻ってませんので明日以降になる予定です。これから葬儀屋さんに連絡を入れることになってます。」
と返答した。
「日程がお決まりになりましたら、教えていただけますでしょうか?」
姉は師長の言葉に、わかりましたと伝え電話を切った。
職場の上司としては、確かに葬儀の確認は必要だ。きっと院長や理事長からの花が届くはず。
それに、仕事帰りの事故ってことは労災もおりるのか?それらの説明も今後母にされることになるのだろう。
姉が電話をしている最中、母は玉ねぎと卵の味噌汁と炊き立てのご飯でおにぎりを作っていた。
「やっぱり、人事の人から知らされてたみたい。葬儀の日程、教えてほしいって。」
ダイニングの椅子に座り母に伝える。
母は作った味噌汁とおにぎりをダイニングテーブルに並べながら
「そうなの?葬儀に職場の人たちが来るってこと?お母さんは家族葬で良いんじゃないかと思ってたんだけど、お姉ちゃんはどう思う?」
まだ湯気が立ち上る味噌汁とおにぎりを見ながら
「まあ、お父さんの時に病院がお花出してくれたでしょ?病院としては職員が亡くなったら対応があるだろうし、葬儀の日程は伝えないと。それに大きい病院で勤めてたわけだし、久美子って交友関係広いみたいだしね、一般的な葬儀の方がいいのかもしれないね。」
と答えた。
自分の葬儀をどんなふうにしてほしいなんて考えたこともなかった。
思えば、生き続けることに執着はなかったけれど、自分の死がこんなにすぐ訪れるなんて考えもしていなかった。私の人生の唯一のイベントはお葬式なのだろうと漠然と考えていたが、心の準備も身辺の準備もしないまま死んでしまった。まあ、そもそもお葬式って死んだ人のためというよりも、残された人のためのものだと聞いた事があるし、自分で考えるものとは思ってなかったかもしれない。
味噌汁とおにぎりで簡単に朝食を済ませた頃、家のインターホンが鳴った。
母が急いで出ると孝おじさんが玄関に立っているのが映し出される。
姉が一言
「ちょっと早すぎない?」
と言い、それを母が
「そんなこと言わないの」
と小声でなだめるように言いながら玄関へ向かった。
確かに、まだ9時前だ。親戚とはいえ訪問するにはちょっと早いように思う。まあ、姪っ子が急死したとあっては落ち着いてもいられないのが、孝おじさんの性分だろう。
母が玄関ドアの鍵を開けると、母がドアを開けるよりも早く外からドアが開けられた。孝おじさんとその後ろに申し訳なさそうに小さな身体をさらに小さくした多美子おばさんが立っていた。
「なんでこんなことになるかなぁ」
叔父は開口一番そう言った。
「ほんとにねぇ・・・・・・ここじゃあれなんで、上がってください。」
母は返答に困りながらも、家に入るよう促すと叔父は早々に靴を脱いで上がる。後ろにいた叔母は
「ごめんなさいね。落ち着かないみたいで、まだ早いって言っても聞かないもんだから・・・」
と恐縮して頭を下げる。仕切り屋でせっかちな叔父の性分は、年を取ってさらに前面に押し出されているようだ。一緒に年を取ってきた叔母は制止しきれずに、諦めて一緒に行動し頭を下げて歩くのだ。
まずは仏間に行ってお線香をあげることが叔父のルーティーンだ。叔母も後に続いて仏間に入っていった。母は玄関から居間を通り抜けて台所でお茶を入れる準備を始めた。姉はそれを見て茶箪笥から客用の茶碗と茶托を取り出し台所に持っていった。
やかんのお湯が沸いてきた頃に、仏間から移動し叔父夫婦が居間に入ってきた。
「新聞に出てたな。」
叔父が言う。
『そうなんだ』
思わず口をついて出た。
母は急須からお茶を入れながら答える。
「そう。うちは朝刊を取ってないから。」
「なんであんなとこになぁ。」
どうにも受け入れられない現実を何度も反芻し、やりきれないと言った表情で肩を落とした。
「警察の人が言うには、猫を助けようとして道路に出たみたいでね。」
母が言うと姉が続いて言う。
「なんだかね、どんくさいのに・・・」
『ちょっと酷くない?』
・・・まあ、結果を見れば確かに否めないんだけど。
「久美ちゃん優しいから・・・」
という叔母のフォローに
『多美子おばさんが一番優しいよ』
と言葉にするが届かない。
叔父は深いため息をついて、一口お茶をすすった。それに続くように叔母と母もお茶をすすって息を吐いた。
「今日は?遺体が返って来るのは明日なんだろう?葬儀屋は?兄さんの時と一緒かい?」
仕切り屋の性分がうずうずしだしたように、矢継ぎ早に質問を投げかける。
「葬儀屋さんは同じところで良いかなと思ってて、もう少ししたら連絡してみようかと思ってます。あとは、警察に久美子の車が置いたままで、それを持ってこなきゃならないのと、写真がないからアパートに行ってみようかって話をしてて。」
母が言うと、叔父は仕切り始める。
「じゃあ、葬儀屋に連絡して遺体の引き取りとかどうなるのか確認してから、俺が小百合を乗せてくから車を持ってくれば良いな。そん時に遺体の引き取りのことも警察に伝えてくればいいんだ。」
大学を出た後、役所勤めをしてきて5年前に定年を迎えた叔父は、物事を整理して実行することが得意な人だ。役所勤めで得られた経験や知識が、もともと責任感の強い世話焼きな性格に拍車をかけているのではないかと思う。こうした不測の事態が起きたとき、現場を仕切る人が1人いてくれたらとても助かるのは確かだ。ただ、定年退職し嘱託で延長されていた仕事も今年の3月で辞めたあと、四六時中一緒にいる叔母にとってはどうだろうか。夫源病にならなければいいが・・・。
叔父と話をしているうちに時間は9時半を回っていた。
母は葬儀屋に電話をして、今後の対応について説明を聞き、葬儀プランや詳細を決めなくてはならないため午後から葬儀屋に行くことになった。遺体の引き取りなどの連絡等は葬儀屋が全て手配してくれるらしく任せることとした。
叔父はそれを聞き、姉を警察署に送り届けた後、一旦帰宅し午後の葬儀屋での打ち合わせに一緒に行くから葬儀屋で待ち合わせをしようと母に提案し、母は承諾した。
車を移動した後、アパートに行こうと母と話した姉は、私の通勤バッグから車のキーを出して叔父夫婦と一緒に家を出た。私も叔父の車の後部座席に姉と並んで座り警察署に向かった。
警察署には葬儀屋からすでに連絡が入っていたようで、スムーズに話がついた。預けていた車の場所を教えてもらい、姉は私の車の運転席に乗り込んだ。私は助手席から姉の様子を伺うが、乗り慣れない車に戸惑っている様子だ。シートを前後に調節し、ハンドル周りのボタンやシフトレバーを確認し、恐る恐るエンジンをかける。のろのろと動き始める車の助手席で私は気が気ではない。この地域では自家用車が欠かせない。姉も高校卒業時に免許証を取ってから、自分の運転する車で通勤する毎日だ。運転歴は長いため、車が変わっても徐々に慣れると周囲の車の流れに乗って運転することができる。無事に実家の駐車場に到着し姉の車の横のスペースに停めてエンジンを止めた。
帰宅した姉を準備万端で待っていた母が出迎え、姉は今度は自分の車のキーを持って自分の車に乗り込んだ。続いて車の後部座席に乗り込んだ母に
「アパートの鍵は持った?」
と確認した。母はバッグの中を確認し、
「大丈夫、入ってる」
と答えた。心配性で用心深い姉と、忘れっぽくてうっかりしている母の二人暮らしは、いつもこうなのだろう。家を出てしまった私は、母のサポートを姉に押し付けてしまったということになるのだろうか。
実家から車で15分ほどの距離に私のアパートがある。母は一人暮らしをすることに反対していたが、仕事上、不規則な生活パターンになるため、お互いに気を使いながらの生活は疲れるだろうと説得し家を出た。本心では、母の過干渉から逃れたいということが大きな理由だった。私の一人暮らしに納得していなかった母は、私がコロナに罹ったとき、食料や飲み物を玄関先に持ってきてくれたことはあったが、この部屋に入ったことがない。こんな形で家主不在の部屋に入ることになるとは、思ってもみなかっただろう。
いつもなら私の車が停まっているはずのスペースに姉の車を駐車して、2人は私の部屋玄関の前に立つ。少し緊張しているのか、慎重にゆっくりと鍵を回し解錠を確認するようにドアを開ける。玄関の土間には何も置かれていない。リビングにつながるドアを開けるとすべての窓のカーテンが閉められていて薄暗かった。当直の日の朝は一度開けたカーテンを全て閉めてから出かけるようにしていた。
「暗いね」
姉が言い、玄関から近いダイニング側の窓のカーテンを開けた。
「空気も入れ替えようか。」
カーテンに続いて窓も開ける。私も当直明けで帰った時には、カーテンと一緒に窓も開けて空気の入れ替えをしていた。前日の朝から昼までの1日半の時間締め切られただけなのに、家に帰ると空気が淀んでいるような気がして、雨の日も冬の寒い日も短時間でも必ず換気した。
母は部屋に入ってから全体を見渡すようにして立っていた。
「まあまあ、きれいにしてるね。」
本は多いが、一応整理はしている。リビングの隣の一室は、仕切る引き戸を常に開けていて解放感がある。その部屋の南側の窓もカーテンが閉められている。母はその部屋に入りカーテンと窓を開けると本棚に収められている本やファイルを眺め始める。一番下の段に卒業アルバムと並んでいろいろな写真を収めたファイルが立っている。
家族に見られたくないような写真は入っていないはず。歴代・・・とは言っても片手で足りるくらいだが、交際した人との思い出になるような写真は別れた後わりと早い段階で処分してきた。手元に残している写真のほとんどは、高校時代からの親友である”めぐ”と”陽子”との旅行で撮った写真や、看護学校の同期との思い出の写真などのはずだ。ただ、その中にここ最近撮影されたものはない。プリントされた写真で最新のもの・・・一体何年前のものになるだろう。
卒業アルバムを見つけた母は、床に座り込んでアルバムを引っ張り出した。小学校と中学校の卒業アルバムを出し、横に並んでいるアルバムを何冊か取り出した。姉はリビングにある扉付きの収納ラックを開けていた。
『そこには、神聖な私の推しグッズが!』
所狭しと並べられた写真集やCD、DVDや関連グッズがびっしりと詰まっている。4つある扉を一つひとつ開いて中を確認していく姉は、開くたびに見えるNJTのメンバーの顔をみて
「ここにも、ここにも・・・」
「どんだけつぎ込んでるんだか・・・」
呆れたように言い放った。
『良いでしょ!これが私の唯一の癒しなんだから!』
この収納ラックには目的の物がないと察した姉は、顔を上げ部屋を見渡す。母が座り込んで何かを見ていることに気づき近づいて、それらがアルバムだと認識した姉は
「良さそうな写真ある?」
と聞いた。
「どれも若いね。」
アルバムを丁寧に開き確認しながら母が答える。
「これ、めぐちゃんと陽子ちゃんだね。」
高校時代から仲が良く、家にも泊まりに来ることもあった2人のことは母も姉もよく知っている。
「二人とも結婚して今は東京って言ってたね。」
今年のお正月に会ったのが最後だ。まあ、グループチャットで連絡は取り合っているけど。あれが最後になるとは思いもしなかった。
話しながらも4冊目のアルバムを手に取ってページを開いていく母は、写真を見ているのかいないのか。姉が、
「これはいつくらいの写真だろうね。」
看護学校の同期と一緒に行った沖縄旅行の時のアルバムだ。これは何歳だっただろうか。30歳くらいじゃなかったかな。
母はアルバムに収められた写真の中には、目ぼしいものがないと思ったのか、腰を上げて本棚のファイルや過去の手帳を手に取り始めた。
『あー・・・、手帳は』
あんまり見られたくはないかもな。でも仕方ない。5年前の手帳を開くと数枚の写真がパラパラと落ちた。
「写真だね。白衣着てる。」
母がその数枚の写真を拾い上げながら、姉にも見るように手渡した。
私が新人の頃からお世話になってきた米田師長が他の部署に異動になるとき、ナースステーションで撮ってもらった写真だ。ともちゃんが撮影して、わざわざプリントして配ってくれたのだ。もしかしたら、最新の写真はこれくらいしかないかもしれない。ユニホームを着ている写真が遺影ってどうなんだろうか・・・。そもそも遺影って最新じゃなきゃいけないってわけじゃないのでは?
母と姉もこの場では写真を決められなかったようで、数冊のアルバムと最後に見つけた数枚の写真を持ってきた紙袋に入れた。
母は立ち上がると、おもむろに冷蔵庫を開けた。一人暮らしにしては大きめの冷蔵庫には、作り置きの料理が入った保存容器が4個、梅漬けや調味料、野菜室にはジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、キャベツ、手つかずのブロッコリーも入っていた。冷凍庫にもそれなりに食材が詰まっている。
「けっこう入ってるね。」
姉も一緒にのぞきこんで冷蔵庫の中を確認するとそう言った。
外食やコンビニ弁当もほとんど食べない私は冷蔵庫の中に食材を欠かさない。
「こんなには持ち帰れないね。」
母が言うと
「うちの冷蔵庫もけっこう入ってるしね。」
と姉が答える。冷蔵庫の電源は落とせないと判断したようだが、作り置きのおかずが入った保存容器4個とブロッコリー、半分に切られているキャベツは母が持ってきたエコバッグに収められた。
主を失ったこの部屋を片付けに来るのはいつになるか目途が立たない今、生ごみなどが残っていないか確認した方が良いと叔父に言われていた。母はゴミ箱を見つけ蓋を開ける。あの日、当直の日の朝、ちょうど燃やせるゴミの日で家中のゴミを集めて出したからゴミ箱の中は空っぽだ。
そして、貴重品があるなら全部持ち出した方が良いとも言われていた母は、今度は貴重品を探し始める。キッチンの奥にある寝室に4段の背の低い収納があり、その一番上の引き出しに通帳やキャッシュカードと現金が30万円ほど入れている家計管理用の収納ポーチが入っている。
姉も同じような収納ポーチに通帳や現金を入れて保管していると話したことがある。引き出しさえ開ければわかると思うのだけれど。
さっき姉が見ていたリビングの収納には、推し活グッズしか入っていない。母はその収納の扉を開けようとするが、姉が
「そこには貴重品らしいものはなかったよ。」
と母に声をかけ
「韓国アイドルのグッズだらけ。」
と付け加えた。その言い方にトゲのようなものを感じて
『何か問題でも?』
思わず姉に向かって言うが当然何も反応しない。それがさらに腹立たしかった。
母は、
「ああ、あれかいUSJとか何とかっていう・・・」
年を取ると横文字や英数字を並べられると途端に覚えられなくなるのは、40歳を過ぎてわかるようになってきたが、今のは酷い。
『それじゃテーマパークだから』
「それ大阪のテーマパーク」
さすがの姉もツッコミを入れる。
「NJTだよ。」
反韓とまではいかないが、K-popというか、韓国に対しあまり良いイメージを持たない姉は、40を過ぎてから突然NJTにハマった私に首を傾げていた。とはいえ、NJTについては姉も知っているくらいの知名度なのだ。日本だけじゃなく世界中にファンがいて活躍するスーパーアイドルだ。物にも触れられない今、写真集を開こうにも開けない私はもう彼らの顔を当分の間、見ることすらできないなんて、こんなことになるなら、部屋中にポスターやトレカを飾っておけば良かった。
母が収納の扉を開けて、ジェヒョンの写真集を手に取りパラパラとページをめくり出した。
「わからないねぇ、これが人気なのかい?」
ジェヒョンは私の”最推し”ではないけれど、世界ランキング1位にもなったことがあるイケメンなのですよ、母よ。
「まあ、人生には楽しみが必要だから・・・」
と話す母も、昔は西城秀樹に入れあげていた時代があったことは私も姉も忘れていない。
この収納には貴重品がないと判断した母は、寝室に入っていった。
寝室に入ってすぐ右手に収納を置いている。この収納は実家にいたときにも使っていたものだ。母はすぐに気づき、一番上の引き出しを引く。収納ポーチは引き出しを引いたらすぐ手に取れる。防犯の観点から見ると泥棒が頭を使うことなく見つけられる場所だと思うが、金庫があるわけではない私のこの部屋の中で、そもそも貴重品を隠すことは無理だろう。
母は収納ポーチを手に取りファスナーを開ける。中には通帳2冊とキャッシュカード2枚、半透明のジッパー付きクリアケース3枚にそれぞれ1万円札を10枚ずつ入れている。間違いなく貴重品であることを確認しポーチと一緒にしまってあった実印も母は見つけてポーチに押し込んだ。
「あったよ。通帳とかカードとか。」
留守の時間が長くなるであろうこの部屋に万が一にも泥棒が入ったとして、盗られて困るものはこのポーチに入っているものくらいだろう。保険証券やアパートの契約等の今後必要になる書類もあるだろうが今は時間がない。母は腕時計を確認し
「そろそろ帰らないと・・・」
と姉を促しアルバムを入れた紙袋と、冷蔵庫から出したものを入れたエコバッグを持ってアパートを後にした。




