【第一幕】皇国潜入篇 第十二節
【魔王リリス】
揺蕩う意識の中、なぜか右手だけがやけに温かかった。
身体中から熱が消え去ったかのように冷たくなっている中で、私の右手だけが唯一温度を持っていた。
ここはあの世だろうか?私はもう死んでしまったのだろうか?
真偽は分からないがふとそう思った。だってそのくらいこの場所は安らぎに満ち溢れていたのだから。
死因が暴漢どもによる暴行ってところは納得できないが、少なくとも今この世界は静寂に満ちていた。
この凪の世界では苦しみも悲しみもない。もう理不尽な目に遭うことも、辛い現実と戦う必要もない。
だけど同時に喜びに身を震わせることも、幸せを噛みしめる事もないのだろう。そう愛する人と触れ合うことも、その唇に吸い付くことも
もう出来ないのだ。
歯を食いしばって生きていくことと何も感じることのない死では何方がより幸せなのかを今の私には分からなかった。
ただ右手に宿る熱が私を呼んでいる気がした。
彼女が私を求めてくれるのであれば今一度あの世界に帰ろう。苦痛と苦難に満ちたあの世界に。
彼女が私のことを心配しているのであれば、せめて安心させてあげなければ。
彼女は今迄築き上げてきた地位、名誉などあらゆるもの全てを投げ打ってまで、私を庇ってくれたそんな心優しい人なのだから。
その人に報いるためだけに私は現実に立ち向かう。
その人の幸せが私の幸せになると信じて。
今一度立ち上がるとしよう。
意識がまだボンヤリとしている。
定まらない意識の中、フワフワと宙に浮いているかの様な心地で今この瞬間が現実かどうかも判然としない。
そうか。私はまだ夢の中にいるのか。
現実感のなさからそう結論づける。
すると私の視界の端でアイリスが泣きそうな顔で覗き込んでいることに気が付いた。
彼女の悲しい顔は見たくないと思った。
彼女には笑顔が一番似合うのだから。
そのことを彼女に伝えなければと思った。
泣かないで。
「でも…リリスがそんな怪我負ったのは私のせい」
大丈夫。本当にそんなこと思ってないよ。
「私は思う!私が貴女に怪我を負わせたようなもの!だから…どうか、お願い」
私を許さないで。
そう彼女が呟いたのを聞いた。
分かったわ。貴女の事は許さない。
彼女がそう望むのであれば、私はその望みを叶えよう。
だけど彼女が私から離れることだけは絶対に許さない。
アイリスの事は許さないから、だから貴女は私とずっと一緒にいてね。
「で、でもそれじゃ私は納得できない。リリスをこんな目に合わせたのに…」
そんなこと気にしなくていいのに。
私は自分の目的のために耐えただけよ。
だからそんな顔しないで。
アイリスには笑っていて欲しいの。
「私、笑えるかな?」
ええ、大丈夫よ。
私はもうアイリスの笑顔が素敵だって知っているもの。
だから私の為に笑いなさい。
「頑張る…」
うん。
ねぇ…アイリスは突然居なくなったりしないわよね?
「うん。どこにも行かない」
約束よ?
アイリスは絶対に私に黙って何処か遠くに行ったりしないでね?
アイリスが居ないと私もう生きていけないよ。
そう伝えた時アイリスはすごく驚いた顔をしていた。
彼女のその表情を見て私は(リアルな夢だなぁ)と惚けた頭でそんなことを思っていた。
アイリスの可愛い顔を眺めているといつの間にか、スーッと意識が闇の中に吸い込まれていった。
目を覚ますとそこはベッドの上だった。
上体を起こそうとして、全身に激痛が走るのを感じた。その痛みが昼間に暴漢に襲われたことを私に思い出させる。
私は寝起き早々陰鬱な気分に陥いってしまっていた。
いやいや今は凹んでる場合ではない。とりあえず現状を確認しなければ。
そう思い現在地を確かめる。
ここは…どうやらアイリスの天幕のようだ。
私はアイリスが来てくれたことに安心して気絶していたのか。
天幕の隙間から見える外の景色は暗く、闇に染まっていたので現在が夜であることを知る。
アイリスはどこだろう?
彼女には心配や手間を掛けさせてしまった。それどころか結果的に私たちの目的を阻害するような事態を引き起こしてしまった。そのことを詫びたいと思い、辺りを探そうとした時に、自分の右手が温かいことに気が付いた。
右側に目を向けるとアイリスが私の手をキツく握りしめていた。
アイリスは俯いているが、どうしたのだろうか?
もしかしてあんな雑魚共に良いようにされた私に幻滅しているとか?
彼女に限って違うとは思うが、自分で言ってて悲しくなってきた…。でもそれにはちゃんとした理由があるんです!作戦のこととか、アイリスのこととか色々と…。でもそれを本人に言うのも恩着せがましくて嫌だし!
あぁもうどうしよう!?
軽くパニックになった私はその勢いに任せて何も考えずにアイリスの顔を覗き込んだ。
私はそこで初めて彼女が薄暗い部屋の中にいても尚、目に見えて分かるくらいに顔を真っ赤に染めて固まってしまっていることを知った。彼女はそのクリクリした目をかっぴらいたまま瞬きもせず、口も呼吸を忘れてしまったかのようにキツく結ばれていた。
へ?何で?
何でアイリスは真っ赤になって固まっているの?そんな純粋な疑問が生まれた。
もしかして私が倒れているその姿に欲情したとか?傷跡が彼女の性癖なのだろうか?
そんなよく分からないことを真剣に考えてしまう程度には私は混乱していた。
ま、まぁ?アイリスが私を求めてくれるというのならそれは大歓迎というかなんというか。私も彼女の覚悟に答える準備はしているというかなんというか。
でもなんだろうか、この考えには違和感を感じる。何か自分の中で腑に落ちない。
どうしても魚の小骨が喉につっかえているかの様なもどかしさを感じてしまう。
きっと自分ではいくら考えても答えは出ないのだろう。
下手の考えなんとやら…だ。
なのでここは本人に聞いてみようと思う。
「ア、アイリスおはよう。…えーっと、その、そんな顔して何かあったの?」
「え!?」
アイリスが私のことを驚愕の表情で見ている。
え?何をそんなに驚いているんだろう?
私絡みの事であることは間違いないと思うのだが…。
身に覚えがないのだけれど…本当に私は彼女に何をした?
「も、もしかして私アイリスに何かした?」
そう尋ねると彼女は顔をただでさえ赤い顔をさらに耳まで真っ赤に染め上げた。
「したっていうか…」
あの…その…と何とも歯切れが悪い。
ふむ…したのでは無いというのなら…
「何か言った?」
私の言葉を聞いたアイリスがビクッと肩を震わせて、アワアワしだした。可愛い。
いやいや!そうじゃなくて!
今のアイリスは可愛いだけの存在になっているから自分で思い出してみよう。
暫くの間自分の行動を振り返っていたが特に思い当たることはない。
いや、正確には無いと思いたい。
もし私の推察が当たっていたら、今この場で穴を掘ってその中に埋まりたい程に恥ずかしいからだ。
もうこのまま確認しないであやふやなままにしておきたい気持ちがちょっと、いやかなり、大分大きかったけれど、きっとそんな逃げる様なことは彼女が許してくれないと思う。
今にも泣き出してしまいそうな表情でそれでいて少し物欲しそうな目で私のことを見つめてくるアイリスが決して許してはくれないと思う。
その潤んだ瞳は私に効く。
大きく息を吐き、心の準備をする。
よし、聞くぞ!
「わ、私さっき夢現つにアイリスになにか…は、恥ずかしい事言ってた?」
それを聞いた彼女はコクンと頷いた。
その時の彼女の表情がやけに色っぽくて、目が離せなくなる。
だけどすぐに彼女の表情に影が差す。
アイリスは躊躇いながら私に問いかけてくる。
「リ、リリス、さっきの事覚えてない?」
そんな事を消え入りそうな声で私に訪ねてくるのだ。可愛いを擬人化したらきっとアイリスの姿をしていると思う。
少し現実逃避してしまったが、今は何とか彼女と向き合わなければ。
「覚えていないっていうか…」
覚えてないんじゃなくて、恥ずかしいだけなんです!
しょうもない私は肝心なところで日和ってしまった。
するとアイリスの目から堰を切ったように涙が溢れ出した。
「ご、ごめん。リリス、ごめんね」
嗚咽を漏らしながら彼女は続ける。
「り、りでぃずを…ヒッグ……ごんな目にあばぜたのは…わだじなのに…」
途切れ途切れになりながらも必死に
「だのに…でぃりすは、やざじいから!うぇ…やざじ…ぎるから!」
彼女の心情を吐露してくれる。
「ぞんだにやざじいとわだじ…えっぐ……ゆづさでるって…がっちあい…づる!」
そんな彼女が無性に愛しくて
「だんで!?ばたじの!ふぢゅ…い…ぜい……だのでぃ…なんでぇ…」
息も絶え絶えに自分の非を訴える彼女がとても可愛くて
「わだじもりぢずどおんあじべにじて!こんだわざしはぎらいっでいっで!」
自分を責め立てて欲しいとおねだりする彼女が魅力的すぎたので
私は彼女に一歩踏み込む。
近いいた彼女は怯えた様な表情をする。
その顔がまた私の琴線に触れる。
これじゃ昼間の下衆共とかわらないと自嘲しながらも、私は止まらなかった。
否、止まれなかった。
一歩一歩彼女の元に歩んでいくと彼女は嫌がった様子を見せ始める。
「い、いや!やべで!りぢず…ゃん…ばだじをぎらいでぃ……いで!」
そう言いながら彼女が後退っていく。
私は一歩一歩彼女を追いかけ、足を縺れさせて床に転がった彼女に覆いかぶさった。
嗚呼、アイリスはなんて愚かで愛しくて可愛いんだろう。
こんな彼女を見てしまったら私の気持ちが溢れてしまう。
彼女は罰を求めていた。
ならば与えよう。彼女が欲しがっている罰を。
そう思い組み敷いた彼女に顔を近づけていく。
彼女はまた嫌がって見せたが、その抵抗は本気のものではなく、むしろ私には彼女がキスをせがんでいる様にしか見えなかった。
そして私達は深く、深くキスに溺れた。
息もできない程深く沈んで行った。
私達はまだ何も成し遂げていない。
明日から先はもっと凄惨な日々が待っているのだろう。
だけど…いや、だからこそ今だけはお互いを強く求め合った。
彼女の魂に私という存在を焼き付けるために、私は彼女の唇を貪り続けた。
次回は久しぶりに0.5話書きます。
アイリス視点です!




