【第一幕】皇国潜入篇 第十一節
アイリス視点です。
【勇者アイリス】
指揮所に兵士が闖入してきて、最悪の報告を聞いた次の瞬間には私は走り出していた。
脇目も振らず、いち早く彼女の元に駆けつけたい一心で駆け抜ける。
どうか彼女が無事でありますように、そう心の中で祈りながら自身の出せる最速で彼女の元に駆けつけた。
そうして息を荒げながら自分達の天幕に辿り着いた時にはもう手遅れだった事を悟った。
目の前に横たわる彼女は手酷く痛めつけられた後だったのだ。
私の心に絶望と憎悪が泉のように湧き上がるのを感じる。
その矛先は誰よりもまず自分に向いていた。
私は何故敵陣のど真ん中で彼女を一人にした?
私は何故ここが安全だと勘違いした?
私は何故もっと周囲の様子を確認しなかった?
私は何故このクソ共を昨日の内に処理しなかった?
私は何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故……。
後悔に押し潰されそうになるのを堪えるので精一杯だった。
先ほど指揮官に指摘された事が今になって脳内にへばりついて離れない。
『貴女にしてはツメが甘かったのでは?』
ああそうだ。本当にその通りだ。すべて私が犯した罪だ。これは私のツメの甘さが招いた結果だと言う事は分かっている。
私が彼女を一人にし、ここを安全だと勘違いし、周囲の確認をも怠り、あまつさえ下衆共を昨晩の内に殺しておかなかったのだ。
今感じている理不尽は全部私の力量不足だ。
避けられた筈の悲劇だった。
私はそっと彼女の側に寄り、回復魔法を施す。
少しして彼女の息が少し穏やかになるのを見て少しだけ安堵する。
これでも私は勇者として様々な死線をくぐり抜けてきたのだ。
怪我の程度やそれが死に至るかどうかを見極めることに関しては他者よりも優れている自信がある。
私の見立てでは彼女の傷はそこまで深刻ではない。
強めの回復魔法を唱え、この先三日間ほど静養していれば治る程度の傷だと思う。
そのことに深く、深く安心する。
そうして私は元凶に向き直る。
絶対に楽には死なせない。
彼女が受けた苦痛を万倍にして味わわせてやる。
そう決意し、ゆっくりと彼らに怒りの矛先を向ける。
下衆達は突然の勇者の闖入に驚いていた。
またアイリスが彼らの目の前で部下を斬り殺したことで、彼らの寄る辺であった(勇者は人を攻撃しない。勇者は魔族を庇わない)という自信の根底が崩れ去るのを感じていた。
次は俺たちの番だ。この異常者は俺たちのことを絶対に殺すつもりだ。
その思いが彼らを焦らせた。
元々良くもない頭を使ってさらにアイリスの逆鱗に触れることになる。
「勇者サマよ、この魔族にはスパイの容疑がかかっているんですぜ!?俺達のふるった暴行は正当なモノだってんだ!」
「そうそう!勇者サマは知らないかも知らんがこれは教会サマのご意志ってやつですぜ?まさか勇者サマはそれに逆らったりしねぇよな?」
ゴミ虫どもが何か喚いている気がする。だがそんなことは関係がない。ただこの世に蔓延るゴミを粛々と掃除するだけだ。
しかしこのゴミ野郎は何か私の気に触る事を言っていたような気がする。
教会がどうたらこうたら…。
もしかして彼女に暴行を働いたのも全て教会の差し金か?
元々ただ殺してやるつもりもなかったが、より一層の地獄を見せてやる必要があるな。
そう考えた私は未だに何か喚き散らしているゴミ野郎の間合いに入る。
私は熱魔法を使い、腰に下げた聖剣に熱を伝導させることで鞘に使われている金属を溶かして剣に付着させる。ドロドロに溶けた金属を纏わせた剣でゴミ野郎の内一人の顔をぶっ叩く。
溶けた金属が顔に付着し、ゴミ野郎は声を出すことも出来ない。
流石に死なれたら困るから鼻を削いで気道を確保させる。
うん。この世界からゴミ野郎の口から垂れ流すクソみたいな言葉が減るだけでいい仕事をした気になる。
さて、もう一人の口も塞ぐか…。
私が氷点下にまで冷めきった目をもう一人のゴミ野郎の方に向ける。
奴は私に怯えた目を向けてくる。
今の私にはその視線すらも気持ち悪い。
「あ、悪魔!!貴様は勇者なんかじゃない!魔族に加担する薄汚い裏切り者だ!!!」
「黙れ。次は殺すと言った」
そう宣言し、ソイツの口も塞いだ。
ゴミ野郎共は自分の排泄管理もまともに出来ないらしく、失神しながらそこら中に糞尿を撒き散らしている。気を失って尚汚らしい奴らだ。
汚物には触りたくもなかったので、纏めて瞬時に灰にした。
このゴミクズ共に地獄を見せるのはリリスちゃんの容体が良くなってからだな。
せいぜい楽しみにしていろ。
クズ共の拘束が一旦片付いたので、ようやくアイリスの為だけに動き出せる。
すぐに彼女の元に駆けつけ、聖剣をかざして呪文を唱える。
普段は詠唱なんてまだるっこいしい事はしないが、彼女に万が一にでも傷跡が残ってはいけないと思ったので万全を期す為にも詠唱を行う。
【主よ、我らの導き手よ、この身にその奇跡の力を宿したまえ、我神に祈らん、主よ我にこの者を癒す光の加護を与えたまえ】
治癒魔法を唱え、リリスちゃんの治癒を試みる。
淡い光が彼女を包み、傷跡が少しずつ薄くなっていくのを確認する。
折れた腕に添え木を当て、傷跡に菌が入らないように水で洗い、軟膏を塗って包帯を巻く。乱れた髪も切り揃え、櫛で梳く。内出血しているであろう患部には水を含んだタオルを当て熱を逃す。
私が応急処置をあらかた済ませる頃には天幕の外がなにやら騒がしくなってきていた。だけど私はもう何があっても彼女の側を離れはしないと誓ったのだ。どんな事情があろうとも、少なくとも彼女の容体が良くなるまでは絶対にここを離れない。
彼女の手を掴んで、ありったけの生命力を彼女に流し込んでいると天幕の外から声がかけられた。
「ゆ、勇者様!勇者様はいらっしゃいますでしょうか?」
必死に生命力を彼女に分け与えている私にとっては返事をすることすら億劫ではあったが、流石に無視を続けるわけにもいくまい。
そう考え、とりあえず返事だけはしておくことにする。
「なに?」
外の空気が殺気立っている。
周囲の気配からしてどうやら私の天幕は包囲されている様だ。
その事に気がついた私は作戦は失敗してしまったのだと悟る。
いくら私が勇者と言えど、万の軍相手には為す術もなく敗北するだろう。
私はリリスに心の中で詫びた。
きっと優しい彼女は私達の目的を達成させる為にあえて暴行を受け入れたのだろう。彼女が本気を出して相手にしていたらこんなゴミ共なんかにやられる事もなかったろうに、あえて奴らの拳を受けたのだ。だけど私はそれが我慢できなかった。
結局あのゴミ共に制裁を加えたのは全て私のエゴだ。
彼女の意思を尊重するなら穏便に片を付けるべきだったのだろう。
だけど頭に血が上ってしまった私にはそんなことは不可能に等しかった。
結果最悪の事態を招いてしまったのだが、不思議と私自身に後悔は無かった。だからと言ってただ座して死を待つのは不本意であり、彼女に対しても不誠実だと思ったのでなんとかハッタリでこの場を凌ごうと考える。
兎にも角にも相手の出方次第だ。そう思い、反応を伺うことにする。
「お、恐れながら勇者様!貴女様の天幕の前にへ、兵士と思われる者の死体が転がっております!これを為さったのは貴女様でいらっしゃいますか?!」
やはり死体の話か。
ちっ…。頭だけでなく全身消し炭にしておけば良かったと後悔する。
「そう」
だから何?そう尋ねる。
すると兵士の間で動揺が広がるのを感じた。
最初に問うてきた兵士が再び私に詰問する。
「ゆ、勇者様!いくら勇者様と言えど我々兵士に私的制裁を加える権利は有していないかと…。貴女様が行なった行為は軍規違反に該当します!大人しく私達に付いてきてくださいませんか?」
「断る」
「なっ…!?」
一斉に周囲がざわつく。
正直この展開は予想できていた。だけどやはり私はここを動くことが出来ない。ならば軍を管理する者に此処に来て貰うしかない。
未だに動揺している兵士達に向かって追い討ちをかける。
「ここの指揮官に話は通っている。どうしてもというなら彼を連れてきて」
「そ、それは幾ら救世の勇者様とて横暴が過ぎます!どうしても来てくださらないのであれば、我々としても力尽くでも貴女様を捕らえる所存です!」
やはり説得は無理か…。
ならば私とて全力で抗うまでだ。
此処から先は人族全員が敵に回ることを覚悟して行動しなければならない。
私は聖剣を鞘から抜き、魔法を発動させる為に意識を集中させる。
私の周囲に炎が吹き出す。そして
【纏え】
炎が鎧のように私の身を包む。これは魔力甲冑という技であり、自身の魔法を身に纏わせる技術だ。ただ使用にあたって生命力と集中力を膨大に消費する為、人族でこれを行なえる者はかなり限られている。
私の周囲を渦巻く炎によって温度がどんどんと高くなり、私の周囲に陽炎が立ち上る。ただでさえ手負いのリリスちゃんにこの高音を耐え切れるとは思えなかったので、なんとか彼女の周囲だけは温度が一定になるように集中して熱波をコントロールする。
私自身が小さな太陽になったかのように熱を放ち、兵士たちが身に纏う鎧があまりの熱さに火傷を負う。近くの兵士たちに至っては鎧や剣を放り出す始末だ。
私が完璧に臨戦態勢に入り、周囲の兵士が私から距離を取り始めたその時、一人の人物が兵士達を掻き分けて私の前に姿を見せる。
「勇者殿、済まないが此処はその剣を収めてはくれんか?」
声の主は私が当てにしていた人物だった。その姿を確認した私は魔力甲冑を解いた。
「かたじけない」
そう言って彼は頭を下げる。
私は無言で彼を睨む。
彼はきっと今回の事件には関係はしていないのだろう。
だけど此処は彼が指揮する軍だ。冷静さを欠いていた私は責任の一端は彼にもあると当て擦りの様なことを考えていた。
指揮官は天幕の中に入って来て、私とリリスちゃんそして床に転がるゴミ共を順番に見やる。そして暫し俯いて何事かを黙考する。
恐らく彼は何が起こったかを正確に把握しているのだろう。更に言えば先ほどの遣り取りから彼はリリスちゃんが唯の使用人で無いことをも察していることが伺える。
だからこそ私は事態を静観する。
彼は人族側の人間だ。人を害した私に対し断固たる制裁を加える姿勢を部下には示すべきだろう。それが将軍として軍を預かる者の責務でもあるのだから。
人族は魔族の命を家畜以下の価値しか無いと考えている節がある。なので魔族の命を人族のゴミよりも優先した私を彼が悪と判断してもなにもおかしくは無いだ。
ここで彼が万が一私達を断罪するのであれば、元々組めない運命だったというだけだ。
その時はここにいる大勢の兵士を巻き込んで地獄に落ちてやろう。
そう決意し、彼の反応を伺う。
さて、彼はどんな結論をだすのだろうか…。
私達の間にはしばらくの間、緊張と無言があった。やがて彼が意を決した様に顔を上げ、天幕の外の部下を大声で叱責する。
「貴様ら!世界を救った勇者殿に剣を向けるなど無礼にも程があるぞ!」
「で、ですが指揮官殿!彼女は同じ軍の仲間を殺したんですよ!?」
「黙れ!其の者らは魔族に内通しているスパイだぞ?私が勇者殿に依頼してこのような事態になっているのだ!そんな事も察せられんのかバカタレ共が!!」
「す、すみません!」
「分かったらとっとと各自持ち場に戻れ!」
「は、はい!」
喧騒が去り、また天幕内に静寂が戻った。
「ありがとう?」
彼がなんで私達を庇ったのかを私はしっかりと把握できていない。
無償の善意なんておめでたいモノを私は信じちゃいないのだ。物事には必ず理由が存在する。この場合は何故彼が自軍の規律よりも私に恩を売ることを優先させたのかがハッキリしていない。
そのことが気持ち悪くて仕方がない。
「いえいえ大丈夫ですよ。それよりお怪我はございませんか?」
「大丈夫。それよりどういうつもり?」
「どういうつもりとは?」
指揮官は平然と微笑んでいる。
今更惚けられても腹が立つだけだ。腹割ろうと言ったのはお前だぞ?
少しイライラしながら問い質す。
「私達を庇った理由。教えて」
そう聞くと指揮官は
「勇者殿の真意をまだ聞いておりませんからな。私の勘では勇者殿に付いた方が我が国に対しての利益が大きいと判断したまでですじゃ」
簡単には納得は出来そうにない。だけどその話は後にして貰おうと思う。
すぐに敵対する気は無いというのなら、今はリリスちゃんの怪我を治すことに専念したい。
「分かった。私の目的は話す。だけどそれはリリスが治ってから」
私の言葉を聞いて指揮官は納得したように頷いた。
「分かりました。専門の治療師を派遣いたしましょうか?」
その言葉に私は首を振った。
「要らない。それよりもこの天幕の横に穴掘っておいて」
「畏まりました。ではその者達の処遇は貴女にお任せしましょう。外の遺体は私共で処理しておきますのでご安心下さい」
そうやら彼にはこの者達が生きていることも見抜いている様だ。その上で処遇を任せるというのだ。
どこまで彼を信用できるかは分からない。だが今だけはその言葉を信じることにする。
「分かった」
こうして一連の事件に一応の決着がついたのだった。
天に月が昇り、外が暗くなってもリリスちゃんは目を覚まさなかった。
私はリリスちゃんが寝ている間に先ほど拘束したゴミ虫共を天幕の横につくって貰った穴にブチ込んでおいた。
アイツらを拷問するのはもう少し先になりそうだ。
そんな事よりも今は彼女のことだ。
彼女が目を覚ますのを私はジッと待つ。
ベッドに横たわる彼女には酷い傷跡が刻まれていた。彼女の綺麗な顔を、身体をこんな目に遭わせた奴等のことを思うと憎しみが再燃してくる。
そして同時に自分自身への嫌悪感も戻ってくる。
私は自分自身のことを決して許せない。
私が油断なんてしなければ…。そう思うと居た堪れなくなってくる。
彼女が目を覚ましたら腹を切って詫びよう。
そう決意して彼女の寝顔を見守る。
今はただ…彼女が無事に目を覚ますことを祈るだけだ。
治療は完璧に行なった。
傷跡も安静にしていたらすぐに消える。
もういつ目を覚ましてもおかしく無い筈だ。
それなのにいつまでたっても目を覚まさない彼女をみていると不安で気が狂ってしまいそうだった。
万が一このまま目を覚まさなかったら?
そう思うと床がグニャリと歪んだように足元が覚束なくなり、血の気が引いて目の前が白くなった。
彼女が生きていないと…、私はもう生きていけない。
彼女が居ない人生は想像できない。
私はもう彼女のいない人生を歩むことは出来ない。
私は彼女の眠るベッドの側で膝をつき、彼女の手を握ってただ祈った。
祈る神は思いつかなかったが、ただ祈った。
私の祈りが何処かの誰かに届いたのか、その数時間後に彼女が目を覚ました。




