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草稿(設定資料集)  作者: Mel.
12/26

【第一幕】皇国潜入篇 第六節


【魔王リリス】



 私とアイリスは暫くの間お互いの唇を夢中になって押し付けあっていた。多少乱暴ではあったが、お互いの気持ちが高ぶっていくのを感じていた。そんなことを続けていると肺が酸素を求め出していたが、私はその要求を無視した。たとえ一瞬でも唇を離す時間が惜しかから。

 極限まで我慢していたが、流石に私も彼女も生きている。息をしなければ死んでしまう。遂に呼吸に限界がきて息を吸い込んだら、肺を侵食する酸素の勢いがすごくて咳き込んでしまう。アイリスの方に目をやると彼女もまた同様に咽せていた。

 その顔がなんとも面白くて二人で顔を合わせあい、笑った。そしてまた唇を合わせる。

 この時私は理性がドロドロに溶け切っていた。ただ彼女の全てを知りたいと願い、彼女もまたそれを望んでいるのだと、その時の私は愚かにもそう思い込んでいたのだ。

 そうして事件は起こった。

 私がもっと彼女を近くに感じたいと欲をかき、アイリスの腰に手を這わせると彼女の様子が変わったのだ。

 アイリスが急に震えだした。

 異変に気が付いた私は慌てて手をどけたが、全ては後の祭りだった。

 彼女は怯えたように震えながら自分の顔を腕で隠そうとし、またその指を食い千切らんばかりに噛み締めていた。その指先が、口元が薄く朱色に染まるほどに強い力で。

 彼女がさっき私を拒んだ理由。

 彼女が今見せた反応の意味。

 私の中で全てが繋がり、彼女が過去にどういった経験をしてきたかを朧げながらに理解できた。

 私は彼女に傷を与えた者、それを容認した者、見て見ぬ振りをした者、またそれを許した政治制度、国家体制、価値観全てを憎いと思った。彼女に傷を与えた者に対する純然たる殺意が沸き起こった。

 ただ今自分が一番許せないのは、彼女にこんな反応をさせた自分自身だ。私が調子に乗らなければ彼女の傷を穿り返して、無用に彼女を傷付けることもなかったはずだ。

 ただ自分を責めることはいつでも出来る。

 そうだ。今私がすべきことはこの無能なグズに罰を与えることじゃない。

 今アイリスが感じている苦痛を私が軽減することだ。

 私は自分にできる事を考え、アイリスを抱きしめることにした。ただ彼女を力一杯抱きしめた。

 それだけが私にできることだと思ったから。

 私ごときが今の彼女に言葉をかけられるほど人生経験なんてものは積んでいないし、むしろ今の彼女に言葉をかけてはいけないと思ったから。

 きっと言葉では彼女を救うことは出来ない。

 私はこれほどまでに自分の無力さを歯がゆく感じたことはなかった。

 自分の行動が正しいかも分からない。もしアイリスが迷惑に感じていたら?そう思うと彼女を抱きしめる手の力が抜けそうになった。だけど私は意志の力でなんとか彼女にしがみついた。

 せめて私が出来ると思ったことで妥協なんてしたくなかったから。

 そうしてアイリスを抱きしめていると、彼女もその震える手を私の背に手を回してくれた。そんな彼女の不器用な優しさが心に沁みた。

 愛しさが溢れ出し、彼女の頭を撫でる。

 頭を撫でていると硬直していた身体がほぐれ、彼女の口から嗚咽がこぼれた。

 暫く彼女が啜り泣く様を私は黙って見守っていた。見守ることしか出来なかった。

 アイリスを撫でていると次第に嗚咽は寝息に変わっていった。

 その無防備な後頭部に鼻を埋め、大きく息を吸いこんだ。

 彼女の頭からは微かに血の香りと汗と花の香りがした。

 その香りを嗅ぎながらまた私の中に邪な思いが芽吹くのを感じた。


 彼女が安心できるのが私の元だけならいいのに…。

 

 そんなどうしようもなく利己的な思いが私を満たしていた。

 仄暗い感情が私を支配していることに私自身が驚いていた。

 私は祖父の教えから清廉潔白な人物になるために己を磨いてきた。

 力を与えられた者として責任ある発言、自覚ある行動を心がけてきたつもりだ。何事にも関心を持ってきたが、行き過ぎた感情は統治者として持ってはいけないと教えられてきた。そして私は今までその教えに従い立派に自分を律する事が出来ていた筈だ。

 だが今の私はどうだ?

 アイリスを相手に自分でも制御不能なほど強大な感情を彼女に向けてしまっている。

 ダメだ。自己嫌悪が止まらない。

 彼女を好きになればなるほど私は狭量に、邪になっていってしまうのだ。

 彼女の全てを知りたいし、欲しい。そんな事出来るわけがないのに。

 それで彼女を傷つけてしまっているのだから世話がない。

 そうして一人葛藤していると、胸元からアイリスの声が聞こえた。

 

 「お母様…」

 

 あぁ、やはりだ。

 やはり私は間違えてしまっていたのだ。

 この劣情は彼女に向けてはいけないモノだ。

 彼女に必要なのは安息と庇護だ。

 私の感情は彼女に向けていい代物ではないことがはっきりと分かってしまった。

 この気持ちが膨れ上がるときっとまた彼女を傷つけてしまうだろう。

 その前にこの気持ちを殺し尽くさなければダメだ。

 私は生まれて初めて自覚した恋心を自覚したその日に捨て去ることを決めた。

 だけど今夜だけは…、せめて今だけは彼女を想っていても良いだろうか?

 私は彼女を想い、静かに泣いた。

 そして気がつくと彼女を抱いたまま眠りに落ちていた。

 落ちた先では幼いアイリスと私が日向を走り回っていた。そこにはなんのわだかまりも悩みもなく、ただ二人とも笑顔で抱き合っていた。

 叶うはずのない世界を目の当たりにして私は自分の中の願望を見せられたような気になった。 

 そんな夢に触れた私はまた少し泣いたのだった。



 次の日目が覚めると腕の中にアイリスはいなかった。

 寝ぼけた私の頭がそのことを認識すると急激に目が覚め、周囲を見回す。

 するとすぐに彼女の姿は見つかった。

 アイリスはすでに服も鎧も着込み、完全武装の状態でベッドの縁に肘をつき、私の寝顔を覗き込んでいた。

 目が合うとアイリスは照れたように顔を背けた。今朝もかわいい。

 「…おはよ、リリス」

 「…おはよ、アイリス」

 お互いに昨日の緊張を引きずっていて、少し気まずい空気が部屋に充満する。

 特に私は罪悪感に苛まれていたこともあってアイリスの顔を十分に見つめることができそうになかった。

 一晩泣き通してもこの気持ちは消えてくれそうに無かった。それでも少しだけ気持ちの整理はできたみたいだ。気持ちを落ちつけて彼女に声をかける。


 「「あの…」」


 被ってしまった。

 それよりもアイリスが何か言いかけていたがどうしたのだろう?昨日の恨み言だろうか?だとしたら朝から軽く死ねるな。

 なんて自爆で気分が落ちかけたが、気を取り直して彼女の言葉の続きを聞くことにした。

 「えっと…どうしたの?アイリス」

 「あ、リ、リリスこそ何か言いかけた」

 「う、うん。えっとね…アイリス、今日から作戦開始だけど、その…頑張ろうねって思って」

 本当はもっと聞きたいことや、言いたいことがたくさんある。だけど全てを曝け出してしまったらまた彼女を傷つけてしまうんじゃないだろうか?そう思うと足が竦んで一歩も前に進めなくなってしまった。

 「うん」

 それに対する彼女の答えは簡素過ぎて、一切その内情を読み取ることができない。本当は怖いけど彼女の言いかけたことも聞かなければ。

 「アイリスが言いかけたことはなに?」

 努めて冷静なフリをして彼女に問いかける。

 すると彼女の無表情が揺らいだ。

 「あ…、えっと…ね、き、昨日のことなんだけどね」

 しどろもどろになっている彼女を見ながら私も内心は冷や汗が止まらなかった。

 やっぱり私昨日は余計なことしちゃったのだろうか。

 不安を抱えながら私は彼女の言葉の続きを黙って待っていた。

 暫く彼女は口の中でモゴモゴしていたが、意を決したように口を開いた。

 「き、キ、昨日はごめん!」

 「え?」

 何故彼女が謝っているのだろう?

 彼女は純然たる被害者で謝るべきは私のはずだ。

 「アイリスが謝ることなんて何もないでしょう?むしろ昨日のことを謝るべきなのは私の方。全然配慮ができていなかったわ。本当にごめんなさい」

 私の言葉を聞いた彼女は暫く惚けていたが、慌てて私の言葉を否定する。

 「リリスは何も悪くない」

 やはり彼女は聖女のように優しい。彼女を傷つけた私にもこんなに優しさを分け与えてくれるのだから。

 そう思っているとまたまたアイリスがトンチンカンな事を言い出した。

 「わ、私…泣いちゃった」

 「え、ええ、そうね。かなり泣いていたわね」

 「リリスは怒らない?」

 きっと皇国では彼女が泣けば叱責が飛んできたのだろう。そんな事を許す皇国に対する憎悪の炎が心を燻る。

 彼女の心配に対して私は努めてなんでもないことのように答えた。

 「怒るわけないじゃない。貴女の可愛い一面が見れて嬉しいわ」

 「そ、そっか」

 そう言ってまんざらでも無さそうにしていたのがまた可愛かった。

 そんな彼女を見て、この子のことを好きになれて良かった。私は徐にそんなことを思った。

 そんな思いに浸っている私に顔を真っ赤に染めたアイリスがさらに追い討ちをかけてきた。

 「えっと、あとは…あ、ありがとう!」

 「へ?」

 これは本当に分からない。彼女は何を感謝しているんだろうか…?

 き、聞いてみよう。

 感謝ってことは前向きなことだろうし。…多分。

 「な、何が?」

 「だ、抱きしめてくれて!あと…頭撫でてくれて!嬉しかった」

 林檎のように顔を真っ赤に染めたアイリスがそう捲し立てて、私を抱きしめてくれた。

 心臓が飛び出そうなほどびっくりした。

 今もまだ夢の中なんじゃないかと思い、頰を抓ったら痛かった。

 どうやらここは現実らしい。

 「リリスが辛い時は私が撫でる」

 そう言って張り切るアイリスは世界中の誰よりも可愛くて愛しい少女だった。

 きっと彼女は私のことをその可愛さで殺すつもりなのだ。

 私の何もかもを見透かしていつ堕ちてくるのかと舌舐めずりして待ち構える愛しい悪魔に違いない。だって私は自分の魂なんかで満足してくれるなら喜んで差し出そうと思えるくらいに彼女に魅了されてしまっているのだから。

 そんな私にも意地はある。

 せめて堕ちるその時までは魔王らしく威厳とか色々保ったまま、彼女に格好良いと思われる私のまま堕ちて行きたいと思った。

 ならばこそここは大人の余裕たっぷりの返しが必要だ。

 「その時はお願いね」

 ニッコリと微笑む。これは中々威厳に満ちていたのではないだろうか?

 そう思っていたのも束の間、アイリスの晴れやかな笑顔を見て小難しい考えは吹き飛んだ。

 「約束」

 「ええ、約束ね」

 もう彼女の笑顔が見れるのならなんでもいいか。そんな諦観にも似た感情が胸に広がった。

 私たちはそんな朝の変わった一時をすごしたのだった。




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