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預り屋  作者: 蒼斗
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意思

 朝起きて、あなたは何をしますか?

 カーテンを開ける? 体を伸ばす? 顔を洗う? 服を着替える?

 夜寝る前に、あなたは何をしますか?

 明日の用意をする?歯磨きをする?本を読む?


 さて、もう一つ聞きましょう。

 あなたは朝起きてから夜寝るまでの行動を、どのように決めていますか?







 朝起きて、カーテンを開けて、顔を洗って、着替えて、ご飯を食べて、歯磨きをして、学校へ行く。

 授業を受けて、一人でご飯を食べて、部活に参加して、一人で家に帰る。

 課題をやって、明日の予習をして、明日の用意をして、ご飯を食べて、風呂に入って、そして寝る。

 そうして明日もその繰り返し。明日も、明後日も、し明後日も、その先もずっと。

 退屈だと、思わないわけではない。けれど、それを変える気力も、向上心も、何よりも大切な意思を、私はずっと前に失くしてしまった。

 最初は痛みもあった。苦しいと叫んだ。嫌だと言った。

 だけど、私の言葉は誰にも届いていなかった。


 私はすべてをやめた。叫んでも意味などない。だったら初めから何もしなければいい。


 そんな考えに至ってから、二年が過ぎていた。


 朝、教室に入る。しかし私を迎えたのはきっと誰もが想像したものではない。

 冷ややかな視線を向けられことすらない。むしろそうしてくれた方が楽なのに。

 私は自分の席についた。

 私の行動に反応する人は、誰もいなかった。

 私がいると認識している人は、誰もいなかった。

 私は、存在していなかった。

 教室に入ってきた教師は私の名前だけを呼ばなかった。授業中も私の番号だけ飛ばされた。

「私はどこにいるんだろう?」

 そんな疑問はとっくに捨てた。

 今更だ。今更何を望む? 私は何を望めばいい? どうしてここにいる? 何も変わらないじゃないか。ああ、ここに私は存在しない。そんなの分かっていた筈なのに。

だけど、心の底では望んでしまっているんだ。


「存在したい」


 無駄なことはとっくに分かっているのに。



 *



「あれ? ここ…どこ?」


 おかしい。いつもの帰り道を歩いていた筈なのに、ここはどこなんだろう? 私の知らない道だ。ぼーとしているうちに曲がるところ間違えたのかな?

 とりあえず元来た道を戻ろうとくるりと後ろを振り返る。

 否、振り返ろうとした。

 が、私の視線はあるところに釘付けになった。


「『預り屋』…」


 たった一つだけの窓の横に、重そうな木製の扉。あまり目立たない看板には『預り屋』と記されている。

 アンティーク調といえば聞こえがいいが、どう考えてもこの街並みから浮いているのは確かだ。ここだけ見れば、まるで遠い過去へタイムスリップしたかのような感覚に惑わされる。

 なのに、ここを通る人々は誰もその店に目をとめない。まるでそこには何もないかのように。

 無意識のうちに足が向く。

 何故だか分からないけれど、私はここに入らなければならない気がした。

理由なんてない。

 ただ、ここに何かがある気がした。

 私の望むものが、この扉の向こうにある気がした。

 馬鹿みたい。

 そう小さく呟いて、凝った作りの取っ手に手をかけた。



 *



「僕が『預り屋』の店主、シキ。あっちがリオといいます」

「はあ…」


 気のない返事を返す。

 店の中に入った私は、十歳くらいの黒髪の少女に案内されて、店の奥の廊下を進みこの部屋に来た。そして、何故か常に微笑みを浮かべる一人の男と向かい合って座っている。

 店主と名のった、少し長い明るい茶の髪に同じ色の瞳を持つ男は、おそらく二十代中頃なのだろう。しかし童顔とサスペンダーが、男の見た目を幼く見せている。

 それより…


「あの、『預り屋』って…?」

「名前の通りです。ここはお客様が預けたいと思うものを何でも預ります。形あるものも、無いものも、何でも」

「何でも…」


 ええ。とシキが微笑んだ。ただでさえ童顔なのに、笑うとことさらにあどけない。それに対して、向こうでお茶を淹れているリオという黒髪の少女の方が無表情な分、大人びた印象を受ける。


「あなたはこの店に入ってきました。それはあなたがこの店を必要としていたからなんです」

「え…?」


 必要、と?

 でも、私は―――――


「あなたにも、預けたい物があるのではないですか?」


 私は―――


「そうでなければ、この店に入ることも、見つけることもできませんから」


 預けたい物…


「私は…私の『意思』を…預けたい…!」


 心の中で呟いた筈の言葉は、ふいに流れ落ちた雫と共に、しっかりとした音となって部屋の空気を震わせた。



 *



 何時(いつ)が始まりで、何時(いつ)が終りだったのか、覚えていない。

確かに私は今も覚えているし、「あった」という事実を認識することできる。

 ただ、私がそれを「あった」ということにしたくなくて。

 だから私は私を捨てた。

 私の『意思』を捨てた。

 捨てた…つもりだった。

 誰にも認識されなくても。

 どこにも居場所がなくても。

 平気な、筈だった。

 とにかく、私はイジメというものにあっていた。

 抽象的な言葉から、物理的な暴力に移行するまでさほど時間はなかったように思える。

 そして、それがプツリと糸が途切れたようになくなったのも、今となれば随分と早かった。

 まあ、何の反応も示さないモノに何をやったって面白くもないだろう。興味の失われた玩具は用済みということだ。

 でも、どうせ叫んだって何の意味も持たないんだ。だったらそんなことをするだけ無駄だ。

 だから―――――私は『意思』を捨てたんだ。

 けれどそう思っていたのは気のせいだったのかもしれない。

 私の居場所がなくなっていることを認識する度、苦しくなるのはきっとまだ私が『意思』を捨て切れていないからだ。

 じゃあ…『意思』がなくなれば、私は楽になれるのかな?

 これ以上苦しむこともないのかな?



 *



「私は…私の『意思』を…預けたい…!」


 私の言葉を聞いたシキは、何故か悲しそうに微笑んだ。


「本当に預ってもいいんですか…?」


 じっと、明るい茶の瞳が私を捕える。感情が読み取れないその瞳に、なんとなく不安になってしまう。

 声を出せなくて、出したら私はきっと前言を覆してしまう気がして、ただ、小さく頷いた。

 それに対して、シキは悲しそうな微笑みのまま、「分かりました」と言った。



 *



「シキさん」


 ソファーで足を組んで本を広げるシキに、紅茶の入ったカップを手渡しながら、リオがおもむろに口を開いた。


「ん?どうしたんだい、リオ」

「あの時…シキさんはいったい何を彼女から預ったのですか?」


 リオの質問に、一瞬キョトンとした顔をしたが、シキはまたすぐにいつもの微笑みに戻った。読みかけの本を閉じて机の上に置く。


「リオも聞いていただろう?僕が彼女から預かったのは、彼女の『意思』だ」

「ですが、彼女は…」

「うん。彼女は消えてしまった」


 シキが微笑みながら、しかし微かに眉を下げてリオの言葉を繋ぐ。


「…どうして…なんですか?」


 こちらもいつもと同じ無表情だが、微かに声が震えていた。黒のワンピースの袖から見える、白い小さな手が、体の奥底から湧き上がる震えを抑えるように握りしめられている。


「リオ。こっちにおいで」


 リオの手を、それより大きく、骨ばったシキの手が包んだ。

 シキの体温が、リオの震えを溶かしていく。


「…僕らは『預り屋』だ。誰かが預けたいものなら、たとえそれがどんなものであろうとも預らなければならない。それが形あるものでも、無いものでも、何でもね」


 リオがコクリと頷く。そんなリオの頭をなでながら、シキはさらに言葉を続けた。


「そして、形ある者からでも、無い者からでも、僕らは預らなければならないんだ」

「え…?」


 シキの言葉に、リオは珍しく目を見開いた。



 *



 『意思』とは何だと思う?

 …『心』ですか?

 そうだね。人の心…思考、と言うのが一番一般的な考えなのかな。だからこれは僕の持論になるのだけれど、僕は、『意思』とはその人自身だと思っているんだ。人の根源。形の無いモノそのもの。

 『意思』と『人』は同じなのですか?

うん。『意思』がなければ『人』は形として存在できない。体はあくまで器だ。『意思』は形の無い『人』、つまり『魂』だからね。彼女は、まさにそれそのもの。器を失った『魂』―――『意思』そのものだったんだ。

 やはり、彼女は…。

 現実には存在していない、形の無い者だ。彼女がどうしてそういう者となったのか、僕には分からないけれど。

 ならば、『意思』であった彼女はどこに存在していたのですか?

 彼女は、どこにも存在しない。彼女が存在していたのは、夢と現実の境界。彼女はそこで、それまでの彼女が生きていた時の日常を繰り返していたんだ。

 何故ですか?

 彼女は自分が死んでいることを知らなかったんだよ。だから現実の世界では彼女は誰にも認識されないし、夢の世界にも入れない。現実の世界で言えば、幽霊のような存在に近いと思うよ。

 でも、彼女は確かにここに存在しました。

…前に、リオに話したことがあったよね。この店はどこにも存在しないって。この店も、僕らも、どちらかと言えば彼女に近い存在なんだよ。僕らが幽霊だとか、そういう意味ではないんだ。ただ、この空間はきっとリオが思っている以上に曖昧なんだ。そんな曖昧な空間だからこそ、彼女が『意思』でありながら『普通』として存在できていただけなんだよ。

 彼女が…もし、彼女自身が『意思』そのものであることを知っていたら、彼女は『意思』を預けたのでしょうか?

 …さあね。預けたかもしれないし、預けなかったかもしれない。何を預けるのかを決めるのはその人自身、その人の『意思』次第だ。彼女も、彼女の『意思』で預けることを決めた。それを『預り屋』である僕らが断るわけにはいかないよ。僕らは彼女の望んだものを、預かることしかできないんだ。


 …たとえ、彼女の『意思』を預ったことによって、彼女の魂がどの世界からも消えてしまったとしてもね。







 ここは「預り屋」。

 預けたいものなら何でも預ります。それが形ある物ものでも、無いものでも、何でも。


 そして、形ある者からでも、無い者からでも、預ります。


作中の「意思」の見解については、この作品の世界観の上で考えた作者の意見です。

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