第一章7 『揺れすぎる感情』
――明後日の夕方五時にまた、この路地で。
そう約束して相良輝義と別れた蒼髪の少年、佐久間漆空は頭を抱えていた。
「ああ……馬鹿が移る」
こんなことをしている場合ではないのに。元々この街に来たのだって、ある探しものを見つけるためだ。
手がかりはたった一つ。輝義に拾われてしまったものとは違う紙切れに並べられた数字の羅列。
『⑧ 1 14 1 2 21 19 1 ③ 9 20 25』
「単なる場所を示すだけの数字列……今の僕にはこれしか手がかりが、ない」
これを頼りにこの街まで来て、しかし何も見つけられないもどかしさ。それが漆空を焦らせる。
その焦りは判断を迷わせ、鈍らせ、より深く間違った方向へと漆空を進ませる。今のように。
「迷走しすぎでしょ……」
自己嫌悪を重ねていてもどうにもならない。そんなことはわかっているのだが、これほどまでに上手くいかない状況にフラストレーションが募りまくる。
「そもそも、『悪役』って……何するつもりなんだあの男」
燃えるような紅の髪を持つあの男。今日は黒髪だったが、早速染めたのだろうか?
どちらにせよ彼も『成り損ない』であることに間違いはない。何かしら不思議な能力を持ち合わせているはず。ならば、それを使って悪巧みでもはたらくつもりか。
「警察沙汰だけは勘弁してくれよ……」
十五年前より警察は『無能』のレッテルを貼られてこそいるが、法律は生きていて、悪いことをすればその無能な警察に捕まることに変わりはない。
もし捕まったりなんかすれば、いよいよもって漆空の探しもの捜索は終わりだ。それは人生の終焉に他ならない。
不安は消えず、足取りも重いままに漆空は家へと向かう。最早待つ者のいない家へ。
この街から六駅ほど離れた、閑散とした街へ。
「――この街が羨ましいよ。助けてくれる誰かがいる、この街が」
まだ日が高い英市の一角で、蒼髪の少年が呟きを零す。
少年は思った。この街ですら、賑わっている、と。
ならば、少年がこれから帰る街は――いったい、どれほど閑散としているというのだろうか?
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「ひとまずは一人、っと。なんか急ごしらえな感じだけど、一緒にやってくうちに心からの仲間に――!」
役所に戻った輝義は、鼻歌交じりに暗号の書かれた紙をコピーする。
元より最初から返すつもりではあった。だがその人物を勘違いしていた上に、もう読み解かなくても一時的にだが仲間になる。ひとまずは試験的に、あの中年オヤジのやる気を出させて、それが成功したらこの紙切れを返そうと思う。
もちろんそれで手放すつもりはない。せっかく手に入れた仲間だ。今後も『英雄再臨計画』のために手伝ってもらうことを視野に入れている。
「しかし、そのためにはやらなきゃいけないことがある。そ、れ、が、これ」
確かに紙切れは返す。この暗号を読み解く必要もなければ、輝義が持っている意味はほとんどないのだから。
「だけど、まったくないってわけでもない」
お前が後生大事にしている紙切れのコピーは俺が持っているぞ、と。そう脅せば今後も仲間でいてくれることだろう。
とにかく大事なものらしい。次の日すぐにでも輝義に接触を図るくらいには。それならたぶん、他人に持たれていて気持ちのいいものではないだろう。それがコピーであっても。
「まあ、そうじゃなかった場合はその時だ。暇潰しにでも使おう。相変わらず穴だらけだなぁ」
――そう。輝義が思いつく計画や作戦は全て穴だらけ。
「……俺らしいな」
「おっす、仕事頑張ってんな」
コピー機からコピーしたものが出てくるのを待っていて、背後に気を配っていなかった輝義の虚を突いた声掛け。それは山城の、数少ない悪癖のようなものだった。虚を突かれた方は堪ったものではない。
「あ、相変わらず……驚かさないでくださいよ」
苦笑しつつ言う輝義に、山城は厳つい顔を柔和に弛めて、
「お前の反応が面白くてな。驚かすっていうのは、やめられないもんだ」
「趣味が悪いっすねえ……」
「そうか? 誰だって、人が驚くのを見るのは楽しいと思うがな。……で、何の書類コピーしてんだ?」
山城の問いに答えるかのように、コピー機がソレを吐き出した。
葉書大の大きさだった紙切れが、倍率の問題でA4サイズになって出てくる。
「いや、書類じゃないんすけど……そういえば山城さんには見せてなかったかな。暗号なんですけど、これ解けますか?」
「暗号? なんでそんなもんをコピーして――」
山城に暗号を見せた瞬間。その彫りの深い顔が、凍りついた。
「こ、れは……」
「……? どうしました、山城さん?」
輝義が役所に就いて一年余り。初期の頃から山城の側で働いてきたが、こんな顔は見たことがない。
常にたたえていた笑みが消え、代わりに浮かんだのは様々な感情がない交ぜになった表情。ただし、決して明るいものではなく。
「……相良、お前、何か知ってるのか?」
問い詰める山城の威圧は、ともすれば全盛期のヒーローにも劣らない。そんな敵意のようなものを向けられれば、いかに空気読まずの輝義であれ、狼狽えずにはいられない。
「いっ、いや……何も。この暗号だって、何書いてあるのか全然――」
「――――」
問うてきたのは山城であるのに、その山城は輝義の答えを聞いても何の反応も示さない。
「――そう、か。ならいい。……この暗号な、俺にもサッパリだよ」
「……本当ですか?」
「ああ、本当だ。……ただ少し、暗号ってもんに良い思い出がなくてな」
山城が今度見せた表情は、少しだけ読めた。暗く、哀しい感情が色濃く出ている。それを見た輝義は、
――白々しい。
初めて山城へ、猜疑を抱く。
これまでどんなことでも山城を悪い目で見たことなどなかった。清廉潔白で、情に厚くて、誠実で、まさに理想の先輩像。
だが今見せた山城の表情は、そんなものとは程遠くて――言い知れぬ怒りを覚えた。
まるで、ヒーローに裏切られた時のような。
「ちと煙草吸ってくるわ。……あまり、変なことに首突っ込むなよ」
そう言い残し、コピー機の前に佇む輝義から距離を置く山城。彼の姿が完全に見えなくなってから輝義は長い、長いため息をつく。
「ふぅぅぅぅ……――」
いつの間にか、手には握り締められくしゃくしゃになったコピー用紙があった。
それを広げて、やはりわからないその暗号を眇めて、
「――助けて欲しいなら、そう言えよ」
想いを吐き出す。
「助けて欲しいなら叫べ。泣き叫んで助けを乞え」
ヒーローは声なき助けを聞かない。駆けつけるどころか見つけることさえ叶わない。
「ヒーロー達は怠惰だ。腑抜けだ。怠け者だ。見せない弱さを弱さと認めない」
今だって、世の中には弱き者がたくさんいて、静かに助けを乞うている者がたくさんいて。
それなのに、ヒーローは助けない。
――そこに、明確な『悪者』がいないから。
「だから、まだまだこの世界には悪者が必要なんだ。いなくなっちゃ駄目なんだ。そうでないとヒーローは動かない。怠けるばかりで、そんなヒーロー、ヒーローじゃない……!」
大学二年生の秋、輝義はもうこの世にヒーローはいないと悟った。
自分が子供の頃に憧れ、それを目指して生きてきた二十年ばかりの人生に、終止符を打たれてしまった。
――ヒーローに憧れる方が悪い。
「……ふざけんな」
――今のオレは、ヒーローじゃないもんで。
「ふざけんなッ!!」
ガシャンッ――握り拳を叩きつけられたコピー機は、理不尽な怒りをぶつけられてピー、ピーと不満を訴えている。
ああ、そうだ。今自分は、理不尽な怒りを覚えている。ヒーローに対しても理不尽で、山城に対しても理不尽で、そして自分に対しても理不尽で。
この怒りが元々の原動力。三年前、自分が思い描いて、ようやく実行に移せそうな馬鹿らしい計画の、原動力なのだ。
「ふぅぅぅぅ……――」
再度長いため息をつく。今度は想いを吐くためではなく、自身を落ち着かせるためだ。
「……よし、忘れてない。俺は最初の目的を違えてない。見失ってない」
『英雄再臨計画』、その名の通り。
ヒーローをこの世に再度、世界を救う救世主として君臨させる。
もう二度と、あんな腑抜けたヒーローを続けさせないためにも。
「オーケー、オーケー。……さて、落ち着いたところで」
当初の目的通り、このコピーした暗号を中年オヤジの元へ届ける。
が、しかし、もう夕暮れも近い。渡しに行くのは明日でも良いだろう。
「それにしてもオッサン、夜はどこで寝てんだ?」
聞いたことはなかった気がする。明日、暗号を渡すついでに聞いてみようか。
聞いたら聞いたでまた幻滅しそうだが。
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「……嘘だろ」
翌日。目的を果たそうといつも通り公園に来たのだが、
「どこ行ったんだ……?」
あの飲んだくれの中年オヤジの姿は、そこになかったのだ。
これが良い兆候ならば良いのだが、もしも毎日訪れる輝義が目障りで拠点を移動したのなら、それはマズい。
見えないところで腑抜けられるよりも、監視下で腑抜けられた方がマシというものだ。
「あの飲んだくれクソオヤジ……どこ放っつき歩いてる……!?」
今あのオヤジにいなくなってもらっては困る。蒼髪の少年――漆空に大ボラを吹いて約束してしまったのだから。
「この暗号はアンタが持ってる体じゃないと駄目なんだぞ!? なに急に気紛れ起こしてやがんだド畜生! そ、れ、に! アンタを更生させるっていう計画も――!」
確かに穴だらけな計画ではあったが、こんな形での失敗は想定していない。
今までにない失敗は輝義の思考能力をガリガリと削っていく。こんな状態では、失敗を取り返すことさえできないではないか。
「お、落ち着け俺……そうだ、俺の能力にはいろんな使い方が! ナヴィ!」
辛うじて思いついた策を実行するためにメガホン型の精霊を呼び出す。
《――はーい、おバカさま》
「否定できねえ! クソ、伝播する感情を『冷静』に設定!」
《はーい、かしこまりー》
その言葉を交わす間にも、輝義の黒く染められた頭髪は燃えるような紅へと染まり直っていく。それこそ英雄因子の現れ。
さらにメガホン型の精霊が実態を現し、輝義はそれを掴み独り言を始める。
「俺は冷静だ落ち着いてるそう冷静沈着で傲岸不遜で何にも動じず失敗してもそれを糧に新たな成功を生み出す天才だ穴だらけの計画は元より期待しないため失敗することすら計画とするためそう思い込むためだから落ち着けこれは想定内予想通り俺強え――」
メガホンを通じているが、その声は素のものと大きさは変わらない。むしろ自らにしか聞こえないようなほど小さい。
――そして、数秒後に輝義は落ち着きを取り戻した。
「……ふぅ。相変わらず用途限られてるけど、俺にピッタリだなこれ。戦闘には何の役にも立たないのに」
おおよそ理解できているとは思うが、輝義の『成り損ない』としての能力はつまりそういうものだ。
「詳しく明かすのはまた後日、ってことで。……そんじゃ、どうするか。オッサンはここにはいないし、そうなると計画は丸狂いだ」
落ち着きを見せる輝義は、手でメガホンとなっているナヴィを弄びながら対策を考える。しかし、落ち着きを取り戻したとは言え元々頭は良くない。思い浮かぶ案はどれも『やらずとも失敗する』とわかるものでしかない。
「公務員になるためにめちゃくちゃ勉強したけど、できるのは学校の勉強だけ……ああ、なんてテンプレ。役に立たないなぁ、クソ」
ガリガリと掻き毟られた紅髪は、徐々にその輝きを抑え元の黒く染められた頭髪へと戻っていく。
こうして外見的には一般人に戻った輝義だったが、
「――お前ぇ、『成り損ない』だなぁ?」
「は――?」
――パチン。
唐突に、周囲が闇に埋め尽くされた。
英雄因子により、多少の夜目は効くものの慣れるまでに時間がかかる。その間にも声は響いていた。
「いやぁ、偶然って凄いなぁ。たまたま散策してたらぁ、能力使うとこ見れちゃうんだものぉ」
やたらと間延びした声。焦る輝義とは相対的に余裕を表す何者かの声は、男にしてはやたらと高く感じられた。言うなれば男と女の中間。
「……っんだ、これ!?」
「すぐにわかるよぉ。焦らない焦らないぃ」
パチン。
周囲が暗闇に染まる前にも聞いた音を再度聞いた。そして次には――
バキ、
「――あ?」
バキバキ、ギシ――
――空が割れ、巨大な蜘蛛が現れた。
「今日のご馳走はぁ、ミディアムに焼かれた生肉! あ、矛盾してるぅ?」
どこまでも愉快気に叫ぶ声の主。しかし輝義に与えられるのはどこまでも不快な印象だ。
その声の主は言った。
「あ、そうそう。ファントムぅ、今日のご馳走はぁ――物理的に喰って良いよ」
空から蜘蛛が迫る。ギシギシと、生理的嫌悪を表さずにはいられない音を鳴らしながら。
糸を伝い、『後悔』が押し寄せてくる。
――ギシギシ、ギシギシと。
一話毎の文字数が少ないからこそできる三話一気投稿。……飛ばし過ぎですかね?




