第一章12 『動き出した腑抜け共』
時間開けてしまってすみません……。
ヒーローとは何か。
繰り出された問い。それに答えられるだけの何かを、漆空は持っていると思う。
――どこまでも憎たらしい、偽善者共だ。
しかし、それを言ってしまっていいのだろうか。目の前で泣き叫ぶ男は、ヒーローに憧れていたように思える。だからこそ腑抜けてしまったという彼らに対し憤りを覚えていたのだとも。
それがなぜ『ヒーローとはなんだ』などと言っているのか、理解不能。
漆空がそのまま答えをぶつけてしまってもいいものか。これは単に試しているだけかもしれない。漆空が、この男にとっての何であるかを。
それは無論、ちょっとした手違いで出会ってしまった赤の他人。漆空のアレを握ってしまった脅迫者がこの男だ。
……もしかして、漆空にとってのヒーローとは何かを聞いているのか?
ならば漆空が持っている答えをそのままぶつけてしまえばいい。そうだ、それがいい。
――そろそろ、考えるのも面倒くさくなってきたところだ。
もう、このまま吐き出してしまえ。
「……ヒーローっていうのは、悪者とイコールだよ」
「――――」
輝義の動きがピタリと止まる。餌を前にして待てと命じられた犬のように。
「悪者を倒すためなら、周りの人がどれだけ傷ついてもいいって、そう信じきってる。街をどれだけ破壊しても『仕方のないことだった』って割り切る、悪人のことだ」
少なくとも、漆空にとってはそうだ。周囲がどれだけ彼らのことをチヤホヤと持て囃しても、漆空だけはそれをしない。
彼らは、漆空から何もかもを奪っていったのだ。
住む街も、平穏も、寄り添う相手も――
「だから、僕にとってアイツらは敵だ。殺さなきゃいけない奴らだ」
それが、漆空にとっての答えだ。
……いけない。少しばかり語りすぎてしまったかもしれない。現代において『中二病』というものは、反感の対象としてまだまだ根強く息巻いている。漆空はそういった存在ではないのだ。たった数言とはいえ、心情を吐露しすぎるのはよくない。相手が錯乱気味の赤の他人であっても。
それでも、ヒーローに関しては――悪者に関しては、熱くならざるを得ない理由があるのだ。
そんな想いを込めて吐き出した言葉は、輝義に届いているだろうか。顔を伏せているため伺うことはできない。
届いていなくてもいい。それでも漆空は意思を表明した。
――ヒーローを更正させるなんてことは、絶対にしない。
約束は無かった事にする。アレは最悪、持っているというヒーローを探し出して殺して奪い返せばいい。
「…………」
返答を待った。しかし、輝義は顔を伏せたまま動かない。
もしや寝ているのか? この体勢で?
「お、おい……」
声をかけた瞬間、両腕がダラリと垂れた。力なく、重力に従い、ダラリと。
「――ああ、そうか」
酷く冷たく、重い声が漏れた。
「忘れてた、思い出した」
その声のまま輝義は呟き続ける。――忘れたくとも忘れられない怨念を吐き出すように。
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言ってしまえば、それは最悪だった。最低だった。
思い出すことすらしたくない――後悔の塊だった。
「アイツらは俺の街も壊した。壊し尽くした。親も友達も殺されて俺一人だけ逃げてそれを助けたフリしてアイツらはヒーローを気取り英雄になったんだ。ああ、間違いない。だからあの街はあんなにも変わっていて、住んでいたはずの家には別の誰かが住んでいて、俺はこの街にいたんだ。そうだ、そうなんだよ。全てアイツらを殺すために注ぎ込んできたんだ。助けられた十五年前からずっと憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて……十二年前にヒール達が全滅されて、英雄なんて存在がいらなくなってアイツらはいなくなった。ふざけんな。勝手にいなくなるんじゃねえよお前らは俺が殺すんだよ。俺が憧れていたのはアイツらじゃない、アイツらを殺してくれそうなヒールだった!! なに簡単に全滅してんだよお前らもふざけんな全員死んじまえ殺す。俺が殺す、殺すんだよ――だからいなくなってもらっちゃ困るんだ腑抜けられちゃ困るんだ隠れてないで出てこいよそして殺されろ俺にィ!!」
輝義の中で、忘れていただろう記憶が形成された。歪みきった心情が、輝義の脳内にかけていたモヤを吹き払いようやく視界がクリアになる。――しとどに降る血のような、クリアレッドに染まる。
「ヒーローを……殺す。英雄を……アイツらを殺して、俺が英雄になるんだ」
そのためにはこんなところで野垂れ死にするわけにはいかない。しかし財布がない為ロクな食事にありつけない。
ふと視界を上に向ければ、そこには蒼天のような髪色をした少年がいた。
――あれ、コイツ誰だっけ?
なぜこんなところにいるのか、いったいいつからいたのか、なぜ輝義のことを怯えるような目で見ているのか。
まあいい。なんとなく、頼まれたら断れなさそうな雰囲気をしている。そこに付け入ろう。
「なあ」
輝義が一声かければ、その少年は肩を跳ねさせ、恐る恐るといった様子で反応した。
「今、腹減ってるんだ。……飯、奢ってくんない?」
怯えているようだったので、できるだけ優しく、丁寧に訴えかけた。それが功を奏したのか、少年は首を縦に振るばかりだった。よかった、何とかなりそうだ、という安心感からか、輝義は全身が気だるくなる。両腕なんかはすでに力が抜けていた。
だが歩くことはできる。食にありつくまでの辛抱だ。なんとか、踏ん張れ――
そうやって、今までどれほど耐えてきたのだろう。
「……頭に、響く」
余計な思考は振り払え。雑念は純粋な想いを濁らせる。
ヒーローを殺す――そのことに特化しろ。
輝義の心は徐々に鮮明になっていく。……しかしそれは、どこまでも歪で、本来の夢想からは遠くかけ離れたもので。
「――――」
仮面を被せられた『後悔』は間違った形で掘り返されてしまった。
これから始まるのは、埋もれてしまった『英雄再臨計画』などではない。
きっと輝義自身も気づいていない、そんな曖昧な未来。
――絶対に、認めるわけにはいかない。
輝義の中で誰かが苦しげに、悔しげにそう呻いた。
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「今あまり金ないから、コンビニとかで……」
「それでいい、頼むよ」
にこ、と笑いかければ余計距離を置かれてしまう。少年は明らかに輝義のことを忌避しているのだが……それはなぜだろうか。少し取り乱してしまったかもしれないが、今はそれを上塗りするほどの優しさを見せていると思っているのに。
無理に笑おうとしているのがより不気味になっているのだろうか。
「じゃあ、ここで待っててよ」
蒼い髪を揺らし、少年は走り去っていく。
――『成り損ない』である証。普通ではありえないような髪色。
しばらく路地に座り込むことにした。ひんやりとしたそれは、随分と輝義の頭を冷やしていく。寝ていた時には何も感じなかったが、そこには生きているという実感を覚えることができる。
これから食べるものが運ばれてくる。そう考えたら、自然と笑みがこぼれた。
「ふ、ふふ……くは、ははふはは」
誰かが聞いていたら怖気のあまり冷や汗が吹き出そうな、そんな笑みが。
「ああ、そうだ……早くヒーローを見つけないとなぁ。でもどうしようか……俺が知ってるのは、――――」
――知っているのは?
「あ、あれ……ちょっと、待て」
輝義が知っているはずのヒーローは三人。
一人はテレビでも散々取り上げられている『軍神』アレス=ウォーリア。
もう一人はいつも公園で酔っ払っている……これは、誰だ?
新たに浮上した記憶、そこにいる禿頭の中年オヤジ。輝義はこのヒーローを知っているはずだ。それは、どういう存在だ?
深く考えるのは駄目だ。思考を濁らせることになる。しかし引っ掛かりを覚える。……ここにも存在する、記憶との相違点。
「……今は置いとけ。もう一人は、」
『幻神』――、――――ッ!!!!
脳にノイズが走った。何かを決定的に違えているような、そんなノイズが。
何かを訴えている。今の輝義は違うと。間違っていると。
「何が、間違ってんだよ……!」
ヒーローは殺す。それで間違いない。輝義はそのために人生をかけてきたと、そう記憶が言っている。
なのに、なぜその記憶が今の輝義を否定するのか。
――そもそも、何の力もない輝義がどうやってヒーローを殺す?
――そもそも、輝義はなぜヒーローという存在を忘れていた?
「……俺はまだ、何かを忘れている……?」
何か、何か、何か。堂々巡りを続ける中、やけにハッキリと『ヒーロー』、『英雄』という言葉だけはリフレインを続ける。輝義に何かを訴えかけるようだ。
一度クリアになったはずの思考が、それらによって再度掻き乱される。
「やめろ、やめろ……何も考えるな思い出すな忘れろ、忘れろ!!」
これから始まる未来は何も間違えてなどいない。肯定されるべき結末なのに――なぜ否定する!!
「――よぉ、苦しそうだな」
天啓が与えられた。
路地で頭を抱える輝義に、随分と野太い声がかけられる。どこかで聞いたことがあるような……そうだ、これはついさっき考えていたばかりの……。
「……公園で腑抜けてる、元ヒーロー」
「脱ニートしたんだがなぁ。お前、たった二、三日で随分酷くなったもんじゃねえか。えぇ?」
禿頭が夕日を反射する、やたらと図体の大きい男がそこにはいた。――中年オヤジ。オッサンと、輝義はそう呼んでいたはずだ。
その中年オヤジは右手に果物ナイフを持っていた。鞘に収められたままだが、どう考えてもこんなところで手にしているのはおかしい。まさかここで林檎の皮むきを始めるわけでもなし。
「何してんだよ、こんなところで」
「それはこっちのセリフだなぁ、ガキ。……お前、於菟に何された?」
「於菟?」
「ふざけた口調の、男か女かよくわかんねえ奴だ」
「――――」
それはおそらく、『幻神』のことだろう。しかし、ソイツに何をされた、とは?
記憶が飛び飛びでしか再生されない状態の輝義に、そのように問われても答えられない。
「あー、わかんねえならいいや。――何されたかは、もうわかった」
「はぁ?」
この男が何を考えているのか、てんで理解できない。
……理解できないと言えば、自分が取っている行動にもそれはある。
相手はヒーローだ。先ほどの輝義の言葉を実行するならば、殺すために動かねばならない。だと言うのに、なぜ輝義はこうも呑気に会話を続けている?
自分には殺す手段、力がないからか。だから動かないというのか。それまでならまだいい。輝義に理性がある証拠だ。
しかし、自分が中年オヤジと話すことで落ち着いている意味がわからない。あんなにも殺すと息巻いていたはずの殺意は、どこに消えたのか。
「お前さ、『後悔』ってのがどういうものか……考えたことはあるか? ガキ」
「――――」
「オレの後悔はこうして、ヒーローになっちまったことだが……それはオレがどうこうしようとしてどうにかなったわけでもない。言わば『運命』ってやつだ」
「――――」
「なら、『後悔』と『運命』はイコールなのか? と問われればそうでもない。運命の出会いが後悔になるだなんて少ないわけだしな」
見かけに合わず、随分とロマンチックなことを口にするものだ。
最終的に、この男は何が言いたいのか。
「じゃあ、クソガキ。――お前の『後悔』は?」
「…………?」
なぜそこに問答が発生する。
輝義の後悔? そんなもの、十五年前の悪夢に決まって――
「於菟の能力は、それに仮面を被せてまったくの別モンにしちまうんだよ。わかったらとっとと目を覚ませ愚図ガキが」
右手のナイフが振り抜かれた。
ゴウッッッ!! と風が輝義を襲う。単なる衝撃波と、そう呼ぶにはあまりにも物理的で、ぶつかった輝義は壁そのものが迫ってきたのだと思ってしまったほどだ。
数メートルほど吹っ飛ばされてようやく静止する。その間にも服はボロボロに擦り切れる。
「今までいろんな意味で世話になったからな。立つ鳥跡を濁さず――ってなわけで、ちょっとした身内の恥を片付けに来た。感謝しろよクソガキ。これからお前に、敵であるオレが塩を贈ってやる」
再び右手が振り上げられ、発生した見えない壁が輝義を襲う。
「が、ハァ……ッ!?」
「お前が目指すモンを教えてやる」
三度目。
「ッ、がぁああああ――!!」
「たかがヒーローごときに夢を狂わされてるようじゃ、全然、まだまだだ。――そら、四度目だ」
叩きつけられる度に、輝義と中年オヤジとの距離は開いていく。吹き飛ばされ耳鳴りのせいで平衡感覚すら狂っているというの、その声だけは嫌に鮮明に届いた。
「なぁ、おい。……その程度で『悪役』になるとかほざいてんじゃねえぞ」
――『悪役』になる? そんなこと、輝義は言った覚えがない。
「忘れているならそれでもいい。思い出させてやる……簡単に捻じ曲げられるような『後悔』なら、大したものでもないんだろうがな」
中年オヤジの右手が、今度は刺突の形で突き出される。そして、
「――――」
鳩尾に、見えない何かが当たった。
「――オレは『剣神』葛。覚えとけよ、相良輝義」
……もはや立ち上がることすらできない輝義に、圧倒的なまでの力が立ち塞がった。
「お前が今見ている夢は、間違ってる――ッ!!」
==================
――これで、何度目になるだろうか。
「二度目……計二十二度目だ。まだ思い出さねえか?」
これだけ痛めつけられて、何を思い出せというのか。意識も朦朧として、もはや耳に入ってくる言葉も単なる記号になりかけている。
痛い、苦しい、逃げ出したい。どうしてこんなことになった。
いったい、何を間違えた。
「チッ、於菟の野郎……どんだけの英雄因子を注ぎ込ンダンda」
あ、まずい。既に言葉を言葉として認識できなくなってきている。
そのことを理解するも、空腹な上にボロボロにされた身体は地べたを這いずることさえ難しい。今の状態ならば、たとえ攻撃が見えていたとしても避けることなどできないだろう。……いや、だろう、ではなく、できない。
「iikagen、oreno方ga疲retekita」
――あ? なんだって?
霞む視界、聴覚。またもや見えてしまった人生の終わりに、これまでの輝義の人生を『後悔』する。
ごめんなさい。ごめんなさい。調子に乗ってしまってごめんなさい。
自分なんかが、こんな強大なヒーローに敵うはずがなかった。殺せるわけがなかった。そんなことを考えること自体間違っていた。
――間違って、いた?
気づけば攻撃の雨は止んでいた。しかし、身体の内から湧き上がる痛みが輝義の意識を刺激する。
まだ沈むな、もっと後悔しろ。
――これ以上、何を後悔しろというのか。
自分の中から全てが零れ落ちた。もう湧き上がる何かなんて存在しないのに――
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――もうそろそろか。
例のクソガキ――相良輝義は、今全てを失おうとしている。これまでの人生を悔いて、己の中でなかったことにしようとしているためだ。
だがそれだけでは逃れられないのだ。於菟の力からは。たから……あと、もう少しだけ。
「オレだって胸糞悪いんだぜ、ガキ。……悪かったな、オレの同胞が」
声は届いていないだろう。それでいい。葛の声なんて、届かなくていいのだ。
なにせ、これから葛を含む『神』クラスの英雄達は――世界を敵に回すのだから。そんな奴の言葉を聞き入れるような一般人は存在しなくていい。
まあ、届かないのはそれが理由ではないだろうが。
ごちゃ混ぜになった輝義が何を悔いているのか。それはわからない。しかし、
「わからないなら全て後悔し切っちまえ。そして全て清算しろ。お前はまだ、始まりにすらいなかったんだよ」
告げることは告げた。あとは、最後に一発。
「――また会うことがあれば、その時は酒でも飲もうぜ」
葛の中で、一つの決別が生まれる。
これからは交わることのないだろうクソガキが、これまでにしてくれたことを思い返し――葛もまた、後悔する。
出会わなければ、自分は未だ腑抜けであれただろう。
出会わなければ、自分は未だくすぶっていただろう。
出会わなければ、自分は――こんなにも、別れを惜しまずに済んだだろう、と。
もはやボロボロの果物ナイフを振り上げる。ゆっくりと、左肩から右下へと振り下ろし――
「――――ッ!!!!」
声にならない悲鳴が輝義の喉から溢れ出た。そして輝義の意識が掻き消される。これで、今度こそ終わりだ。
「…………」
「――満足?」
かかった声は背後から。葛が結界を消したことによって姿を現すことができたのだろう。同じ『神』クラスであれば、結界の有無など些細な問題だが。
「この子がアンタご執心の、なのね。……パッとしないけど、本当に敵になるの?」
「さあな。だが、そうならないようには修行をつけてやったつもりだぜ。修行と呼ぶには一方的だし、そもそもこれ一回きりだけどな」
輝義には、できれはこっち側になど来ないでほしい。全てを思い出して、その上で――圧倒的な力の前に、怯えていて欲しいのだ。
もう、危険なことに巻き込まれないように。
色白の肌に輝く金色の頭髪が目立つ、柔らかい雰囲気を持つ元同胞に葛は言う。
「で、『軍神』はどうだって?」
「特に何も。いつも通り毅然として、『決行は半年後だ』って。まあ準備とかあるだろうし。……アンタも怠けないようにね、『剣神』サン?」
「そりゃあ無理難題ってもんだ。それより、お前までいるとは思わなかったな……――『癒神』」
葛が『癒神』と呼ぶ金髪の女性は、一つ優しそうに微笑んで、
「アタシは別に、悪役なんて必要ないんだけどね。戦争真っ只中の国にでも行けば重宝されるだろうし」
「じゃあなんで――」
「終わらないから」
「は?」
於菟とは対照的に長い髪を持つ『癒神』。それを風に晒して、薄っすらと星が出始めた空を仰ぐ。
「戦争が終わらなくちゃ、アタシがいくら癒しても意味がない。だから、この世から戦争を失くす。そのためにアレスに協力しているの。――英雄は消えていない。お前達は、強大な力の前に屈服しなければならない。そのことを知らしめるために」
「……お前、そりゃあアレスの目的とは真逆だろうが」
「あら、それはアレスについてる『神』クラスのヒーローみんなそうでしょ。於菟ちゃんだってそう。あの子は『成り損ない』を炙り出して殺し尽くすため。アタシは戦争を失くすため。アレスは言わずもがな。アンタは……もう一度、夢を魅せるため」
「――――」
「まあ、中には本当に何を考えているのかわからないのもいるけれど。例えば――あの白髪の『成り損ない』とか、群青色の髪の子とか、ね」
何を考えているのかわからない内の一人である『癒神』は、傷ついた輝義の身体に光を被せる。その能力を発動しているのだ。万物を治す『癒神』としての能力を。
無言になり始めた葛の意思を汲み取ったのか、『癒神』は「それじゃあ、また半年後」と言いその場を後にする。
いったい何のために必要のない接触を図ったのか。その理由はわからない。あの女のことだ。同窓会のようなノリだったとしても不思議はない。
なんにせよ、これで引き返せなくなった。
一昨日、於菟に接触してから迷う時間はあったはずなのに、自分は即決したのだ。
「――これも、『後悔』になる日が来るのかねぇ」
――『ねぇ、英雄をやり直す気はないぃ?』
於菟はそう言った。
「英雄を、やり直す?」
まるであのクソガキのようなことを言う。しかし、於菟の笑みからは冗談の匂いは感じない。いつもへらへらとふざけていながら、そこには必ず一本芯の通った意思が存在していた。それは、今も。
「そぉ。ウチらはもういらない存在になってる。だからさぁ、悪役をでっち上げて、それをウチらが屠って、英雄再臨――ってねぇ」
……それは、あのガキと同じではないか。
考えていることがあのガキと同じというのもどうなのだろうかと思いつつ、その真意を確かめようと問う。
「何をしようとしてんのかサッパリだ。遊びに誘うにしても、もう少しハッキリ――」
「原因不明の超災害。それがウチらの敵さ」
「……は?」
「英雄因子を使って引き起こした事象は、そりゃ当然世界を歪ませる。お約束だよねぇ。何の代償もなしに大きな力を使えるわけがない。三年前に起きた『アレ』は、その歪みが原因だって知ってるでしょぉ? だから、今回は――その歪みをわざと大きくして、世界をぶっ壊すんだよぉ」
「……何言ってんのか、わかってんのか?」
「もちろん。……というか、これ考えたのウチじゃないけどねぇ。ウチそんな頭良くないしぃ」
では誰が、という質問はもはや必要ない。
於菟がそんな計画を聞いて、そして乗る。その相手は過去共闘した、葛を含めた三人しかいない。葛は当然除外。さらに、その内の『癒神』もそんなことは考えない。
であれば、
「『軍神』……アレスか!?」
「正解ぃ。で、起こした超災害をウチらで止める。そこでさらに英雄因子を動員するわけだから、また歪みは生まれる……英雄がいらない世の中なんて、綺麗さっぱり消えるわけだぁ」
とんだマッチポンプ。この内情を知ってしまったら、ヒーローに夢を見ている者達は何を思うだろうか。
……そんなの、考えるまでもない。
ならば、
「――それは、オレが止められるようなことか?」
「さぁ? 少なくともアレスは止まる気が無いみたいだけどぉ?」
その答えを聞いて、決まった。
「それ、オレも参加するわ」
そうだ、知ってしまっては放っておけるはずもない。昔の同胞が、ここまで歪んでしまったのだ。……ある意味では、葛と同じである。
自分も昔とは違い、価値観も歪み、そして腑抜けていた。それと何の相違があるのだろうか。
ならば、逃げてはいけない。
「その馬鹿げた計画、参加してやるよ。……ただし、やり方はオレの好きなようにさせてもらうがな」
「それで良いと思うよぉ? ウチもテキトーにやらせてもらってるしねぇ。あ、ただ一度だけ、計画に加担している全員が一箇所に集まって祭をやるって話だからぁ、その時はちゃんと集まってねぇ?」
「祭……? 何するつもりだ」
「たぶん、開戦宣言かなぁ。とりあえず、場所はここ――英市。いつかはわからないから、それはアレスにでも聞いといてよぉ」
「……わかった」
「んじゃ、お互い頑張ろうねぇ――『剣神』さん」
言って、於菟は姿を消した。
その次の日に於菟は輝義と遭遇し、『オペラ座の英雄』の第ニの効果で輝義の『後悔』に仮面を被せる。酷く歪な、まったくの別物と化す仮面を。
そして、現在――
「ふ、ぐぅう……ガッ……!」
何か粘っこいものが喉に張り付いて息が苦しい。しかし、それを除けば単に全身が怠いのみに留まっている。
何があったのか。それを断片的にだが覚えている。禿頭の中年オヤジ――そう、見知ったあの元ヒーローが、輝義を襲って、そして……。
「ああ、そうか……クッソ、あのガキのせいで……!」
本当にガキだったかどうかはもうハッキリとしていない。でも紫色の髪だったことはわかる。そして、おそらく『神』クラスのヒーロー、『幻神』だったことも。
そのヒーローに輝義は記憶を消されたのか、ここ三日はおかしな行動ばかり取った。
一度記憶を取り戻したかと思えばそれは思い違いで、まったく別種の記憶だった。
では、今ならどうか?
輝義が本当に後悔した、あの日の記憶は――?
――十五年前、輝義がまだ八歳だった頃の記憶は?




