第1話 違和感
ある日、少女が自ら未来への蕾を刈り取ったと聞いた。初め耳に入ってきた言葉は俺にはどうも合わないようで、全く理解が出来ない。思わず同僚にもう一度同じ言葉を要求する。
「お前がその取材担当だって。警察の広報の所に連絡先載ってるから、ちゃんとアポ取ったら向かってくれ。」
まだ18歳になったばかりの、大人として華を咲かせる前の女の子。若い内は、運命に抗う力だって道を切り拓く力だってある。如何してその子は、未来を諦めるという選択をしてしまったのだろう。
運が良いことにまだ身内や親戚といった親しい人達が亡くなった事がなく、人の死に身近に触れるのは、これが初めてだった。この業界に入ったからには誰かの死と向き合うべきだと覚悟していたが、いざ隣り合わせになると、呼吸が浅くなる。いつも飲むブラックコーヒーには、どうしてか、砂糖が山ほど入っていた。
「わかった。すぐに連絡取ってみるよ。」
乾いた返事。平常と可能な限り変わらないように細心の注意を払い、その場をなんとか誤魔化す。私情を突っ込んでいる場合じゃない。頬を叩いてサッと立ち上がり、漏れてくる汗をハンカチで軽く拭った。
少し静かな部屋まで移動してきた。細い窓からはひっそりと一筋の光が差している。ズボンのポケットから携帯電話を取り出し、慣れない番号へと電話をかける。3回か4回ほど携帯が震えた頃にそれが無くなった。
「もしもし。どちら様でしょうか。」
「突然のご連絡失礼致します。静川新聞社の村山と申します。娘さんが亡くなったことについて取材しても宜しいでしょうか。」
「……取材ですか……」
不安そうな声が携帯越しに聞こえる。涙ぐんだ声で更に続いた。
「まだあまり気持ちの整理がついていなくて……」
最愛の娘が自殺したんだ。苦しいのは当然だろう。
「今はお辛い思いをしているかもしれません。でも取材という形ではありますが、僕に娘さんのことを話してみたら、少しは心も軽くなるかもしれません。記者としてではなく一人の人間として、あなたに寄り添いたいんです。」
「……わかりました。明日の13時に萩野駅前の喫茶店まで来てください。あまり多くは話せないかもですが……」
「無理をさせてしまって申し訳ないです。手短に終わらせますから……」
快諾ではなかったが、なんとか取材へと漕ぎ着ける。耳には未だにその声が残っている。
そのままデスクに戻り、先ほどまでの作業へと戻る。芸能人にインタビューしたときの記事。ブログ風に書き上がったその記事には、綺麗事がつらつらと並んでいる。本当に思っているのか、作っているのか…。聖人君子と言わんばかりの文言を並べているばかり。最近こんな仕事ばかりで飽き飽きしていた。冷えている訳ではないのに、キーボードを叩く指先は動かしづらかった。
なんとか仕事を終えて帰路につく。夕陽は殆ど沈んで、それを見計らったように月が顔を出す。半月を少しぷっくりとさせたような形の月。表面の凹凸がいつもよりもよく目立つ。風の強い日で、街路樹がその風に遊ばれる音が聞こえてきた。
家に帰っても、少女のことがどうにも頭から離れない。どんな身なりをしているのだろう。背の高さは。声の高さは。顔は。髪は。目は。思考はひたすら闇に吸い込まれていく。そうして気がつくと、鳥の囀りが聞こえていた。
何食わぬ顔をしてオフィスに顔を出す。午前中は昨日作りかけた原稿を推敲し時間を潰す。昼前にはオフィスを出て萩野駅の方へとゆっくり向かった。駅に着いた後、暫く歩くと、花屋がそっと佇んでいるのを見つけた。ただ取材をするだけだが、手ぶらではいけない気がしてそのまま中に入った。
こういう時に持っていくのは確か白い花のはず。花屋になんて滅多に来るもんじゃないから、どんな風に見て回るべきか皆目見当もつかない。胸に手を当ててどうしようかと店内を歩き回っていると、ある場所で立ち止まる。ふと目をやったところにあったその花に魅了される。白菊。花弁の一つ一つに、生命が宿っている。フワッと空に向かって咲く花は、空間を支配する。香り高く意志を持つ姿が、凄く美しかった。その衝動のまま、気がつくと一本の花を優しく包んでいた。
額にはいつもより汗をかいている。喫茶店に着いたとき時計の長針は西の方を差していた。先に中へと入って、コーヒーを頼んでおいた。少し待つと女性が一人入店してくる。約束しておいた、黒を基調とした服装。少し立ち上がり此方ですよと目配せをすると、送られた目線をなぞって此方に向かってきた。
「えっと、村山さんですよね。」
電話の時よりもはきはきとしており、そこに涙の色は見えない。キラキラとした装飾も特別なく、あまり目立たないネックレスだけをしている。裾に少し皺の寄った長めのワンピース。軽い化粧をしているが、目の辺りは軽く赤みを帯びていた。40代に差し掛かった頃といったような顔で、僅かにほうれい線が見える。
「静川新聞社の村山と申します。傷心のところ、突然の取材で申し訳ないです。」
白菊の入った袋と共に、今では慣れた手付きで名刺を渡す。
「いえ……あなたなら取材受けても良いかなって思ったんです。記者ってもっと堅苦しいものだと思ってましたから。」
母親の唇はゆっくりと動いた。赤みを帯びた唇は蛍光灯の光を反射し、艶を帯びている。そのまま、頼んでおいたコーヒーが到着した。
「此方コーヒーになります。お連れ様は何か頼まれますか?」
「すいません。ミルクティーをお願いしてもいいですか?」
「ミルクティーですね。ホットかアイスかどちらになさいますか?」
「えっと、アイスで。」
静寂の中で、他の客の声だけがよく響く。何を話しているかは全く分からないのに、何かを話していることだけはっきりと分かった。様々な声が混ざり、雑踏に埋まったままで会話が進まない。気を紛らわそうとコーヒーに手を伸ばした。昨日とは違い心地よい苦味が残る飲み慣れた味。どうにも、この気まずい空気との相性は良くなかった。コーヒーを飲み終えて、そのまま口を開く。
「………娘さんのことについて、聞いても宜しいでしょうか……」
「……わかりました。」
苦悶の表情を浮かべながら、そのまま話始める。
「私の娘……琴葉というんですけど……凄く几帳面で人当たりの良い子だったんです。私が仕事から帰ったら机で突っ伏してて、しんどいのかなと思って声をかけても返事が無くて……そのまま琴葉の方に寄っていったら、息が無くて……」
少し言葉が詰まった。母親は下唇を軽く噛み、目からは涙の泉が今にも溢れそうになっている。
「そこで、警察と病院に連絡しました……救急車で一緒に運ばれていったんですけど、もう亡くなってしまってますって……毒を飲んで亡くなったみたいです……如何して……」
その泉は、小さくぶくぶくと泡を立てる。母親は、小さな声で啜り泣き始めた。他の客の声と混ざり合っても、その声だけははっきり聞こえる。
「……そうでしたか。娘さんが亡くなるなんて、本当にお辛いですよね。気持ちの整理がつかないのも仕方のないことだと思います。今はただ本当に、琴葉さんのことを弔ってあげましょう……」
「そうですね……」
如何にも釈然としない様子で、此方を見ている。
「あの、私、ずっと胸の中に引っかかっていることがあるんですけど……気のせいかもしれないんですが、琴葉が机で突っ伏しているところを見たときに少しだけ違和感があって……」
「違和感……?」




