3回手を振る
その日は気持ちがいいくらいの青空が広がっていた。
午後の喫茶店は静かで、窓からの光がやわらかく揺れる。
ゆいはストローの袋を折って遊んでいた。
「暇だね」
クロは窓際で目を閉じたまま言った。
「静かって言え」
「それ前も聞いた」
カラン。
ドアが開く。
入ってきたのは三十代くらいの女性だった。
スーツ姿で、どこか落ち着かない顔をしている。
「相談って、ここでいいですか」
ゆいがすぐ姿勢を正した。
「はい! 探偵です!」
「助手だ」
クロが小さく訂正する。
女性は席につくと、少し迷ってから話し始めた。
「最近、同じ人に毎日会うんです」
「知り合いですか?」
「違います」
女性は窓の外を見る。
「駅前の横断歩道で、毎日」
「その人、必ず三回手を振るんです」
沈黙。
「三回?」
「はい」
女性は実際にやってみせる。
小さく三回。
左右に手を振る。
「最初は偶然かと思ったんです。でも毎日で」
「しかも私しかいない時でも」
クロが目を開いた。
「お前じゃない」
女性が止まる。
「……え?」
「どこ見て振ってた」
「どこって……私に」
「思い込みだな」
ゆいが首を傾げる。
「でも毎日なんでしょ?」
女性はうなずいた。
「怖いというより、気になるんです」
クロはしっぽを揺らす。
「お前、毎日イヤホンしてるだろ」
女性が驚いた顔をする。
「はい」
「耳の跡」
クロは短く言った。
「だから後ろ見てない」
ゆいが小さく声を上げる。
「あ」
クロは続ける。
「そいつはお前じゃなくて、後ろに手を振ってる」
女性は少し考え込んだ。
「……後ろ?」
「毎日同じ時間に、毎日そこにいるやつだ」
沈黙。
そしてゆいが思い出したように言う。
「あ、警備員さん」
女性も目を見開く。
「駅前工事の……」
クロは再び目を閉じた。
「向こうは毎日見てる」
「でもお前は一回も見てない」
しばらく静かな時間が流れた。
やがて女性は苦笑する。
「なんだか恥ずかしいですね」
「でも分かる気がします」
ゆいが言った。
「人って、視線とか言葉とか、自分に向けられたって思っちゃう時ありますよね」
「自己中だからな」
「クロ!」
女性は笑った。
来た時より、少しだけ軽い顔だった。
ドアが閉まる。
ゆいがぽつりと言う。
「でもさ」
「なんで三回なんだろ」
その時だった。
相馬がクリームソーダを置きながら言う。
「あの警備員さん、よく来るんですよ」
「毎回、お子さんの写真を見せてくれます」
ゆいが瞬きをする。
相馬は少し笑った。
「毎回、3人分のクッキーを買って帰るんです」
クロは窓の外を見たまま言う。
「見えてないのは、だいたい自分のほうだ」
窓の向こうでは、今日も誰かが誰かに向かって手を振っていた。
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