表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祈る娘  作者: オーガ
151/151

帰還 3



 翌日、リリアスの乳母だったスルヤが屋敷に呼ばれてやって来た。

 当時三十代半ばだったスルヤは、五十代になっており農村の女はきつい力仕事のせいで、年よりも老けて見えた。

 陽に焼けて手入れもしていない顔は、皺が深く刻まれその環境の厳しさを物語っていた。

 リリアスに会うので精一杯の身支度をしてきたのであろう、祭りに着る晴れ着に手には自宅でとれた野菜を土産に持って来た。


「このお屋敷に入るのは、本当に久しぶりです」

 

 迎えに出たオテロを見て、懐かしそうに言った。

 オテロも数年ぶりに見るスルヤが、すっかり老けているのに驚いたが、きっと自分も同じように思われているのだろうと気が付いた。


「この度はお嬢様が見つかったそうで、なによりお目出度い事で……」

 

 深々と頭を下げたスルヤの様子から、リリアスの事件がどれ程の人を傷つけていたか分かった気がした。


 乳母をしていたスルヤの、リリアスが居なくなった時の恐慌状態を聞いていたオテロは、この女がどれ程奥方やリリアスを大事に思っていたのかを知り、決して共犯ではないと確信したものだった。


 スルヤの顔には年を重ねたと言う以上に、リリアスの誘拐事件の苦しさからの影響が大きく出ている気がする。


「お前にも、心配をかけたな」

「もったいないお言葉です……」


 更に頭を下げたスルヤは、涙声だった。


 

 居間のソファーに腰かけたリリアスは、傍に侍女達が立っているのをスルヤという人は、気にしないだろうかと心配になった。

 ここまでの旅程で泊まった旅籠の人々は、リリアスは勿論の事侍女である彼女らにも丁寧な物腰をしていた。貴族に使える女性なのだから、貴族の出なのではないかと推測して、恐る恐ると言う感じで気をつかっていた。


 ましてや農村の出のスルヤが、貴族の令嬢のリリアスの他に後ろにずらっと綺麗に着飾ったと見える女性が多数いると、委縮して思った様な話が出来ないのではないかと思ったのである。

 しかし小机の茶器や菓子をリリアスとスルヤに提供するのは、侍女しか出来ない事であったので誰も控えていないという状況には無理があった。


 扉が開きオテロがスルヤを案内して、入室してきた。

 スルヤは、居間の中に人が大勢いたのに驚いたようで、口をポカンと開けてその場に立ち尽くした。


「スルヤ、入れ」


 オテロがうながして、やっと足を動かした風で、おどおどした様子で中に入ってきた。

 キョロキョロと居間を見回し、懐かしいと思っているのか緊張していた顔が少し穏やかになった。


「スルヤさん、どうぞこちらに座って下さい」


 リリアスが声を掛けると、びくっと体を震わせ顔をこちらに向けてやっと、ソファーにリリアスが座っているのに気づいたようだった。


 自分の姿に驚いている様子のスルヤに、リリアスは微笑み手を向かいのソファーに向けた。


「い、いえ、とんでもないです。私は立ったままで……」


 リリアスの貴族令嬢の姿に自分の身分を意識したのか、それとも村では見た事も無いそろいの服で窓際に立っている居並ぶ侍女達の姿に、怖気たのか立ったままにしようとしている。


「母や私の昔話をお聞きするのですから、時間が掛かります。ゆっくりとなさって、色々な話を聞きたいのです」


 優しくリリアスが言うと、オテロもスルヤの傍に行きソファーに座るようにと手を添えた。

 しぶしぶと言う感じでスルヤは、リリアスの正面を外しソファーの端に座った。

 すると侍女達が静かに動き出し、食器の音と共に紅茶の良い匂いが部屋に満ちて来た。


「今日は、お呼び立てしてすみません。是非母と私の子供の頃の話を、お聞きしたかったものですから。スルヤさんには、大変お世話になったと聞いています。改めまして、リリアージュです」


 リリアスが頭を下げると、スルヤも慌てて頭を下げた。

「ス、スルヤです。奥方様や、オテロ様には私こそお世話になりました」


 まじかに見る自分が世話をした子供だった息女は、赤い小花が全体に刺繍された黄色のドレスを着て、赤い癖のある髪をたっぷりとした髪型に結い上げ、綺麗な緑の瞳でスルヤを優し気な顔で見つめていた。

 

 その顔は昔世話をした奥方に似ていて、あの時が戻って来たようにも思えたが、無垢な瞳に臆して俯いて目に入った、黒く皺のあるしみが浮き出た手の甲が、年月は経っているのだと教えてくれた。


「そんなに緊張しないで下さい。オテロから私の今までの事情は、お聞きになったと知らされています。今日は昔の楽しいお話をしましょう」


 その言葉に部屋の中の空気は緩やかな物になり、侍女達が明るい雰囲気で茶器と、ケーキと果物が盛られた小皿をリリアス達の前に並べた。


「美味しそうね。本当は皆と一緒にここで食べたいんだけど……」

 リリアスがいたずらな顔で、後ろに振り返ると

「お言葉だけ、ありがたく承ります。お茶が冷めますので、どうぞお召し上がり下さいませ」


 この場に居る侍女の中の筆頭であるアニスが、リリアスの言葉を受けてにまにまと口元に笑いを見せて応じた。


 出された菓子や茶のお陰かスルヤも緊張を少し解き、少し茶を口にした。


「奥様はいつも、ここの一人掛けのソファーに腰かけて、編み物とか刺繍をなさっていました……」


 スルヤは自分が初めてこの屋敷に来た時からの事を、昨日の事の様に良く覚えていて、部屋に居る者達を驚かせた。

 

 リリアスがその記憶力を褒めると、

「こちらのお屋敷に勤める事が出来るのは、大変名誉な上に頂く給金も多い物でしたから、とても嬉しかったんです。今まで見た事もないお大尽の生活を、忘れない様にと毎日目に焼き付けていたんです……」


 ――年甲斐もなく――

 スルヤは恥ずかし気に顔を赤らめて、好奇心旺盛だった自分を揶揄やゆした。


 リリアスが生まれる前の準備の様子や、生まれてからの色々な覚えている限りの事を話してくれた。そこには幸福な母の姿しかなく、妊娠した女性の美しい姿から、母となった晴れがましい女性の満足な気持ちまでが溢れていて、リリアスの気持ちを嬉しくさせてくれた。

 

 スルヤは田舎の女性にしては大変気が利く様で、話の中にはジャジャの存在もあったはずなのに、それを取り除き上手く話を紡ぎ出してくれていた。


 リリアスがスルヤから母の話を多く引き出すので、あっという間に昼になりスルヤが委縮しない簡単な昼食を用意し、それを食べながら話は続いたのだった。


 夕方近くになり、居間の空気もそろそろお開きとなった頃、

「まだここに居ますから、お時間があればもっとお話をお聞きしたいです」

 と、リリアスがやっとこの日の顔合わせを終わらせた。


 スルヤは、料理人が作った夕食を貰い、護衛に送られて帰っていった。


 スルヤが帰った居間には、リリアスの母の息遣いが残っていた。

 

 侍女達も初めて聞く主人の奥方の話に、興味津々であったしそれが祖国を捨てた王女の隠遁生活ではなく、希望に溢れた若き母の幸福な物であったから、引き込まれ時間を忘れる程であった。


 もう会う事が叶わない奥方の姿が目に浮かぶようで、侍女達もリリアス同様に、話が聞けて良かったと思うのだった。


 


 夕食は早めに終わり、本当は湯あみをしてゆっくり刺繍などをして寛ぐのだが、リリアスは紺色のマントを着てオテロの先導で屋敷から徒歩で出掛けた。

 

 陽が落ちて多少暗くはなっているが、何処に人目があるか分からない田舎の事なので、オテロは自分が知っている小道を通りリリアスを目的の家まで先導した。

 勿論護衛も三人程一緒で、田舎の人もいないような場所で、護衛が必要かと思うのだが、そうもいかないのが貴族らしく後ろから音もなく付いて来ていた。


 昼間ならば古く朽ちているのかと思う様な家なのだが、夜目には黒い塊にしか見えなく、閉まった窓から蝋燭の心もとない光が漏れている。

 オテロは玄関の扉を、中に居る者を驚かせない様にそっと叩いた。

 その音に中の者は直ぐに反応し、軋んだ音をさせながら玄関の扉を開けた。


「邪魔をするぞ」

 

 オテロはそう言って、リリアスと一緒に中に入った。

 リリアスは部屋の中に人が居ると思い見渡したが誰もおらず、不思議に思うと足元から声が聞こえ、見ると老人の男女がぬかずいていた。

 

 テーブルの上にある蝋燭の火が、家の中にチロチロと大きな影を作り揺れている。その影も当たらない床に額ずいている二人は、体を震わせ泣いているのだった。


 リリアスが思わず手を取ろうとするとオテロが留め、二人に声を掛けた。


「立つのだ。お嬢様は、決してそのような姿が見たいのではない」


 きつめのオテロの声に、二人は顔を覆いながら立ち上がった。

 蝋燭の光でも着ている物が古いと分かる程で、部屋の中の粗末な様子と相まって生活が苦しい事が分かった。


 誰もが口を開かないので、リリアスは意を決して話し始めた。


「私が、リリアージュです。夜になってからの訪問を、許して下さいね。人に見られない方が良いと思ったからなのです」


 二人は首を横に振り、ただ俯くばかりだった。


 オテロが椅子を引いて、リリアスに勧めたが、頭を振って断り老人二人に近づいた。

 リリアスが目の前に来たので二人は驚いて体を引いたが、その手をリリアスが掴んだ。

 白い絹の手袋の手は、汚れた老人の手を労わる様に撫でた。


「私がお訪ねしては、苦しい事を思い出させてしまうと思ったのですが、屋敷に着いた時お二人が門の前にいらしたのを見て、やはりお会いしたいと思ったのです。色々な事が重なり合ってジャジャさんを、迷いの道に招いてしまい、最後には命を奪う事になってしまいました。申し訳なかったと思っています」


「とんでもないです!!」

 ジャジャの父親は突然大声を出した。


「お嬢様が謝る事ではないです。あれに……あれの心の中に悪の種が隠れていて、そこに水が注がれて芽を出したんです。種を持たない者には、関係の無い事ばかりだったんですよ!!」


 父親は耐えられない様に、顔を押さえて涙を拭った。


「娘をそんな風に育てたのは、私達なんです……」

 母親は肩を落として、絞り出すように呟いた。


「いえ、いえ……そうではないです。ジャジャさんは屋敷で働いていた時には、正しい……善い人に戻っていました。お父さんが仰った悪い芽は、とっくの昔に枯れていたんだと思います。ただその事に気が付かず、ずっと自分は悪人で運が悪かったんだと、思い込んでいただけなんだと思うんです」


「そんな、そんな事ありませんよ。あれのしでかした事は取り返しのつかない事で……お嬢様に長い間苦しい思いをさせてしまったんですから……最後に善い人になったとしても、その罪は消えやしませんよ」


 老人は顔を上げてリリアスを見つめた。

「あいつを恨んで、極悪人だと言って下さい! それでなきゃあ……お嬢様の失った時間が戻らないんだから、お嬢様があんまりお可哀想で……」


 たるんだ目から涙が零れ、老人は必死な顔で言いつのった。

 そう言わねば老人達は、娘が犯した罪の重さに押しつぶされ生きていけない気持ちになるのだろう。

 リリアスは、ここにもずっと罪の重さに苦しみ、罪を償う事もできず生きていくしかなかった人が居た事に心が痛んだ。


 ジャジャもその両親も村の人々も、皆が長い時を重苦しい想いで生きてきたのだった。


「お父さん、お母さん。私はジャジャさんの罪を許します。今の私が出来たのは、辛い生活を余儀なくされたからですが、侯爵令嬢として生活していたらと、もしもの事を考えても無意味な事ですし、今の私を否定する事になります。私は、今の私の性格も色々な事に感じ入る心も大好きです。それがジャジャさんからもたらされた不幸な事だったとしても、それでもこの人生が悪い物だったとは思っていません。この人生でも良かったと思っているんです。だから、もうジャジャさんの罪は、許してあげて下さい」


 リリアスは自分の言葉が、二人に理解してもらえるかは分からなかったが、自分がジャジャを許していると言う事だけは、理解してもらいたかった。


「誘拐された本人が、許すと言っているのですから、ご両親も娘さんを許してあげて下さいね……」


 両親は再び床に崩れ落ち、ただ泣くだけだった。


 その姿を見るのが忍びなく視線を部屋に動かせば、昨日リリアスがアニスに言い付けて、二人に持たせたジャジャが最後に着ていた使用人の服が畳まれて窓際に茶色の髪の束と一緒に置かれていた。


 リリアスは自分が訪問してジャジャの罪を許すと言う前から、両親は娘の犯した罪ごと娘を受け入れ、愛し続けていたのではないかと思った。


 朴訥な田舎の老夫婦が、親の愛という打算の無い無垢な情を持っていた事に感動し、リリアスは自分の母もそうだったのだろうかと、想いを馳せる事となったのだった。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ