第14話
侯爵夫人が退出してから、紺色の服の女性との打ち合わせになった。
隣国からやってきた、姫君は年は13才、ストロベリーブロンドに、青い瞳。背はまだそう高くはないそうで、髪と瞳の色が分かれば、似合いのドレスの色も決められる。
いずれ採寸と布を合わせに行かなければならないが、それは王宮に出向くという事である。
「マダム……、私お城になど行けません」
「何を言っているの? ペラジーでさえ、妃殿下の居室に伺ったのよ。貴方に行けないはずがないわ」
「ペラジーは貴族の方に慣れているから、大丈夫だったのでしょう? 私は無理です」
「あの、おしゃべりが、じっと部屋の隅で口を閉ざして黙っている姿は、面白かったけど、採寸や布選びの仕事はちゃんとできていたのだから。貴方なら大丈夫よ」
この屋敷より豪華な王宮に行って、粗相をしない自信がない。
「だいたいね、掃除や料理、洗濯は、誰がやっていると思っているの? 平民が、恐れ多いって言っていたら、お城の中は大変な事になるわ」
リリアスは目を点にして、マダムを見つめた。
貴族や王族も人の子で、食べて寝てもいるのだ。その生活は、平民の召使の手で、なされているのだ。
彼らは、平民のお蔭で生きていられるのかもしれない。
何となくそう理解できれば、王宮のやんごとない方々にも、少しは臆せず接する事ができるかもしれない。
「分かりました、マダム。見たこともないような生地を、見るために行くのだと、思う事にします」
今度はマダムの目が点になった。
姫君との謁見の予定が決まり次第、知らせをもらう事になり、二人は居室を辞した。
女中が一人、使用人玄関まで送ってくれて、緊張の糸が切れていたリリアスは、廊下の先にいた人物に気が付くのが遅れた。
マダムは先に膝を折り、頭を少し下げた。
「久しいですね、マダムジラー」
「はい、レキュア様もお元気そうで……」
リリアスは、この屋敷で若君以外の男性を初めて見て、ぼおっとしていた。
濃い茶色の髪はウエーヴがきつく、リボンで首の後ろにまとめてはいるが、額にかかった前髪はクルンと巻いていた。
背は高く、体つきも大きく、騎士のようだ。
年は若君と、そう変わらなそうで、マダムと話す姿は、人好きのする愛想の良い青年という印象だった。
「後ろにおられるのが、奥様のドレスを縫った女中の方ですか?」
ちらとリリアスを見た目に、好奇心が溢れていた。
マダムは、若君の従者をしている青年が、急に話しかけてきたことに警戒した。この従者が自分に話しかけたことが、滅多になかったからだ。
「さようでございます。奥方様には大変に、ごひいきにしていただいております……では、これで……」
リリアスを手でうながしながら、青年の横を通ろうと足を動かすと、
「では間違いないですね……。そこの女中を、若様がお呼びです」
マダムには、否とは言えない。
「なにかお召し物の事で、ご希望でも? でしたら、私がお伺いいたしますが?」
青年は笑いながら、首を横に振った。
「いえ、私が伺ったのは、夫人のドレスを縫った女中を、という事なので……」
「では、私も一緒でよろしゅうございますか?」
「いいえ」
言葉尻を濁すこともなく、青年ははっきりと、マダムを拒否した。
もうすべはなくなった。
「リリアス……、私は玄関で待っています。くれぐれも、粗相のないようにね」
リリアスを見るマダムの顔は、真剣だった。その緊張した表情から、リリアスは自分が、非常にまずい立場にいる事に気づいた。
「マダムジラーは、先にお帰り下さい。お女中は、こちらの馬車で送りますので」
マダムはじっと青年を見た。
彼は、地方貴族の次男か3男ではあるが、マダムにとっては、貴族様である。
その人を、無言で直視し続けるというのは、大変無礼な事である。しかし彼女は、それをせねばならなかった。
リリアスは、大切な預かりものである。
白くなったマダムの顔を見て、青年は首を横に振った。
「お召し物の話だと思いますよ」
青年は、微笑を浮かべてリリアスを、廊下の奥へと連れていった。
肩を落として、女中と使用人玄関へ向かおうとしたマダムは、女中の顔が怒りに歪んでいるのを見てぎょっとした。
長く侯爵家にお出入りを許されているが、若君が女性と浮名を流したというのを、聞いたことがなかった。多くいる使用人は、美しい娘ばかりだったが主の侯爵も若君も、手を付けたという噂でさえ無かったのだ。
お針子を部屋に呼ぶ事は、着道楽の若君にはあり得る話だが、誰もがそれだけとは思わないだろう。
この女中のせいで、この事は屋敷中に知れ渡るだろう。
リリアスの無事を祈るばかりだった。
若君の部屋は夫人とは反対の棟で、廊下の造りは同じだが、ひかれた絨毯や飾られた絵画は、あっさりとした色味だった。
前を行く青年は、幅広の背中にぴったりの上着で、これはお仕着せではなく、誂えたものだとひと目でわかる高級品で、身分の高さが分かる。
奥にある一部屋のドアをノックして、
「連れてまいりました」
と、声をかけて青年は、先にリリアスを通した。
リリアスの目に飛び込んできたのは、壁紙の水色だった。まるで空が降りてきたような明るい水色は、陽射しに照らされた装飾の金のモールディングの輝きと相まって、心を躍らせてくれるようだった。
「母上との話は時間がかかったようだな」
大男が寝そべってもあと一人は、横になれそうなソファーに腰掛け足を組んでいる若君は、午後の自室であるのに、きっちとした服装をしていた。
クラバットの乱れもなく、はいているストッキングも白さが目に付く。
隙のない、絵姿のようだ。
改めて若君を見れば、銀髪は年より少し上に見える効果を出していて、青臭さを感じさせない。
瞳は、薄い青であったはずだが、明るい部屋で見える色は、灰色とも思えた。
色白の細い顔は、苦労の跡などどこを探しても見つかるはずもなく、高い鼻りょうと薄い唇は気品があった。
一瞬ペラジーの店で見た男達を、思い出した。
彼らの顔は日焼けで真っ黒で、顔も体もいかつく、生活の苦労で出来上がっているようだった。
だが、その表情は味があって、リリアスの気持ちをほっとさせてくれた。
目の前の男の顔は、やはり人とは思えない表情をしていた。
「この度は、ご名誉なお仕事を賜れたそうで、おめでたいことでございます」
「ああ、我が家には、嬉しい仕事よな」
人形のような顔が、ニコリと笑い崩れた瞬間に、年相応な表情が現れ、貴族の男もこのような顔をするのだと、リリアスの貴族評価が少し上がった。
若君は、あごでリリアスにソファーに座るように、うながした。
「結構でございます。このままで……」
「よい!」
若君の表情が一変した。
自分の思い通りにならない事がないのだろう、不機嫌な顔になり苛立った声を上げた。
「さあ、ここに」
案内をしてきた青年が、リリアスの背中を押してソファーに座らせたあと、
「お茶の用意をさせます」
と、部屋から出て行った。
広い部屋に二人きりになり、リリアスは居たたまれなくなった。
若君はじっとこちらを見て、なにか値踏みをしているようだ。
「お前はこれから、王宮に上がって、姫の採寸やお召し物の選択をする事になったのだが、その平民丸出しの雰囲気を無くさねばなるまいな」
――どうやれば、平民がその匂いを消せるというのだろう――
白を黒というのが貴族ならば言いそうな事だが、あまりにも理不尽な物言いに、リリアスはむっとした。
若君の目を見れば、自分の怒りを知られると思い、視線を外していたら、すぐ側に人の気配がし顔を上げた。
いつの間にか、若君が目の前に立っていた。
思わず身体を引くと、上から若君がのしかかってきた。
「どうすれば一番良いか、お前にも分かるであろう?」
押しのけようとつかんだ若君のジュストコールは、厚地であるにもかかわらず、触れたこともないほど滑らかで繊細な、織の布地だった。




