第二十話 運ぶマン四世マークⅡ
王都の外れにある集合場所へ着いた時、キリオンは自分でも少し気合いを入れすぎたかもしれないと思った。
肩には旅用の鞄を提げ、中には着替えや簡単な薬、紙と筆記具、それに何か現場で確認することになるかもしれないと考えて、小型の計量器具や使い慣れた簡素な錬成道具まで詰め込んである。
故郷へ戻ってからというもの、遠出をするといってもせいぜい近隣の町までだった。こうして明確な目的を持って遠方へ向かうとなると、昔の旅を思い出して余計なものまで持ってきてしまう。
「一泊くらいする可能性あるって言ってたしな」
昨日の食事の最後、セレスは大規模金属製錬技術の実地を見てもらえないかと切り出した。キリオン自身、話を聞いただけでは何も分からないと答えた手前、断る理由もなかった。
むしろ、少し楽しみだった。
「大型設備か……」
もちろん不具合が起きている以上、遊びに行くわけではない。ただ、十年以上離れていた間に錬金術は大きく進歩しており、王都学院の講義を見ただけでもそれは嫌というほど実感していた。
今度は、その中でも国家規模で運用される最新鋭の技術を実物で見ることができる。
どんな炉なのか、どれほどの量を処理するのか、魔力供給をどう行い、反応区画をどれほど細かく制御しているのかと考え始めると、自然と気持ちが昂った。
「……こっちの方が興奮するかもしれないな」
学生を教えるのも楽しいし、レオナの武装錬金も面白かった。だが純粋な技術としての大規模製錬設備となると、また別の種類の興味が湧いてくる。
待ち合わせ時刻まではまだ少しある。
キリオンは道の端へ寄り、街道の先を眺めた。王都中心部から離れるほど建物は少なくなり、広い街道を普通の荷馬車や商人らしい幌馬車、騎士を乗せた軍用車などが行き交っている。
そのどれかにセレスが乗ってくるのだろう。
そう思っていた。
「……ん?」
最初に聞こえてきたのは、遠くから響く地鳴りのような低い音だった。大型の荷馬車かと思ったものの、音は見る間に大きくなり、何より接近してくる速度がおかしい。
「何だ?」
キリオンが街道の先へ目を凝らすと、遠くに黒い何かが見えた。
「馬車?」
形だけならそう見えなくもない。
だが、明らかに馬がいない。
「……は?」
次の瞬間、腹の底へ響くような轟音が街道に響いた。黒い箱のような車体が、常識外れの速度でこちらへ迫ってくる。
「ちょ、速っ!」
キリオンは反射的にさらに道の端へ寄った。
近づくにつれて、その姿がよく見える。車体は大きく、角張っていて、前方は窓と思しき穴が空いている。
軽量化を意識した形にも到底見えない。
それなのに、速い。
「いやいやいや!」
見ているだけで怖かった。
その黒い箱はキリオンの目の前を通り過ぎる寸前で急激に速度を落とし、地面を揺らしながら少し先で停止した。巻き上げられた砂埃が辺りを覆い、最後に重い機械音だけが残る。
「…………」
キリオンはしばらく何も言えなかった。
目の前にあるのは、やはり便宜上は馬車と呼ぶしかない形をしている。
ただし馬は存在せず、代わりに車体後部には何かを貯蔵するタンクのようなものと、排気が噴き出る機構が取り付けられていた。
排気のせいか、近くに立っているだけでも熱を感じる。
「……何これ」
扉が開いた。
「先生」
「セレス?」
中から、何事もなかったかのような顔でセレスが降りてくる。
「お待たせしました」
「いや」
キリオンは車体を見て、セレスを見て、もう一度車体を見た。
「これ何?」
「運ぶマン四世マークIIです」
「何て?」
「運ぶマン四世マークII」
「正式名称?」
「正式名称です」
「……誰がつけたの?」
「民間の発明家です。私も名前程度しか存じません」
「そうなんだ」
「正式な輸送装置として登録されていますので、名前より性能の方が重要です」
「性能」
キリオンが改めて車体を見上げる。
「これ、馬車?」
「便宜上は」
「馬いないけど」
「運ぶマン三世の時代に動力方式が変更されています」
「Ⅱ世まではいたの?」
「いました」
「それはそれで気になるな」
「今は必要ありません」
セレスはそう言って車体の後方を指した。
「現在は火属性の魔石を燃料として走行します。従来型の魔導車両より出力が高く、王都から遠隔地まで短時間で要人を輸送するために使われています」
「へえ……」
その説明を聞いた瞬間、キリオンの目が分かりやすく輝いた。
「魔石で動くのか」
「はい」
「車輪に直接?」
「内部の動力機構を介しています」
「反応効率は?」
「詳しい設計は担当外ですが、旧型よりかなり改善されています」
「すごいな」
「さらに短時間であれば、水属性の魔石へ交換することで水面走行も可能です」
「水の上?」
「はい」
「沈まない?」
「沈みません」
「どうやって?」
キリオンが身を乗り出しかけたところで、前方の運転席にある窓が勢いよく開いた。
「オラァ! 先生サンよォ! 話は乗ってからにしようやァ!」
「……」
キリオンは固まった。
運転席にいる男は、どう見ても要人輸送を任される人物には見えなかった。派手な髪型に威圧感のある服装、言葉遣いも完全に街道の荒くれ者である。
「誰?」
「本日の御者です」
「御者?」
「はい」
「この人が?」
「そうです」
「オウ! 歴二十三年だァ! 要人ぶっ飛ばすなら任せとけェ!」
「言い方!」
「事故歴は?」
「重大事故はありません」
セレスは即答した。
「軽いのは?」
「先生」
「何?」
「時間が惜しいです」
「答えて」
「早く乗りましょう」
「答えてよ」
御者が豪快に笑った。
「安心しろやァ! 今日も死なねェ速度で行くからよォ!」
「今日もって何!?」
セレスはすでに扉へ向かっている。
「先生」
「何?」
「大丈夫です」
「何が?」
「私も何度か乗っています」
「平気だった?」
「はい」
「じゃあ大丈夫か」
その言葉を、キリオンは後になって思い出すことになる。
◇
「……人間には、まだ早いんじゃないか……?」
目的地へ到着して扉が開いた直後、キリオンはふらつきながら地面へ降り、そのまま膝と両手をついた。顔色は明らかに悪く、立っていることすら難しそうだった。
「先生?」
「……気持ち悪い」
「酔ったのですか?」
「……たぶん」
「乗り物に?」
「……人生で初めて」
セレスは少し驚いたように目を見開いた。
「今までなかったのですか?」
「ない」
「馬車でも?」
「ない」
「船でも?」
「ない」
「では何故」
「俺が聞きたい!」
キリオンはどうにか顔を上げた。
「速すぎるだろ、あれ!」
「そうでしょうか」
「そうでしょうか!?」
「慣れれば問題ありません」
「慣れ前提なの!?」
「本来、乗車人員にも講習があります」
「今言う!?」
セレスが僅かに視線を逸らした。
「時間が惜しかったので」
「だからって!」
後ろで停止していた運ぶマンの窓が開き、御者が顔を出す。
「先生サン! ハジメテにしちゃ持った方だぜェ!」
「何の評価!?」
「大半は途中で吐く!」
「先に言え!」
「セレス嬢は平気だったからよォ!」
「だからって俺も平気とは限らないだろ!」
「まあ次はもっと飛ばせるなァ!」
「もう乗らない!」
御者は楽しそうに笑った。
「そう言う奴ほど、二回目乗るんだよォ!」
「絶対嫌だ!」
キリオンはしばらく地面に座り込み、呼吸を整えた。最新鋭の高速輸送技術として見れば興味深いことこの上ないのだが、乗客への配慮という点では何か大切なものが抜け落ちている気がする。
空力も軽量化もほとんど考慮せず、無骨な箱のような車体を巨大な出力で無理やり走らせていると知れば、なおさら人間には少し早い技術なのではないかという疑問が湧いた。
――なおキリオン達は知る由もないが、現代の数値に置き換えれば、運ぶマンの最高速度は時速二百キロに達する。
「……技術としては面白いんだけどな」
「はい」
「乗る側のこと、もう少し考えた方がいいんじゃない?」
「そうでしょうか」
「そうだよ」
セレスは本当に理解できていない顔をしている。
「先生、歩けますか?」
「ちょっと待って」
「製錬所まではここから歩きです」
「それは助かる」
「距離があります」
「むしろ助かる」
「……そうですか」
◇
十分ほど休んでから、二人はようやく歩き始めた。
運ぶマンが停止した場所は、王都からかなり離れた工業区域の外縁だった。遠くには大きな煙突や高い建物が見え、鉱石と思われる荷物を積んだ大型馬車が搬送用の道路を行き交っている。
王都中心部とは、まるで違う景色だった。
「ここから先は?」
「国営製錬区です」
「全部?」
「大半が」
「広いなあ」
「複数の製錬設備が集まっています」
歩いているうちに、キリオンの体調も少しずつ戻ってきた。
「昨日の話、改めて確認していい?」
「もちろんです」
「不具合が出たのは六日前」
「最初の報告が六日前です」
「それまでは通常値」
「はい」
「複数施設」
「はい」
「全部同時?」
「完全に同時ではありません」
「時間差?」
「あります。ただし、いずれも一週間以内です」
「なるほど」
二人は並んで歩き続ける。
「品質低下」
「はい」
「具体的な症状は?」
「それは現場でお見せします」
「まだ言わない?」
「先入観を持ってほしくありません」
「俺に?」
「はい」
キリオンは少し笑った。
「信用されてるのか、試されてるのか分からんな」
「信用しています」
「即答」
「先生は、話を聞くより実物を見た方が早いでしょう」
「まあ、そりゃあそうだけども」
その評価は、少し嬉しかった。
「原因候補は?」
「設備、原料、触媒、魔力供給系統、作業手順。主要なものは一通り確認しています」
「全部異常なし?」
「明確な異常は確認されていません」
「じゃあ余計面倒だな」
「はい」
「一つの原因で説明できない可能性もある」
「私もそう考えています」
「施設ごとに症状は違うんだよな?」
「微妙に」
「でも最終的には品質が落ちる」
「はい」
キリオンは歩きながら考えたが、今の段階では情報があまりにも少ない。
「はー……現物を見ないと無理だな」
「だから連れてきました」
「期待重くない?」
「先生なら」
「それ禁止」
「何がです?」
「先生なら分かるってやつ」
「言っていません」
「顔が言ってる」
「気のせいです」
「そうかなあ」
セレスは前を向いたままだったが、口元だけは少し笑っていた。
◇
さらにしばらく歩くと、遠くにひときわ大きな建物が見えてきた。
「あれ?」
「はい」
「製錬所?」
「そうです」
遠目でも相当な規模だと分かる。数本の煙突が高く伸び、厚い壁で囲まれた横長の建物には、大型の荷車がそのまま通れそうなほど巨大な搬入口が設けられている。
「……でか」
キリオンの目が再び輝いた。
「これ全部?」
「一施設です」
「一施設!?」
「大規模製錬ですから」
「そりゃ大規模だわ」
近づくにつれて機械音が聞こえ、熱を含んだ風も流れてきた。先ほどまで乗り物酔いで苦しんでいたことなど忘れたように、キリオンは建物を見上げる。
「すごいな……」
「先生」
「何?」
「楽しそうですね」
「楽しいって言ったら怒る?」
「不具合さえなければ」
「だよな」
だが、製錬所の入口が近づいたところで、キリオンの足が止まった。
「ん?」
「どうしました?」
「馬車」
「はい?」
製錬所前には複数の馬車が停められており、その中に見覚えのある紋章が入ったものがあった。
「学院のじゃない?」
車体には、王都錬金術学院の紋章が付いている。
セレスもそちらを確認した。
「……来ていますね」
「聞いてた?」
「いいえ」
「じゃあ別口?」
「可能性はあります」
さらに奥を見ると、もう一台同じ学院の馬車が停まっている。
「一人じゃなさそう」
「ええ」
「教授?」
「分かりません」
「でも学院から来るなら」
「研究者か教授でしょう」
二人が入口へ近づくにつれ、中にいる人々の話し声が聞こえてきた。
「――だから、反応比だけじゃ説明できない」
若い男の声だった。
「魔力流路の理論式が正しいなら、少なくとも第三反応区画でこの偏りは出ないはずです」
「でも実測値は出てる」
「だから理論側の前提を見直す必要がある」
キリオンは少しだけ足を緩めた。
「理論学?」
「そうですね」
セレスが小さく答える。
声の主は二十代後半ほどに見える研究者で、その周囲には何人かの学院関係者らしい姿があった。
「誰だろ」
「中へ入れば分かります」
「マグヌス教授もいるかな」
「可能性は高いです」
マグヌスの専門は錬金理論学だ。
今回の不具合が複数施設にまたがり、設備そのものに明確な異常が見つかっていないのであれば、理論側から検証する人間が呼ばれていても何も不思議ではない。
「じゃあ、教授連中とまた顔合わせか」
「そうなりますね」
「ちょっと緊張するな」
「今更ですか?」
「今更だよ」
キリオンは巨大な製錬所を見上げ、学院の馬車へ目をやり、さらに入口付近で議論している研究者たちを眺めた。
「大事になってるな」
「最初から大事です」
「そうだった」
国家規模で運用される巨大設備、学院の教授や研究者、それに宮廷主席錬金術師であるセレスまで動いている。そこまで人を集めても、いまだに原因が分かっていない。
キリオンは少しだけ息を吐いた。
「セレスでもわからない不具合なあ……俺にわかることなんてあるのかねえ」




