第1話
十三夜
「公爵様が心待ちにしているって、いったい誰なんだろう?」
アンリは玄関ホールを見下ろせる二階の小窓へそっと忍び寄りました。
狭い通路に造り付けられたその小窓は、本来は公爵様が訪ねてきた客の様子を事前にうかがうために設けられたものです。
今日の客のことでは、公爵様は数日前から着る物や客間の準備にずいぶんと心を砕いていて、アンリは何度衣装棚を往復させられたかわかりません。それだけでなく、最近の公爵様の大変化ぶりときたら、まったく呆れるほどです。一時は不機嫌だったのが、ある日を境に機嫌が急浮上し、鷹揚で寛大な公爵様が戻ってきたのです。いえ、以前よりもずっと寛大な方になられました。
公爵様になにかが起こったんだ。
「小姓って、主人の秘密は全部、把握しておくのも仕事だからな」
小さな丸窓は客の待つ小部屋からは壁の模様に紛れていてはっきりとは見定められないようになっています。
アンリは息を殺し、そっと、その窓を開きました。
「うん? ああ?」
アンリは思わず頓狂な声を漏らしました。
そしてさっきまでの慎重さを捨て去り、すぐに小窓を閉めると、急いで下へ降りていきました。
「マリユスじゃないか。元気にしてたか?」
アンリは階段を駆け下りてホールに入ると、気安く客に声をかけました。
今日の客とは、短い間でしたがしばらく前に一緒に公爵様の小姓を勤めていた少年だったのです。
「今日はなに? 奥様のお使い?」
マリユスはさすがに公爵様の母上の召使として教育し直されたのか、今日はずいぶんとしおらしい様子で座っています。
以前は、せっかく公爵様の小姓などという素晴らしい肩書を得られたのだから絶対これを逃すまい、とでもいうような必死さがありましたが、今日のマリユスはずっと和らいだ感じで、奥様への服従がしっかりと身に付いた様でした。
その上、なんだかずいぶんとかわいらしい衣装を着せられているではありませんか。
今ご婦人の間では小姓にこういうドレスを着せて侍らせるのが流行ってるんだな、とアンリは思いました。
まるで女の子みたいで、情けなくって、自分だったら絶対嫌です。小領主とはいえその跡継ぎとしての誇りが、そんなことは絶対に受け付けません。
素直にドレスなんか着て、こいつのいい子ちゃんぶりもここまで来ると滑稽でかわいそうなくらいだな。
あの時の訪問で自分ではなくマリユスが奥様に気に入られてよかったのかもしれない。アンリは今になって心から思いました。
ところがマリユスの隣にもう一人いた、やはりドレスを着た子が──たぶんこの子も奥様の小姓なのでしょう。その子がムッとした表情で立ち上がったのです。
「まあ、あなた何者? うちのお嬢様にずいぶん無礼な口をきくじゃない」
「はあ?」
思わずアンリは首をかしげ、その子をしげしげと上から下まで見やりました。 こっちは本当に女の子かな。
アンリは肩をすくめました。どちらにしろ所詮は同じ召使。公爵様の母上の召使なら身内も同然。
「公爵様の母上のお使いだからって、ずいぶん偉そうだな」
アンリはくすっと笑いました。奥様のお使いの侍女はますます肩を怒らせ、
「あんたねえ!」
「おやめなさい、リュシエンヌ」
マリエールが侍女を止めました。
「でも、お嬢様!」
その時、扉が開いて宮宰のアンブロワーズ・カヴァルカンティ氏が姿をあらわしました。すぐにマリエールが立ち上がり、侍女のリュシエンヌも急いで口を閉ざしてお嬢様の後ろにひかえました。
「いらっしゃいませ。マリエール様。主人も我々召使一同も、あなたのご訪問を心待ちにしておりました。何か、不都合はございませんでしたでしょうか?」
カヴァルカンティ氏がチラリとアンリに目配せし、気遣わしげにマリエールに問いかけました。
「いいえ。ご心配には及びません」
「左様でございますか。ではマリエール様、ご案内いたします。どうぞこちらへ」
宮宰の馬鹿丁寧な応接にアンリは目を瞬きました。奥様の召使って、うちより偉かったのか?
そんな馬鹿な、と思っていると、楚々と会釈をした公爵様の元小姓が、カヴァルカンティ氏に伴われて去っていきます。
リュシエンヌと呼ばれていた奥様の侍女が、部屋を出しなに一人残されたアンリをちらりと、なにやら不吉な目つきで振り返りました。
無礼な奴だな。なんで俺を睨みつけるんだ。
もちろん、アンリも睨み返しておきました。




