第84話『アスクルムの戦い <遭遇> 』
ルキウス・ユリウス・カエサルとプブリウス・ルティリウス・ルプスが執政官の年(紀元前90年)十月、ピケヌム地方 アスクルム、ティトゥス
「はい。和平とは、互いの矜持と利益を護る術にございます」
この言葉が静寂を破ると、ストラボの瞳にこの日一番とも言える鋭い輝きが宿る。
「ほう……」
そのとき、幕の奥からもう一つの影が現れた。細身で長身。無言で立つその青年は、見覚えのある顔だった。先ほどローマ陣で大声をあげていた際に近づいてきた高級士官である。
「……グナエウスか」
グナエウス・ポンペイウス?
もしや、若きポンペイウスか?
──将軍の嫡男。未来の英雄。アレクサンドロスの次に、偉大な男。
その姿を見た瞬間、言い知れぬ寒気が背筋を駆け抜ける。
二十歳前ほどに見えるが、その立ち振る舞いには年齢を遥かに超えた威厳とが備わっている。亜麻色の髪は父親譲りだが顔の造りは似ていない。正に世の女性が夢見る完璧な貴公子が、そこに居た。
だが何より目を引くのは、左右の瞳色が異なることだった。虹彩異色症の完全型か、珍しいな。右眼が薄い青色、左眼が赤に近い茶色。これはかなり人目を引くことだろう。
ただその瞳は父親よりもさらに深く濃く、より暗い。まるで底なし沼のような不気味な深さを湛えていた。
しかし聞いたことがないな、ポンペイウスがオッドアイだったなんて。
ストラボは無言で入ってきた彼を咎めることなく受け入れる。少し無礼では……と思いもしたが、ストラボが気にする素振りを見せないので、目礼し頭を下げた。
若きポンペイウスはそのまま幕の中に歩を進め、ストラボとこちらの中間辺りで立ち止まると、自分とラビエヌスを見下ろした。
その視線には、人間を見る温かさがまるで感じられない。実験中のマウスを観察する研究者のような冷淡な眼差し。そして僅かばかりの好奇心だけがそこにあった。
「父上、この者たちは ”アスクルムの影” にございます」
若きポンペイウスの声は氷のように冷たかった。感情の起伏が一切感じられない、機械的な音調。
「……影だと?」
ストラボが息子の言葉に興味を示した。
「民衆を操作し、戦を止め、私たちの利をも見抜いている。これはただの少年ではありません。父上の”算式”に新たな項を加えた変数そのものです」
沈黙を続けるしかない。ラビエヌスも同様だった。
若きポンペイウスの分析は恐ろしく的確だった。アスクルムで行ってきた政治工作、民心の操作、そして今回の交渉戦略。全てを見てきたかのように話し始める。
「慈悲という値を入力した時、この包囲戦の結果はどうなるか──その試算結果を、この者は持っているのでしょう」
この言葉には驚かざるを得なかった。まるで俺の思考過程を読んでいるかのような精度だった。
「ふっ、面白い」
ストラボが短く笑う。
だが、その表情には何か不吉なものが含まれているように感じられた。
彼は床几から立ち上がり俺の目の前まで歩いてくる。近くで見るとストラボの威圧感は更に増す。鍛え上げられた肉体、戦場で培われた殺気、そして政治的野心から生まれる迫力。全てが合わさって、圧倒的な存在感を作り出している。
「ティトゥス。貴様は私に勝利と寛容の両方を与える策を持ってきた。それは認める」
「……ありがとうございます」
深く頭を下げる。だが、ストラボの次の言葉で安堵は一瞬で消え去った。
「だが、その配下が独断で我が陣に乗り込んだ。これは、挑発とも取れる」
「承知しております。その責は私が──」
「いや、罰を受けるのは本人だ。規律を乱したのは彼自身だからな」
ストラボはラビエヌスに向き直り、声低く問うた。
「改めて問う。貴様の名を言え」
「ティトゥス・ラビエヌスです、閣下」
ラビエヌスの声は、震えながらも明確だった。
「処罰を受け入れるか?」
「……はい。どんな罰でも」
ラビエヌスの覚悟を聞いて、ストラボはゆっくりと頷いた。そして天幕の入口に控えていた下士官に指示を下した。
「この者を鞭打ち十回とし、以後三十日の間、軍団の炊事係として勤務させよ。過失はあるが斬るに値せぬ忠誠心だ」
その場にいた下士官たちが一斉に頷く。
胸の奥で何かが締め付けられる。ラビエヌスは自分を庇うために危険を冒したのに、結果として彼だけが処罰を受けることになった。
友への申し訳なさとこの状況を作り出した自分への憤りが複雑に絡み合う。だが今はストラボの寛大な処置に感謝を示すしかない。
深く頭を垂れる。
「感謝いたします、将軍。アスクルムもまたその恩義に報いる所存です」
「よい。……息子よ、記録しておけ。敵に慈悲をかけるのも戦術の一つだとな」
若きポンペイウスは小さく頷く。そして一度こちらをちらりと見たのち、何も言わずに天幕を出ていった。
その背中を見送りながら確信が胸に宿る。
この少年は、やがて大きな闇を纏う存在になる。
今は、ただの冷たい計算式の一部としてこの場を見ているに過ぎないのだろう。だがその計算式と物事を見抜く目が、彼の武力と権力の源泉になる。そしてその能力は、きっといつか、帝国の中枢に達する。
そして──俺は今、その闇に目を付けられた。
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若きポンペイウスが立ち去った後、ストラボは上級副官たちを呼び寄せた。
「クラッスス、スルピキウス、セイヤヌス」
ストラボの声に応じて、三名の男が天幕に入ってきた。それぞれが際立った特徴を持つ、印象的な人物たちだった。
まず目に付いたのは、筋肉質でとても背の高い男──マルクス・リキニウス・クラッスス。
クラッススは後に『富豪クラッスス』として歴史に名を残す男である。カエサルとポンペイウスと第一次三頭政治の一角を担う男だ。
今はまだ二十代半ばと若いが、既に商才と軍事的才能を感じさせる鋭い眼光を持っている。彼の装身具は簡素だが、よく見ると上質な素材で作られており、彼の財力の一端を窺わせた。
その視線は常に計算しているかのようで、こちらを値踏みするような目つきで見つめた。おそらく、俺たちがどの程度の価値を持つ人材なのかを査定しているのだろう。
次に入ってきたのはプブリウス・スルピキウス・ルフス。
ストラボ軍の補給監督として各地を転戦し、ノラ近郊では兵士たちの給与遅配を自費で補填したことで知られる副官だ。
彼の表情には野心と計算高さが滲み出ており、この場の政治的価値を測っているようだった。装身具も武器も、全て実用性を重視したものばかりで、派手さはないが確実に機能する質の高いものだった。
彼の瞳には将来への強い野心が宿っている。おそらくこの戦争での功績を足がかりに、政治的な地位を向上させることを狙っているのだろう。
そして最後に入ってきたのがクィントゥス・セイヤヌス。
三人の中では最も若く見える男で、軽妙で気さくな立ち振る舞いを見せている。他の二人が緊張感を漂わせているのに対し、彼だけはこちらを見て微かに笑みを浮かべていた。俺をここまで連れてきたのはセイヤヌスだったのか。確かに最初から取っ付きやすい印象だったしな。
ただ、その笑顔の奥に何かを隠しているような印象もある。表面的には親しみやすいが、その真意は読み取れない。
「諸君、アスクルムとの交渉が成立した。無血開城だ」
ストラボが告げると、三人の副官の表情にそれぞれ異なる反応が現れた。
クラッススは即座に実務的な質問をした。
「閣下、戦利品の分配はいかがいたしましょう?」
金銭への関心が最優先であることが、彼の質問から透けて見てる。実にわかりやすい男だな。
「略奪は禁止する。この街は今後、我々の重要な拠点となる。破壊すべきものではない」
ストラボの答えにクラッススは僅かに眉をひそめた。期待していた利益が得られないことに不満を感じているようだ。
スルピキウスが続ける。
「市民の処遇はいかがお考えか?」
彼の関心は政治的な影響にあると見える。こいつも自分本位の男のようだな。
「基本的には寛大に扱う。ただし、反ローマ的な活動を行った者については個別に対処する」
この答えにスルピキウスは満足そうに頷いた。寛大な処置は兵士たちからの評価を高め、彼の政治的立場にプラスになると考えているのだろう。
セイヤヌスがすっと音を立てずに俺たちを指差し発言した。
「閣下、この二人はどうされるおつもりで?」
彼の質問には、単純な好奇心以上のものが感じられた。
ストラボはこちらを見つめながら答えた。
「ティトゥス・クリスプスは有能だ。今後も活用する価値がある。ラビエヌスは処罰の後、軍に組み込む」
内心で驚く。ストラボは既に将来まで計算に入れているのか。
クラッススが興味深そうに俺を見た。
「この少年が、あの噂の策士ですか」
「そうだ。年若いが、政治的洞察力は一流だ。我が軍にとって貴重な人材となるだろう」
スルピキウスも俺を観察している。
「将来性はありそうですな。適切に教育すれば、立派な幕僚に育つでしょう」
彼らの会話を聞きながら、俺は複雑な気持ちを抱いていた。確かに評価されるのは悪いことではない。だが、同時に彼らの計算の一部になってしまうことへの不安もある。
セイヤヌスだけは、どこか意味深な笑みを浮かべていた。他の二人とは異なる何かを考えているようだが、その真意は読めない。
改めてこの場の人間関係を改めて整理してみる。三人の副官はそれぞれ異なる思惑を抱きながらも、ストラボという絶対的な権力者に従っている。だが、もう一人忘れてはならない人物がいる。
そう、若きポンペイウスである。
特に興味深いのは、ストラボと若きポンペイウスの力関係だ。父は息子の無断入室を咎めず、息子は父の決定に口を挟まない。
しかし、あの冷徹な分析力と計算高さを見る限り、若きポンペイウスは単なる従順な息子ではない。むしろ、父の限界を見透かし、自分の時が来るのを静かに待っている——そんな印象を受けた。
喉の奥が乾き、手のひらに薄く汗がにじむ。三人の副官の値踏みするような視線が肌に突き刺さる。彼らの計算の一部に組み込まれることへの本能的な嫌悪感が、胸の奥でくすぶり続けていた。
早くこの場から離れたい……。
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
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(主役クラスが次々と登場します)
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