第85話『アスクルムの戦い <降伏> 』
ルキウス・ユリウス・カエサルとプブリウス・ルティリウス・ルプスが執政官の年(紀元前90年)十月、ピケヌム地方 アスクルム、ティトゥス
副官たちとの会話が一段落すると、ストラボは改めて我々に向き直る。
「では、正式な降伏式典の準備について話を進める。明日の正午、アスクルムの東門前広場で行う。市民に参列させよ。我々も少数の護衛とともに入城し、式典に立ち会う。また城門は開放しておけ」
「承知いたしました」
市門前での式典——これならストラボは護衛を伴って先行入城し、翌日に本格的な軍の入城が始まるという段階的な統治移行が可能になる。また城門を開放しておくということは、何かあればすぐに軍が突入できるということ。彼らしい慎重かつ威厳を保った判断だった。
ストラボの決裁が下り、命令が告げられる。深く頭を下げ恭順の意を示すと、ストラボの発言が続いた。
「それとティトゥス、お前には特別な役割を与える。明日の式典で、アスクルム市民に向けて演説をしてもらう」
「演説、ですか?」
「そうだ。この降伏が市民にとっても有益であることを説明せよ。お前の言葉なら、民衆も納得するだろう」
これは予想外の展開だった。ストラボが俺を単なる交渉相手としてではなく、アスクルム統治のための協力者として位置づけようとしているのだ。
「光栄です。全力で務めさせていただきます」
「ならば、よい。……ラビエヌス」
ストラボが今度はラビエヌスに向かう。
「お前の処罰は明日の式典の後に執行する。それまでは自由にして構わぬ。ただし、逃げ出したらどうなるか、わかっておろうな」
「はい、閣下」
ラビエヌスが答える。その声には諦めと同時に安堵も含まれていた。死刑は免れたのだからそれだけでも幸運と言えるだろう。
「よし、ではアスクルムの開門を許す。兵には規律を命じる。……略奪も放火も、断じて許さん。お前らの顔に免じてな」
――ついに、扉が開かれた。
ストラボのこの言葉でアスクルムの運命が決まった。血の海になることも灰燼に帰することもない。市民たちは生き残ることができるのだ。
深い安堵を覚えながらも、同時に新たな責任の重さを感じる。明日の演説そしてその後のアスクルム統治。この街の真の試練は、ここから始まるのだ。
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天幕を出ると午後の日差しがまだ高い位置から差し込んでいた。一人でアスクルムに向かって歩きながら、交渉の緊張感がまだ胸の奥に残っているのを感じる。ラビエヌスは既にローマ軍の監視下に置かれており、俺と行動を共にすることはできない。
午後の風がピケヌムの草原を渡り、城壁に当たって微かな音を立てる。陽光は白く強く街道の石畳を照らして眩しく輝いている。美しい午後の情景だったが、俺の心は複雑な感情で満たされていた。
交渉は成功した。アスクルムは救われた。
だが、それと引き換えに我々はローマの支配下に入ることになる。自由を失い、新たな主人に仕えることになるのだ。
城門まで半分ほど歩いた頃、後ろから軽やかな足音が聞こえてきた。振り返るとセイヤヌスが一人で追いかけてきていた。午後の光を背負った彼の影が地面に濃く落ち、その表情がよく見える。
「お疲れ様でしたね、ティトゥス殿」
彼が親しみやすい笑顔を浮かべながら声をかけてくる。思わず警戒心を解いてしまいそうになる雰囲気に、気を引き締めながら答えた。
「セイヤヌス殿。これはご丁寧に」
「いえいえ。実は、私的にお話ししたき儀がございまして」
「いかなる件でございましょうか?」
「左様に身構えられずとも。私はただ、貴殿の今後の身の安全を案じておりまして」
セイヤヌスが両手を軽く上げながら、さらに笑みを深める。ますます怪しいな。
「身の安全……と申されますと?」
「左様。ストラボ将軍は確かに有能なお方ですが……時として、配下に厳しく過ぎることがございます。とりわけ、己より優れたりと感じた相手に対しましては」
この言葉に首筋がやや寒くなった。セイヤヌスは一体何を言いたいのか?
「つまりは?」
「つまりは、貴殿には慎重に振る舞っていただきたく存じます。ストラボ将軍の信を得ることは肝要ですが、同時に、彼の疑心を招かぬよう心がけてください」
「……心得ました」
慎重に答える。セイヤヌスの真意は読めないが、彼の警告には一理ある。
「それから、」セイヤヌスが続ける。
「何か困ったことがあれば、遠慮なく私に声をかけてください。私はいつでもあなたの力になりたいと思っています」
そう言って、セイヤヌスは軽やかに立ち去っていった。彼の足音が午後の静寂に響きながら遠ざかっていくのを聞き、俺はしばらく無言でその後ろ姿を見送る。日はまだ高いが、アスクルムの城壁には早くも夕方の準備のための松明が用意され始めていた。
親切が過ぎる人間には必ず裏がある。それが俺の経験則だった。
だが、セイヤヌスの真の狙いは何だろうか。ストラボへの警告は本心なのか、それとも俺を彼から離間させる策略か。もしくは将来への投資として、俺との関係を構築しておきたいのか。
いずれにせよ、彼は既に俺を「利用価値のある駒」として認識している。政治の世界では、親切な助言ほど危険なものはない。
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アスクルムの通用門が開かれたとき、一部の市民たちが出迎えてくれた。しかし彼らの表情は複雑な色で満たされていた。安堵、困惑、恐怖、そして希望――様々な感情が入り混じっているのが手に取るようにわかる。
門の向こうから、アルケウス長老を始めとする使節団のメンバーが姿を現した。姿が見えないと思っていたら、先に戻されていたようだ。全員五体満足のようでまずはホッとした。
彼らの表情には疲労が滲んでいたが、同時に安堵の色も浮かんでいた。そりゃそうだ、やっと終わったんだから。
「ティトゥス殿」
アルケウス長老が俺に歩み寄ってきた。
「……交渉は成功したのですね?」
「はい。アスクルムは無血で開城します。市民の安全と財産は保障されました」
アルケウスの顔に深い皺とともに疲労の色が浮かぶ。
「ありがとうございます。本当に……ありがとうございます」
老人の目には薄っすらと涙が浮かんでいた。この数ヶ月間、彼がどれほどの重圧を感じていたか、その表情から強く読み取れた。
ソフィアが駆け寄ってくるのが見える。デモステネスは……気付いたら傍にいた。どこからどこまで一緒だったんだ? 全く気付かなかったな。
「ティトゥス様! ご無事で何よりです。ラビエヌスはどうでしたか?」
「処罰を受けることになったが、命は助かった」
ソフィアが息を切らしながら質問してきたので、簡潔に答えを返す。しかしその言葉に二人とも複雑な表情を浮かべた。デモステネスがソフィアに目配せしたの後、やや心配そうな目つきで尋ねてきた。
「今後はどのような展開になるのでしょうか?」
「明日、正式な降伏式典が行われる。その後、ストラボ軍が入城し、アスクルムはローマの直接統治下に入ることになる」
ここで再度アルケウスに向き合い、明日以降の予定について討議するため、このあと緊急市議会を開くよう依頼した。明日の式典を成功させるためには、市民への迅速な周知が不可欠だからな。
「アルケウス殿、明日の式典は正刻に市門前広場で行われます。市民への周知はどうされますか?」
「法務官セルウィリウス殿の時と同様に、緊急集会システムを発動すれば三時間ほどで全市民を集められるでしょう。各区画の角笛と布告で」
「それで行きましょう。このような時こそ、アスクルムの結束を内外に示す絶好の機会です」
大まかな方針が決まったところで、俺は集まった市民たちに向かって声を上げた。
「皆さん! 戦争は終わりました! アスクルムは無血で開城し、皆さんの命と財産は守られます。明日、正式な降伏式典が行われますが、それは新しい始まりでもあります。私たちは生き残りました。これからも、共に歩んでいきましょう」
市民たちからは小さな歓声が上がった。
完全な勝利ではないが、最悪の結果は避けられた。それだけでも十分に価値のあることだった。
ただ街を救ったという達成感が胸を満たす一方で、重い責任が肩にのしかかる。勝利の喜びと将来への不安が複雑に絡み合う。
急な展開に戸惑う市民の姿を横目に、心の奥底では明日のことを考えていた。降伏式典での演説、そしてその後の統治方針。アスクルムの未来は、俺の手にかかっているのだ。
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その夜、俺は自室で明日の準備に取りかかっていた。演説ではアスクルムの市民に向けて、この降伏がいかに有益であるかを説明しなければならない。
だが何を語るべきか。現代的な人権思想と古代の現実の狭間で迷う。『降伏は屈辱ではなく、生き抜くための選択』と言えるか。民主主義や個人の尊厳といった概念がない時代に、どう希望を与えるか。転生者として持つ理想と、この時代の限界との折り合いをつけながら、言葉を紡がなければならない。
窓の外ではアスクルムの街に平和が戻りつつあった。街角の松明が静かに燃え、人々は久しぶりに安らかな眠りにつこうとしている。
明日の降伏宣言で、アスクルムは正式にローマの支配下に入ることになる。市議会の立ち位置もこれまでとは変わり、それに伴い十七名家の役割も大きく変化していくだろう。自由を奪った代償として、彼らは市民の生活と尊厳を守る義務を負った。
ラビエヌスは処罰の後、軍に組み込まれることになる。我々の友情は続くだろうが、立場は大きく変わってしまう。
若きポンペイウス、クラッスス、スルピキウス、セイヤヌス――俺はこれから、彼らと複雑な関係を築いていかなければならない。それぞれが野心を持ち、それぞれが危険な存在だ。
そして、ストラボ。
さらに、若きポンペイウス。
歴史を知る者として、彼らの未来が見える。
若きポンペイウスはいずれ「偉大」と呼ばれ、クラッススは富と権力の頂点に立つ。
だが同時に、彼らがどのような末路を迎えるかも知っている。その知識が重荷となり、彼らを救うべきか、それとも歴史の流れに委ねるべきか、迷うときが来るかもしれない。転生者として、運命を変える責任が俺にはあるのだろうか。
羊皮紙に明日の演説の草稿を書きながら、改めて自分の置かれた状況を考えた。
現代日本から古代ローマに転生してもう十年と三ヶ月を超えた。最初は単純に『生き残る』ことだけを考え、目立つことをずっと避けてきた。
ただ、カエサルと出会い、世界が変わった。
いつの間にか『歴史を変える』ことまで考えるようになっていた。
アスクルムを救ったこと。ラビエヌスとの友情を育んだこと。そして今日、ストラボたちとの新たな関係を築いたこと。全てが俺を新たなステージへと押し上げていく。
だが同時に危険も増している。権力の中枢に近づけば近づくほど、裏切りや陰謀に巻き込まれる可能性も高まる。
未来は不確実。だが、一つだけ確かなことがある。
俺は生き残った。
そしてこれから、ローマ史の中でも最も複雑で危険な時代を生き抜かなければならない。
どんな困難が待ち受けていようとも。
羊皮紙に文字を書き続けながら、明日への準備を整えていく。新しい時代の幕開けに向けて――
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
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