第56話『師走の暗闘 ―デケンベルの影にて―』
ルキウス・マルキウス・ピリップスと セクストゥス・ユリウス・カエサルが執政官の年(紀元前91年)十二月、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス
その日の午後、俺はアウレリウスと共に市内の情勢把握に出かけた。表向きは商会の業務視察だが、実際は各名家の動向を探ることが目的だった。
アペニン山脈から吹き下ろす冷たい風が石畳を舐めるように駆け抜けていく。十二月の陽光は薄く、街角に立つ人々の吐息が白く立ち上っている。
いつもなら活気に満ちているはずの広場も、今日はどことなく重苦しい。商人たちの声に張りがなく市民の足取りもどこか急いでいる。まるで嵐の前の静けさ、街全体が息を殺しているかのようだった。
戦争の足音が聞こえているのは、俺だけではあるまい。石造りの家々の窓からこちらを見つめる視線にも、不安の色が混じっているのを感じる。
最初に向かったのは、最上位名門のアルケウス・マクシムス家である。邸宅の門前では、いつもより多くの訪問者が出入りしている。
「アルケウス殿の人気は健在のようですね」
アウレリウスが俺の耳元で小声で囁いた。
俺たちが邸内に通されると、アルケウス長老は書斎で複数の羊皮紙を前に頭を抱えていた。
部屋の隅では暖炉の炎がパチパチと音を立て、薪の燃える甘い香りが石造りの書斎を満たしている。しかし、その暖かさも長老の重苦しい表情を和らげることはできないようだ。
冬の陽光が高い窓から斜めに差し込み、机上の羊皮紙を淡く照らしている。インクの匂いと羊皮紙の古い香りが、暖炉の煙と混じり合って独特の雰囲気を作り出していた。
「若きクリスプス殿か。ちょうど良いところに来てくれた」
彼は疲れた表情で俺たちを迎えた。
「この数日、各名家からの要請や苦情が殺到してな」
促された椅子に礼を言いつつ腰を下ろす。長老の疲労感が俺にも伝わってくるような、重い空気が書斎を満たしていた。
「カエシウス・セウェルス殿は、『セルウィリウスへの屈服は軟弱』と激しく非難している。ウァレリウス・マルクス殿も『商人風情の独断専行』と怒り心頭だ」アルケウスが手にした最初の羊皮紙には、きっと辛辣な文言が並んでいるのだろう。
「一方で、サルウィリウス・リクトル殿は『ティトゥス殿の判断は正しかった』と支持を表明している。ユニウス・ブルータス殿やコルネリウス・レントゥルス殿も同調だ」
「完全に二分されているのですね」
「いや、三分だ」アルケウス長老が二枚目の羊皮紙を指差した。
「ピナリウス・フラクス殿は『状況を見極めてから判断する』と日和見を決め込んでいる。彼に同調する名家も少なくない」
つまり結局はなんの事もない、また親ローマ派と反ローマ派、そして様子見派の三つに分裂しているということだ。
セルウィリウス事件での俺の判断が、皮肉にも十七名家の結束を破綻させてしまった。元々あの非常時だけの一枚岩だと思っていたが、各家の立場を赤裸々に曝す結果につながったようだ。リクトルだけ動きが見えにくいのが気になるが……。
「具体的には、どのような動きが?」
「カエシウス殿とウァレリウス殿は、密かに他の同盟市との連絡を模索している」
長老の声が沈む。俺の胸の奥でも、不安が重い塊となって沈んでいく。
「マルシ族やサムニウム族の軍と協調する可能性を探っているのだろう」
……背筋に冷たいものが走った。この真冬にこれは心臓によくない。夏でもイヤだが――。
「それは危険すぎます」
「だが彼らの言い分も理解できる。『ローマに屈服し続けるのか』『いつまで奴隷のような扱いを受け続けるのか』と」
アルケウスが立ち上がり、窓の外を見つめた。
「しかし、現実を考えれば、アスクルム単独でローマと戦うなど自殺行為だ。カエシウス殿は元百人隊長だから、それを理解しているはずなのだが」
「感情が理性を上回っているのでしょう」
つられるように立ち上がり、長老の隣に並んで窓外を眺めた。師走の陽光が石畳を冷たく照らしている。
「逆に、親ローマ派の動きはいかがでしょう?」
「セルウィリウス・アヒラ殿、アエミリウス・パウルス殿、アントニウス・ヒュブリダ殿らは、『ローマとの協調路線』を更に推進しようとしている。ローマ市民権の段階的付与を求める穏健な要請書を準備中のようだな」
「それは良い動きのように思えますが――」
「問題は、彼らがローマ側の情報をほとんど持っていないことだ」
アルケウス長老が振り返った。
「ティトゥス殿、君のクリスプス商会のような情報網を持たない我々は、机上の空論しか作れない」
長老の言葉を聞きしばし考え込む。確かに、ローマ政界の動向、軍事的準備の詳細、他の同盟市の状況—これらの情報なしには、現実的な判断は不可能だ。
「中間派の動きはいかがですか?」
「ピナリウス・フラクス殿は、『経済的利益を最優先する』と公言している。戦争になれば商業が停滞し、彼の海運業に打撃を与える。だから平和的解決を望んでいるが、具体策は持たない」
長老の手が三枚目の羊皮紙に伸びる。どうやら、まだ続きがあるらしい。
「ユニウス・ブルータス殿やコルネリウス・レントゥルス殿は、『法的手続きを重視する』立場だ。どのような決定であれ、市議会の正式な承認を得るべきだと主張している」
この法的正当性を重視する姿勢は理解できるが、緊急事態においては機動性に欠ける面もある。要は日和見主義だな。気持ちはわかるがこのタイミングでは命取りになるぞ。敗者からは恨まれ、勝者からは疎まれるからな。こんなとき旗色は早めに明確にした方がよい。
「……結局のところ」
アルケウス長老が深いため息をついた。
「十七名家は完全にバラバラだ。統一された方針など、とても立てられる状況ではない」
△▼△▼△▼△▼△
アルケウス邸を後にした俺たちは、商会に戻って緊急会議を開いた。デモステネス、ソフィア、アウレリウス、そして俺の四人だ。
長老邸を出る際、アウレリウスが何度か口を開きかけては、言いよどんでいるのに気づいた。彼の表情には明らかに何かを言いたげな様子が見えたが、公道を歩く間は遠慮しているのだろう。
「アウレリウス、言いたいことがあるなら商会に戻ってから聞こう。今は人の目もある」
俺がそう声をかけると、彼は安堵したように頷いた。
「ありがとうございます、ティトゥス様。確かに、皆で相談すべきことですよね」
商会の会議室は窓から差し込む西日が壁にゆらめく影を落とし、一日の終わりを告げていた。外からは夕方の市場の喧騒がかすかに聞こえるものの、厚い石壁に遮られてまるで別世界のようだ。
部屋の中央に置かれた重厚な木製のテーブルを囲み、革張りの椅子に腰を落ち着ける。各々木製のコップを持ち寄って少しでも暖を取ろうと白湯を飲んでいる。湯気がゆったりと机の上を漂う中、デモステネスが持参したイタリア国内の地図と羊皮紙の束を机上に広げる音だけが、そっと静寂を破っていた。
「状況を整理しよう」
デモステネスの準備が整ったところで、俺が口火を切り立ち上がった。
「アスクルム内部は三分裂状態、ローマは軍事的圧力を強化中、他の同盟市では既に武装化が進行している」
デモステネスが地図の横に商会の組織図も併せて広げ始めた。ソフィアとアウレリウスが自らのコップを持ち上げて、端に寄せる。俺も見習おうっと。
「そして我々クリスプス商会は、この混乱の中でどのような役割を果たすべきかを整理しよう」
ソフィアが口を開く。
「ティトゥス様、私たちには名家にない強みがありますね」
「情報収集能力ですね」アウレリウスが続いた。
「その通り。他の名家は『絵に描いた餅』しか作れないが、俺たちクリスプス商会は現実を把握しているからな」
デモステネスが地図の上に、各勢力の特徴を示した木製の駒を置きながら状況確認を行っている。器用だな、いつの間に作ったんだ? この駒。良く出来ている……いいなぁ、ほしい。
「改めて、クリスプス商会の情報網を説明いたします」
デモステネスの指が地図上を滑るように動く。いつ見ても、彼のこの几帳面さには頭が下がる思いだ。
「フィルムム本店を中心として、ローマ、ブリンディシウム、タラントゥム、カプア、ネアポリスに主要支店があります」
「各支店には、商業活動と並行して情報収集を行う専門要員を配置している。祖父ガイウスの代から三代に渡って築き上げた人脈だな」
俺がデモステネスを補足すると彼は珍しくニコッと笑った。自分のことように喜んでたな、今。
ソフィアが興味深そうに身を乗り出した。
「具体的には、どのような情報が集まるのですか?」
「まずローマ支店からは政治情勢です。元老院の議論内容、執政官の動向、有力政治家の発言、法案の準備状況など」デモステネスが説明を続ける。
「ブリンディシウムとタラントゥムからは東方情勢。そしてミトリダテス戦争の影響、東地中海の貿易動向、ギリシア諸都市の政治的動き」俺が続けた。
「カプアとネアポリスからは南方軍事情報ですね。ローマ軍の動員状況、サムニウム反乱軍の活動、補給路の確保状況」アウレリウスが追加する。
「そして最も重要なのが……ポンペイウス・ストラボの動向です」
デモステネスの声が低くなったところで俺は再び椅子に座った。
「彼の行動パターンを完全に把握することが、アスクルムの生存に直結するな」
そこでソフィアが疑問を口にした。
「でも、なぜストラボなのですか?他にも有力な軍司令官はいるでしょう?」
俺とデモステネスは顔を見合わせた。この説明は慎重に行う必要がある。
「ソフィア、君はストラボという男の恐ろしさを知らない」俺が口を開いた。
「彼は単なる軍人ではない。極めて強い野心があり、経済感覚に優れ、そして何より冷酷な現実主義者だ」
デモステネスが詳細を説明し始めた。
「グナエウス・ポンペイウス・ストラボ。シチリア総督時代に巨万の富を蓄積し、その資金で私兵軍団を組織している男なのです」
「私兵軍団?」ソフィアの目が見開かれた。
「ローマ軍団とは別に、彼個人の資金で雇用した職業軍人集団のことさ」俺が説明した。
「彼らの忠誠はローマではなく、ストラボ個人に向けられているのさ」
「なぜそんなことが可能なのですか?」
「シチリア総督時代の汚職で蓄えた資金があるからです」デモステネスが苦い表情を見せた。
「彼は『治安視察』という名目で追及を煙に巻きながら、その富を軍事力に転換しています」
さらにアウレリウスが補足した。
「しかも彼は軍馬調達債券というものを発行しています。地元騎士層から資金を前借りし、後の凱旋式恩賞で償還予定という」
「つまり、兵も投資家も勝たねば報われない仕組みで士気を縛っているのです」デモステネスも言葉を被せてきた。
最後に俺が結論を述べる。
「これは極めて危険な組織だ」
ソフィアは三方向から次々と説明を受け、その秀麗な顔に疑問と不安を感じさせる表情を浮かべる。
「そんな男が、アスクルムを攻撃する可能性があると?」
「可能性があると言う話ではなく、おそらく確実にやって来るだろう」
そう断言すると、今度は三人が俺を見つめてくる。表情は三者三様だが。
「来年、彼はピケヌム方面軍の司令官に任命される。ピケヌム出身者として早期平定をローマに期待されて。そしてアスクルムは、彼の標的となる」
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
--------------------------------------------------
(本当に電話やメール、インターネットって凄いですよね。WEB会議も当たり前になっちゃいましたし。でも仕事がどこまでも追いかけてくるから、それはそれでね。。新幹線とか空港とかで会議したくない‥‥‥)
もし物語の余韻が心に残りましたら、評価やブックマークという形で、想いを返していただければ幸いです。
第一部の登場人物一覧はこちら↓
https://ncode.syosetu.com/n4684kz/1/
第一部の関連地図はこちら↓
https://ncode.syosetu.com/n4684kz/2/




