第47話『嵐の前の静寂』
ルキウス・マルキウス・ピリップスと セクストゥス・ユリウス・カエサルが執政官の年(紀元前91年)十一月初旬、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス
「それにしても、この美しい女性を紹介してもらえないか? アスクルムにはこれほどの美しい女性がいるとは、ローマでは知られていない」
ソフィアが僅かに身を硬くするのを感じた。しかし、ソフィアは完璧に表情を制御しているように見えた。
「ソフィアと申します。ティトゥス様の護衛を務めさせていただいております」
ソフィアの声は丁寧だが、距離を保った冷静なものだった。セルウィリウスが興味深そうに眉を上げる。
「護衛? 女性の護衛とは珍しい。どこで剣術を学んだのかね?」
「ギリシアの剣術学校でございます」
ソフィアの答えは感じが良く簡潔だった。しかし、それ以上の問いは許さない、といった頑なさも醸し出しているが‥‥‥通じるかな?
「ほう、ギリシア式か。最近、ローマでもギリシア人の剣術指南役が重宝されているようだ。実戦経験はあるのかな?」
やはりセルウィリウスには伝わらないようだ。彼の目により一層の好奇心が宿ったのを見て、俺は彼女を庇おうと口を開きかけた。しかしソフィアが僅かに首を振った。自分で対処するという意志の表れだ。
「多少は」
ソフィアの答えは曖昧だったが、その瞬間、彼女の雰囲気が変わった。いつもの温和な表情の奥に、鋭い刃のような何かが垣間見えた。
セルウィリウスもそれを感じ取ったのだろう。俺の予想に反して、彼は満足そうに頷くと、あっさりと別の話題に移った。
「興味深い。だが、今夜の主役は君ではないようだね」
セルウィリウスの視線が俺に向いた瞬間、妙な違和感を覚えた。ソフィアへの興味があまりにも急速に失せたように見えたからだ。まるで最初から別の目的があったかのように。
「クリスプス殿、君の父上の商会は順調なようだね。ピケヌム地方だけではなく、ローマ一円での影響力も相当なものと聞く」
今度は俺への質問だ。商業的な話なら安全だろう。
「おかげさまで、地域の皆様に支えられております」
「特に、ローマ本店の展開が目覚ましいと聞いている。マルクス殿は実に活動的だ」
セルウィリウスの言葉に、俺の背筋に冷たいものが走った。父の名前が出ることに、何か不穏なものを感じる。クリスプス商会の本店はフィルムムのままなのに、敢えてローマを本店と呼ぶのも厭らしいなぁ。
「父は商売熱心ですから」
「商売だけならば良いのだがね」
「最近、政治的な集会にも顔を出しているという話を聞く。来年の執政官選出に向けて、様々な人脈作りに励んでおられるとか」
セルウィリウスの声に微かな棘が混じっていることに気づき、俺の心臓が激しく打った。父がルキウス・ユリウス・カエサルに接近していることを、セルウィリウスは知っているのだ。
「商人として、政治の動向に関心を持つのは当然のことかと」
「もちろんだ。だが、商人の家に生まれながら、政治にも直接関心を持っているようだね。アルケウス殿からも君の聡明さについて聞いている。父子で政治に首を突っ込むとは、実に意欲的だ」
セルウィリウスの言葉には明らかな皮肉が込められていた。商人の分際で政治に口を出すことへの軽蔑と、何かもっと深い警告が感じられる。
「私はまだ学ぶ身です。長老からご指導をいただいているに過ぎません」
「学ぶことは良いことだ。だが、学びすぎて身の程を忘れてはいけない。特に、間違った師から学んではいけない」
セルウィリウスが微笑みを浮かべている。間違った師?ルキウス・カエサルのことを指しているのか?
「商人は商売に、政治家は政治に専念するべきだ。境界を越えることは、時として危険を招く」
セルウィリウスが微笑みながら言ったその真意は明らかだった。政治から手を引けと警告しているのだ。そして同時に、父の動きも牽制している。
「閣下のお言葉、肝に銘じます」
表面的には従順に答えたが、内心では激しい動揺と反発を覚えていた。セルウィリウスは、俺たちの動きをどこまで把握しているのだろうか。
宴はその後も続いたが、セルウィリウスの存在により終始緊張した空気が漂っているように感じられた。特に反ローマ派の名家代表者たちは、ほとんど口を利かそうとしない。
だがソフィアの対応は見事だった。セルウィリウスの再三の話しかけに対し、彼女は礼儀正しく、しかし距離を保って応対した。時には機知に富んだ返答で相手の追求をかわし、時には沈黙で不快感を示した。俺には、彼女がセルウィリウスの真の目的を最初から見抜いていたように思えた。
「君の護衛は実に訓練されているね。あれほど警戒心の強い女性は珍しい。まるで政治的な危険を察知する嗅覚を持っているかのようだ」
宴の終盤、セルウィリウスが俺の耳元で囁いた。その言葉に、俺ははっとした。セルウィリウスは最初からソフィアに本気で興味があったわけではない。彼女を使って俺に近づこうとしていたのだ。
「ああいう女性は、もったいない。ローマにはもっと良い場所があるのだが。ただし、主人が身の程を弁えていればの話だが」
その含みのある言葉に怒りが燃え上がる。しかし、ここで感情を露わにするわけにはいかない。瞬間的に湧き上がった怒りに、俺は拳を握りしめそうになった。ソフィアを人質のように使うセルウィリウスの狡猾さが、血管を駆け巡る。だが同時に、彼女の身に降りかかるかもしれない危険への不安が胸を締め付ける。そして何より、父の政治活動まで脅迫のネタにされていることへの恐怖があった。
「ソフィアは我が家の大切な一員です」
言葉を発しながらも心は激しく揺れ動いていた。ここでセルウィリウスに屈服すれば、ソフィアは安全かもしれない。だが、それは同時に反ローマ派への裏切りを意味し、アスクルムの自治への希望を捨てることでもある。そして父の政治的野心をも踏みにじることになる。多くの人々が俺に託した期待を裏切ることになるのだ。しかし、政治的理想のためにソフィアを危険に晒すなど、考えただけで胸が痛む。声には、はっきりとした拒絶の意志が込められていた。
セルウィリウスは、薄笑いのように見える表情を浮かべた。
「もちろん、そうだろう。だが、時には手放すことも必要だ。特に、危険が迫っている時にはね。君の父上も、そのことをよく理解しておられるはずだ」
それは明らかな脅迫だった。政治的活動を続けるなら、ソフィアにも、そして父にも危害が及ぶかもしれないという警告だ。冷や汗が背中を伝う。セルウィリウスの薄笑いが脳裏に焼き付いて離れない。政治への関与を続けるか、ソフィアと父の安全を取るか。この選択を迫られているのだと理解した瞬間、足元が揺らぐような感覚に襲われた。彼女を、そして家族を巻き込んでしまったという自責の念と、それでも屈服したくないという意地が激しく対立していた。
宴は深夜まで続いたが、セルウィリウスの脅迫的な態度にこれ以上付き合う理由もなく、俺は適当な時間を見計らって退席した。
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あの夜の脅迫めいた会話から一夜明けると、アスクルムの街には不穏な空気が漂っていた。セルウィリウスが本格的な行動に移ったのだ。
翌朝から、セルウィリウスは宣言通り市内の「視察」を開始した。二日にわたって続いたその査察では、彼は護衛兵を伴って各地区を巡回し、商店や工房、そして一般市民の住居まで調べ回った。
表向きは「同盟市の繁栄ぶりを視察する」という名目だったが、俺には反ローマ的な動きがないかを監視するのが真の目的に思えた。市民たちが法務官の威圧的な存在に怯えているように見え、街全体が重苦しい空気に包まれているように感じられた。
二日目の午前中、俺は市場で野菜を購入していた老人がセルウィリウスの一行に呼び止められる場面に遭遇した。護衛兵が老人の荷物を勝手に調べ始めると、周囲の商人たちは皆身を寄せ合うように固まった。
「これは何だ?」
「す、鋤でございます、閣下……」
セルウィリウスが手にしたのはただの農具だったが、老人は震え声で答えていた。
結局何も問題はなかったが、その後の市場全体はしばらくの間、静まり返っていたのが印象的だった。人々の表情には明らかな恐怖が浮かんでいた。
翌日、俺は偶然にも織物商ガイウスの店での査察を目撃することになった。セルウィリウスは店の奥まで入り込み、布地の産地を一つ一つ確認していた。
「この紫染めの布は?」
「シドンからの輸入品です」
「価格は?」
質問が続く中、ガイウスの額に汗が浮かんでいるのが見えた。俺には、セルウィリウスが商売の詳細よりも、むしろ店主の動揺ぶりを観察しているように思えた。恐怖で口を滑らせる者を待っているかのようだった。実際、何人かの商人が余計な情報を口にしてしまっているのを俺は見ていた。
クリスプス商会も何度かセルウィリウスの査察に遭遇した。倉庫や店舗も調べられたが、幸い問題となるような物品は見つからなかった。しかし、セルウィリウスの執拗な質問攻めには閉口した。
「この香辛料はどこから仕入れたのか?」
「イリリウムからの定期便です」
「イリリウムといえば、最近騒動があったと聞くが?」
「商業的な情報しか把握しておりません」
どうも全ての質問に政治的な意図が込められているように思えてしまう。おそらく反ローマ的な情報網を持っているかどうかを探ろうとしているのだろう。
しかし、特に大きな問題は起こらなかった。セルウィリウスも決定的な証拠を掴んでいるわけではないらしく、疑いの域を出ない状況が続いているようだった。
日が過ぎるにつれ、アスクルム市民の間にも慣れが生じ始めているように映った。最初は恐怖で震えていた人々も法務官が実際には何もしないことに気づいたらしく、徐々に日常を取り戻しているように見えた。
セルウィリウスがアスクルムに到着してから四日目の夜。
市民たちがようやく緊張を解き始めたその時、運命を変える事件が起こった。
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
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(政治的なかけひきや重大な決定とは、会議上で決まるのではなく、実はこのような祝宴やコーヒーブレイクの際に決まったりするものです。だから、共通言語を自在に操れないと外交を担当するのは、なかなか厳しいですよね)
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