第30話『長老からの申し出』
ルキウス・マルキウス・ピリップスとセクストゥス・ユリウス・カエサルが執政官の年(紀元前91年)七月、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス
翌日、意を決してアルケウス長老の自宅を訪ねることにした。市議会の重鎮である彼に、直接証拠を提示する時が来たと判断したのだ。
長老の邸宅は街の中心部にありながら広大な敷地を持ち、立派な造りでアトリウムには古い彫像が並んでいる。中に案内されると想像以上に静かで、街の喧騒とはかけ離れた世界だ。小鳥のさえずりや水の流れる音が聞こえてくる。
家の使用人に導かれ、机のある応接室に向かうとアルケウスが穏やかな笑みで迎えてくれた。
彼は親ローマ派の重鎮で最上位名家の筆頭格だ。父マルクスとも長い付き合いがある。ここで協力を勝ち取ることができれば、市議会での発言力が大幅に増すだろう。
「ティトゥス殿、若きクリスプスよ。久しぶりですな」
アルケウスは穏やかに微笑みながら俺を迎えた。しかし、その目には深い苦悩の陰が宿っている。
「お忙しい中、お時間をいただきありがとうございます。また私の我が儘で机のあるお部屋を指定してしまい誠に申し訳ございません」
頭を下げてから、スッと持参した手土産をまず差し出す。イリリウム産の香辛料だ。
「これは大層な物をご丁寧に。私はこれに目がありませんでな」アルケウスが少し嬉しそうな顔を見せた。
「隣にいるデモステネスが彼の地で良い取引先を見つけましてね」
デモステネスが黙って一礼する。相変わらず所作が美しい。
「なるほど、それはよい買い物でしたな。人も物も」アルケウスの解放奴隷への評価を聞き流し、本題を切り出すことにした。
「ところで……これをご覧ください」俺は持参した書類の束を机の上に置いた。
「実は、重要な件でご相談があります」
アルケウスの表情が真剣になった。
「何か問題でも?」
アルケウスは羊皮紙に目を通し、徐々に表情を変えていく。議事録、裏帳簿、人質交換の記録――すべてが急進派の不正を物語っていた。
「これは……ひどいな」
「特に人質交換の件が問題です」静かに言葉を返した。
「市議会の正式な決議なしに行われた疑いがあります」
アルケウスの顔が徐々に青ざめ始める。
「それは……確かな情報ですかな?」
書類を一つずつ見せ、丁寧に説明を重ねる。偽造された署名、議事録にない決議、勝手に作られた契約書。急進派の独断専行を示していた。
「これが事実なら」アルケウスが震え声で言った。
「アスクルムは大変な事態に陥る可能性がある」
「はい。そして、さらに重要な問題があります」言葉を慎重に選びながら話を続ける。
「十七名家の中での主導権争いです」
急にアルケウスの目が鋭くなる。ここからが正念場だった。
「まず、反ローマ派の現状からお話しします」言葉を慎重に選びながら続けた。
「リクトル・サルウィウス殿は、ドルースス殿を信奉する理想主義的な立場を維持されています」
アルケウスが静かに頷く。その表情に、深い憂慮の色が浮かんだ。
「しかし、問題はパピリウス・ルクルス殿です。彼は『ローマとの妥協は裏切り』と主張し、より過激な方向へと向かっている。両者とも反ローマの旗印を掲げながらも、手段において決定的な亀裂が生じています」
「確かに、最近の市議会でも両者の意見の違いが目立っていますな」アルケウスの声に苦悩がにじみ、深いため息をついた。
「確かにパピリウスの過激さには、危険を感じている名家も少なくない」
「そうです。特にピナリウス家、そしてセルウィルス家、アエミリウス家は、現在の方向性に戸惑いを感じているはずです」
デモステネスとソフィアが収集した情報をここで活用する。十七名家の内部対立は、実は深刻化していたのだ。
「ティトゥス殿、なぜそのようなことを詳しく?」
「商人として、政治的安定は経済活動の基盤です。また、父マルクスからも『アスクルムの動向を注視せよ』と指示を受けています」
ここで現実的な理由を示しておく必要があるだろう。
「そして、もしパピリウス殿が完全に主導権を握れば、アスクルムは避けられない衝突へと向かいます。それは、この街にとって破滅的な結果をもたらすでしょう」
「破滅的、とは?」
「まず、ローマとの関係が完全に悪化します。次に、同盟市間でも孤立する可能性があります。ドルースス殿の理想を支持する都市との連携も失われかねません」
アルケウスは考え込んだ。
「確かにパピリウスの方針では、他の同盟市からも極端すぎると見られるかもしれませんな」
「はい。そして最終的に、アスクルムは経済的にも軍事的にも孤立し、ローマからの圧力に耐えられなくなります」
ここで最も重要なカードを切った。
「アルケウス殿、この状況を変えられるのは、あなた様だけです」
「私が?」
「はい。あなた様は十七名家の筆頭であり、穏健な親ローマ派として広く信頼されています。もしあなた様が立ち上がれば、バランスを取り戻すことができます」
アルケウスは長い間沈黙していた。その間、彼の表情を注意深く観察する。困惑、懸念、そして責任感。
——様々な感情が彼の表情を変化させていた。
「ティトゥス殿」アルケウスがようやく口を開いた。
「あなたの分析は鋭い。しかし問題は実行の困難さです」
「どのような困難でしょうか?」
「まずリクトル坊やとの関係です。彼は理想主義者ですが、決して悪人ではない。彼を完全に敵に回すわけにはいきません」
確かにその通りだった。リクトルは誤った道を歩んでいるかもしれないが、その動機は純粋だ。
「次にパピリウスの影響力です。彼は確かに過激ですが、多くの若い市民から支持されています。特に、ローマに不満を持つ者たちにとって、彼の主張は魅力的に映ります」
「それも理解しています」頷いて同意を示す。交渉の基本だな。日本でもよくやっていたっけな。
「だからこそ、慎重なアプローチが必要なのです」
「慎重なアプローチとは?」
「まず、リクトル殿との対話を試みます。彼の理想主義的な目標は尊重しつつ、より現実的な手段を提案するのです」
アルケウスの表情が少し明るくなった。
「なるほど、対立ではなく協調を模索すると」
「はい。そして、パピリウス殿については、十七名家の中で彼を孤立させるのではなく、より建設的な方向へと導く必要があります」
「具体的には?」
「例えば、彼の情熱を活用して、アスクルム内部の改革に向けさせる。ローマとの対立ではなく、市の自治権強化に焦点を当てるのです」
アルケウスは感心したような表情を浮かべた。
「なるほど、エネルギーを外向きから内向きに転換させると」
「そうです。そして、その過程で穏健派の名家が結束し、バランスの取れた政策を推進するのです」
ここぞとばかり、立て続けに説明を行うことにする。
「マギウス家については、経済的利益を示すことで協力を得られると考えています。クリスプス商会として、彼らとの商取引を拡大する提案をします」
「マギウス殿は確かに現実主義者ですからな」
「ピナリウス家とユニウス家については、すでに現状への不安を感じているはずです。適切な説得により、穏健派に引き戻すことができるでしょう」
アルケウスは深く考え込んでいた。その間、静かにこの老練な政治家の決断を待つ。彼の協力なしにはこの計画は実現できない。
「ティトゥス殿」アルケウスがついに口を開いた。
その声には、長年の政治経験が培った慎重さと、同時に決断を下した者の重みが込められていた。
「あなたの提案には一理ある。いや、それ以上に、現在の状況を打開する現実的な道筋を示している」
アルケウスは立ち上がり、アトリウムの彫像を眺めながら歩き始めた。その足取りは重く、肩には見えない重荷が圧し掛かっているようだった。
「それでは‥‥‥」
「しかし‥‥‥」
言葉がアルケウスと重なり、思わず自分の言葉を飲み込んだ。アルケウスの『しかし』の続きが重要だと直感した。
彫像の前で立ち止まったアルケウスは、深い溜息をついた。その背中から、十七名家の筆頭として背負う責任の重さが伝わってくる。
「これを市議会で議論するには、一つ条件を付けさせてほしい」振り返った彼の目には、苦渋の決意が宿っていた。
「何でしょうか?」
「ティトゥス殿、あなた自身が市議会で証拠を提示し、この問題について証言してもらいたい」
思わず息を止めた。ついに、公然と政治の舞台に立つ時が来たのか。
心臓の鼓動が急激に速くなる。父マルクスの期待、デモステネスとソフィアの献身、そしてアスクルムの未来——すべてが自分の肩に圧し掛かってきた。
「私のような若輩が、そのような重要な場で——」
「若輩だからこそ、です」アルケウスが割り込んだ。その声には確信があった。
「あなたは既存の派閥に属していない。だからこそ、中立的な立場から真実を語ることができる」
窓の外から聞こえる小鳥の鳴き声が、やけに遠く感じられた。
「また」彼が続けた。
「十七名家への事前説明も、あなた自身が行ってください。商人として培った説得力と、クリスプス家の信頼があれば、彼らも耳を傾けるでしょう」
内心で身震いしながらも、毅然とした態度を保った。もう逃げるわけにはいかない。父の教え、この街での日々、そして今日までの全てが、この瞬間のためにあったのではないか。
この街の未来のためにも、自身の成長のためにも、前に進むべき時が来たのだ。
深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。決意が胸の奥で固まっていく。
「承知いたしました、アルケウス殿。微力ながら、全力を尽くします」
アルケウスは満足そうに微笑んだ。
「ティトゥス殿、あなたはマルクス殿の息子らしく、聡明で勇気がある。きっとこの難局を乗り切ってくれるでしょう」
思わず立ち上がり、深々と頭を下げた。
ついに、運命の歯車が動き始めた。アスクルムの未来、そしてこのティトゥスという人間の人生が、この瞬間から大きく変わることになる。
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
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(密室政治がよく批判されますが、それと事前の根回しは全く別物です。事前調整なく会議に臨めば、議論は踊るばかりで多大な工数をかけても物事が決定しなくならます。どちらにも偏らないようバランス力を持つ者も、よき政治家と定義してもよいのでは和いでしょうか)
もし物語の余韻が心に残りましたら、評価やブックマークという形で、想いを返していただければ幸いです。
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