第22話『純粋理想主義の限界』
ルキウス・マルキウス・ピリップスと セクストゥス・ユリウス・カエサルが執政官の年(紀元前91年)三月、ピケヌム地方アスクルム市内、ティトゥス
「それで終わりか、リクトル!」
振り返ると、パピリウス・ルクルスが数人の取り巻きを連れて現れていた。ウィダキリウス派の急先鋒である彼の顔には、明らかな嘲笑の色があった。
「ドルーススの法案だと?笑わせるな!」
群衆がざわつく。一部の者は興味深そうにパピリウスの方を見、また一部の者は不快そうに顔をしかめた。
「元老院の連中が、我々に市民権を与えるなどと本気で考えているのか? 土地分配で既得権益を脅かされた瞬間、連中は掌を返すだろう!」
その指摘は的確であり、内心で俺も頷き同意する。
演壇からリクトルがよく通る声で反論した。
「パピリウス、君は性急すぎる! 政治には時間がかかるものだ。ドルーススは真摯に我々のために働いている!」
「真摯?」パピリウスが鼻でせせら笑う。
「ならば聞くが、審判人制度の改革はどうなった?騎士階級と元老院の対立は激化するばかりではないか! 穀物供給法といいドルーススの示す法案は、内部分裂を招いているだけだ!」
「それは……」
「リクトルよ、お前もローマとアスクルムが婚姻を結ぶことなど不可能だと知っておろうが!」
「……パピリウス、それを言うな」
「リクトルよ、目を覚ませ。ローマは、既成の体制は、打破せぬ限り我々の勝利はない!」
群衆の雰囲気が変わった。パピリウスの現実的な指摘に、多くの者が頷き始めている。
「そうだ!」
「いつまで待てば良いのだ!」
「ローマの内部争いに振り回されるのはもう懲り懲りだ!」
パピリウスの取り巻きたちが口々に叫ぶ。
「我々に必要なのは、ローマに頼らない独自の力だ! ウィダキリウス将軍こそが、その道を示してくださる!」
デモステネスが俺の袖を引く。
「若様、ここまでです。この雰囲気では暴動に発展しかねません」
確かに、群衆の中に険悪な空気が流れ始めていた。リクトルの楽観論に微かなイライラを感じていた人々が、パピリウスの現実論に引きずられつつある。
群衆の中から声が上がる。
「ドルーススの法案など、所詮は空手形だ!」
「マルシ族の子供を連れてきたところで何になる?」
「我々自身の力でローマに対抗せよ!」
「だまれ、この準家の小倅が! お前は母親の袖の下に隠れていろ!」
「なんだと、この野郎!?」
怒気を孕んだ野次が飛び交い、広場の空気は次第に殺伐としてきた。ルキウス・マルスクスがやや困惑した表情で演壇の陰に身を寄せる。彼にとって、この光景は予想外だったのだろうか。
リクトルが必死に群衆を静めようとするが、もはや彼の声は届かない。
「諸君、冷静になってくれ!ドルーススの努力を無にしてはならない!」
だが、パピリウスの煽動はさらに続く。
「リクトル、お前のような楽観論者に任せておけるか! 現実を見ろ! ローマは我々を対等な存在として見てはいない! ウィダキリウス将軍の下、実力で我々の権利を勝ち取るのだ!」
ついに群衆の一部が石を拾い始めた。このままでは流血騒ぎになる。
思わず周囲を見回しラビエヌスの姿を探す。彼は仲間の少年たちと共に、静かに群衆から離れ始めていた。賢明な判断だ。
俺たちも退散することにしよう。
「ソフィア、デモステネス、帰るぞ」
「はっ」
「はい」
俺たちは静かに群衆から離れた。後ろからは怒号と罵声が響いてくる。やがて、ばらばらと人々が広場から立ち去っていく音が聞こえた。
広場を後にしながら、気になっていた点を考える。
リクトルの理想は美しいが、現実の複雑さを見落としている。パピリウスの指摘は的確だが、その解決策は破滅的だ。そして群衆は、どちらにも完全には満足していない。
「ティトゥス様」ソフィアが振り返りこちらを見る。その秀麗な顔には憂いのヴェールがかかっていた。
「あの演説会、結局何も生み出しませんでしたね」
「いや」首を横に振って答えた。
「むしろ問題が明確になった。アスクルムには今、三つの派閥がある。リクトルのような理想主義、パピリウスの急進主義、そして……」
「そして?」デモステネスが問う。
「現実主義だ」そう明言した。
「まだ小さな流れだが、必ず大きくなる。なぜなら、人々が真に求めているのは、そういう道だからだ」
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俺たちが屋敷に戻る頃、広場からは最後の野次の声も聞こえなくなっていた。だがアスクルムの政治的分裂はこれから本格的に深刻化していくだろう。
書斎に戻って今日の出来事を整理しながら、改めてアスクルムの十七名家の複雑な関係について思いを巡らせていた。表面上は古くからの伝統と格式を重んじる名家の集まりだが、実際には政治的立場や経済的利害によって複雑に分裂している。
まず、最上位の三家。
筆頭はアルケウス老が率いるマクシムス家だ。俺の父マルクスとも親交が深く、穏健な親ローマ派の中心的存在である。彼らは代々市議会の要職を占め、「現状維持こそ最大の安定」を信条としている。アルケウス長老の政治的影響力は絶大で、十七名家の中でも別格の存在だ。
次にカエシウス・セウェルス家。軍事貴族出身で元百人隊長という異色の経歴を持つ現実主義者。三男だったため、家の外に出ていたが兄ふたりが嫡男を残さず相次いで他界したため、カエシウス家を引き継いだ。彼にとって重要なのは「勝てる戦いかどうか」であり、理想論には冷淡だ。
三番目はピナリウス・フラクス家。商業と流通を押さえる経済的実力者だ。クイントゥス・ピナリウスは計算高い男で、どちらが得かを常に秤にかけている。 最近アウレリウスに接触してきたのも、クリスプス商会の影響力拡大を察知してのことだろう。目利きだな。大したもんだ。
上位の六家は、これら最上位三家の動向を見極めながら立場を決める傾向がある。マギウス家、ウァレリウス家、サルウィウス家(リクトルの家)、ユニウス家、コルネリウス家、そしてセルウィリウス家。この六家の中で、サルウィウス家だけが明確にウィダキリウス派の理想主義路線を取っている。他の六家は様子見か内心は反ローマだろう。
特に興味深いのは、セルウィリウス家とコルネリウス家の動きだ。両家とも法務関係の実務に長けており、「合法性」を重視する。リクトルの人質交換問題が表面化すれば、彼らは確実に距離を置くだろう。
中位の八家は、政治的には弱小だが、それぞれに特色がある。アエミリウス家は農業と手工業に基盤を持ち、ファビウス家は過去の栄光があり、クラウディス家は文化芸術、リウィリウス家は宗教的権威を、アントニウス家は職人組合との結びつきを、スルピキウス家は農民層への影響力を持つ。残るカルプルニウス家とルタティウス家は、財政的に困窮しており、経済的支援と引き換えに政治的支持を提供する傾向がある。
そして、十七名家の外にいるのがパピリウス・ルクルス家だ。彼らは十八番目の「準名家」的な位置にいるが、だからこそ既存の秩序に対する反発が強い。パピリウスの過激さは、この微妙な立場から生まれている部分もある。
今日の演説を見ていて痛感したのは、この複雑な構造の中で、各家が自らの利益と保身を最優先に考えているということだ。リクトルの理想主義も、パピリウスの急進主義も、結局は十七名家の権力闘争の道具として利用されているに過ぎない。
特に問題なのは、上位五家の中でも意見が分かれていることだ。アルケウス家とカエシウス家は親ローマ派で一致しているが、マギウス家の動揺は見過ごせない。そして、ピナリウス家とウァレリウス家は完全に日和見主義だ。
中位七家の中では、サルウィウス家の孤立が深刻化している。リクトルの独断専行は、他の六家から見れば「一族の面汚し」でしかない。セルウィリウス家などは、明確に距離を置き始めている。
下位五家は、上位の動向次第でどちらにでも転ぶだろう。特に、経済的に困窮しているカルプルニウス家とルタティウス家は、パピリウス派に取り込まれる危険性が高い。
そして、パピリウス家の野心は明らかだ。彼は既存の十七名家制度そのものを破壊し、自らが新たな秩序の頂点に立とうとしている。今日の演説も、その布石の一つだろう。
俺が気になるのは、この混乱の中で「穏健な現実主義」がどこまで支持を得られるかということだ。理想論にも破壊論にも疲れた人々が求めているのは、確実で現実的な解決策のはずだ。しかし、それを提示できる政治的基盤がまだ脆弱すぎる。
アルケウス長老の協力を得ることができれば、上位五家の中で親ローマ穏健派の結束を固めることができる。そして、中位七家の動揺している名家を一つずつ説得していけば、十七名家の過半数を確保することも不可能ではない。
ただし、それには時間が必要だ。そして、パピリウスの攻勢に対抗するためには、相応の政治的技巧も求められる。俺のような若輩に、そこまでの力があるだろうか。
そんなことを考えながら羊皮紙を取り出し、十七名家の相関図を描き始める。親ローマ派、反ローマ派、中立派の三つに色分けし、それぞれの経済的基盤と政治的影響力を数値化してみる。
結果は予想通りで親ローマ派が経済力で優位に立つ一方、反ローマ派は民衆の支持で対抗している。そして、中立派が最終的な勝敗を決める鍵を握っている。
その中でやるべきことは明確だった。中立派を一つずつ説得し、穏健な現実主義の基盤を築くこと。そのためには、まずアルケウス長老との同盟を確実なものにしなければならない。
その分裂の中でどう立ち回るべきかを考え始めていた。理想論でも過激論でもない、第三の道を見つけなければならない、と。
本作品は生成AIを活用しつつ、作者自身の構成・加筆・編集を加えて仕上げた創作小説です。AIとの共創による物語をどうぞご覧ください。
なお作者は著作権法上の問題はないと判断のうえ、投稿を行っております。安心してお楽しみいただければ幸いです。
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(どんな組織であれ、人間が運営する以上は感情的な対立の芽を完全に摘み取ることはできません。ましてや狭い血縁も含めた閉ざされた社会なら尚更のこと。『政治』とは、いざこざを解きほぐす技術のことを指すのかもしれませんね)
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