決意の先にいる君は
「……ここにいたのか」
蒼天の下、社交シーズンの終わりを告げる野鳥狩りが始まった。毎年ルーカスは父と兄に任せ、顔を出さずに終わるのだが、今年はクリスティナと話をするためにやってきたのだ。
クリスティナは、狩りの間茶を飲み歓談する婦人たちから離れた場所で、ひとり敷物に座ってのんびりと景色を眺めていた。
「まあ、婿殿! さあ、どうぞお座りください」
クリスティナはルーカスを見るなりぱっと華やいだ笑顔を浮かべ、敷布の真ん中から少し端に移動する。ルーカスは少し照れくさそうにしながら、クリスティナと距離を開けて敷布の端っこに座った。
「婿殿は狩りをなさらないのですか?」
「僕は弓が引けないんだ」
獲物を狙う以前の問題だ。弓が固くて引けない。頑張って引いても、矢が真っ直ぐ飛ばない。射った瞬間に矢が地面にぽとりと落ちることもある。ルーカスは本当に、筋力も狩猟センスも持ち合わせていなかった。
「まあ! ではわたくしが婿殿のために獲物を射止めてまいります!」
クリスティナはルーカスをばかにしないで、両手を打ち合わせて瞳を輝かせる。喜んでもらえることを見つけた、と言わんばかりに満面の笑みを浮かべ立ち上がった。
「任せてください、一番の大物を婿殿に捧げましょう!」
「待ってくれ! 貴方が大物狙いをしたら何を仕留めてくるかわかったもんじゃない! 話をしよう!!」
ルーカスは慌ててクリスティナを引き止める。いかにも熊とか狩ってきそうで。背に身の丈を上回る巨大な熊を担いで、『婿殿!』と嬉しそうに走ってくるクリスティナを幻視し、ルーカスは腹を押さえた。
話をしようと言ったものの、ルーカスは何からどう切り出すか迷ってしまって、視線をうろつかせ黙り込む。クリスティナはちっとも気にしないで、ルーカスの隣にいるだけで楽しいというように、にこにこと笑っている。
空は高く、草木は風にそよいで、ふたりはしばらく黙って心地よい風に吹かれていた。ルーカスは森を眺めながら、ぽつりと話し始める。
「その、悪かったな。変な噂が流れてしまった。訂正しようとしたんだけど、できなくて」
僕は友人が少なくて、ともごもご言いながら、ルーカスは下を向く。先日の騎士との一件が、ねじ曲がって広まってしまったのだ。
ルーカスを侮り罵る騎士が現れ、それを知ったクリスティナが相手を駆逐せんと激怒したと。あわや騎士の命運も風前の灯火、となったところにルーカスが駆けつけ、荒ぶるクリスティナを叱り、諭し、鎮めたのだと。
まるで、クリスティナが荒神かなにかのように話が広がってしまった。とても優しい人なのに。逆にルーカスは『選ばれるべくして選ばれたのだ』と、変に株を上げている。『あのヴァンゾルクの姫君を叱り飛ばせるなんて』と。駆けつけた人間まで逆になって、それこそ何もかもが違っていて、ルーカスは訂正がきかずとても据わりが悪い思いをしている。
クリスティナはきょとんとルーカスを見つめ、思い当たったと手を叩く。
「お気になさらないでください! 婿殿のせいではありません。それに……」
クリスティナは喜びをこらえきれないというように口元を緩め、頬を両手で包み、きゃあっと華やいだ声をあげた。
「わたくしもついに、武の逸話を持ってしまいました……っ」
(ヴァン、ゾルクゥ……ッ!!)
心底うれしそうな顔で照れるクリスティナに、ルーカスは歯を食いしばった。貴方は本当にそれでいいのかと叫びたかったが、ぐっとこらえる。クリスティナがあんまり無邪気に喜んでいるから、水を差したくなくて。
心を落ち着け、ンンッと咳払いして、ルーカスは話題を変えた。
「ええと、貴方は僕の父に、手紙を送ってくれただろう」
「ご存知だったのですか!?」
ルーカスの父に認めてもらうために、クリスティナは何通も何通も、ルーカスの父に宛てて手紙をしたためていた。安心してもらいたいという思いを込めて自分の武勇を書き連ね、最後は『婿殿は必ず守るので安心してください』と締めくくられたたくさんの手紙。
ルーカスの父は毎日のように届けられる武勇伝におののき、しまいには脅されている心地になって震えていたから実は逆効果だったのだが。ルーカスは必死にクリスティナの弁明をすることになった。
誤解を解くのは大変だったが、ルーカスは、クリスティナのそんな一生懸命な、どこか見当違いなところが可愛いと……とても可愛いと思うようになっていた。――惚れた欲目で。
「そこまでしてくれて、その、貴方は本当に僕でいいのか。『頭が良い』という条件だけで僕を選んで、後悔はしないのか」
後悔しないと言ってもらいたい、弱い心の発露だと自覚しながらも、ルーカスは尋ねずにいられなかった。『是』と言ってもらいたい。その言葉があれば、ルーカスは魔物溢れる土地にも、むくつけき男どもの群れの中にだってついて行けるから。
うかがうようなルーカスの視線の先で、クリスティナははつらつと笑った。
「婿殿をひと目見た瞬間、この方だと思ったのです。わたくしの勘は当たるのですよ! ……他の殿方の名前を上げられていても、あの瞬間、わたくしはきっと婿殿を選びました」
たかが勘、などと侮っていいものではない。クリスティナのそれは、激しい戦闘訓練で、魔物との戦いで、生死の境を賭けて磨き抜かれた、特級の技能。
だから辺境伯はクリスティナに全権を与え、送り出したのだ。『お前が選べ』と。
「お話をして、確信に変わりました。わたくしは婿殿がいいのです。ですがわたくしは今まで殿方を射止めようと考えたこともなくて、どうすれば好意を持ってもらえるかわからなくて…………弓で射るのなら簡単なのに……」
クリスティナの物騒な発言に、ルーカスはぐっと目をつむった。それはもう簡単に済むだろう。遠方からヘッドショットでイチコロだ。一撃死という意味になるが。
喜びに溢れていた心が、一瞬で余計な一言に埋め尽くされる。だめだ、今ばかりは余計な口を叩かずにきちんと話をするんだとルーカスは唇をきつく結ぶ。
森を眺め、深呼吸を三回。
彼女だけに胸の内を語らせてどうする、とルーカスは己を奮い立たせる。ルーカスも、クリスティナがいいのだから。
「――父を、説得していたんだ」
真っ赤な顔で、ルーカスは話し始める。
「なかなか『うん』と言わなくて……僕は、愛されているな」
「……はい」
「それで、そう、クッキーは、あのあとちゃんと食べたんだ。その、もったいなくてしばらく置いてたんだけど、ちゃんと食べて、その、おいしかった」
「まあ! 地面に落ちてしまったのに!」
「包まれてたんだから、土なんてついてない。平気だよ。おいしかったし、嬉しかったし、ええと、おいしかった」
「あ、ありがとうございます……!」
「それで……」
だらだらと話している場合か、とルーカスは拳を握る。いつもいつも余計な一言が多いのに、肝心なときに言葉を出し惜しんでどうする。今こそ思ったままの素直な心を、真っ直ぐに彼女に告げるときなのだ。
ルーカスは顔を首の付け根まで、耳の先まで真っ赤に染め上げてクリスティナを見つめる。
「僕は、貴方が好きだ! 貴方が苦手なところは僕が支えるから、僕と結婚してほしい!!」
力いっぱい叫んだルーカスの視線の先で、クリスティナはルーカスに負けないくらい顔を赤く染めて、宝石のような瞳を涙で煌めかせて。ぽろり、とこぼれ落ちた雫が、まるで宝石が溶けて流れてしまったように思えて、ルーカスは無意識に指を伸ばして涙をすくった。
「もう、もうだめかと思いました」
「……ごめん、なかなか決断できなくて、本当にごめん」
悪い想像ばかりうまいものだから、命を天秤に乗せるくらいの勇気が必要で。条件の良さだけでは決断できなくて――でも、好きな女の子のためなら。
「もしこのまま社交シーズンが終わってしまったら、そうしたら」
クリスティナは次から次に涙を落とす。ルーカスは宝石が溶け落ちてしまうと思って、慌てて両手を出してクリスティナの涙をすくい続けた。
「父に頭を下げて、時間をもらって、婿殿のご実家に押しかけようと」
「いや、その、ありがとう」
自分を諦めないでくれることがうれしくて、ルーカスは思わず礼を言いながらクリスティナの涙を拭う。クリスティナは鼻をすすって、ルーカスを見つめゆるく頭を振った。頬にあてられたルーカスの両手をとり、柔らかく握りしめる。
「……これから末永くよろしくお願いします、婿殿!」
花が咲きこぼれるような笑顔を浮かべるクリスティナに、ルーカスは、「こちらこそ」とこたえ、クリスティナの手を握り返した。
彼女と一緒ならどこにだって行けると、晴れやかな笑みを浮かべて。
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