エピローグ
これにて第十章は完結です。
「……ふむ、ここが地球と呼ばれる世界か。似ているな、我々のものと」
こつ、と一人の男が床を踏む。
空調の効いた室内にあって、彼はゆったりとした動作で周囲を見回した。
それに対し、白髪交じりの五十代の男が答える。
「ええ、大気組成からしてそっくりです。特に適応措置も取らずに移動できるという事は、フロンティアと言っても差し支えないかと」
「フロンティア……フロンティアか。くくくっ、そう言うには些か発達し過ぎている気もするがな」
配線や配管が剥き出しの無骨な室内だが、それだけでも一見して技術のレベルを見抜いたらしい。茶色の髪を手櫛で整えながら、男は白髪の男に目を向ける。
「ここは蛮族と言える程、程度の低い文明レベルでは無いのではないか?」
「ですが、所詮は魔法を持たぬ文化です。たかが知れているかと」
「……宜しい、では我が国の発展の為にも、この土地を目いっぱい切り開くとしようかね。尖兵の諸君もよく頑張ってくれた。褒美は後程、出そう。楽しみにしていてくれ」
「ありがとうございます、長官」
その呼び掛けに応えたのは、緑髪の男――“ゼー”だ。その横では、“アーベント”が同じく頭を下げながら横目に眺めている。
「それにしても、尖兵諸君は随分と数を減らしたな? 七人ほど、最初は居た筈だが」
「ええ、戦闘で。原住民も思ったよりやるようでして」
「そうか。だが案ずるな、君達の努力の賜物で、我々がこうしてこの世界へやってくる事が出来たのだ。もはや我らの優位は揺るがない。ヴィオレット・オーバンの身柄だけでなく、この世界すらも手に入れて見せよう。我が祖国の為に」
茶髪の男は、そう言って高らかに笑う。
この場に、“ノクス”の協力者たる警察の人間がいれば、不愉快さに眉の一つでも歪めて、ついでに“ノクス”の危険性について本部に連絡するところだ。
しかし、この場には“ノクス”の人間以外は誰もない。監視の目など無く、やりたい放題だった。
それを知っているからか、“アーベント”は“ゼー”に向けて小さく言う。
「多くの無関係な人が死んだばかりだというのに、動くのが早いな。警察にも怪しまれるぞ」
「動いちまえばこっちのもんだ。現にこの戦力、もう現地の警察組織が手に負えるレベルじゃねえ。奴らとの力関係はこの時点で逆転してんだよ」
少し離れた場所で、引き連れた研究者と何事か話し込んでいる上司を横目に、二人の会話は進む。
「“アドラー”だってまだ真面に葬れていないのに」
「あれな、ファインプレーだったぜ“アーベント”。警察の話じゃ、結界内部に残されてた死体は全部消えたそうじゃないか。ついでに、一般人はこの事件に関する記憶まで消えてくれる便利仕様。もみ消しの手間が省けたって呑気に喜んでたぜ」
頭が軽くて助かる、と“ゼー”はケラケラ笑った。
「一体どういう仕組みでこうなったかも分からないのに、呑気な奴らだ。危険性を考えられないのか?」
「麻酔が効く理由も分からないのに使う様な連中だ。最初からそういう奴らなのさ」
「……それを言ったら、魔法とは何かという疑問を解決できない私達も似たようなものだがな」
そこで話を打ち切る事にしたのか、“アーベント”は踵を返す。“クリュザンテーメ”もそれに続き、ぴょこぴょこと後について来るのだった。
「もう動いて、良いの?」
「いつまでもこの部屋で私達全員が固まっていたら、警察から疑われる。少しは働いているところを見せなくてはなるまい。それに、少し考えを纏めたい」
「……考え?」
こてん、と首を傾げて見せる“クリュザンテーメ”を認めて、“アーベント”は薄く微笑んだがそれだけだ。
多くを語る事はせずに扉を開けて室内を後にする。
「“クリュザンテーメ”、お前は今回の事件を見て、どう思った?」
「沢山の人が死んで、結果としてそのどさくさに紛れて歪の生成と“門”の作成に成功。当初の目的の達成を果たした。想定外の犠牲を払ったが、戦略目標を達成した私達の勝利」
「誰も“ノクス”としての話はしていない。仲間が死に、多くの無関係な一般市民が死んだことについて、何も思わなかったか?」
「……感想?」
変化の乏しい表情だが、それでも“アーベント”の問い掛けとその意図をくみ取るべく、“クリュザンテーメ”は頭の中であれこれと考えているらしい。
「難しい。人が沢山死ぬのは、良い事ではない。仲間が死ぬのも、良い事ではない」
「ああ、そうだ。良い事じゃない。喜ぶのは以ての外だ。死なずに済むならその方が良いに決まっている」
「“アーベント”は、何が言いたい?」
考えても答えが出ないと判断したのか、“クリュザンテーメ”は真っ直ぐにそう訊ねていた。
「我々は、大人しくこの世界から撤退すべきなのだ。人を死なせすぎだ。これが明るみになった時、我が祖国にまで災いが波及しかねない。これ以上の犠牲は出すべきではない」
「私達が殺した訳ではない」
「が、原因は私達にある。赤ん坊から老人に至るまで死なせたのだ。真犯人は“アドラー”の遺した音声と映像に全て映っているが、恐らくこれは公表される事も無いだろうな」
ポケットから記録の入ったチップを取り出しながら、彼はその中に入っていた情報に考えを巡らせる。
「クリュザンテーメはこの真犯人の映像に目を通したと思う。どう分析した?」
「古代共通語の話者。古い言い回しと中世の音便変化も混ざっていて正確な時期を確定させるのは困難。最も新しく見積もって新暦600年代の存在。身体能力と結界構築技能からして、ただの人間ではない。映像内でも、精霊である旨を自身で示唆。嘘の可能性は低い」
白く、綺麗な廊下を歩く。このショッピングモールで、ほんの数時間前まで凄惨な惨殺死体が転がっていたとは思えない景色だ。
警察官も、血眼になって何か痕跡や証拠が無いかと捜索している様だが、何も見つかる気配はない。ルミノール反応の一つもないのだ。そもそも、彼ら自身、結界が形成されていたという記憶すら無くしている者が殆どだった。
そんな、ある意味では幸せな彼らを横目にしながら、“アーベント”は“クリュザンテーメ”に話の先を促していた。
「概ね私と一緒だな。ところで精霊なのだとしたら、“あれ”は誰だと思う?」
「その問いかけには不毛性しかない。精霊の存在は既に未確認とされて二百年以上。彼らの特徴は殆ど散逸して現代に伝わっていない。よって、推測のしようが無い」
「そう冷たく言うな。中世頃に活躍した有名な精霊と言えば幾つか居るだろう。ユピテルやサトゥルヌス、ユノー、メルクリウスにマルス……挙げれば限がない」
ばっさりと話を切ってしまう“クリュザンテーメ”だが、そんな彼女の相手をするのも慣れたものか、“アーベント”は話を上手く繋げていたのだった。
「それは歴史家スヴェンの遺した英雄叙事詩の話でしかない。脚色に富んで現実味に欠ける。おとぎ話の類」
「だが、同時代に活躍し英雄譚にも記載のあるラウレウスは実在が確認されているぞ? 私は、言動からしてサトゥルヌスがあの正体では無いかと思っている」
「あの英雄譚は全てが事実ではない。同様に、精霊たちも全てが事実ではない」
“アーベント”の可能性の話を全て否定して見せる“クリュザンテーメ”。確実性を求めているとも言えるが、話題を片っ端から潰しに掛かっているとも言えそうだった。
「……そんな事を考えて、“アーベント”はどうする?」
「叶うなら、“アドラー”達を殺した精霊と思しき存在に話を色々訊きたいだけだ。目的とか、色々な。仇討ちをしても良い」
「本物の精霊なら、私たちでは勝てない。“アドラー”が敗けたのもその証拠。全ての実現可能性が低すぎる」
「当然の話だが辛辣だな」
「仲間に無駄死にして欲しくないだけ」
「……“クリュザンテーメ”の口から遂にその類の台詞を聞けるとは思ってもみなかった。話題を振ってみた価値があったよ」
勝ち誇るように、珍しく“アーベント”が笑う。
それが気に食わないのか、“クリュザンテーメ”は表情を変えないままタックルしていた。といっても、体格差があるから、全くダメージらしいものは与えられなかったようだが。
「これからどうするの“アーベント”? 今の指揮権は、“ゼー”が掌握している」
「指揮権についてはどうもしないさ。しかし奴は味方の犠牲すらも厭わない。長官も同様だ。今まで以上に犠牲が出るかもな」
「この世界の人達にも?」
「ああ。無関係な人がどれだけ巻き込まれるか……そう言うのは好きでは無いのだが、職務上そうも言っていられない。そもそも、私が言うのは今更か」
ふふ、と彼は自嘲した。これまでに、彼が遂行した任務の中でどれだけの人が死んでいったのか、思い返しているのだろう。
「死なせようと思って死なせた訳ではないのだがな……所詮は言い訳だ」
「だから“ゼー”にも“シュピーゲル”にも、甘いって言われる」
その発言に、“アーベント”は三白眼を見開いた。それから、“クリュザンテーメ”の頭を軽く撫でて、笑った。
「まさかお前もそこまで言うようになるとはな」
「指導の賜物」
「指導者になったつもりはないのだが」
また、“アーベント”が笑った。
しかし彼はすぐに表情を切り替えると、ぽつりと溢す。
「あるべき姿に少しでも戻るべきなんだ。この世界も、私達も」
全く血の匂いがしないどころか、芳香剤に香りすらするショッピングモール内を見回しながら、彼は決意を滲ませていた。
早くて三カ月、遅くて五カ月更新が止まります。
次回最終章の予定です。




