第五話 朱塗りの記憶⑤
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工事現場か工場にでもいるかのような、硬質で甲高い音が俺の鼓膜を揺らす。
余りの騒々しさに耳栓の一つでもしたい気分になるが、この状況下ではそうもいっていられなかった。
「全然破れねえぞ、こいつ……!」
『結界だからな。そうホイホイ破れはしないと言った通りだろう?』
「なら……例の粉はまだ届かねえのか!?」
『そう急かすな。プサッフォーが運んでくれていると言った筈だ。そう時間も掛からないさ』
苛立ちが募る。オーバンに当たり散らしても意味が無いと分かっているのに、こんな事を言ってしまっている自分が情けなかった。
それでも、気が急いてしまって仕方ない。
「金さん、大手さん、それに……!」
百鬼組の人間や、無関係な沢山の一般人、その中には恐らく友人である長崎 慶司達も含まれている。もしかしたら結界で封鎖される前に外へ出ている可能性もあるが、そんな事を確かめている暇なんて無かった。
「お待たせ、マモル。御注文の品、届けに参上したわよ」
「来たか。オーバン、指示を!」
『了解した。まずは一袋分、小さな円を描くように散布するんだ。マモルはその中心を攻撃し続けてくれ』
「なればその任、儂が承ろう」
その遣り取りを同じくイヤホンで聞いていた毛利吉政が、プサッフォーから粉の入った袋を一つ受け取り、刀で開封する。
「護が攻撃している箇所を囲むように小さく撒けばいいのだろう?」
『そういう事だ。そうすれば、一時的にその箇所だけ魔力の供給が遅れる。破砕できる確率が高くなるという訳だ』
「だそうだ。頼んだぞ、護」
「……言われなくたってやってやるさ」
足元に叩き込んでいる二本のドリルは、尚も甲高い音を立てて黒い結界と鬩ぎ合っている。だがオーバンの指示通りに粉が撒かれてからすぐに、その音に変化が生じる。
「手応えが出て来た……!」
先程までの耳障りな音に、ガリガリとした何かが削れる音が紛れ始めたのである。
『早速効果が現れた様で何よりだが……モウリ、休まずに粉の散布を続けるんだ。結界の修復力は高い、一袋程度の魔力結合粉では、すぐに飽和してしまう』
「あい分かった、同じ要領で撒き続ければ良いのだな? しかし、確かにすさまじい反応速度じゃな。撒いたそばから粉が変色して砂になっていく……この結界とやらには、どれほどの魔力が流れておるのじゃ?」
『個人規模はとっくに超越している。軍事的な戦術級の魔力がつぎ込まれているとみるのが妥当だ』
「良く分からんが、凄いという事だけは理解した」
どうせ深く聞いても理解出来ないと分かっているからか、吉政は粉を撒きながらそれ以上質問する事は無かった。
そして、当の俺はといえば、着実な手応えに気持ちを昂らせていて――そこで不意に、父の声が鼓膜を揺らした。
『盛り上がっているところ済まない、プサッフォー、応答求む』
『はい、こちらプサッフォー。どうしたのかしら、サネユキ?』
『迎えに行って欲しい人物がいる。座標は今から送る、頼めるか?』
『この状況下で断らないわよ。了解』
ここに来ての新たな指示だ。これで気にならない道理はない。だから俺は父に訊ねる。
「……迎えって、この状況で誰を?」
『月夜野だ。協力者の』
「は? 何だってアイツを……!?」
好ましくない視線をこちらへ向けていた、若い男の顔が脳裏に過って、俺は眉間に皺を刻んだ。
そんな俺の心情を読み取ってか、父は先読みした様に経緯を説明してくれるのだった。
『今後の協力を盾に、結界の内部に入らせろと言って来たんだ。そう言われては、条件付きで認めざるを得なかった』
「認めざるをって……そんなの勝手に縁でも何でも切らせりゃ良いだろ! どうしてアイツの為にそこまで」
『吉門の部下だからな。何かあったら奴に申し訳が立たん。勝手に暴走して死なれても寝覚めが悪い』
そう言われては、俺も黙るしかなかった。
吉門 海斗と言えば、俺だってその最期の時に彼を看取る事しか出来なかったのだ。己の無力さを改めて痛感させられた事件だった。
『これでまた犠牲者が出たら、護もきついだろ?』
「……そうだな」
もはや反対の言葉は出て来なかった。いや、出せなかった。
「じゃあ、この結界が破れたら俺達は月夜野を伴って中に入れば良いのか? 何かあった時に選択肢が減るんだが」
『プサッフォーを監視役にする。危険になったら瞬間移動で強制的に外へ出せば何とかなるだろう』
「了解。そこまで考えてあるんなら俺からも文句はないよ」
イヤホンの向こうで、父が感心した様に息を漏らしたのが聞こえた。
『……もっと色々言われるかと思ったんだが』
「そんな暇でもないし、ガキでもない。こんな状況であれこれ文句ばかり言ってなんていられないからな」
「済まないな、お前にまた配慮されてしまうとは」
自嘲の色を見せた父は、しかしそこで一旦言葉を区切ってから言った。
『いいか? 現実を見てから、全力を尽くせ。後の事は俺達に任せればいい。分かったな?』
「簡単に言ってくれる……」
つい、口元が緩んだ。今度は自分が気を遣われたのだ。何かと気にし過ぎる俺の性格を心配したのか。
それが鬱陶しくもあり、頼もしくもあり、そして気恥ずかしかった。だから俺は、ここで結合粉の散布をしてくれている武士へと話題を向けるのだった。
「毛利さん、粉の反応速度に対して散布が追い付いてないよ」
「分かっているわい! ええい埒が明かん、コンスタンディノス殿、助力を求む!」
「ぬう? 良かろう、我に掛ればこの程度、一瞬で終わらせて見せよう!」
一人だけでは手に負えないと判断してか、吉政がこの場で唯一手隙の大男に手伝いを求めれば、彼も手持無沙汰だったからか快諾していた。
これで、周囲の変化に対して即応できる戦力が無くなってしまった訳だが、やっと結界が破れそうなのだ。この機会を逃す訳にはいかなかった。
「散布しながらで悪いけど、“ノクス”の動きには注意を払ってくれよ?」
「無論である。このコンスタンディノスを舐めるでないわ。むざむざ奇襲を許す程、我は愚かではない!」
「左様。儂も居るでな」
自信に満ちた力強い返事は、それだけで心強さを与えてくれる。実際の戦場を経験した事があるからこそ、彼ら二人もそうした返事の重要性を理解しているのだろう。
どちらにしろ、彼ら二人が結合粉を撒いてくれているお陰で、結界の修復に集まって来た魔力が、その粉と結合して砂になっていく。
「……いける!」
強固で圧倒的な自己修復力まで誇っていた結界も、こうなっては削られていく一方だ。当然、俺のドリルによる攻撃にいつまでも耐えられる筈がない。
そして。
肩透かしを食らったような感覚がしたかと思えば、遂にその一部を破砕する。当たり前だが、結界と密着していた鉄筋コンクリート製の床まで貫通したのは、仕方ない話である。
「抜けた!」
「でかした護!」
「ぬははは、ここで遂に我らの出番か!」
直後、吉政とコンスタンディノスがそれぞれ刀と大剣を抜く。どちらも黒くコーティングされ、魔力に対する抵抗力を付与されているものだ。
それらが、穴の開いた箇所に差し込まれて結界を切り裂いて穴を広げていく。同時に結合粉の散布も続けることで、結界の修復機能を阻害していた。
「護、行くがよい!」
「ああ、でもその前に……“アーベント”、アンタらはどうする? 中に入るか?」
先へ進む事を促す吉政に待って貰いながら俺が水を向けたのは、“ノクス”の人間達だ。敵であるとは言え、彼らもまた内部に仲間が取り残されているからと、一時的に休戦を結んでいるのだから。
とは言え、それでも話を振られるとは思っていなかったのか、“アーベント”は額の汗を拭いながら言った。
「正気か、百鬼 護……提案した私が言うのもおかしな話だが、内部へ本当に入れるつもりか? 攻撃を仕掛けぬとも限らないのに」
「この破砕孔は常に結合粉の散布が行われている。魔法使いのアンタらにしてみたら、ここを通ると戦闘能力が低下する訳だな。そんな消耗した状態で、俺らに戦闘を吹っ掛けられるとは思えねえ」
「大した自信だ。しかしその厚意、痛み入る。お言葉に甘えさせて貰おうか。行くぞ、“クリュザンテーメ”」
「ん、了解」
“アーベント”が言えば、二つ返事で少女もそれに応じる。余りにも流れる様な、自然な遣り取りに、緑髪の男は呆気に取られていたが、すぐにハッとしていた。
「ちょ、おい待て待て待て本気で行くのか二人共!? もしかしたら休戦協定を反故にされるかも分からないってのに!?」
「ああ、その可能性もある。だから“ゼー”、お前は一足先に後退していろ。何かあってもお前と“シュピーゲル”なら何とかするだろ」
「何とかって……お前なぁ!?」
「俺らが戻らなかったら、後は任せる。好きにしろ」
一瞥もせずそう言い残すと、“アーベント”は“クリュザンテーメ”を伴って破砕孔の中へと消えた。
もはやたった一人取り残された格好となった“ゼー”は、舌打ちをしてから頭を乱暴に掻いていたのだった。
「勝手な奴だ……俺はもう撤退させて貰うからなっ」
「二人と一緒に行かなくて良いのか?」
「誰がお前らに背中預ける様な真似するかよ。それでやられたら間抜けそのものじゃねえか。俺は御免だね」
肩を竦めて見せた“ゼー”は、ポケットからごく小さな種子を取り出したかと思えば、それを瞬時に発芽・生育させていた。異常に巨大な、タンポポだ。
「あばよ」
花が枯れ、再び蕾が開いた時、それは巨大な綿となっていた。当然、風が吹けば綿が一斉に空を舞い、その一つに掴まった“ゼー”は急速にこの屋上から離脱していく。
瞬く間に枯れて塵になる巨大なタンポポの様子を眺めながら、俺は吐き捨てるように呟いた。
「……薄情な奴だな」
「おい、いつまで敵を見送っているつもりだ? 早く入れ、護。この穴を維持するのも楽ではないのだぞ?」
「ああ、済まない。……行くか」
ふと吉政からの御尤もな抗議を頂戴して、俺は意識を目の前の破砕孔に向け直す。
果たして中で何が起こって、どうなっているのか。否応なしに己が緊張していくのが分かった。
「俺が戻ってくるまで、この穴閉じるんじゃねえぞ」
「駄目そうなら連絡してやる。こうして穴が開いているのだから、電波とやらも届くのであろう?」
「……こんな小さい穴じゃ電波は殆ど届かねえだろうな。って訳で、意地でも穴は塞ぐなよ」
「無茶を言ってくれるのう……」
呆れたらしい吉政の言葉を聞きながら、俺は穴へと飛び降りる。
「無茶でも何でも、やってくれなきゃ困るっての」
全く人気のない廊下に着地して辺りを見回しても、何の変哲もない景色が広がっているだけだった。
ただ、電気までも寸断されているからか、中は酷く薄暗いもので、不自然な静けさも相俟って不気味さを増大させていた。
そしてそれを裏付けるような匂いが、俺の鼻腔を侵す。
「……っ!」
強烈な血の匂いが、この場には充満していたのだ。
ぞわりと、悪寒が背中をなぞった。
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