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女神大戦 ‐The Splendid Venus‐  作者: 灰原康弘
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第三章 華京院凛香という少女⑫

「結構面白かったね」

 セミナーからの帰り道で朱莉が言った。ここは文化会館からすこし離れた歩道なので、その近くよりは人通りはすくなかった。


 時刻は六時半を回ったところだ。パンフレットでは、セミナーは六時までとなっていたから、予定の時間を三十分もオーバーしたことになる。思いのほか盛り上がったためか、予定になかったプログラムも組みこまれたのかもしれない。


「ね。むっくんかっこよかったなー」

 美希がまるで関係のないことを言った。やはり彼女はセミナーではなく、倉田という心理学者が目当てだったらしい。

「私はなんだか疲れてしまった」

 凛香がどっと疲れた顔をして、深い息を吐いた。


「ええー。どうして? あんなに近くでむっくんが見れるなんていいじゃん。しかも、プレゼントまでもらっちゃってさぁ」

「さっきから気になっているんだが、そのむっくん……? というのはなんなんだ?」

「倉田さんのことだよ。むつみ、って名前だから、むっくん」

「なるほど、愛称か」

 凛香は一人納得したようにうなづくと、

「井澤、これは君にやろう」

 さきほど倉田からもらった、アスパラガスの花を美希に渡す。


「え、いいの?」

「ああ。正直、持って帰っても持て余してしまうからな」

「ありがとうっ、華京院さん!」

 美希は嬉しそうに、花を受け取るとぴょんとはねた。

「喜んでもらえてなによりだ」

「なんだ、いらないのか? せっかくの、王子様からのプレゼントだろう」

 尊がバカにしたように言った。こういうとき、からかうようにではなく、バカにしたように言うのが、尊が尊たる所以である。


「なんだ、柊。おまえも欲しいのか?」

 尊はこれには答えずに鼻を鳴らしただけだった。

「お遊びはもう十分だろう。行くぞ。まったく、とんだ茶番に付き合わされたものだ」

 言って、軽く顎を振ったかと思うと、足早に歩いて行ってしまう。

「お、おい柊! 待ってくれ! すまん井澤! 私はこれで失礼する!」

 凛香は慌てたように尊の後を追う。


「う、うん。また明日ね……」

 手を振る美希は、うーんとうなって首を傾げた。

「やっぱり、怪しいなぁ、あの二人」

 うんうんとうなづく美希は、隣を歩く朱莉に同意を求める。すると彼女は、思わぬ言葉を口にした。

「ごめんね美希ちゃん。私もこのあと、ちょっと予定あるんだ」

「え?」

「今日は誘ってくれてありがと。結構楽しかったよ。じゃあ、明日学園でね」

 朱莉も二人の後を追う。一人残された美希は、うーんと首をひねり、やっぱり怪しいなあとつぶやくのだった。




 凛香が保釈されるにあたって出された条件はいくつがあるが、その中の一つにこういうものがある。

〝一日一度、捜査関係者からの聴取を受けること〟。

 現在、凛香は暗示をかけられた、極めて特殊な状態にある。したがって、彼女の様子を頻繁に確認する必要があった。それは、尊による〝監視〟に加えて、〝異常なし〟ということを報告するという意味を兼ねていた。


 その聴取は、中央省の警保局長……すなわち、瀬戸の執務室にて行われる。表ざたになっていない事件であるため、人目をはばからずに行える場所でする必要があるからだ。さらに、〝自ら出向いた〟という好印象を与えるために、この場所が選ばれた。

 聴取は、午後七時から行われることになっていた。


「やあ、凛香ちゃん。よく来てくれたね」

 執務室に入った凛香に、瀬戸がにこやかに挨拶をした。

「二人も。わざわざ悪いね」

「まったくだ。この俺がわざわざ時間を割いてやったんだ。せいぜい感謝するんだな」

 部屋に入るなり、尊はソファーにふんぞり返ったかと思うと、偉そうに言い放った。


 現在、執務室には尊たちのほかに、部屋の主である瀬戸、彼の秘書である丹生、そして律子の姿があった。

 瀬戸は経験から言って、この言葉になにか返そうものなら時間を無駄にすることを知っている。彼は肩をすくめると、丹生に人数分のコーヒーを入れてくれと言った。

 やがてコーヒーが出されると、瀬戸はそれを一口すすってから言う。


「それで凛香ちゃん、どうだい調子は?」

 ざっくばらんな問いであったが、それは軽いだけではない。有無を言わさぬ強さを秘めてもいた。

 彼らはいま、凛香を真ん中に、左側に尊、右側に朱莉と言った順で座っていた。その対面には瀬戸が腰かけ、彼の両脇には律子と丹生が控えている。


「おかげさまで、普通に学園生活を送らせていただいています」

 瀬戸はうなづくと尊にちらりと目をやった。

「とくに異常はない。今日もいつもとおなじアホ面でシャバを満喫していたぞ」

 賢明なことに、一同はこの発言を無視した。

「朱莉ちゃん、君から見てどうかな? なにか変わったところとか、おかしなところはあったかい。どんなにちいさなことでもいいんだ」

「……いえ」

 朱莉は昨日からのことを思い出して言った。

「私の目で見た限り、おかしなところはありませんでした」


 朱莉は騎士団士官学園唯一の文官候補生である。そのため、書記官を務めるにさいし、彼女は観察眼を鍛えてもいた。今回の件も、その一環である。

 それから、丹生による質問が行われた。暗示をかけた人物について、なにか思い出したことはないか、あるいは、どこで〝おみやげ〟を受け取ったのかといった質問が重ねて尋ねられた。遺体の写真を見せたところ、やはり凛香は〝クッキー〟と答えた。


「やっぱり、暗示はまだかかってるみたいね」

 律子がぽつりと言った。

「その暗示だが、解くことはできそうかな」

 瀬戸が言うと、律子はひょいとと肩をすくめて「やってみます」と言い、一度朱莉を立たせて凛香の隣に腰かけた。


「いい、華京院さん? 私を見てちょうだい」

 凛香と視線を合わせると、律子は今度は左手を握る。

「いい? リラックスして。私の声をよく聞くのよ」

「はい……」

「これから、あなたにかけられた〝暗示〟を解くわ。そうすれば、あなたはもう苦しまなくて済むし、だれもあなたを苦しめない。だから安心して、肩の力を抜いてほしいの」

「……」

 凛香は答えず目を伏せた。


「知ってる? 人間の記憶っていうのは、楽しいことが七割、中間が二割、苦しいことが一割で占められているの。

 あの時計が見える?」

 律子が視線をむけたのは、壁に掛けられた柱時計である。時を刻む秒針の下で、振り子が揺れ動いていた。

「あの振り子が上がるたび、あなたはその記憶を呼び起こす。いい? よく見なさい。上がって、下がって、上がって、下がって、上がって……」

 上がって、下がってと言うたび、彼女は凛香の体を手のひらで軽くたたいた。肩、腕、腰、太もも、そういった箇所だ。暗示を解く方法が、言葉によるものか、あるいは体への接触によるものかを確かめるためだ。


「き、教官、なんだか頭が……」

 凛香は顔をしかめ、頭を横に振る。

「大丈夫よ、落ち着いて。だれもあなたを苦しめたりしないわ」

「あ、頭が痛いんです……」

「深呼吸をしなさい。吸って、吐いて、吸って、吐いて……」

「もうやめてくださいっ!」

 悲鳴のような声を上げたかと思うと、凛香は暴れだそうとした。律子は素早く拘束し、凛香をその場へ組み伏せる。


「っ!」

「鬼柳ちゃん。もういい、十分だ」

 律子は拘束を解くと、ゆっくりとソファーに座らせ、軽く肩を撫でた。

「ごめんなさい、華京院さん。大丈夫?」

「……ええ。大丈夫です」

 凛香がうつむきながら、不安そうな声を出す。


「で、どうなんだ」

 尊がじれったそうに訊いた。凛香を気遣う様子など皆無である。

「まだ暗示は解けてないわ。さっきのは、防衛システムが働いただけね」

「フン。まあ、そう簡単に解ければ苦労はないだろうな」

 尊が皮肉っぽく言った。悪い空気をさらに悪くするとは、いったいなにを考えているのだろう。あるいはなにも考えていないのかもしれないが、これ以上空気を悪くするわけにもいかない。朱莉が口を開きかけたとき、しかし尊が二の句を継いだ。


「そいつの姉の暗示は解けないのか?」

「まえにやったけど、無理だったわ」

「そもそもこれを訊きたいんだが、暗示というのは、どのくらいの時間かかっているものなんだ?」

「それには個人差があるわね」

 律子は肩をすくめて答えた。

「暗示にかかりやすい人は、長い間かかっているけれど、かかりにくい人はすぐに解けてしまう。ただ……」

「ただなんだ。とっとと言え」

「天音さんくらい長期間暗示にかける場合は、定期的にかけなおす必要があるわ。永遠にかかる暗示は存在しない。これは絶対よ」

「フン、なるほど。貴様が暗示を解くことができればすべて解決するんだが、ままならないのが世の常か」

「あら、あんたが解いてくれてもいいのよ?」


 律子は皮肉っぽく目を細めた。

 不穏な空気が流れ始めた。それを打ち砕くように、ふたたびソファーに腰かけた朱莉が、そういえばと言った。

「今日ここに来るまえ、心理学の先生のセミナーを受けてきたんです」

「セミナー?」

 瀬戸がコーヒーを一口すすって言う。


「はい。倉田っていう、大学で教授をしてる人らしいんですけど……」

「聞いたことないな」

 首をひねる警保局長に、「最近テレビ出演もしてる人気の人です」と秘書が説明する。

「ほー。朱莉ちゃんはそういう人がタイプかい?」

「いえ、そういうわけじゃ……友達に誘われたんです。一緒に行かないかって。華京院さんの暗示のことも、なにか分るかと思って」

「なにか収穫はあった?」

 律子が訊いた。

「いえ、残念ですけど……でも、すごかったんですよ」


 そこで朱莉は、セミナーで見た倉田いうところの〝技術〟について説明した。

 朱莉の意図を察して黙って話を聞く瀬戸たちだが、不幸なことに、ここにはそういった空気を読まない人間が一人いる。


「下らん。あんなもの、ただの奇術だ」

 砂糖を三つ入れたコーヒーをすすり、偉そうにソファーにふんぞり返った尊が言った。

「奇術って……」

 朱莉は目をぱちくりとしながら、

「尊くん、あれどうやったのか分かったの?」

「当然だ。俺をだれだと思っている?」

 偉そうにふんぞり返ったまま尊が言う。

「本当か? そこまで言うのであれば、柊、あれはどうやってやったのか、教えてくれ」

 凛香の言葉を受け、尊は酷薄な笑みを浮かべた。

「いいだろう。貴様らでも分かるよう、この俺が直々に実践してみせてやる」


 尊はそう言って、トランプを用意するように言うが、あいにく執務室にトランプはなかった。ないなら口で説明してくれるだけでいいという朱莉を無視し、尊はだれかに電話をかけトランプを持ってこいと言いつけた。

 まもなく、執務室の扉が前触れなく開かれ、一人の人物が飛びこんできた。

「尊様――――――――っ!」

 かと思うと、そいつは尊の背後から抱き着き、愛おしげに首に手を回す。

「ご所望のトランプ、お持ちいたしましたわ」

「ご苦労」

 偉そうに労う少年に、瀬戸はあきれた視線をむけた。


「なあ小隊長、中隊長はおまえのパシリじゃないぜ」

「構いませんわ元帥。わたくしは気にしませんもの」

 尊の頬を撫でている恵梨は、瀬戸のことなど、というより、尊以外のものはまったく目に入っていない様子である。


「おい、下らん話をしてないで注目しろ」

 尊は机の上に六枚の絵札を並べた。

「一枚選べ」

 恵梨の手のひらで目隠しをした尊が言う。朱莉と凛香は顔を見合わせると、代表して朱莉が一枚選ぶ。彼女が選んだのは、ハートのクイーンだった。


「選んだよ」

 朱莉が言うと、尊は目隠しを外し、カードを回収する。

「では、いまから貴様が選んだカードを消して見せよう」

 そうしてカードの上に手をかざし、「はっ!」というすこし間の抜けた声を出す。そして、ふたたび絵札を並べなおした。

 朱莉と凛香は身を乗りだして確認すると、

「あ、あれ……?」

「な、ない……」

 二人は目を丸くする。さきほどとおなじように、朱莉が選んだカードは消えてしまっているのだった。


「すごいよ尊くん」

「どうやったんだ?」

 しかし、この二人の質問に答えたのは、瀬戸だった。

「二人とも、並べられたカードをよく見てごらん」

 言われて、二人は改めてカードを見る。

「たしかに、朱莉ちゃんが選んだハートのクイーンはなくなってるが、ここに並べられたカードに、最初に並べられたカードは一枚もない」

「あ……」

「本当だ……」

 瀬戸に言われて改めてカードを確認すると、たしかに、どれも最初のカードとは違うように見える。


「カードをすべて入れ替えたのさ。人間は一枚選べと言われたら、ほかのカードまでは覚えない。それに、絵札はほかのカードと違って一見しただけじゃバレにくい。カードマジックの一種さ」

「なるほど……」

 朱莉は納得したようにうなづき、

「なんだ、そんなことだったのか」

 凛香はちょっとがっかりした様子だった。

「てっきり、私はもっとすごい種があるのかと……」

「だから言っただろう。あれは下らん奇術だとな」

 つまらなそうに鼻を鳴らし、尊はソファーによりかかった。それを見た瀬人がにやりと笑う。


「まあ、マジックなんてそんなもんさ。種が分からないからこそ、花がある。一度分かってしまえば、なんてことないものだからね」

「フン。サーストンは正しかったということだな」

 尊が吐き捨てるように言うが、朱莉と凛香はなんのことか分からなかったので首をひねった。

 尊の言うサーストンとは、ハワード・サーストンという名のマジシャンである。彼が提唱したサーストンの三原則――マジシャンがやってはいけない三つのタブー――のなかに、マジシャンは種明かしをしてはならないというものがあった。


「では、私が隠したアスパラガスを見つけたのは? あれはどうやったんだ?」

「それなら説明できるわよ」

 そう言ったのは律子だった。

「ほう」

 さも驚いたような声を出したのは尊である。彼はにやにやと意地の悪い笑みを浮かべると、

「面白い。ぜひともやって見せてもらいたいものだ。恵梨、貴様もそう思うだろう」

「はい、尊様。思いますわ」

「だそうだ。やって見せろ」


 律子はあきれた視線をむけていたが、「分かったわ」と肩をすくめると、

「華京院さん、ちょっと手伝ってもらえる?」

「は、はい」

「このトランプを、隠してもらえるかしら。部屋の中だったらどこでもいいわ」

 机の上のトランプを回収して小箱に入れなおすと、それを凛香に手渡した。

「私は一度部屋から出るから、隠し終わったら声をかけてちょうだい」

「分かりました」

 律子がいったん退室してから、凛香はトランプを隠そうとする。しかし、尊の近くを通ったとき、急にトランプをひったくられた。恵梨の仕業である。彼女はそれをうやうやしく尊に渡すと、彼はそれを自分で隠してしまった。


「お、おい、柊!」

「なんだ。さっさと律子を呼べ」

「教官は私に隠せと……」

「俺がいま隠しただろう。分かったらとっとと呼んで来い」

 このままだと、埒が明かないので、凛香は仕方なく律子を呼び戻す。

「じゃあ華京院さん、手を握って」と律子は凛香の手を取り、

「集中して。私のことを見てちょうだい。いいわね?」

「は、はい」


 それから、律子は凛香の手を取ったまま、部屋を回り始める。律子はまっすぐに凛香を見据え、凛香は律子から目をそらすことができず、まるで金縛りにでもあったように、彼女を見つめていた。棚やデスク、テレビ、あるいは尊や朱莉などに近づいたり離れたりを繰りかえす。部屋を回る二人の動きはじつに軽やかで、その様子は、まるでダンスでも踊っているかのように流麗だった。


 やがて、律子はぴたりと足を止める。右手を離し、人差し指を立てると凛香の目のまえまで近づける。今度はゆっくりと指を遠ざけ、来客用のカップなどが収容された食器棚を指さす。かと思うと、律子は手をパッと開き、ゆっくりと手を回した。

 口元に微笑をたたえると、律子は凛香から手を離し、まっすぐにある場所へとむかった。


「出しなさい」

 一言そう命令する。

「なんの話だ?」

 とぼける尊を無視して、はやく出せと手をだす律子。尊は忌々しげに舌打ちすると、制服の内ポケットからトランプを取りだし投げて渡した。

「ビンゴね」

 律子がにやりと笑い、

「お見事、とでも言ってほしいのか?」

 せめてもの負け惜しみとばかりに尊は吐き捨てる。

「結構よ。あんたに褒められると蕁麻疹出そうだから」

 律子の心配は、しかし無用の長物である。尊が唯以外の人間に対して賛美の言葉を贈る光景など、まるで想像がつかない。というより、皮肉以外ではありえないと断言できる。


「すごいです先輩……」

 その代わりに、丹生が羨望のまなざしをむけた。

「なぜ分かったんですか?」

 凛香の質問に鼻を鳴らしたのはもちろん尊である。彼は嘲るような口調で言う。


「なぜもなにも、その女はただ貴様の反応を見ていただけのことだ」

「私の反応を?」

 眉をひそめる凛香に、尊は面倒くさそうに手を振ると、

「人間というのは、意識していなくても様々な反応を示しているものだ。律子はただそれを読みとっただけだ」

「読みとった?」

 今度は朱莉が眉をひそめた。尊はいよいよ難儀そうに舌打ちをし、

「部屋を回って、隠していそうな場所に離れて近づいてを繰りかえす。そして、その反応を逐一観察する。おそらく、貴様は俺に近づいたときに表情をこわばらせ、離れたときに力を抜く、などといった反応を見せたんだろう。だから隠し場所が分かったんだ。あの倉田とかいう優男がやったのも、これと同様だ。律子、やはり貴様には大道芸人の素質があるようだな」


「な、なるほど」

 朱莉は納得したようにうなづく。

「表情に出ないよう気を配っていたつもりなんだが……」

「意識すればするほど、出てしまうものよ」

 律子は肩をすくめて言った。

「じゃあ、弾を歯で止めたのは? あれはどうやったの?」

 また朱莉が訊く。


「貴様そんなことも分からないのか?」

 尊が心底面倒くさそうに言った。

「あれは弾を込めるふりをして手の中に隠し、その子娘に空砲を撃たせたんだ。その後で、歯の間から弾を取り出して見せればいい。ただの奇術のトリックだ」

「そ、そうだったんだ……」

 また朱莉は、どこかガッカリした様子になる。それを見た尊はまたつまらなそうに鼻を鳴らした。


「ふん」

 と瀬戸は顎を撫で、

「ずいぶん楽しそうなセミナーだったんだな」


「それはあの優男に言うんだな。俺に皮肉を言われても困る」

「俺はべつに皮肉を言ったつもりはないんだが……」

 瀬戸は口をへの字に曲げて言った。

「それよりおまえ、その倉田教授がマジックをしてる最中にチャチャ入れたりしてねぇだろうな? 制服でセミナーに行ってるんだ、困るぜ、目立つマネをされちゃ」

「失礼なやつだな。俺がそんなことをすると思うか?」

 瀬戸は「本気か?」と言いたげな目で尊を見る。律子と丹生も同じ反応をした。


 そういえば、考えてみれば、尊があの場で口を挟まなかったのは意外だ。いつもの尊であれば、たちまち長々とつまらない皮肉を飛ばし、マジックの種明かしをするということを、最も最悪のタイミングで行ってしかるべきである。

 なぜ、しなかったのだろう? 


「そういえば、今日の尊くんは大人しかったよね」

「たしかにな。いま考えると、不気味なくらいだ」

「貴様ら俺をなんだと思っているんだ?」

 うざったそうに舌打ちをする尊。しかし、これは彼の普段の行いの悪さがもたらした結果であり、当然ながら自業自得である。だが、この場にはたった一人、正反対の反応を示す人物がいた。


「尊様、バカの言葉に耳を貸してはいけませんわ」

 恵梨である。彼女は相変わらず尊の首に両腕を回し、ぴったりとくっついている。

「尊様のご慈悲に気づかぬような輩など、相手にする価値はありませんもの」

 などと、訳の分からないことを言っている。


「ま、問題を起こさなかったならいいんだ」

 瀬戸が半ばあきらめたような声を出した。

「尊、もう一つのほうはどうなってるんだ?」

 もう一つ……すなわち、凛香と刀哉の決闘についてである。

「まあまあだ。今日はとりあえず、こいつのプライドを折ってやっただけだな」

 わざと不安をあおる言いかたをしておいて、偉そうにふんぞり返ってコーヒーをすする。


「できそうか?」

「さあな」

 尊は発言を濁した。気のせいかもしれないが、この件に関しては、尊は意図的に発言を濁している気がする。なにか考えあってのことなのか、あるいは単なる性格か、いまいち判断がつかなかった。

「心配なら、とっととこの集まりを終わらせろ。この以上ここにいたところで、時間のムダだ。俺はこの後、唯に会いに行かなくてはならないんでね」


 そう言って貧乏ゆすりを始める。もう見慣れた、見飽きた光景である。

 というか、もう時刻は八時を回ろうとしている。しかし、いまから行くつもりかなどといった質問はするだけムダである。


「そうだな。いい時間だし、そろそろお開きにしよう。丹生ちゃん」

 そこで瀬戸は、明日の予定を秘書に確認し、それから続ける。

「じゃあ、明日も今日とおなじ時間から、始めることにしよう。三人とも、それでいいかな?」

 朱莉と凛香はそれぞれうなづき、

「好きにしろ。俺は来なくてもいいなら、それに越したことはないがな」

「明日までに事件が解決すれば、それで構わないぜ」

 瀬戸は言ってにやりと笑う。尊は答えずフンと鼻を鳴らした。


「そういうことだ。じゃあ、明日もよろしく頼むよ、三人とも」

 と瀬戸は片目をつむって見せるのだった。

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